「小岩市川関所跡」解説板。
今回から水戸街道「新宿」から分岐して、市川、船橋、習志野、佐倉、そして成田。さらに佐原まで(「佐原街道」)のコースをたどろうと思います。
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(「旧街道ウォーキング - 人力」www.jinriki.info/kaidolist/naritakaid.HPより引用)
「新宿」から江戸川堤までは前に歩いているのでそれを紹介。
その続きということになります。
ここまでの道筋を再掲。
(2012/9/14「佐倉街道」その1。)
水戸街道と葛飾・新宿(にいじゅく)で分岐した「佐倉道(佐倉街道)」は現国道6号線(水戸街道)を越えて南下します。途中、高砂で直角に折れ、東南に向かいます。高砂駅近くを過ぎ、北総線・新柴又駅近くのガードをくぐり、そのまま行くと江戸川の土手に突き当たります。旧道は、江戸川河川敷に消えてしばらくなくなります。再び直線の道となった「佐倉道」はほぼ南下して京成線・江戸川駅のガードをくぐり、そこで、「元佐倉道(旧千葉街道)」と合流して東に向かい江戸川にある小岩・市川の渡し・関所を越えて市川に向かいます。かつての道筋は区画整理、道路拡張、さらに用水路の埋め立てなどかなり変化していますが、所々道標などで往時を偲ぶことが出来ます。
新宿・「一里塚」バス停の近く。ここから水戸街道と分かれます。この橋は、小合溜からの水路(「東用水」から分岐した小さな流れ)に架かっていた「金阿弥橋」、親柱が残されています。
この付近(追分・水戸街道と佐倉街道)にあった道標は、現在、水戸街道拡張整備工事等のために撤去され、「葛飾郷土と天文の博物館」に一時保管されている、とか。そこで直接問い合わせところ、毛布にくるんであってお見せできない、と。周辺が整備されたら、元の位置に戻すということでした(かつての場所には設置できないと思いますが)。
「道標」(「区民がつくる葛飾百科」より拝借。)安永6(1777)年建立。正面に「左 水戸街道 右 なりたちば寺道」右側面に「さくらミち」と彫られている、らしい。ただし、現在、このあたり、旧水戸街道の道は消滅しています。
水戸街道を越えて旧道に入ります。一方通行の狭い道で、あまり車は通りません。「追分」を振り返って見たところ。このあたりも、あと何年かすると、大きく変貌した街並みになるでしょう。
正面の十字路を左折します。
来た道を望む。
明治13年当時の古地図。中央部分。北からの道がカギのように折れて南東に向かっていました。真ん中の細い用水路は小合溜(現水元公園)からの流れ。
区内最古の道標。正面には「是より右ハ下川原村 さくら海道」右面には「これより左ハ下の割への道」左面には年号が彫られている、とのこと。「下川原」は、新宿の小字名。「下の割」は葛西の南の地域、現在の江戸川区をさしています。
左折してすぐ右折して広い通り。貨物線(金町~新小岩)の踏切を越えます。小合溜からの用水路が埋め立てられ、広い舗装道路になっています。大がかりな水道工事中のところも。踏切脇には鉄橋が残っています。
踏切を渡った南側から望む。
高砂駅前の通り(柴又帝釈天への道)との交差点。向かい右の角の建物が街道筋風の店構え。
京成線「高砂」駅の北側の道を進み、商店街を越えしばらく行くと、桜の並木に覆われた散策道になります。遠くに歩く生徒の姿は佐倉街道沿いにある「区立桜道中」の生徒、らしい。
京成ドライビングスクール前には、「葛飾区立桜道中学校」があります。「佐倉」に「桜」をかけたのでしょう、「さくらみち」と呼ばれています。
「親水さくらかいどう」の碑。
道の脇には小さな流れ。
しばらくのんびり進むと江戸川の堤防にぶつかり、旧道はここでいったん途切れます。
「善兵衛樋」。
かつてこの辺りの農村は、江戸川を目の前にしながら水不足の悩みが絶えなかったそうです。明治に入って、上小岩村の石井善兵衛を中心に運動を進めた結果、明治11(1878)年に取水口が完成し、「善兵衛樋」と命名されました。
