後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老境の幸福と夭折した詩人や作家達の悲しみ

2014年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は老境になると自然に枯れてきて現世的な欲望が少なくなってきます。

そして「悟りの境地」がほんの少し見えてきます。少しでも見えると、それまでの考え方がガラリと変わります。

それまで自分の心を縛り付けていた出世欲も権力欲も名誉欲も、みんな馬鹿馬鹿しく思えるようになるのです。

自分の魂が現世欲から解き放たれて自由に青空を飛べるような気分になるのです。

これこそが老境の幸福です。

自分の体験を書いたのです。嘘いつわりはありません。

しかし四六時中、悟りの境地が見えるわけではないのです。いえ、見えない時間のほうが長いのです。その間は相変わらず、もろもろの欲望に心が捉われてこの世の泥のなかを這い回っています。人間の悲しみです。

しかし一回でも悟りの境地が見えた人は心の動きが大きく変わります。

自然の美しさがしみじみと深く味わえるようになるのです。有名な絶景でなくても、深く感動するのです。

例えば下の写真のように曲がった道の向こうに八ヶ岳が見える普通の風景に感動するのです。

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何故感動したのか、その理由は言語では説明できません。

この辺一帯は石器時代、縄文時代にかけて多くの人が住んでいたところです。彼等もこの八ヶ岳の風景を見て何故か感動したに違いありません。

そうして下の写真のような小屋の前を流れる落ち葉に覆われた小川を見て理由もなく感動するのです。

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いつ来ても心地良い音をたてて清い水が流れているのです。こんなにも小さな小川でも、時々はヤマメが登ってくるのです。

そして周囲の山林の中には鹿や猿や猪が棲んでいます。

小屋に泊まると夕暮れには窓の外に下の写真のような風景が見えます。

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この風景を前にして、何故か夭折した詩人や作家のことを考えていました。

老境になるずっと前に才能がありながら亡くなってしまったのです。

石川啄木 歌人詩人。「一握の砂」などで有名。結核により死去。26歳。

金子みすゞ 抒情詩人。1930年に服毒自殺。26歳。

北村透谷詩人、評論家。25歳で自殺。

小林多喜二 小説家。プロレタリア文学蟹工船』で有名。特高拷問により死去。29歳。

知里幸恵 作家。アイヌ出身のアイヌ神話集の著者として知られる。心臓病によって死去。19歳。

中原中也 詩人歌人翻訳家結核性脳膜炎により死去。30歳。

樋口一葉 小説家歌人。『たけくらべ』などで知られる。結核により病死。24歳。

八木重吉 詩人。『秋の瞳』、『貧しき信徒』で知られる。結核により病死。29歳

(上の一覧表の出典は、http://japan.wikia.com/wiki/%E5%A4%AD%E6%8A%98%E3%81%97%E3%81%9F%E8%91%97%E5%90%8D%E4%BA%BA%E4%B8%80%E8%A6%A7です。)

悟りの境地をかいま見る間もなく旅立ってしまったのです。悲しい死です。

上にあげた詩人や作家はみな優れた作品を残し、20歳台で亡くなったのです。あまりにも若い死でした。残念です。亡くなった本人も、残された父母や家族の悲しみを想像しただけでも胸に迫ります。

そしてそれに加えて先の大戦争では200万人、300万人という若い人々が戦陣に散ったのです。思い残す事がどんなに多かったのか。

このブログでも戦没画学生が残した絵画を数多く紹介してきました。 末尾にその一覧があります。それぞれの題目をクリックすると戦没画学生の絵画が出てきます。

悲運としか言いようがありません。不条理です。

老境にいたると全てが客観的に考えられるようになります。

それだけに夭折した詩人や作家、そして戦没した若い人々の悲しみを深く理解出来るようになります。

この世の無常が身に沁みます。悟りの境地とはその先のほうにほのかに見えるのです。

そして静かに、静かに日々が流れて行きます。これが私の老境なのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

