おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

漫画も哲学?

2013-04-02 18:43:06 | つぶやき
 今朝の朝日新聞の「ののちゃん」。落ちが今一つ理解出来なかった。かみさんと二人で「ウ~ン」。
二コマ目。
三コマ目。
そして四コマ目。
1,000円「返し」ますが、「ウラ」返しとかけてあるとは思いますが・・・。夕刊の漫画もそうですが、なかなか哲学的な・・・。こういうのは、高校のスイセン入試などには使えるのでは。
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春風に誘われて。河津桜。ジュウガツサクラ。・・・。

2013-03-12 20:34:26 | つぶやき
 東京地方は、すっかり春めいて。桜も早々と。そこで久々の折り畳み自転車。買い物ついでに。ソラマチまで。
河津桜。曳舟川親水公園にて。
春爛漫。 

隅田公園の河津桜。遠くにスカイツリー。ここも満開。
そのお隣のジュウガツザクラ。
墨田堤の桜植樹の記念碑。
地元有志による「勧進桜」。今もなお受け継がれています。
「GTS観光アートプロジェクト2012」。スカイツリー・ビューポイント作品の一つ。東京芸大のプロジェクト。最近完成したようす。
イヌの見上げる先にはスカイツリー。
題して「ソラニワ」。他にも周辺地域に作品が展示されています。

それにしても、この間の「煙霧」はすごかった。いまだに郵便ポストの上には、うっすらと。
近所の車もいまだに。この煙霧。中国大陸からやってきたのではなかった。関東平野の土埃。埼玉に住む(畑に囲まれた地に住む)人に聞いたら自分んちの方はそうでもなかった、と。
遠く運ばれてきたのですね。
 そんな話をしていたら、土浦に住む方がぽつりと。「昭和20年3月10日の東京大空襲。翌日の朝、学校(旧制中学のこと)で授業を受けていたら空が真っ黒で電気を付けても暗かった、東京上空を覆った爆撃の黒雲が60㎞以上離れた土浦にもやって来たのだ」と。
 煙霧と爆撃の黒雲とは次元を異にするが、関東平野は広いようで狭いのだ、と思いました。それにしても衝撃的な話を聞きました。
 「ソラマチ」での買い物の方は、結局、「カワズ」じまいでした。おあとがよろしいようで・・・。
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反省だけなら猿にもできる。「反省」という言葉すらない面々。

2013-02-13 00:08:52 | つぶやき
海江田氏、選挙で小沢氏の「お力添え」要請へ(読売新聞) - goo ニュース
 ホントウに懲りない方々。民主党撃沈の因になっても「全く反省の色がない」小沢さんに媚びを売ってどうする? 泣き虫・海江田さんも、衆院大敗北の反省の色、全くなし。岩手だけの問題ではないでしょう。他にも悪影響を与え「民主党存在そのものの存続危うし」という危機感に裏付けられた洞察力もこれぽっちもなし。
 「反省猿」
 調教師(猿回し)の太郎さんがニホンザルの次郎に仕込んで演技させていたお笑い路線の一芸が「反省」。
さんざん悪さをしでかした次郎が、その後で太郎の立てた膝に(太郎さんが言う「反省!」の掛け声と同時に)手を付いて首をうなだれてみせる、といったもので、CMにも出演、90年代初めにブームとなりました。

 
 この方針によって、いよいよ参院選をもって民主党は消滅でしょう。あの熱狂的なブームは何だったのでしょうか?

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ケンカ政治。または泣く子と泣く(泣き落とし)ハシモトにはかなわない。

2013-01-26 20:17:23 | つぶやき
橋下市長が挑む「3分の2の壁」 地下鉄民営化で攻防激化(産経新聞) - goo ニュース
 またしても、「辞表」を懐(あるいは議会リコール)にしてのケンカ政治。市立高校の入試中止もそのヤリ方。おそらく「カジノ法案」も・・・。こうした脅し戦法が通用しそうなのが、今の橋下大阪?
 さまざまな局面で人心を荒廃させていく感じ(諦めも含めて)だが。 
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足立区立郷土博物館。そして爆弾低気圧。

