おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

向島百花園。ハギ。その前に、「変化朝顔」展示会。寺島なす。おとこえし。・・・

2022-09-18 21:00:57 | 向島百花園

                 

9月17日(土)。晴れ。

台風の来る前、百花園に出かけました。ハギが満開。他の秋の七草も咲きそろう時期。訪れる人もたくさんな昼下がり。

園内には、「変化朝顔」の展示。

向島百花園では江戸時代から続く園芸文化の保存と伝承のため、農産高等学校と協力して変化朝顔を展示しています。江戸っ子に親しまれた、珍花奇景色な変化朝顔の世界をお楽しみください。

協力:東京都立農産高等学校園芸デザイン科 園芸部    

         

夏の朝を彩るアサガオは,多くの日本人にとって非常に親しみのある植物だ。だが,普段見慣れた大輪の丸い花以外にも,さまざまな姿のアサガオがあることをご存じだろうか。ここで紹介する写真や絵のほとんどは,アサガオ(学名:Ipomoeanil または Pharbitis nil)という1つの種から突然変異によって生まれたものだ。とても同じ種とは思えないくらい,葉や花の形は変化に富んでいる。

このようなアサガオの突然変異体は,「変化アサガオ」あるいは「変わり咲きアサガオ」と呼ばれる。変化アサガオは江戸時代後期(18世紀中頃中頃)に出現し,昭和初期まで熱狂的なマニアによって栽培され,現在まで保存されている。

アサガオは日本独自の発達を遂げた園芸植物だが,日本には自生していない。今から1200年ほど前の奈良時代に,中国から薬草(下剤)として渡来したと伝えられる。最初に伝えられたアサガオは,青一色の丸い花だった。やがて,観賞用としても人気が高まり,全国に広がったと考えられる。

江戸時代の後期に多様な変化アサガオが生まれた背景には,動く遺伝子「トランスポゾン」の働きがある。トランスポゾンが突如活動を始め,アサガオの色や形を支配する遺伝子を片っ端から壊していったのだろう。こうした劣性突然変異は通常,すぐには表現型として出てこない。しかし,アサガオは自殖性(自家受粉する性質)が強い植物なので,短期間のうちに突然変異遺伝子が相同染色体の両方に現れ,その結果,変わった花色や形のアサガオが生まれて来たと考えられる。

著者 仁田坂英二(にたさか・えいじ)

 九州大学大学院理学研究院生物科学部門分子集団遺伝学研究室助手。理学博士。 1962年大分県生まれ。1990年,九州大学医学系大学院分子生命科学を修了後,日本学術振興会研究員を経て,1991年からハーバード大博士研究員。1993年から現職。1997年から2000年にかけて,科学技術振興事業団,さきがけ研究21(形とはたらき領域)の研究員を併任。ショウジョウバエの遺伝学的研究を経て,現在は子どものころからの趣味でもある変化アサガオの研究に取り組んでいる。

(この項、「」HPより)

ちょっと時期が遅かった! 残念! それでもまだ咲いている変化朝顔も。 

 

   

             

大輪の朝顔。

他にも、「寺島なす」。

「おみなえし(女郎花)」ならぬ「おとこえし(男郎花)」。

オミナエシ科の多年草。オミナエシに姿形は似ているが、花の色は白く、姿は遙かに逞しい。(「WIkipedia」より)

こちらが「おみなえし」。

「みずねこのお」。水生植物。

 

             「ごきづる」。

つる性1年草
北海道〜九州の水辺に生える。葉は長さ5〜10cm、幅2.5〜7cmの三角状披針形で、先端は尖る。葉腋から花序をだし、小さな黄緑色の花をつける。雌雄同株。花序の上部に雄花が総状につき、基部に雌花が1個つく。花は5全裂し、裂片は細長い。萼も同じ形なので、花びらが10個あるように見える。雄花の中心部には5個の雄しべがある。雌花は雌しべのまわりには退化した雄しべがある。果実は長さ約1.5cmの蓋果(がいか)で、熟すと横に割れる。なかには黒褐色の種子が縦に2個並んでいる。花期は8〜11月。

(この項、「 松江の花図鑑」HPより)

※和名は果実を「ふた」付きのおわんにみたて、合器ツルと呼んだからであるという。

「さんざし」。

庭木盆栽として、花や果実が鑑賞されている実生挿し木取り木などで繁殖できる。樹勢は強健で、寒地にも耐えるため栽培しやすい熟すると赤くなる果実生薬になり、山査子(さんざし)とよばれる果実酒ドライフルーツなどの用途がある。

サンザシや近縁のオオミサンザシC. pinnatifida)の干した果実は、生薬名で山査子/山楂子(さんざし)といい、健胃、整腸、消化吸収を助ける作用があると考えられている。秋(9 - 10月ころ)に完熟前の果実を採取して核を取り除き、天日で乾燥して作られる漢方としては高血圧健胃効果があるとされ、加味平胃散(かみへいいさん)、啓脾湯(けいひとう)などの漢方方剤に使われる民間では、食べ過ぎでも油ものや肉を消化してくれる薬草として用いられ健胃消化、軽い下痢に、山査子1日量5 - 8グラム200 - 600 ccでとろ火で半量に煎じ、1日に食間3回、温かいうちに服用する用法が知られている二日酔い食あたりに同様の煎じ汁を飲むのもよいと言われている。(「Wikipedia」より)

 

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向島百花園。大暑の日の。風鈴。ムラサキゴテン(紫御殿)。おにゆり。とけいそう。ほおずき。へちま。正岡子規。夕顔。

2022-07-24 20:15:59 | 向島百花園

                 涼しげな四阿。

                            

               風鈴の音が暑さを和らげてくれます。                                                                                                                                                                                                                                                            

                                                     

さて、

昨日、「大暑」にちなむ「オシロイバナ」を探しに向島百花園へ。道すがらも含め、夏の花を見かけました。その報告。

「向島百花園」に向かう途中、水戸街道沿いに植えられたツツジの中に見つけた、鮮やかな紫色の花は?

