久々に川上弘美さんの読書感想。というか、前に書いておいたものが中途半端なままで、つまり「下書き」で終わっていたので、改めて。
2014年9月30日刊行。
母が亡くなって、その後10年間そのままに空き家にしておいた東京・杉並の古い家に、姉の都は一つ下の弟の陵と住むことになる。・・・。
夢枕に立った「ママ」。
あなたたち、とうとう一緒に住みはじめたのね。・・・
うん。住みはじめちゃった。
夢の中で甘えた。
ママはうすく笑い、
あらあら、そんなことして、いいのかしら。
と言った。おそろしかった。笑っているのに。
ママはすぐに、消えた。起きてからも、ふるえが止まらなかった。陵には夢のことは言わなかった。(P12)
ミステリアスな冒頭の一節。こうして読者を「川上ワールド」に引き込みます。
姉は、弟を愛している自分の感情におののき、両親にも誰にも隠していた。弟の方も同じ感情を持ち始め、ついに二人は肉体関係を持ってしまいます。
その後、それぞれの道を歩んでいた姉弟。その弟が再び実家に姿を現したのは、母の死が迫ってきたときでした。夏、姉は弟と体を重ねる。
決して起こらないことだと思っていたのに、それはいともたやすく行われた。
不自然さは全くなかった。まるで体を重ねることを習慣としている男女のようだった。
(ふつうの男の体のよう)
わたしは思っていた。
陵と体を重ねる直前、もしも事が成ってしまったなら、時間はこののち決して連続的に流れないのではないかと予感した。けれど、そんなことはまったくなかった。する前。している時。した後。時間が不連続になることは、まったくなかった。空白も、爆発的な変換も、何もなかった。
しているうちに、相手が陵だということを、一瞬忘れさえした。
男と、している。
それだけだつた。
かつて恋人だった幾人かの男たちと体をかさねた時に、思わず「愛している」という言葉を口からほとばしり出させたような、あのやつあたりにも似た強迫的な感覚さえ、おぼえなかった。
わたしの上で動いているのは、物質としての身体を持つだけの、何者でもない者だつた。そして、その下でうねるように動いているわたしも、ただの物質だつた。
(だけど、なんてきもちがいいの)
ただそのことだけを、わたしは感じていた。
終わつてから、陵は恥ずかしそうに下着をつけた。
「照れてるの?」聞くと、陵はうなずいた。
「都だつて、そうだろ」
顔を見合わせて、苦く笑った。今の自分の笑い顔は、きっとママに似ていると思った。陵の笑い顔は、パパに似ていたから。(P190)
実は、パパとママも兄妹の関係だったことが二人の実の父親から明かされる。
時の流れと共に、次第に青年期から壮年期、お互いに異性との恋愛を経験し、そして老いていく姉弟。そして、再会し、一緒に住みはじめてからの二人。
閉じた目を開かないよう、力をこめる。陵の指の腹が、閉じたままのまぶたを、頤を、頬を、首筋を、なぞってゆく。あの夏、陵はこんなにゆるやかな動きをしはしなかった。あれは性急で、何かを押しっぶそうとするような動きだった。
ゆっくりと、目を開けた。「するの?」
「どっちでも」
陵は静かに答えた。
両のてのひらで陵の顔をはさんだ。ママのことを、少しだけ思い出した。でも、ほんの少しだけだ。
「しなくても、大丈夫?」言うと、陵はうなずいた。
「うん、そうだね。もう、どっちでも、いいね」かみしめるように、陵は答えた。
だから、ふたたびわたしは陵の顔を両のてのひらで包んだのだ。
どっちでも、いいの。そうだね。言い合いながら、互いの体をさぐる。体温のこもった布団の中で、足をからめる。欲情していなかったものが、ふれることによって少しずつ高まってゆく。体を重ねることで明らかにできることなんて、何もないことを知っているからこそ、ほがらかに体を重ねる。
日曜日は、いいね。
うん、ゆっくりできて。
光がよく差してるよ。
もうすぐ桜が咲くから。
陵の足とわたしの足の区別がつかなくなってゆく。指も、腕も、脇腹も、背中も、頭蓋骨を包む薄い肌も、髪も、陵のものはすべてわたしのもので、わたしのものはすべて陵のもの。(P206)
陵がわたしの体にはいってくるおりに、最初にふれあうのは、陵とわたしの体そのものではなく、わたしたちの体の中に蔵された水と水なのではないか。その時、水と水とは、どんな音をたててまじりあってゆくのだろう。(P215)
物語は、1986年母の死前後に起こった御巣鷹山の飛行機事故、チェルノブイリ原発事故、そして1996年の地下鉄サリン事件に遭遇し死生観を考えさせられた陵、2014年に地震によって(2011年の東日本大地震で痛めつけられた築50年の家が崩壊の危機に)など不慮の死にまつわる事件や事故を織り交ぜながら、二人の人生を語り継いでいきます。
パパ(健在ですが二人の子供たちとは別々に暮らしている)の残しておいた古時計が、物語の、そして二人の時を刻んでいく。
2014年 都は56歳、陵は55歳。長年住んだ、その家・土地を離れ、二人のそれぞれの生活が始まるところで終わりになる。しかし、・・・。
東京に戻ると、もう家はきれいに壊され、ただ平らな土地だけがあった。思っていたよりもずっと狭かった。ママの好きだったゆすらうめも、あじさいも、なくなっていた。
また夏がくる。鳥は太く、短く鳴くことだろう。陵の部屋を、今日はわたしから訪ねようと思う。(P222)
近親相姦というまがまがしい(と世間的にはとらえる)の話を男と女の生き方(性にからめて)の話に昇華していく川上ワールドは、いつになくすてきでした。