2013-01-14 19:12:53 | つぶやき
 12日(土)午後。第二、第三土曜日は入館料無料。ということで、今回は館内に(もともと大人200円ですが)。東京東北部(足立)地域の歴史をはじめ、農業、地場産業などの変遷をたどる展示。隅田川・千住地域は宿場町・商業地域として賑わっていた。その千住は荒川の西側。明治末から大正にかけての荒川放水路の開削によって、大河を挟んで足立区は分断された形になっているが、荒川以東の方が地域は圧倒的な広さ。
 一方で、郷土博物館のある地域、昭和40年代前半まではまったくの農村地帯。急激な都市化、宅地化などの土地開発によってその面影はなくなっている。そうした発展段階の違いから、それぞれ風土も歴史も異なっている。
 残念だが、現在まで残されている歴史的な文物(有形無形を問わず)は、千住地区が中心。ここでの展示もそうした傾向がありそう(ちょっと館内を一周しただけの感想だが)。
 それでも、戦後の、平屋で二軒合わせの都営住宅(東武「五反野」駅辺りにもありました)の復活展示は、間取りや家財道具など懐かしい。また、写真だが「千住のお化け煙突」。さらに、かつての農村風景。肥だめなど子どもの頃、友達が落っこちて大変だったことなど思い出す。
 戦争期の高射砲陣地の地図や爆弾、なかでも、撃墜し死亡したB29の搭乗員の慰霊碑(の写真。道路拡張工事のため撤去されて現存しない)は興味深い。・・・
 常設の展示スペースはそれほど大きくないが、奥に「資料室」があり、郷土史に関する書籍や地図、写真集ながあってゆっくりと閲覧できるのは、ありがたい。所蔵品の「浮世絵―もとの松方三郎コレクションを中心に約1060点」、「地口絵紙コレクション」などの資料の閲覧もできるようだ。
 ボランティア(?)で解説する方々も配置されていて、質問したり、語り合いながら往時を懐かしむ方にはいいだろう。じっくり見て回るときに、ちょっと煩わしい印象も。館内はもちろん写真撮影は禁止。以下は、外の写真紹介の続き。
特別展示として「古文書展」。 
「蛇橋」。綾瀬川に架かっていた橋。
花畑地域にあったもの。
足立区内は農業用水が縦横に流れていた。取水は葛西用水、綾瀬川。さらに中川。取水口(堰)の建造物が取り壊され、保存されている。「圦(いり)」という漢字が目につく。
「圦」《「圦樋(いりひ)」の略》土手の下に樋(とい)を埋め、水の出入りを調節する場所。水門。樋口(ひぐち)。樋(ひ)の口。(「デジタル大辞泉」より)
石臼。いくつか置かれている。
そのうちの一つ。

 そして、今日14日、成人の日。午後になって、予想以上の大雪。車で出かけて帰りには難渋した。「爆弾低気圧」」とか。命名も実態も何だか殺気だっていて雪景色を楽しむゆとりなどなし。
あっという間の積もりよう。往路は雨。所用を済ませた1時間後、いきなり大雪。みるみるうちに積もった。
5㎝以上?
まだまだ降り続くようす。風も強くなってきた。これで、明朝晴れたら、道路は凍結?
 それでも、孫達は雪遊びに夢中だとか、連絡あるも、動く気なし。
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学校のあり方・評価にも関わる避けて通れない、痛ましい出来事

2013-01-11 00:47:20 | つぶやき
熱血?暴力? バスケ部顧問、割れる評価(朝日新聞) - goo ニュース 
 
 そうとうの強豪チームだったバスケ。学校の知名度もその大活躍によって上がる。そのために、鉄拳制裁を含む情熱的な「熱血」指導(者)を学校側も受け入れてきた。多くの保護者もそうではなかったか。インターハイを目指し、レギュラー・出場メンバーに入るために我が子を鍛える「熱い」指導を望む。そうでもしないと、選手の座は勝ち取れない、と。
 
 今回の生徒に対して、「敗残者」くらいの認識の保護者もいるのではないか。かえって不名誉なことをしてくれた、と。たぶん、自殺した生徒、即、「負け犬」というような感覚(おそろしく退廃した感性だが)。一人、競争相手がいなくなった程度の認識だとすれば、かなりおぞましい。
 