                 

           小さなピンクの花が咲いています。

「百花園」の職人さんに早速お聞きしました。「ムラサキゴテン」というそうです。

          ツユクサ科の園芸植物だそうです。

メキシコに分布する常緑性多年草でツユクサの仲間です。葉をはじめ茎や萼(がく)に至るまで全身紫色に染まる姿が神秘的できれいです。葉は厚みがあり多肉質で、乾燥に強い。葉の表面には白っぽい色をした細かいうぶげのようなものがたくさん生えており、光の当たる角度によって葉色が変化して見えます。特徴的な葉色を活かして寄せ植えや花壇に利用されます。丈夫でよく育つので、街角や住宅街の片隅で放任状態で半野生化したものもよく見かけます。

その印象的な草姿で観葉植物や多肉植物として扱われることが多いですが、夏~秋に咲く花もきれいです。色はピンクですが、白っぽいものもあり多少、色幅が見られます。朝に咲いて、その日の昼までにしぼんでしまう短命な花ですが、最盛期には毎日、次々と咲かせてくれます。

主に栽培されているのは、濃いピンクの花を咲かせる園芸品種‘パープルハート’で、この品種を指してムラサキゴテンというのが一般的です。日本には1955年に渡来しました。元となった野生種はあまり栽培されていません。旧属名のセトクレアセアの名前で呼ばれることもあります。

(この項、「」HPより)

おにゆり。

           クロアゲハが蜜を吸いに。

とけいそう。けっこう開花期が長そうです。

水面には、ミズスマシの波紋。

ほおずき。

うすべにたちあおい。

お菓子のマシュマロはウスベニタチアオイの根から取れるデンプンを利用して作られていた。現在のマシュマロは普通、卵白やゼラチンや砂糖で作られる。若葉、花はハーブティに利用でき、のどの痛みを緩和するといわれている。

(この項、「Wikipedia」より)

               

せんのう。

瓢箪。てっぺんに花が。

その隣には、へちま(糸瓜)。

巨大な実がぶら下がっています。夕顔。

「糸瓜忌」は、明治35年(1902)9月19日、35歳で亡くなった、俳人・正岡子規の命日。

※「獺祭忌」ともいいますが。

絶筆の3句に、へちまが詠み込まれています。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合わず

をとヽひのへちまの水も取らざりき

・・・

門前の鉢植え。朝顔。

「百花園」は、来る度に新たな花々、気がつかなかった小さな草木に気づかせてくれます。

職人さんやボランティアの方々も熱心に解説してくれます。

下町の小さなオアシスです。

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向島百花園。その2。むかでらん。やぶかんぞう。おいらんそう。はんげしょう。がまの穂。おみなえし。はぎ。・・・

2022-07-17 20:47:42 | 向島百花園

                    入口の柱に架けた木に「ムカデラン」。

日当りのよい岩壁や樹木に着生する多年草です。「着生」は単に場所を間借りしているだけで、自前で光合成し雨や空気中から水分を吸収するので、支持体となる樹木から栄養分を奪うことはありません。ムカデランの名の由来は、細長い茎の両側に短い葉がたくさん生える様子をムカデに見立てたものです。

フジに花房が。

              

「やぶかんぞう」の群落。

               見頃は過ぎましたが。

     三崎「黒崎の鼻」で見たのは、「はまかんぞう」でした。

「おいらんそう」。

華やかな雰囲気。

「百花園」にもありました。「はんげしょう(半夏生)」。

池の畔に。

向こう岸にも。

「がまの穂」を見つけました。

秋の七草・「おみなえし」。

              

「はぎ」。

百花園名物「はぎのトンネル」の開花は、まだ先のようです。

                

山上憶良「秋の七草」の歌碑。

芽(はぎ)の花 乎花(おばな)葛(くず)花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花

ごきづる。つる性1年草
北海道〜九州の水辺に生える。葉は長さ5〜10cm、幅2.5〜7cmの三角状披針形で、先端は尖る。葉腋から花序をだし、小さな黄緑色の花をつける。雌雄同株。花期は8〜11月。

おにばす。くろも。

でんじそう。ひし。

でんじそう

夏緑性の多年草で、その形態が特殊なことで知られる。また、シダ類では数少ない水草である。葉の形は四つ葉のクローバーに似る。茎は長く横に這い、浅い水域を埋め尽くすような大きな群落を作ることが多い。水中や湿地の泥の表面に広がり、水中にも伸び出す。かつては水田雑草としても知られ、ごく普通種であったが、現在では激減し、場合によっては絶滅危惧扱いである。名前の由来は「田字草」で、四枚の葉が放射状に広がる形を漢字の田の字に見立てたものである。