戦没画学生の描いた街の風景を求めて銀座をさまよう

戦没画学生の絵画(1)杉原基司さんの「神戸東亜ロード」

戦没画学生の絵画(2)金子孝信さんの「子供たち」

戦没画学生の絵画(3)岩田良二さんの「故郷風景」

戦没画学生の絵画(4)興梠 武さんの「編物をする婦人」

戦没画学生の絵画(4)片桐 彰さんの「街」

戦没画学生の絵画(5)山之井龍朗さんの「少女」

戦没画学生の絵画(6)日高安典さんの「無題」

戦没画学生の絵画(7)蜂谷 清さんの「祖母の像」

戦没画学生の絵画(8)芳賀準録さんの「風景}


カトリック教会の新年を祝うミサの風景

2014年01月01日 | 写真

今日は新しい年が始まったことを祝い、家族の健康と平穏な一年を祈ります。

多くの人は近所の神社を参拝して幸多い年になるように祈ります。

カトリック教会でも元旦のミサがあって、新年を祝います。

そしてローマのフランシスコ法王の新年のメッセージの話を聞きます。それは「この世界に平和が行きわたるように」という祈りでした。

そして世界の平和は家庭内の平和から生まれるというメーッセージでした。

なおカトリックでは元旦は神の母マリア様の日でもあります。

そんな小金井教会の新年ミサの風景を下にお送りいたします。

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上は主任司祭のディン神父様の説教です。フランシスコ法王の新年の平和のメッセージを説明している光景です。

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白い大理石の祭壇の上には金の器が2つ載っています。一つにはパン片が200枚以上入っています。一方の器には葡萄酒が入っています。

神父様が神へ祈って、それをイエス様の肉と血へ変化させています。これを聖変化と言います。

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聖変化したパン片を一つずつ信者に渡している光景です。神父様は、「イエスの体」と言いながら信者の掌の上に置いてくれます。信者は、「アーメン」と言って受け取ります。

そしてチョット横に動いて、パン片を口に入れます。そして自分の席に戻ります。

この部分がカトリックのミサの中で一番重要な部分です。

同じような儀式はロシア正教でも行います。ロシア正教はもっと神秘的な雰囲気で行います。

宗教改革で新しく生まれたプロテスタントのいろいろな宗派は、この原始宗教的な儀式は致しません。時々する宗派もありますが、一般的でありません。

余談ながら私は原始宗教と高等宗教には絶対に優劣が無いと信じています。

新年のミサから話がそれてしまい恐縮です。失礼しました。(終わり)


謹賀新年!

2014年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム

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あけましておめでとう御座います。

皆々様にとってこの一年が幸多い年になりますように

お祈り申し上げます。

いつもこの拙いブログをご覧頂いていますことに深く感謝しています。

本当に有難う御座います。

2014年、平成26年  元旦

             後藤和弘(藤山杜人)

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(今日の写真は東京都調布市にある京王フローラル・ガーデンで暮れのうちに撮っておいたものです)

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投稿 hoteisan2004 | 2013/12/30 15:29

今年もお世話になりました。

2014年も宜しくお願い致します。

hoteisan2004様へ

暮れのうちにご丁寧なご挨拶を頂きまして有難う御座いました。

hoteisan2004様にはいつも好意的なコメントを頂いて感謝しています。

どうぞ家族の方々とご一緒に楽しいお正月を過ごすようにお祈りいたしています。

後藤和弘より

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投稿 ちひろ | 2013/12/31 22:08

後藤和弘さま、こんばんわ。
素晴らしい冬山と山林のお家の大掃除の様子、眩しい光景に感動いたしました。
間もなく佳き新年の幕開けですね!
この1年間色々有難うございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
                      ちひろ 拝

ちひろ様

早々にご丁寧なご挨拶を頂き有難う御座いました。

いつもちひろ様のブログの文章の内容と素晴らしいお写真に感動しています。

有難う御座います。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

後藤和弘より