「中央道」が迫ってきますが、すぐに左手に離れていきます。
沿道には、クリやカキ畑などが出てきます。
右手の山の上にかっつての国鉄時代の旧トンネル跡。勝沼ではそうしたトンネルを利用してワインの貯蔵庫にしているそうです。
(10:04)「古跡 血洗沢」の標識。「この地は土屋惣蔵が逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、この沢で血を洗い流したと言われています」と書かれてあります。
その先には「古跡 鞍懸」の標識。「この地は、逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ、落ちた鞍が路傍らの桜の木にかかっていた所と言われている。」とあります。
目を転じるといよいよブドウ畑が。
振り返って笹子峠方向を望む。
(10:08)「東京から116㎞」ポスト。
目の前に長柿(おさがき)洞門が現れます。洞門手前の横断歩道を渡って洞門に入るルートが一般的。右手の階段状の道を上っていくと、旧道になるようですが、回避。
洞門をぬけたところで、左手の小径に入ると、「日川」に架かる、すっかり朽ちてしまった吊り橋があります。
「長垣(ここはこの漢字)橋」。
芭蕉句碑。「観音の 甍見やりつ 花の雲」。
この「観音」は浅草の観音(浅草寺)のこと。「横吹」の地にある「観音堂」(洞門の上の方にあるようですが)つながり?
桜が咲きそろう春爛漫の空の向こうに浅草寺の甍(大屋根)が見える。深川芭蕉庵での一句。「花の雲鐘は上野か浅草か」も有名。
「大和十二景 長垣の吊り橋とぶどう畑」という標識。
すぐ国道に出ます。。「観音トンネル」の先、左手にある「山崎石材」前の横断歩道を渡って右に行くと、国道をくぐる道になり、「横吹」の集落となり、そこを通る道が旧道になるようです。残念ながら見逃してしまいました。
横断歩道を振り返って見たところ
真新しい「共和洞門」。そこを抜けると甲府盆地が広がります(10:22)。眼下には一面、ぶどう畑が。
(10:30)左側に「大和町」のモニュメント。
笹子峠も遠ざかってしまいます。
その先、「深沢入口交差点」を右に800㍍ほど進むと「勝沼トンネルワインカーヴ」があります。行くことは省略し、紹介のみ。
トンネルワインカーヴとは、甲州市勝沼町につくられた、トンネルを利用したワイン貯蔵庫のこと。
このトンネルは明治36年に建造され、そのままの姿をとどめているJR旧深沢トンネルです。
鉄道文化の遺産としても貴重なレンガ積みのトンネル(1100メートル)として保存され、ワインの長期熟成と付加価値を高める施設として整備されています。
温度は年間を通じて6~14℃、湿度は45~65%とワインの熟成には最適な条件がそろっており、約100万本のワインを貯蔵できるそうです。ワインメーカー用(蔵置場)と個人用のユニットが用意されていて、レストランや個人用の1ユニットはワイン300本が収容可能で保管料は1か月2500円。
ユニットごとに施錠ができ、保管には万全を期しています。ワインカーブ内は入口付近の見学もでき、管理事務所では観光案内とワインの販売も行っています。
(HPより)
分岐点に「柏尾橋」解説板。
柏尾橋
明治13年6月明治天皇の山梨御巡幸に際し、甲州街道の拡幅整備が進められた。
この時柏尾橋は、幅3間長さ19間の欄干付き木造橋として掛け替えられた。橋は深沢の両岸の岩盤中程から、二段の石垣を積み上げ橋台とし、下段の石垣からトラス構造の橋脚を両岸から突き出し連結したもので、明治26年の版画や大正初期の銅版画が残されている。
この明治橋の北側には、大正から昭和初期に掛け替えられた橋台、さらに江戸時代の橋台が
残っており、南には、現在の鉄骨橋、平成8年、さらに下流の甲州街道以前の大善寺東参道の橋があった位置に祗園橋が掛けられた。
勝沼町 教育委員会
「大日影トンネル」に寄ってみたかったのですが、残念!