ひし

ヒシの種子にはでん粉 (Hizukuri et al.) が約52%程含まれており、菱栗または沼栗とも呼ばれゆでるか蒸して食べるとクリのような味がする。また救荒植物としても利用される。

日本では、霊亀3年(717年)10月に武蔵国策覃郡(埼玉郡)から菱子が納められたことを記した木簡平城京長屋王邸跡で見つかっている

アイヌ民族はヒシの実を「ペカンペ」と呼び、湖畔のコタンの住民にとっては重要な食糧または薬とされていた。北海道東部、釧路川流域の塘路湖沿岸では、住民がヒシの恵みに感謝する「ベカンベカムイノミ(菱の実祭り)」という収穫祭が行われていた薬膳としては、健胃、強壮などの作用があるとされる。

縁種として日本にはオニビシヒメビシがある。ヒシの果実にあるとげが2本であるのに対し、ヒメビシとオニビシの果実には4本のとげがある。実用性は乏しいと思われるが、忍者が追手の追撃をかわすために撒くまきびし(撒菱)には、これらが用いられる。

※それぞれの植物の解説は、「Wikipedia」より。

園内は、すっかり夏模様となり、緑が一段と色濃くなっています。

竹林。

          

           「和傘で庭園めぐり」。

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向島百花園。雨の中の。蓮。おぐらせんのう。さぎそう。ききょう。秋の七草。

2022-07-14 18:48:56 | 向島百花園

                       門前の蓮、一輪。

まるで梅雨時のように、雨が降り流く「向島百花園」。それでも、数人、訪れる人が。

おぐらせんのう。

オグラセンノウは、ナデシコ科センノウ属の多年草。夏に引き裂いたような紅い色の花をつける。朝鮮半島北部、九州地方、岡山県以西の中国地方などの山間部の湿地帯に生育する。絶滅危惧種。(「Wikipedia」より)

          左がききょう、右がさぎそう。

さぎそう。

は単立して高く伸び、15-50 cmにも達し、先端近くに1-3輪の白いをつける花期は7-8月。花の径は3 cmほどで唇弁は大きく、深く3列し、中裂片は披針形、両側の側裂片は斜扇形で側方に開出てその縁は細かく裂ける。この唇弁の開いた様子がシラサギを広げた様に似ていることが和名の由来である

(「Wikipedia」より) 

                 

           

やまあじさい(富士の滝)。  

はまなでしこ。 

     海岸の崖や砂地に生育し、本州(太平洋沿岸、一部日本海側西部の沿岸部)から沖縄および中国に分布する。

静かな園内。

ざくろ。実が熟れています。 

                      

秋の七草のひとつ「ききょう」。 

隣には、『万葉集』の山上憶良が「秋の七草」を詠んだ歌。

萩の花、尾花、葛(くず)の花、撫子(なでしこ)の花、女郎花(おみなえし)、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがお)の花 

万葉集の中でで歌われている「朝がほ」と詠まれている草花は諸説ありますが、一般的には桔梗(ききょう)を指しているようです。

秋の七草の簡単な覚え方は、頭文字をとって『おすきなふくは』と覚えると、いいようです。

みなえし(女郎花)」「すき(尾花)」「きょう(桔梗)」「でしこ(撫子)」「じばかま(藤袴)」「ず(葛)」「ぎ(萩)」。

おにゆり。

草丈は1~2m程となる大型のユリ。葉は互生し、小さめの披針形で先端はゆるく尖る。茎は紫褐色で細かい斑点がある。花季は7月から8月で、花弁はオレンジ色、濃褐色で暗紫色の斑点を生じる。花弁は強く反り返る。

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向島百花園。ネムノキ。寺島ナス。ウツボグサ。ハナシノブ。ナデシコ。常夏。ハギ。秋の七草。梅の実。

2022-06-19 19:04:47 | 向島百花園

    池のほとりにネムノキが2本。

夜になると葉が合わさって閉じて(「就眠運動」)眠るように見えることに由来。漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられた。小枝の先に、淡紅色の花が10 - 20個集まって皿状などに広がり、多数密生する(「頭状花序」。

普通は、夕方に開き、翌日にはしぼむ花ですが、ここでは昼間も咲いています。

かつて、家の小さな庭に植えてありましたので、懐かしく、まずお目当てに。相変わらず素敵な花です。

                 

京成押上線「曳舟駅」近くにある墨田区の「曳舟図書館」に行ったついでに、「向島百花園」に立ち寄ってみました。

しばらく来ないうちに、いろいろな花が咲き乱れています。

門前の梅の実が鈴なり。

さて、入り口には、

「寺島なす」の鉢植え。葉の陰に小ぶりのナス。

かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688〜1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村であったが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。

 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬とす。」として、江戸近郊の名産であることが記され、また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」とナスの産地だったことを示しています。

 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ッ目、神田の土物店(青物市場)等に出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。

(「」HPより)

江戸東京・伝統野菜研究会の大竹道茂氏により地元の白鬚神社に説明板が設置され、地域に知られるようになった「寺島なす」は、創立130周年を迎える第一寺島小学校(一寺小)の創立記念事業として、郷土愛に燃える卒業生の皆さんの熱い思いとともに、復活の話は地元に広がっていきました。そして、寺島ナスの生産者である三鷹市の星野氏の指導協力も得て、校内での栽培がはじまりました。校舎裏の子ども広場では、1年生と地域のお年寄りが一緒に水やりをするなど微笑ましい交流も生まれ、収穫したナスは給食でも食べられました。学校長は「子供たちによるナスの栽培の復活は、郷土の歴史を学び、学年に応じた観察や栽培体験ができる初めての試みです。」と話しています。