大正13(1924)年、地元の人達が、その功労者の氏名並びに石井善兵衛の功績を称えるために作ったものが、左手の「水神」碑。高さ約3メートル幅約1メートルとかなりりっぱなものです。人々には、まさに「水神」様に思えたのでしょう。
「善兵衛樋」は、高く組み上げた岩と岩との間から、江戸川の水が勢いよく噴き出し、流れ落ちる仕組みになっていて、まるで滝のようです。その背後、見上げるような土手の向こうには、江戸川からの取水口と流れがそのまま残っています。
この「善兵衛樋」からほぼ南に向かって約1キロメートル、「上小岩親水緑道」が続きます。
道標。正徳3(1713)年建立。江戸川区内最古のものだそうです。
「右面 是より右岩附慈恩寺道 岩附迄七里 これより左 千手道 新宿迄壱里千手迄弐里半」とある。注:「岩附」=「岩槻」、「千手」=「千住」
古地図(明治13年)。左上(北西)あたりに「道標」がありました。現在の「岩槻街道」は、江戸川・一里塚から南東は「篠崎街道」。
(2012/9/15 「佐倉街道」その2。)
再び細い直線道路として南下する「佐倉道」は、京成電車「江戸川」駅の西側のガードをくぐると、正面(南)から来た元佐倉道(旧千葉街道)と合流し、江戸川堤へ向かう。このあたりに「小岩・市川の渡し(関所)」があった。渡河した旅人は南東に進んでいく。
江戸川の河川敷に消えた「佐倉道」はこのあたりで再び道の姿を現す。
一直線で南下する。周囲には神社仏閣が並んでいる。
江戸川駅近くの商店街。お蕎麦屋さんの店先にある「道標」。安永4(1775)年建立。
「伊与田の道標」。伊豫(与)田村はこの地域の旧名。この地を開拓した藤原伊豫にちなんでいる。
京成線のガードをくぐる。
正面が元佐倉道(旧千葉街道)。ここで合流して、左(東)に折れると、関所・渡し場。
元佐倉道から佐倉道との合流点を望む。
角にある案内板(御番所町跡)。
この付近が交通の要所であったことを示す道標等の文化財が多く残っている。
道沿いに家が建ち並ぶのが佐倉街道。
左(西)にある(土手)道は、「現岩槻街道」となる古道と思われる。右(東)の土手道は江戸川河川敷内となり、消滅。
突き当たりが江戸川の堤。
佐倉道と元佐倉道の合流点に残る「御番所町の慈恩寺道石造道標」。
角柱。案内板がないと見落としそう。
案内板。
それによると、対岸の市川から江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると道筋のほぼ正面に見えた道標だった、とのこと。
「・・・銘文は安永4年(1775年)に建てられたもので、岩附・江戸・市川の3方向を示しています。
銘文 正面 右せんじゅ岩附志おんじ道 左リ江戸本所ミち 右面 左リ いち川ミち 小岩御番所町世話人忠兵衛 左面 右 いち川ミち
安永四乙未年八月吉日 北八丁堀 石工 かつさや加右衛門 江戸川区教育委員会」
小岩市川渡しの目印だった「常燈明」。
もともと、小岩市川の渡し場に建てられていた。昭和9(1934)年江戸川改修工事の際に寳林寺(宝林寺)境内に移された。この渡しは江戸時代には成田山新勝寺や千葉寺詣での人たちで賑わっていた。そのため、「佐倉街道」は「成田街道」とも呼ばれた。
この「常燈明」は、天保10(1839)年、千住総講中によって献灯されたもの。灯籠の高さ2m、台石は五段に組まれていて、高さは1.82mある。
台石下部。
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1870年代のようす。 2010年代のようす。
(2012/9/16 「佐倉街道」その3。)
北小岩は佐倉街道(成田街道)、元佐倉街道(千葉街道)、岩槻街道(篠崎街道)が交差・合流する交通の要所でした。参勤交代のみならず、江戸の後半には、さいたま市岩槻の慈恩寺、成田市の新勝寺、千葉市の千葉寺などへの参詣で大勢の旅人が行き来していました。必ず通過しなければならない関所もありました。そのため、文化財・旧跡が多い場所でもあります。じっくり歩けばまだまだ興味深い発見があるところのようでした。