 でも、こうして公に出なければ、それで済んでいたはず。有名高校にスポーツ推薦で入学してきた子が怪我や能力で落ちこぼれていく(時には人生そのものにも)悲惨な現実を見聞きした者にとっては、何とも言いようがないが・・・。
 
 中学・高校の部活動。野球、バスケ、バレーなどの運動系はもちろん、吹奏楽や演劇、美術など、顧問の力量、熱意、指導力によって俄然伸びてくる。それは中学校などでは顕著。親も子も、学校選択制の導入などによって裏付けられ、そうした「熱血」指導を求めてその中学校に入学してくる。高校ではそうもいかないが、東京の区立中学。熱心で戦績が上位の部活顧問の先生が転勤すると、一緒に新しい学校に転校する生徒もいるらしい。一方で、そういう「熱い」顧問が異動していなくなると、とたんに成績が落ちる学校も多くある。
 
 そうしたスポーツ・エリート(?)が集まってくる名門高校であろう、今回の高校。府立高に比較しての「市立」ゆえの悩みも焦りも多いはず。人材発掘、指導力のある教師(顧問)は限られている。学校も生徒が活躍するのはタイヘン名誉なこと。教師はなかなか異動しない(むしろ、学校や保護者がさせない)。
 
 その背景には、特色ある学校づくり「政策」によって、部活強化のための予算もつけ、学校の評価も高くなる、ということもありはしないだろうか。ジャンルも範囲も異なるが、受験指導。都立高校では、難関大学進学者数を競わせる政策が導入され、成果に応じての優遇策を取り入れている。また、国体などに出場する選手養成のため、学校を指名しての予算や人を振り向けている施策も実施中。
 
 「いじめ」「体罰」による「自殺」。痛ましい事件が起こるたびに、当事者と学校を非難する風潮が多い。それは当然のことだが、部活動などの学校を取り巻く環境・状況の深刻さを抜きにしたマスコミの取り上げ方にも目を向けないと、橋下さんの目論む「教育委員会」憎し・不要論に与することになって、かえって橋下さん自身が煽っている「競争による学校づくり策」への「ちょっと待ってください」がうやむやになってしまいそうだ。
 
 今回、朝日新聞があえて「割れる評価」と表現したのは、甲子園に燃える「熱血」「高校野球」の指導へのあり方に飛び火するのを警戒したためなのだろうか(「うがった見方」)。
 
 それにしても、真の指導者(という言葉があるかどうか分からないが)たるもの、せめて、この生徒がリーダー・主将に適しているか、この子を叱ったら(まして体罰を加えたら)どうなるか、この子の才能を引き出すにはどういう指導がふさわしいか、伸びるかを見極める、人間育成のプロでなければ、と思う(「千里を走る名馬はいても、その才能を引き出すことのできる伯楽はいない」という中国の故事をつい思い浮かべる)。
 
 「いい」大人が感情(誤った信念・はき違えた情熱のもと)のおもむくままに、年端もいかない(抵抗できない)青少年を相手に、暴力を振るって支配しよう(恫喝によって)という「えせ」指導者根性そのものが、卑しい(最近、アベさんの出身大学では、年老いた部活のOB指導者に対して、指導を受けていた学生が暴力を振るって死なせるなんていうこともあったが)。
 それを持ち挙げている(きた)学校も、保護者も、OBも、同罪。市教委も。そして、鬼の首でも取ったように責め立てる大阪市長も。
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小沢さんは、政界の「おっちゃん」ではあるまいか。

2012-12-28 22:53:32 | つぶやき
未来分裂、小沢系が党名を「生活の党」に 嘉田氏を追い出し(産経新聞) - goo ニュース
 こうして、今度は、弱体・民主党の息の根を止めることに焦点。かつて、「自民党」憎し!で離合集散を繰り返した「壊し屋」小沢さん、今や「野田」憎しに。泣き虫は御しやすしと見くびられていることに気がつかない海江田さん。
 それにしてもこのまま小沢とくっついたら、参院選も危うし。民主、その前に分裂? 次の衆議院選挙までに消えていく運命の道を歩くことになりそう。
 それにしても、小沢さんにくっついてけっして離れない(これからもくっついていこうとする)方々の思想信条は何なのですかね。小沢との「生活」の党。
 昔、話題になった、千石イエスの集団(「イエスの方舟」)「事件」とつい重なってしまう。そして、小沢さんに対するマスコミ報道機関の姿勢すらも。