・・・「江戸ナス」とも呼ばれる古い品種の"蔓細千成(つるぼそせんなり)"が江戸東部・寺島地区で盛んに生産されていたことから、「寺島なす」と呼ばれるようになりました。鶏卵くらいの大きさのものが美味しいとされ、なす特有の香りが強く、光沢のある黒紫色した実が特徴です。

(「」HPより)

他にも、「うつぼぐさ」。

円筒形の花穂の形、もしくは花穂につく小花の形が、弓矢を入れて背中に背負った道具である靫(うつぼ)に似ていることに由来する

「はなしのぶ」。

日本固有種。 環境省のレッドデータリスト(2007)では、「ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種」である絶滅危惧ⅠA類(CR)に登録されている。 和名は葉の形をシダ植物の忍(シノブ)にたとえたものである。

「せんじゅがんび(千手岩菲)」。

は、ナデシコ科センノウ属の多年草。 本州(東北~中部地方以北)の山地~亜高山帯の林縁や森林に生える。高さ30~100cm。花期は7~8月、花は白色で直径2cmほど、花弁の縁がギザギザになっている。名前は、日光の千手ヶ浜で発見された中国原産の岩菲(センノウのこと)に似た花から付けられた、といわれている。(「Wikipdeia」より)

園内にも「ナデシコ」の花が。「かわらなでしこ」。

秋の七草の一つ。カワラナデシコには、ナデシコ、ヤマトナデシコの異名もある。これはセキチク (D. chinensis L.) を古くは唐撫子(カラナデシコ)といったことに対する。ナデシコは古くは「常夏(とこなつ)」ともいった。これは花期が夏から秋に渡ることにちなむ。

※「常夏」といえば、『源氏物語』第26帖の巻名。

光源氏:太政大臣、36歳のとき。玉鬘(22歳)との歌の応答。

撫子の とこなつかしき 色を見ば もとの垣根を 人や尋ねむ

山賤の 垣ほに生ひし 撫子の もとの根ざしを 誰れか尋ねむ

                 

「ハギのトンネル」に、これも「秋の七草」の一つ、咲き始めたハギ。

              園内のハギも。

そして、園内の梅の実は? 

 

 

 

ザクロの花も満開。

花菖蒲やヤマユリも見頃でした。カルガモが二羽、池で泳いでいました。

四季を通じて楽しめる「向島百花園」です。

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向島百花園。その2。初夏の雰囲気。梅の実もしっかり。白加賀・紅千鳥・花香美・・・。そして、ヤマアジサイ。エンビセンノウ。・・・

2022-05-29 19:38:10 | 向島百花園

百花園は、何といっても梅の名所。今年もコロナのために休園。そして、今。

        緑鮮やか。

             少し色づいているものも。

     

     

鉢植えの「ヤマアジサイ」がいくつも置かれています。

これからはアジサイに菖蒲に、と。

     

  

職人さん達が丹誠込めて育てている鉢植えのアジサイ。

地植えのものも。

えんびせんのう(燕尾仙扇)。

燕がやってくる時期にふさわしいネーミング。

ただし、

エンビセンノウ(燕尾仙翁)は、北海道(日高)、本州(長野県、埼玉県)にまれに見ることが出来る、ナデシコ科 センノウ属の多年草です。古典植物として栽培されているマツモトセンノウと同じ仲間ですが、エンビセンノウは原種のために同じようにそだてても、うまく育たないことがあります。寒冷地であれば別ですが、関東地方の住宅地で育てるには湿度や夏の高温多湿に対して工夫する必要があります。

(「山野草を育てる」HPより)

だそうです。

いよいよ夏化粧の百花園。

      

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向島百花園その2。百花繚乱。オキナグサ。カザグルマ。サクラソウ。ハナシノブ。エビネ。こんにゃく。・・・

2022-04-26 21:20:29 | 向島百花園

     おきなぐさ。紫の花は「カラスノエンドウ」。

かざぐるま。

                  

ボタン。

ザクロ。

      朧夜や たれをあるじの 墨沱川(すみだがわ) 其角堂永機

さくらそう。

園内ではサクラソウの鉢植えがたくさん。

         

             

解説板。

ここにもある「田島ヶ原」。サクラソウの自生地として国の天然記念物に指定されています。

(「」より)

「荒川を遡る」歩きで訪れたことがあります。JR「西浦和駅」からの歩きでした。

昨年3月20日。少し時期が早かったようです。

・・・

 

                                    碑の足もとに「さくら草」。

                                                  

一面、ノウルシの花。その間にちらほらとさくら草が可憐な花を咲かせています。自然のままのようす。

・・・

 

さくらそう。

春の七草。

鉢植えの小さな草花。

きばなおきなぐさ。にほんすずらん。くろゆり。しゅんらん。はなしのぶ。

はなしのぶ。

        おどりこそう。うらしまそう。おだまき。

 

