おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

韮崎宿~台ヶ原宿。その2。(「甲州街道」をゆく。第11日目。)

2017-10-11 20:37:30 | 甲州街道
                                       上・下「祖母石」。
 なまこ壁、土蔵造りなど、また松などの庭木がよく手入れされたの立派な屋敷が続く家並み。


                      



(10:55)「藁葺きの門」。     
                       このおうちはこの地で三十代も続く宮方家。


「祖母石」の集落を振り返って望む。

                   
       車も人も見当たらない静かな佇まい。

「上祖母石」地区に入ってしばらく進むと、再び国道20号線と合流します。この先、旧道は釜無川を渡り対岸の折居へは向かっていましたが、現在はここから渡ることは出来ません。

 (11:04)合流点近くの左側に「九頭竜大神」など石碑が並んでいます。    
九頭龍(九つの頭と龍の尾を持つ鬼)伝承、伝説にちなんだ石碑。全国各地にあるようです。ここでは荒れ川であった「釜無川」の治水に関するものでしょう。

用水路を3つに分ける「分水井」。

「七里岩」はまだまだ続きます。

国道をそのまま進まずにUターンします。

注:今回、先達のコース紹介に基づいて歩きましたが、

 「今昔マップ」を見ると、明治に入ってから「旧甲州街道」は「現国道20号線」と重なる形で進み、「穴山橋」を渡り、「円野郵便局」を過ぎていきます。今回歩いた道はすっかり集落内の細道になっているようにも見えます。
 「分間延絵図」(江戸幕府が五街道などの状況を把握するために、道中奉行に命じて作成した詳細な絵地図。問屋場、本陣、脇本陣、寺社などや一里塚、道標、橋、高札場などが描かれている。)でも「今昔マップ」と同じく、現国道に沿った道筋になっています。
 したがって、そのまま「国道20号線」を進んでも、あながち間違いとは言えないようです。


(11:12)「桐沢橋」で「釜無川」を越えます。

正面には「鳳凰三山」。

左手遠くには「富士山」の頭が。

右手の向こうには「八ヶ岳」。 
                             縦走したことがある山並み。

 「柳沢橋」は絶好のビューポジションになっています。

橋を渡り終え、右に曲がります。 

今度は「八ヶ岳」が正面奥に。

「清哲町案内図」。

 「清哲町」には、「信濃の国」に次いで日本で二番目に古いと言われる「 郷土歌」があるとか。

「韮崎射撃場」跡。

 ・・・県立射撃場を巡っては1998年11月、韮崎市の当時の県立射撃場からの流れ弾が民家に当たる事故が発生。一度は同市穂坂町への移転が決まったが、費用増などから整備地の選定は難航。09年に県立射撃場は閉鎖され、整備計画は凍結されていた。(【毎日新聞】より)
   

 (映像はYOUTUBEより)

(11:26)「高川南沢川」を渡ります。

その先のY字路を左へ進み、「折居」集落へと入っていきます。



 高台を通るため、眼下には田畑、遠くには「七里岩」さらに奥秩父の山(金峯、甲武信? )を一望。


              正面奥に「八ヶ岳」。

(11:35)「常夜燈」。

 再び先ほど分かれた道に合流し、右手に田園風景が広がる中を進みます。稲刈りが終えたところ。


                     

(11:41)「入戸野」地区へ。

 ほぼ直線の国道あるいは県道を行かずに、点々と存在する集落をたどりながら進むので、思った以上に時間がかかります。これでは「台ヶ原」に着くのは遅くなりそうな予感。

 入戸野で初めて「徳島堰」と出会います。「釜無川」の取水地から激しい流れが続く用水路です。


左の道を進みます。

 しばらくのあいだ、左手に「徳島堰」を横目にしながら。


                          
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする