おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

甲府柳町宿~韮崎宿。その4。(「甲州街道」をゆく。第10日目。)

2017-10-05 20:26:29 | 甲州街道
                                      「韮崎宿」に入って行きます(「下宿」)。

(14:53)「鰍沢横丁」。
 
 ここから「みのぶ道」駿信往還ともいい、峡北地方や諏訪・佐久地方の江戸城納めの年貢米を馬の背に積んで、鰍沢河岸(幕末には船山河岸)、まで通行の道筋である。
 為に沿道には、駄菓子屋・馬方茶屋など軒を並べてにぎわったが、明治36年(1903)国鉄中央線が開通して、荷物輸送経路も一変し、往時の活況は消え失せた。しかし町民には忘れじの横丁である。

宿場の中心地ですが、静かな佇まい。

街道を偲ばせる建物がほとんどない中で、味噌、醤油、こうじのお店「井筒屋」。


                    

本当の味噌と醤油の味を知っていますか?
味噌汁を飲んで、こんなに感動するなんて‥‥醤油ひとつで、こんなに料理が変わるなんて‥‥
良質な原料に熟練した技術と最新設備をもって丹誠込めて甲州伝統の味と香りを造りあげます。
郷愁と味覚と栄養を兼ね備えた醤油と味噌、山紫水明の里より感動の逸品をお届けします。


HPより)

蔵造りのある家。

韮崎宿本陣の跡」碑。
・・・諸大名は日程の関係で宿泊することが少なく、本陣(江戸時代幕府役人に備えた宿舎)は幕府役人が諸荷物を次の宿に送る仕事が主で、問屋場と兼務であった。

韮崎宿
 本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠17軒。
 韮崎とは韮の葉のように細長い七里岩の台地の先端に位置すること、台地上に野生の韮が多かったことや、七里岩の出崎と船山が睨み合うところからとも言われている。

旅館清水屋。弘化2年(1845)創業。

(15:02)「馬つなぎ石」。
 江戸時代に甲州街道と駿信往還・佐久往還の分岐点であった韮崎は宿場町として栄えた。旅人や主任が馬の手綱を繋いでおくための石で宿場町の趣を伝えている。

(15:04)「本町」交差点。今回はここまで。

右に折れて韮崎駅に向かいます。
ホームから駅前広場方向。

             甲府駅方向。

 韮崎駅にはかつてスイッチバック(現駅舎の奥で本線と離れている)があったが、複線化に際して本線上にホームを設置し、スイッチバックは廃止されました。

奥秩父の山々。

 瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳などかつて登った山々が一望できます。
コメント
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