※ウラシマソウ・・・仏炎苞の内部にある花の先端が細く糸状に伸びるようすを浦島太郎の釣り糸に見立てたことが名前の由来です。

※ウラシマソウ、ユキモチソウは、サトイモ科テンナンショウ属にあたります。

       他に園内には「ムサシアブミ」があるようです。

               じゅうにひとえ。えびね。

こんにゃく。

様々な草花が咲き誇っています。

エビネ。

           

※「年間パスポート」を購入したので(280円)、機会をつくって訪問することにしました。

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向島百花園その1。色とりどりのツツジ。普賢象。ヒメウツギ。シラン。タラヨウ。ユキモチソウ。他の草木も・・・

2022-04-25 20:00:36 | 向島百花園

                  4月21日(木)。向島百花園。フジ棚。

遠くにスカイツリー。

新型コロナ感染拡大で、去年の暮れから閉園、3月の梅も見ることが出来ず(3年連続で梅の季節が・・・)。

3月22日。やっと蔓延防止が解除されて来たときは、梅も桜もあまり見るべきものはない(足もとの小さな草花も含めて)、ということも。

しばらくぶりに自転車で「国道6号線(水戸街道)」を走っていると、ツツジが満開。

百花園はどうだろう、と少し足を伸ばしてやってきました。

水戸街道の歩道沿いにも色とりどりのツツジが。

        

古びた(失礼! )バイク屋さんの屋根には見事なフジが。年中通りますが、始めて気づきました。

屋根を覆うように。

平日の昼下がり。三々五々訪れる人たちがいます。

筍や牡丹などは、4月20日・「穀雨」のときに紹介済み。そこで、ツツジを中心に百花園の今を。

八重咲きのサクラ「普賢象(ふげんぞう)」とツツジ。

名前の由来は、花の中央から出ている雌しべの先端が曲がっており普賢菩薩の乗る白の鼻に似ているため。別名はフゲンドウ(普賢堂)もしくはシロフゲン(白普賢)荒川堤で栽培されていたサトザクラの一つ。樹高は高木で、樹形は傘状。花は八重咲きの大輪で花弁は淡紅色。東京の花期は4月下旬。

歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは神奈川県鎌倉の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったことが書かれており、1552年に成立した『塵塚物語』には、室町時代には「普賢象」が名桜として知られていて、京都の千本ゑんま堂の「普賢象」に後小松天皇が感心した事、この「普賢象」の枝が足利義満に献上されたことが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時代時点の「普賢象」は特定のオオシマザクラに付けられた名称であり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。

(この項「Wikipedia」参照)

※文殊菩薩が獅子に乗っているのに対し、普賢菩薩は白い象に乗っている。

園内の所々にツツジ。

        

          

他の草花も春爛漫のようす。

ハナミズキ。

ヒメウツギ。

タムケヤマ。

新緑の雰囲気。

セイガイ(青崖)。

              

※4月の初旬に明るい紅色の新芽となり秋にも紅葉する。夏の葉は緑色。

     

コデマリ。

         

          

               シラン。

ユキモチソウ。

※花のように見える部位は仏炎苞(ぶつえんほう)と言います。これは内部にある花を包むように発達した葉です。

ユキモチソウ・・・仏炎苞から雪のように白い餅に見える付属体があることからこの名がつきました。(解説は「百花園便り」より)

ハナモモ。  タラヨウ

※タラヨウ(多羅葉)。

日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたため、その多くは寺社に植樹されている。

また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、東京中央郵便局の前などにも植樹されている。

文字を書くことのできる性質がインドで経文を書くのに使われた貝葉の原料であるヤシ科のタラジュ(多羅樹)という木のようだということで、タラヨウ(多羅葉)名前の由来となっている。(「Wikipedia」より)

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夕暮れの向島百花園。晩秋の。ススキ。ハギ。菊。竹林。コブシザクラ。・・・

2021-11-04 20:15:27 | 向島百花園

久々に「向島百花園」へ。まだ温暖な日が続くせいなのか、紅葉も今、少し。隅田公園も桜の葉が色づき、もしかしたらあまり色づかないうちに落ち葉に?

          

職員が丹誠込めた菊の鉢が園内に。新宿御苑などで開かれる「菊花展」のような派手な規模ではありませんが。

 

  

       

ハギのトンネル。すでに見頃は過ぎていました。

例年9月中旬から10月上旬にかけて、ハギが見頃を迎えます。秋に満開となる全長約30mのハギのトンネルは有名で、赤紫色のミヤギノハギと、白色のシラハギの蝶のような形をした繊細で可憐な花が咲き揃います。

こちらはまだ咲いています。

ススキが随所に。 

「ますほのすすき」。穂が十寸(300㌢)もあります。

  

ニシキギ。

晩秋の風景。

  

           

遠くにスカイツリー。

竹林。

梅の葉も色づき、散り、来春を待つ。

ザクロ。

              

ツワブキ。

タムケヤマ。

「こぶしざくら」がススキの向こうで花を咲かせています。

   

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石榴(ザクロ)。萩のトンネル。芭蕉句碑。ビヨウヤナギ。「長恨歌」。向島百花園。その4。

2021-06-18 22:08:28 | 向島百花園

              石榴(ザクロ)。

        

サツキ。そろそろ時期も終わり?