水声
水の流れる音。「谷川の水声」。
2014年9月30日刊行。
母が亡くなって、その後10年間そのままに空き家にしておいた東京・杉並の古い家に、姉の都は一つ下の弟の陵と住むことになる。・・・。
夢枕に立った「ママ」。
あなたたち、とうとう一緒に住みはじめたのね。・・・
うん。住みはじめちゃった。
夢の中で甘えた。
ママはうすく笑い、
あらあら、そんなことして、いいのかしら。
と言った。おそろしかった。笑っているのに。
ママはすぐに、消えた。起きてからも、ふるえが止まらなかった。陵には夢のことは言わなかった。(P12)
ミステリアスな冒頭の一節。こうして読者を「川上ワールド」に引き込みます。
姉は、弟を愛している自分の感情におののき、両親にも誰にも隠していた。弟の方も同じ感情を持ち始め、ついに二人は肉体関係を持ってしまいます。
その後、それぞれの道を歩んでいた姉弟。その弟が再び実家に姿を現したのは、母の死が迫ってきたときでした。夏、姉は弟と体を重ねる。
決して起こらないことだと思っていたのに、それはいともたやすく行われた。
不自然さは全くなかった。まるで体を重ねることを習慣としている男女のようだった。
(ふつうの男の体のよう)
わたしは思っていた。
陵と体を重ねる直前、もしも事が成ってしまったなら、時間はこののち決して連続的に流れないのではないかと予感した。けれど、そんなことはまったくなかった。する前。している時。した後。時間が不連続になることは、まったくなかった。空白も、爆発的な変換も、何もなかった。
しているうちに、相手が陵だということを、一瞬忘れさえした。
男と、している。
それだけだつた。
かつて恋人だった幾人かの男たちと体をかさねた時に、思わず「愛している」という言葉を口からほとばしり出させたような、あのやつあたりにも似た強迫的な感覚さえ、おぼえなかった。
わたしの上で動いているのは、物質としての身体を持つだけの、何者でもない者だつた。そして、その下でうねるように動いているわたしも、ただの物質だつた。
(だけど、なんてきもちがいいの)
ただそのことだけを、わたしは感じていた。
終わつてから、陵は恥ずかしそうに下着をつけた。
「照れてるの?」聞くと、陵はうなずいた。
「都だつて、そうだろ」
顔を見合わせて、苦く笑った。今の自分の笑い顔は、きっとママに似ていると思った。陵の笑い顔は、パパに似ていたから。(P190)
実は、パパとママも兄妹の関係だったことが二人の実の父親から明かされる。
時の流れと共に、次第に青年期から壮年期、お互いに異性との恋愛を経験し、そして老いていく姉弟。そして、再会し、一緒に住みはじめてからの二人。
閉じた目を開かないよう、力をこめる。陵の指の腹が、閉じたままのまぶたを、頤を、頬を、首筋を、なぞってゆく。あの夏、陵はこんなにゆるやかな動きをしはしなかった。あれは性急で、何かを押しっぶそうとするような動きだった。
ゆっくりと、目を開けた。「するの?」
「どっちでも」
陵は静かに答えた。
両のてのひらで陵の顔をはさんだ。ママのことを、少しだけ思い出した。でも、ほんの少しだけだ。
「しなくても、大丈夫?」言うと、陵はうなずいた。
「うん、そうだね。もう、どっちでも、いいね」かみしめるように、陵は答えた。
だから、ふたたびわたしは陵の顔を両のてのひらで包んだのだ。
どっちでも、いいの。そうだね。言い合いながら、互いの体をさぐる。体温のこもった布団の中で、足をからめる。欲情していなかったものが、ふれることによって少しずつ高まってゆく。体を重ねることで明らかにできることなんて、何もないことを知っているからこそ、ほがらかに体を重ねる。
日曜日は、いいね。
うん、ゆっくりできて。
光がよく差してるよ。
もうすぐ桜が咲くから。
陵の足とわたしの足の区別がつかなくなってゆく。指も、腕も、脇腹も、背中も、頭蓋骨を包む薄い肌も、髪も、陵のものはすべてわたしのもので、わたしのものはすべて陵のもの。(P206)
陵がわたしの体にはいってくるおりに、最初にふれあうのは、陵とわたしの体そのものではなく、わたしたちの体の中に蔵された水と水なのではないか。その時、水と水とは、どんな音をたててまじりあってゆくのだろう。(P215)
物語は、1986年母の死前後に起こった御巣鷹山の飛行機事故、チェルノブイリ原発事故、そして1996年の地下鉄サリン事件に遭遇し死生観を考えさせられた陵、2014年に地震によって(2011年の東日本大地震で痛めつけられた築50年の家が崩壊の危機に)など不慮の死にまつわる事件や事故を織り交ぜながら、二人の人生を語り継いでいきます。
パパ(健在ですが二人の子供たちとは別々に暮らしている)の残しておいた古時計が、物語の、そして二人の時を刻んでいく。
2014年 都は56歳、陵は55歳。長年住んだ、その家・土地を離れ、二人のそれぞれの生活が始まるところで終わりになる。しかし、・・・。
東京に戻ると、もう家はきれいに壊され、ただ平らな土地だけがあった。思っていたよりもずっと狭かった。ママの好きだったゆすらうめも、あじさいも、なくなっていた。
また夏がくる。鳥は太く、短く鳴くことだろう。陵の部屋を、今日はわたしから訪ねようと思う。(P222)
近親相姦というまがまがしい(と世間的にはとらえる)の話を男と女の生き方(性にからめて)の話に昇華していく川上ワールドは、いつになくすてきでした。
水声
水の流れる音。「谷川の水声」。