「イエスの方舟」(「Wikipedia」より抜粋)
 イエスの方舟とは、主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし、1923年7月12日 - 2001年12月11日)が開催していた聖書勉強会が母体となった集団。千石は、1951年に兵庫県で自営業である刃物工場の経営に失敗し、レストラン支配人を勤めながら教会に通い始める。夫人と再婚後の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源。 
 1975年頃、家庭には居場所がないと感じていた信者が「千石イエス」の活動に共感し、家庭を捨てて共同生活を始めるようになる。信者の多くは若い独身女性だったが、男性や既婚女性も含まれていた。その後、千石の体調が悪化したことと満足な布教活動ができなくなったことを理由に、1978年から千石は信者26人と共に全国を転々としはじめる。
 信者の家族は捜索願を出すとともに、マスコミにも千石を告発し、協力を依頼した。まずこれに反応したのが、「婦人公論」。1980年に「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルで家族の手記を掲載し、千石を邪教の主宰者と糾弾した。次いで、「産経新聞」も反イエスの方舟キャンペーンを張り、そのほか多くのマスコミも、「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現で同調する報道が続いた。
 1980年2月21日の国会で狂信的団体として取り上げられた。「若い女性を誘拐し、集団で消えている。法治国家として恥ずべき問題だ。何とか全国的な捜査体制は取れないものか」これに対して当時の国家公安委員長であった後藤田正晴は「もし法に触れる事実があれば、すぐに刑事事件として追求する」。
 この発言によって警察が本格的に動き始め、「イエスの方舟」はカルト教団として全国的に知られる。イエスの方舟の娘たちからマスコミに手紙が届いているが、ほとんどのマスコミは千石が無理やり書かせたものだとして、無視した。このような世論の中でも「サンデー毎日」誌のみはイエスの方舟を偏りなく評価し、冷静な報道を続け、他のマスコミからは「方舟の宣伝誌」などと批判されたが、姿勢に変化は無かった。
 1980年6月18日、千石は熱海の出版社(製本会社)の社員寮に一時移動し、サンデー毎日記者と対面した。サンデー毎日は千石を匿うとともに、高木一を弁護士として依頼し、「千石イエス独占会見記」を掲載した。他のマスコミは一斉に反発した。事態はマスコミ戦争の事態に発展した。
 7月2日、千石に逮捕状が出、名誉毀損、暴力行為などの容疑で5人に対して全国に指名手配がなされた。このことが新聞報道された7月3日午後、千石は持病の心臓病から狭心症を発症し、緊急入院。娘たちがマスコミの前に姿を現し、会見を行った。このとき乱れたセックスがあったのではないかとの記者の質問に対し、娘らは「夫婦という関係以外では全くありません」と毅然と答えた。
 また、捜索願が出されている娘たちに関しては、親元へ帰された。身柄を拘束されたのは韓国籍の1人で、外国人登録法違反で罰金8000円で釈放された。千石は半月後に出頭した。彼への取調べは、任意調査にとどまり、書類送検されたものの翌年、容疑事実は無いとして不起訴処分の決定が下された。
 千石が出頭し、逮捕もされなかったこともあわせ、会の実態が世間に知られるようになるにつれ、マスコミ報道は沈静化しはじめた。千石は、1980年12月に福岡の中洲に移って「シオンの娘」というクラブを経営する。千石と行動を共にした信者には、一時家庭に戻ったものの、そのほとんどは千石を追って共同生活を再開した。
 彼のクラブに勤めているのは女性会員。酒も提供するが、「教会」のように、来客の悩みや人生相談に乗るなどの活動拠点であった。男性会員は千石と共に大工仕事に勤しんでいた。
 ちなみに共同生活において、千石は会員から「おっちゃん」と呼ばれ慕われていた
 1993年、古賀市に「イエスの方舟会堂」を建設。2001年12月11日、福岡市の病院で死去。享年78。
 千石の死後も信者はクラブ経営の他に、近親者などからの暴力から逃れる女性の『駆け込み寺』的な施設の運用も行っている。
 