   

      スカイツリー。 

サルスベリ(百日紅)。 

藤棚。

      みつばあけび。

萩のトンネル。

          

秋になると(「墨田区」HPより)

夏の七草。

           

カシワ。

さて、そろそろ退出しますか。最後は句碑で。

     芭蕉句碑。   

        春もやゝ けしきととのふ 月と梅

入口広場の「ビヨウヤナギ」。

中国原産。約300年前に日本に渡来した。半常緑性の小低木で、よく栽培されている。花期は5-7月頃で、直径5センチ程度の黄色の5枚の花弁のある花を咲かせる。枝先がやや垂れ下がり葉がヤナギに似ているので、ビヨウヤナギと呼ばれるが、ヤナギの仲間ではない。中国では金糸桃と呼ばれている。ビヨウヤナギに未央柳を当てるのは日本の通称名。由来は、白居易の「長恨歌」に玄宗皇帝楊貴妃と過ごした地を訪れて、太液の池の蓮花を楊貴妃の顔に、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて 未央柳の情景を詠んだ一節があり、美しい花と柳に似た葉を持つ木を、この故事になぞらえて未央柳と呼ぶようになったといわれている。(「Wikipedia」より)

長恨歌 白居易

前半:漢の王(実は唐の玄宗皇帝)は楊家の娘を手に入れた。それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。そのため、安禄山の乱が起き、首都長安を脱出した玄宗皇帝の一行は、蜀の地(四川省)に難を逃れる。途中、長安の西・馬嵬駅で兵士たちの不満が爆発し、楊貴妃を殺すはめに。

そして2年後。乱はおさまり、首都長安は奪還され、玄宗一行は、ふたたび長安に戻ってくる。

帰来池苑皆依旧
太液芙蓉未央柳
芙蓉如面柳如眉
対此如何不涙垂
春風桃李花開夜
秋雨梧桐葉落時
西宮南苑多秋草
宮葉満階紅不掃

・・・

《書き下し文》

帰り来たれば 池苑 皆旧に依る
太液の芙蓉 未央の柳
芙蓉は面の如く 柳は眉の如し
此に対して 如何ぞ涙の垂れざらん
春風桃李 花開く夜
秋雨梧桐 葉落つる時
西宮南苑 秋草多く
宮葉階に満ちて 紅掃はず

梨園の弟子 白髪新たに
椒房の阿監 青娥老いたり
夕殿蛍飛んで 思ひ悄然
孤灯挑げ尽くすも 未だ眠りを成さず
遅遅たる鐘鼓 初めて長き夜
耿耿たる星河 曙けんと欲するの天
鴛鴦の瓦冷ややかにして 霜華重く
翡翠の衾寒くして 誰と共にせん

悠悠たる生死 別れて年を経たり
魂魄曾て来たりて 夢にも入らず
臨邛の道士 鴻都の客
能く精誠を以て 魂魄を致す
君王展転の思ひに感ずるが為に
遂に方士をして 殷勤に覓めしむ
空を排し気を馭して 奔ること電の如く
天に昇り地に入り 之を求むること遍し

上は碧落を窮め 下は黄泉
両処茫茫として 皆見へず
忽ち聞く 海上に仙山有りと
山は虚無縹緲の間に在り
楼閣玲瓏として 五雲起こり
其の中綽約として 仙子多し
中に一人有り 字は太真
雪膚花貌 参差として是なり

金闕の西廂に 玉扃を叩き
転じて小玉をして 双成に報ぜしむ
聞道くならく漢家天子の使ひなりと
九華の帳裏 夢魂驚く
衣を攬り枕を推して 起ちて徘徊す
珠箔銀屛邐迤として開く
雲鬢半ば偏りて 新たに睡りより覚め
花冠整へず 堂を下り来たる

風は仙袂を吹ひて 飄颻として挙がり
猶ほ霓裳羽衣の舞に似たり
玉容寂寞 涙闌干
梨花一枝 春雨を帯ぶ
情を含み睇を凝らして 君王に謝す
一別音容 両つながら渺茫たり
昭陽殿裏 恩愛絶え
蓬萊宮中 日月長し

頭を迴らして 下人寰の処を望めば
長安を見ずして 塵霧を見る
唯だ旧物を将て 深情を表さんと
鈿合金釵 寄せ将ち去らしむ
釵は一股を留め 合は一扇
釵は黄金を擘き 合は鈿を分かつ
但だ心をして金鈿の堅きに似せしめば
天上人間 会ず相見えんと

別れに臨んで殷勤に 重ねて詞を寄す
詞中に誓ひ有り 両心のみ知る
七月七日 長生殿
夜半人無く 私語の時
天に在りて願はくは 比翼の鳥と作り
地に在りて願はくは 連理の枝と為らんと
天は長く地は久しきも 時有りて尽きるとも
此の恨み綿綿として 絶ゆる期無からん

高校の漢文の教科書には必ず掲載されている有名な漢詩。懐かしい教材です。

「天に在りて願はくは比翼の鳥と作り 地に在りて願はくは連理の枝と為らんと 天は長く地は久しきも 時有りて尽きるとも、此の恨み綿綿として 絶ゆる期無からん」という末尾の詩句は、今でもふと口に出てきます。

・・・

春夏秋冬、それぞれに百花繚乱を味わえる「向島百花園」でした。

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トケイソウ。シモツケソウ。ヒツジグサ。ムシャリンドウ。・・・向島百花園。その3。

2021-06-17 20:00:41 | 向島百花園

緑濃き小道。

初冬のようす(一昨年)。

竹林。

周囲を住宅や道路に囲まれた中のオアシス。

池への水源。

シモツケソウ。

  