「柏尾坂の馬頭観音」。
「柏尾戦争」を伝える錦絵
「柏尾の戦い」。
(10:34)小公園風のところに「近藤勇」像。
柏尾の古戦場
明治元年(1868)3月6日、近藤勇率いるかつての新撰組、会津藩兵甲陽鎮撫隊と因幡、土佐、高遠藩兵からなる官軍がこの地で戦った。
甲府城占拠を目指す幕府軍は先に甲府入城を果たした官軍を迎え撃つため、勝沼宿に2ヵ所の柵門、柏尾の深沢左岸東神願に砲台を設け備えたが、甲州街道岩崎方面、菱山越の三手に別れ、攻撃を加えた官軍の前に敗れ敢え無く敗走した。
この戦いは、甲州に於ける戊辰戦争唯一の戦いであり、甲州人に江戸幕府の崩壊を伝えた。町内にはこの戦いで戦死した3人の墓が残されており、このほかに両軍が使用した砲弾が3個伝えられている。
《補足》
戦闘は官軍(明治新政府軍)の勝利で僅か1日で決着、近藤らは八王子方面を指して敗走しました。
ベンチがあるので、小休止。
沿道には、クリやカキ畑などが出てきます。
右手の山の上にかっつての国鉄時代の旧トンネル跡。勝沼ではそうしたトンネルを利用してワインの貯蔵庫にしているそうです。
(10:04)「古跡 血洗沢」の標識。「この地は土屋惣蔵が逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、この沢で血を洗い流したと言われています」と書かれてあります。
その先には「古跡 鞍懸」の標識。「この地は、逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ、落ちた鞍が路傍らの桜の木にかかっていた所と言われている。」とあります。
目を転じるといよいよブドウ畑が。
振り返って笹子峠方向を望む。
(10:08)「東京から116㎞」ポスト。
目の前に長柿(おさがき)洞門が現れます。洞門手前の横断歩道を渡って洞門に入るルートが一般的。右手の階段状の道を上っていくと、旧道になるようですが、回避。
洞門をぬけたところで、左手の小径に入ると、「日川」に架かる、すっかり朽ちてしまった吊り橋があります。
「長垣(ここはこの漢字)橋」。
芭蕉句碑。「観音の 甍見やりつ 花の雲」。
この「観音」は浅草の観音(浅草寺)のこと。「横吹」の地にある「観音堂」(洞門の上の方にあるようですが)つながり?
桜が咲きそろう春爛漫の空の向こうに浅草寺の甍(大屋根)が見える。深川芭蕉庵での一句。「花の雲鐘は上野か浅草か」も有名。
「大和十二景 長垣の吊り橋とぶどう畑」という標識。
すぐ国道に出ます。。「観音トンネル」の先、左手にある「山崎石材」前の横断歩道を渡って右に行くと、国道をくぐる道になり、「横吹」の集落となり、そこを通る道が旧道になるようです。残念ながら見逃してしまいました。
横断歩道を振り返って見たところ
真新しい「共和洞門」。そこを抜けると甲府盆地が広がります(10:22)。眼下には一面、ぶどう畑が。
(10:30)左側に「大和町」のモニュメント。
笹子峠も遠ざかってしまいます。
その先、「深沢入口交差点」を右に800㍍ほど進むと「勝沼トンネルワインカーヴ」があります。行くことは省略し、紹介のみ。
トンネルワインカーヴとは、甲州市勝沼町につくられた、トンネルを利用したワイン貯蔵庫のこと。
このトンネルは明治36年に建造され、そのままの姿をとどめているJR旧深沢トンネルです。
鉄道文化の遺産としても貴重なレンガ積みのトンネル(1100メートル)として保存され、ワインの長期熟成と付加価値を高める施設として整備されています。
温度は年間を通じて6~14℃、湿度は45~65%とワインの熟成には最適な条件がそろっており、約100万本のワインを貯蔵できるそうです。ワインメーカー用(蔵置場)と個人用のユニットが用意されていて、レストランや個人用の1ユニットはワイン300本が収容可能で保管料は1か月2500円。
ユニットごとに施錠ができ、保管には万全を期しています。ワインカーブ内は入口付近の見学もでき、管理事務所では観光案内とワインの販売も行っています。
(HPより)
分岐点に「柏尾橋」解説板。
柏尾橋
明治13年6月明治天皇の山梨御巡幸に際し、甲州街道の拡幅整備が進められた。
この時柏尾橋は、幅3間長さ19間の欄干付き木造橋として掛け替えられた。橋は深沢の両岸の岩盤中程から、二段の石垣を積み上げ橋台とし、下段の石垣からトラス構造の橋脚を両岸から突き出し連結したもので、明治26年の版画や大正初期の銅版画が残されている。
この明治橋の北側には、大正から昭和初期に掛け替えられた橋台、さらに江戸時代の橋台が
残っており、南には、現在の鉄骨橋、平成8年、さらに下流の甲州街道以前の大善寺東参道の橋があった位置に祗園橋が掛けられた。
勝沼町 教育委員会
「大日影トンネル」に寄ってみたかったのですが、残念!
「柏尾坂の馬頭観音」。
「柏尾戦争」を伝える錦絵
「柏尾の戦い」。
(10:34)小公園風のところに「近藤勇」像。
柏尾の古戦場
明治元年(1868)3月6日、近藤勇率いるかつての新撰組、会津藩兵甲陽鎮撫隊と因幡、土佐、高遠藩兵からなる官軍がこの地で戦った。
甲府城占拠を目指す幕府軍は先に甲府入城を果たした官軍を迎え撃つため、勝沼宿に2ヵ所の柵門、柏尾の深沢左岸東神願に砲台を設け備えたが、甲州街道岩崎方面、菱山越の三手に別れ、攻撃を加えた官軍の前に敗れ敢え無く敗走した。
この戦いは、甲州に於ける戊辰戦争唯一の戦いであり、甲州人に江戸幕府の崩壊を伝えた。町内にはこの戦いで戦死した3人の墓が残されており、このほかに両軍が使用した砲弾が3個伝えられている。
《補足》
戦闘は官軍(明治新政府軍)の勝利で僅か1日で決着、近藤らは八王子方面を指して敗走しました。
ベンチがあるので、小休止。