 少し古い資料のようですが・・・。
 はたして、その後のようすは? いえ、「生活の党」のことです。


 
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未来はこうして不透明に

2012-12-25 19:31:48 | つぶやき
小沢氏系、「阿部共同代表」拒否 未来、初の両院議員総会(産経新聞) - goo ニュース
 未来は、不透明。ついでに、「卒原発」も、では困ります。未来はたしかに不透明ではありますが、「因果」律でいけば、今日の「因」は、明日の「果」につながる。さすれば、「未来」の未来は、分裂。
 こういうきわどい会議にも欠席し、陰で操る「小沢」流はもうすでに通用しないはずなのに、・・・。
 「維新」も危うし、「未来」はすでに危うし。第三極って、結局「民主党」を潰し、「自民」を利するという「立ち位置」だっただけなのですかね(という「マスコミ操作・情報」に頼っていけません)。
 それにしても、よってたかっての「脱原発」叩きはすさまじい。そこを何とかしなくては。
 こうして、またも「自戒

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結局、自民に食われる、という日本の戦後の政治構造。民主党、哀れ。

2012-12-23 10:25:08 | つぶやき
民主代表に海江田氏有力、輿石氏が支持の意向(読売新聞) - goo ニュース
 財務官僚主導の消費税UPに手を出した民主党。もともと自民党が主張していた政策を取り込んで(自民党をほくそ笑ませ)、自公民三党合意というまやかしの野合。自民に媚びて自民を利する、という結果を招いた。
 菅さん。参院選前に、官僚に煽られて、マニフェストになかった「消費税増税」を唐突に発言し大敗北を喫した。それからのねじれ国会。そのあげく・・。
 自民と野合した政党の末路の惨めな姿。公明党のように、熱狂的な支援団体がある政党は別でしょうが、浮動票(無党派層)の「風」頼みの政党はダメでしょう。
 自民と「歴史的な」大連立をして(命脈を絶たれる寸前だった自民党の息を吹き返し)、首相のポストで満足した「社会党」(社民党)の没落とオーバーラップしてきます。
 おそらく自民党に宗旨替えする民主党議員も出てきそうだし、第三極(「維新」、「未来」、「みんな」・・・)に移る人も出てきそう。
 1強8弱(?)の国会。民主党も弱体化した(させられた)労組頼みではこの議席くらいがせいぜい。次期衆院選までには消滅してしまうかも知れません。
 二大政党制をめざした「小選挙区制」はこれで破綻。でも、自民党は変える気はないでしょう、この方式の方が永遠に有利なのだから。
 「風」の勢いに乗っていたはずの「維新」。思想信条の上で(むしろ議員バッチのため)、自民党に籍替えしたい人も出てきそうです。自民党側(保守体制)に言わせれば、「素人政治家(政治家気取り)」のハシモトさん。来夏の参院選に一世一代の大芝居を打つしかなくなりました。それまでに、老獪な右翼政治家・イシハラさんとの関係をどうするか?

 二日連続で、つまらぬ投稿。所詮、「ごまめの歯ぎしり」でした。
ごまめの歯ぎしり=力のない者が、いたずらにいきりたつこと。(「広辞苑」) 。

自戒。



 
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滅びの美学すら持ち得ない哀しさ。

2012-12-22 20:00:36 | つぶやき
社民党、福島党首の交代検討(産経新聞) - goo ニュース
 党本部のあった「社文」(三宅坂)は更地になる。昔、何回か組合の集会などで、でかけたことがありました。国会、最高裁、国会図書館、国立劇場、と屈指の立地条件。今や改築も出来ず・・・。
 党員・議員もあっという間に没落。それでいて、代表を巡ってまたもめそう。福島さんは副業(今やそっちが本業)でけっこう稼いでいるお方。後顧の憂いもなさそう。だからといって、代表への執着ぶりは・・・。
 自民党と歴史的な野合をして以来、没落の一途をたどった「社会党」。機に敏なる議員は「民主党」に去り(そこでも今、悲哀を味わっていますが)、今や衆参合わせて6人。
 簡単には死なない自民党の栄耀栄華を横目に見て、滅び去っていく運命か。それにしても、最後の最後まで醜態をさらすのだけはゴメン被りたいですね。せめて時世に後れを取った老舗の「意地」を見せて下さい。でも見せようがないって、う~ん、その通りですが。
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そりゃないでしょう。