トケイソウ。

ムシャリンドウ。

ヒツジグサ。

ヒラトユリ。

ホタルブクロ。

花菖蒲が水辺に。

             

アジサイも鉢植えでいくつか。

白扇(はくせん)。

      富士の滝(ふじのたき)。

              

ガクアジサイ。

           

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梅の実がたくさん。唐梅。紅千鳥。白加賀。花香美。・・・「向島百花園」その2。

2021-06-16 20:34:49 | 向島百花園

             梅の実をたくさん付けた梅の木がそこここに。

とうばい(唐梅)。

去年の春。八重の花が咲く。

別の所の「唐梅」。ヤマバトが。

紅千鳥(べにちどり)。

枝振りが素敵です。

                   

   

一昨年の春。紅千鳥。

この梅の木にメジロがたくさん来ていたことがあります。

2018年の春。

しろかが(白加賀)。

    

昨年の春。

      

花香美。

一昨年の春。 

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緑豊か。たむけやま。・・・久々の「向島百花園」その1。

2021-06-15 18:44:04 | 向島百花園

長らく(昨年暮れから)閉鎖が続いていた「向島百花園」が再開されました。事前予約制(インターネットでの)です。さっそく予約し、6月7日(月)閉園時間(4:30)前のあわただしい時間でしたが、久々の訪問。

梅の花の季節はとうに過ぎ、実がしっかりと実る時節になってしまいました。すっかり夏模様の緑濃き園内でした。

        

山上憶良「秋の七草」歌碑。

秋の野に 咲きたる花を指折り かき数うれば 七種の花
  芽の花 乎花葛花 なでしこの花 姫部志 又藤袴 朝貌の花

(はぎのはな おばなくずはな なでしこのはな おみなえし またふじばかま あさがおのはな)

      「茶筅塚と柘植黙翁」句碑

           おりたらん 草の錦や 花やしき

園内にある歌碑などは何度見ても飽きません。

しのぶ塚

歌舞伎「隅田川続俤」(法界坊)の作者・初代河竹新七を追善しのび、台本を埋めて塚としたもの。

        螺舎秀民句碑。

            芦の芽や 田へ来(る)水も 角田川

すっかり緑一色。

再開されたばかり、平日の夕方なので、訪れる人も少ない。それでも、写真撮影に余念の無い方もチラホラ。

              橋も緑色に染まって。

    水温む季節。

キキョウ。 

     たむけやま。

            ヤマモミジ系の枝垂性品種。

ところで、「たむけやま」というと、奈良の「手向山」を想起します。

菅原道真の歌で、「古今集」中の歌で、「百人一首」にもあり。

このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉の錦 神のまにまに

《歌意》こんどの旅は(宇多上皇の御幸のお供で急いで来たために)神様に捧げる幣を用意するひまもなく来ました。この手向山のみごとな紅葉の錦を(幣として)神様の御意のままにお受け取り下さい。

「幣」=神に祈る時に捧げ、また祓いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの。幣帛。ごへい。

菅原道真

35歳の若さで最高の権威・文章博士となり、54歳の899(昌泰2)年には右大臣にまで出世。しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、九州・太宰府に左遷、そこで59歳で没した。学問の神様・天神様として祀られている。

もちろん、この「手向山」という紅葉をさしているわけではありません。奈良市東部に位置する手向山は紅葉の名所として知られ、その麓には手向山八幡宮が東大寺二月堂の並びにあります。

紅葉の名所・「手向山」にあやかって名づけられた品種のようです。

「新宿御苑」にはこの古くて大きな木があるようです。

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隅田公園。向島百花園。冬の。その3。

2020-12-23 18:40:55 | 向島百花園

                          暮れなずむ百花園(去年の12/12)。

 スカイツリー(今年の12/16)。

             

サザンカ。

マユミ。

      

    

   小鳥(↓)が一羽。

上空には飛行機(↓)

そろそろ帰るとしますか。

             けっこう冷えてきます。

ロウバイ。

        ナンテン。ツワブキ。

               

別の日。東武線の隅田川に架かる「隅田川橋梁」脇に浅草から渡れる歩道橋ができました。そこを少し歩きます。

金色のビルは、アサヒビール本社。

源森川水門」。隅田川との水門。

江東0㍍地帯を守る防潮水門。通常は開放されているが、高潮や津波の恐れがある場合は直ちに閉鎖される。

「源森川」は、「北十間川」を指します。

北十間川(きたじっけんがわ)江戸初期に開削された運河。西に隅田川、東に旧中川と接続する。横十間川との合流点より西は墨田区内を通り、東は墨田区と江東区の区界となっている。名称は、本所の「北」を流れる、川幅が「10間」の川であることに由来する。以前は大横川の分流点より西を源森川(別名源兵衛堀)、東を北十間川といった。(「Wikipedia」より)

「源森川」の水面には、たくさんの水鳥。

            