2012-12-19 22:25:23 | つぶやき
民主、22日の代表選延期=異論噴出、選挙総括を優先(時事通信) - goo ニュース
 せっかくの再生のチャンスを生かせない民主党。相変わらずの醜態。
 「26日の首相指名選挙の前に次期代表を選出するかどうかを含めて協議する」」って。首班指名選挙に臨むに投票先(党首)が決定しなくて自主投票、もしくは野田さんに。あり得ない! まったく世間の評価(選挙結果)を分かっていない連中。自民党以上に永田町の魔窟に棲みついた魑魅魍魎のばらばら集団。ちょっとどうにかして下さい。ホント愛想が尽きましたって、感じ。
 何としてでも代表を決めるべきでしょう。誰か逆境を乗り越えていこうとする御仁はいないのか。
 さもなくば、「国民新党」のように解党し(現時点では結論は先延ばしのようだが)、自民党に集団移籍しようという魂胆? 野田さん、前原さんたちはさっさと自民党入りですか。世間では、吸収合併された側の「平」社員はいいように恩着せがましくこき使われたあげく、真っ先にリストラされるのが、相場のようです。・・・。
 
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「してない・やってない」という証明の難しさ。それをいいことに・・・。

2012-12-15 21:24:44 | つぶやき
遠隔操作「否認したら少年院に」など不適切調べ(読売新聞) - goo ニュース
 警察・検察は「(容疑者が)やった」という証拠をあらゆる手段をとってでも(不法性の疑いもある捜査手段、自白強要・誘導・・・)揃え、起訴に追い込む。軽微な犯罪から重大犯罪まで未だに自白偏重の捜査方法。まったく警察・検察は反省の色がなさそう。
 「捜査は適切だった」・・・。今回、真犯人が名乗り出たことで警察の不始末が明らかになった。そうでなければ犯人扱いのまま裁判になった(現実には、少年院送致になって、大学も中退せざるをえなくなった)だろう。もちろん、裁判では無罪の可能性は高かった。
 それでも、警察発表では「不適切」な取り調べ程度の反省に終わっている。捜査方法に誤りはなかったということか。
 それにしても、「否認したら少年院に入る」という説明などはあり得ないでしょう。少年が否認した段階で、犯人ではないかもしれないという視点が全く欠けている言動。「不安を助長するような説明」程度ではすまされない。
 また「少年に無罪の証明を求めたりした」。取調室、という通常では置かれることがない特異な密室でのやりとり。ハナから犯人扱いしている連中を相手にして、「していない」「やっていない」という証明を論理だって説明することの困難さ。
 「無罪」の証明などすぐには出せるはずもない。「アリバイ」証明なども同様。犯罪行為を「した・やった」という証拠は厳然として残っている。その証拠を元にして(それを被疑者には開示しない場合もあり)、相手に「自分はしていない・やっていない」という証明を求めるなどという取り調べ方法は、ありえない。痴漢などでも犯人扱い、その後の裁判で無罪になるケースがあるが、そこに至るまでの警察発表鵜呑みの御用機関・マスコミ報道も含め、その後の人生を大きく狂わせるえん罪事件(死刑・無期判決が無罪になるケースも。ほとんどが自白偏重の結果)が目立つ。
 犯罪者扱いされたときに(ずいぶんと以前の事柄については、なおさら)、すぐさま「自分はしていない・やっていない」と即座に自らの身辺行動をつぶさに語れるほどの人間はそうはいない。それをいいことに、相変わらずの自白強要・誘導による犯罪者扱いは厳に慎むべきだ。そのためにも、取り調べ段階からの可視化を早急に導入が必要だ、と思う。さらに、こうした「お手盛り」内部検証ではなく、有識者などの外部による検証によって反省評価を行うべきだ。
 
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歌舞く世界を駆け抜けて逝った。

2012-12-05 20:13:00 | つぶやき
中村勘三郎さん死去=歌舞伎俳優、57歳―幅広い役柄で人気をけん引(時事通信) - goo ニュース
 まだ「勘九郎」のころ、2年ほど「おっかけ」をしたことがあります。「平成中村座」、「歌舞伎座」、「シアターコクーン」・・・。歌舞伎を観るようになったときには、お父さんの勘三郎はすでに役者としての風格があって近づきがたい存在でしたが、その息子としてしゃかりきに芝居にチャレンジにしていた勘九郎に「ほれ」たわけです。
 浅草での「平成中村座」も何度か。あるときには、舞台の幕の内側の席で真下に役者が観ることができたり、セットの組み替えなども垣間見る席。そんなとき幕の内側でも動き回る勘九郎をまじまじと観たことも。
 歌舞伎座でも遠くからでしたが野田秀樹の芝居なども・・・。ある夏に行われた「四谷怪談」。化ける前のお岩さんは小太りの「おばさん」という感じでこれはどうも、と思いましたが、それこそ「お岩さん」になったとたん、その役のはまり具合。早変わり、凄みなど、生き生きとしました。・・・。「平成中村座」での芝居中、相手役とのやりとり中、相手の年寄りの役者が台詞を失念したときのフォローのうまさ、そのときのやりとりが今でも浮かんできます。
 その後、いつしか歌舞伎の世界からも遠ざかって息子達の芝居を1、2本観たくらいです。おやじの「勘三郎」の芝居を観る機会がなかったのが、今になっては実に惜しいことをしました。 
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職務専念義務違反にはならないの?

2012-12-03 18:40:48 | つぶやき
橋下氏「ボロボロだ」…未来の「卒原発」方針に(読売新聞) - goo ニュース
 土日に全国を駆け回るのは「可」もしれないが、仕事時間中に(市役所で働く職員をほったらかして)選挙運動をやるのは、職務専念義務違反にはならないのでしょうか。首長という特別職だからかまわないんですかね。イシハラさんも都知事時代(特に辞める前は)ほとんど都庁に出てこなかったら、それに倣っているのでしょうが。
 嘉田さんもそうですが(議会からの風当たりはすごそう。片や大阪は手勢がいっぱいいる議会からは何にも発言がなく、ここでもハシモトさんの言いなり)、行政の長として給料をもらっているのだから、もっと身近な市民生活を支えるための職務に専念して欲しい、と思う市民は多いんじゃないでしょうか。特に大阪は府も市も首長不在の状態が恒常化しそう。議会が黙っているのも不思議。
 特に、大阪の場合には条例で公務員の政治活動をさせない(懲罰規定を設けて)ことになっているはず。自分はそこらの公務員組合連中とは違うんだ、と本来の仕事をほっぽり出して選挙運動をするのは許されないと思いますが。「自ら襟を正す」なんて言葉は、彼らにとっては全く無関係なものなのでしょう。
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こうして陣笠連中が誕生。

2012-12-02 16:43:56 | つぶやき
維新、新人に「公開討論会に出るな」…失言懸念(読売新聞) - goo ニュース
 所詮「維新」の名を借りて当選する(かもしれない)方々。一人一人の政治家としての資質などはどうでもいい。イシハラとハシモトの意のまま動く、ただの一票要員であればいい、と。明治維新も、そういう無名の人々によって担われたともいえる・・・、が。
 選挙資金は自分持ち政治姿勢は他人持ち。マスコミがおだてる「維新」という「風(潮)」だけで国会議員になるのだから、たいした度胸。 コイズミ郵政選挙、オザワ政権交代選挙で数々生まれたチルドレン。またしても誕生。ちやほやしてはしゃいでいつしかぼろの皮がはがれて、と日本の国会議員選挙。こうして同じことを繰り返すのでしょうか。そして、ますます政治不信は募るばかり。
 「二度あることは三度ある」にするか「三度目の正直」になるか有権者の態度が試されています。
 そういえば、かつて政治的識見や能力がなく、ただの一票要員にすぎない(唯一、国会での乱闘場面になると体を張るようかり出される)議員を「陣笠」と揶揄していました。
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