東武線ガード。かつての石積みが残っています。

その昔は、この先には駅がありました。駅が廃止された後、「墨堤通り」に面したガード下に「ラーメン屋」さんがありました。こってりとした味でけっこう好きでした。

すっかりこの辺も様変わりです。

・・・

2009・5の投稿記事。「源森川」対岸から。

「隅田公園」駅。東武鉄道伊勢崎線が、都内のターミナル駅としていた浅草駅(現:業平橋駅 注:その後、「東京スカイツリー」駅に。)から浅草雷門駅(現在の浅草駅)までの延伸を果たした、1931(昭和6)年、中間駅(隅田公園への最寄り駅でもあった)として開設された。
 戦時体制が濃くなった1943(昭和18)年)に、不要不急駅整理の対象となって休止となり、そのまま営業を再開する事もなく、1958(昭和33)年に廃止された。なお、1945(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」によりホームが焼失したこともあった。
 今も存続していれば、「墨田区役所」への、墨田区内で最短の最寄り駅になっていたはず(墨田区役所が出来たとき、この駅を復活させるという話も出ていたと思うが)。
 浅草駅を発車した列車が、隅田川橋梁を渡ってすぐの所に設けられていて、ホーム上屋を持つ高架駅で、ホームの長さも長く取られていた。急行列車は停車せず、普通列車のみが停車していた。
 廃止されてからしばらくは、プラットホームは撤去されず、そのまま放置されていた。昭和38年の航空写真には、まだそのホームがはっきりと写っている。
 東武電車で「浅草」に行くとき、このあたりでいつも電車のスピードが落ちるので、なおさら、どうしてここにホームがあるの? と鮮明に記憶している。
 かつては、高架線下には駅舎(を転用した)建物側面に、階段の跡がくっきりと残っていたが、数年前に高架下の建物がすっかり撤去されたため、駅舎の痕跡はまったくなくなってしまった。
 ただ、この写真でもわかるように、その駅舎に続いてあったと思われる、業平橋寄りの高架下の建物の一部は現存していて、窓枠にかつての駅舎の面影が残っている?(写真の左手。なお、写真は、北十間川をはさんで対岸から撮ったもの。)
 また、高架の真下にアーチ状の建物跡が残ってもいる。高架線の向こう側が、隅田公園。新緑の木々を川面に映して時を刻んでいる。

・・・

1970年代のようす。「隅田公園」も大改修。

2010年代のようす。

ところで、最近、ブログの閲覧数が以前の3分の2くらいに急減。PCにアクセスしてブログを開いてもらう面倒さなのか、小生のブログへの興味関心が低下したのか。最大の原因は、当ブログの掲載記事のマンネリ化に・・・。常連だった方々も少なくなったようで。

一方で、他には、相変わらずたくさんの読者が閲覧するブログもまだまだたくさんあるようです。

さて、今後どうするか。紙面の刷新が必要? 「おやじのつぶやき」から「おやじのぼやき」あるいは、「おやじのつぼやき」に変えるかな。

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隅田公園。向島百花園。冬の。その2。

2020-12-22 18:10:27 | 向島百花園

                  「向島百花園」

「向島百花園」は周囲を住宅・高層ビルに囲まれていて、冬の日差しがあまり差し込まないせいか、冬枯れの風情が一段と。

人の訪れも少なく。

枯れ薄が園内一面に。

 

遠くには「スカイツリー」が。

茶筅塚と柘植黙翁句碑

おりたらん 草の錦や 花やしき

小ぶりですが、柚の木。

赤い実。マンリョウ。

柚の木も赤い実のなるナンテンなど、取り壊す前の我が家には、けっこう大きなものがあり、人に分けたり、飾ったり、お風呂に入れたりと楽しめました。大きな柿の木やクヌギ、棕櫚もすっかりなくなり、今は、小さな花壇が細々とあるのみ。、二世帯住宅というのは、駐車場にしたりして、敷地一杯に建てるしかないのですが・・・。

ヤナギ。

        

                    

  「手向山」。 ヤマモミジ系の枝垂性品種。

此(こ)の度(たび=旅)は ぬさ’(幣)も取(とり)あへず 手向山(たむけやま)
紅葉(もみぢ)のにしき 神のまにまに

「古今集」・「小倉百人一首」中、菅家(菅原道真)の歌。

もちろん、この「手向山」という紅葉をさしているわけではありません。奈良市東部に位置する手向山は紅葉の名所として知られ、その麓には手向山八幡宮が東大寺二月堂の並びにあります。

「幣」は、神に祈る時に捧げ、またお祓(はら)いに用いる紙・麻などを切って垂らしたもの。幣帛(へいはく)。ごへい。

《歌意》こんどの旅は(宇多上皇の御幸のお供で急いで来たために)神様に捧げる幣を用意するひまもなく来ました。この手向山のみごとな紅葉の錦を(幣として)神様の御心のままにお受け取り下さい。

この歌にあやかって名づけられた品種のようです。

    

初代河竹新七追善 しのぶ塚
隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる荵売は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざになんありける。
 明治13年(1880)3月

    

きやうげん塚二世河竹新七追善狂言塚)

二世河竹新七、俳名は其水、晩に古河黙阿弥と改む。壮年より演劇作者となり、古稀の齢を跨えて明治25年(1892)の春、喜の字の祝さえなしけるに、明くる年料らずも病のために身まかりぬ。その一生の間に書き綴りたる新作の狂言およそ三百余ほどありて、古来の作者に珍しきことなれば、その名を続ける門人等師のむすめと計り、これを後の世に伝えてんと、石を建てて狂言塚と名づけ、初代の名残りの荵塚になずらえて、しのぶの文字を書きつくることしかり。
 明治27年(1894)11月

                                      

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