江戸川の土手から御番所町跡(西方)を望む。
対岸の市川市側にある「関所跡」のモニュメント。
立派な説明板。
それには、「・・・関所を通り、水戸・佐倉道を往来する人々のために、市川村では2~3艘の船を用意し、川端に番小屋を建て、20人前後の船頭や人夫を雇っていた。・・・明治2年(1869年)に『関所廃止令』が出されて、その使命を終えてもなお、明治38年(1905年)に江戸川橋が架けられるまで、渡船の運行は続けられた。しかし、度重なる江戸川の護岸工事で、関所の建物や渡船場の正確な位置は、今日不明となっている。平成16年7月 市川市」とある。
関所跡から対岸の小岩を望む。護岸工事で江戸時代よりも大きな川幅にはなっている。右に見えるのが京成線の鉄橋。河川敷あたりがかつての渡船場なのか。
市川橋。「千葉街道」。市川橋の西詰付近で南西に折れる「千葉街道」と分かれて西に向かう広い道路は「蔵前橋通り」。歩いて渡るとけっこうな長さ。橋の正面奥に見えるのはスカイツリー(右の方)。
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(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
江戸川を渡ると道は南東へ折れる。(「同」より)
正面が千葉街道。右(西)から来た道路は「蔵前橋通り」。ここから「千葉街道」となって市川に向かう。「江戸川」交差点。
旧千葉街道沿いの「一里塚」跡。バス停名と篠崎街道(岩槻街道)との交差点名に残っている。
「千葉街道」と交差する通りは、「岩槻街道(篠崎街道)」。この道は、岩槻方面へ行徳の塩などを運ぶ道でもあった。「岩槻街道」はそのまま北上し、「善兵衛樋」(「道標」)付近で「佐倉道」と交差して江戸川右岸沿いに北に向かった。古地図で見ると、田んぼの中の広いあぜ道という感じだが。
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(「同」より)。北小岩付近。中央の道は、「岩槻街道」、右が「佐倉道」。
今回から水戸街道「新宿」から分岐して、市川、船橋、習志野、佐倉、そして成田。さらに佐原まで(「佐原街道」)のコースをたどろうと思います。
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(「旧街道ウォーキング - 人力」www.jinriki.info/kaidolist/naritakaid.HPより引用)
「新宿」から江戸川堤までは前に歩いているのでそれを紹介。
その続きということになります。
ここまでの道筋を再掲。
(2012/9/14「佐倉街道」その1。)
水戸街道と葛飾・新宿(にいじゅく)で分岐した「佐倉道(佐倉街道)」は現国道6号線(水戸街道)を越えて南下します。途中、高砂で直角に折れ、東南に向かいます。高砂駅近くを過ぎ、北総線・新柴又駅近くのガードをくぐり、そのまま行くと江戸川の土手に突き当たります。旧道は、江戸川河川敷に消えてしばらくなくなります。再び直線の道となった「佐倉道」はほぼ南下して京成線・江戸川駅のガードをくぐり、そこで、「元佐倉道(旧千葉街道)」と合流して東に向かい江戸川にある小岩・市川の渡し・関所を越えて市川に向かいます。かつての道筋は区画整理、道路拡張、さらに用水路の埋め立てなどかなり変化していますが、所々道標などで往時を偲ぶことが出来ます。
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この付近(追分・水戸街道と佐倉街道)にあった道標は、現在、水戸街道拡張整備工事等のために撤去され、「葛飾郷土と天文の博物館」に一時保管されている、とか。そこで直接問い合わせところ、毛布にくるんであってお見せできない、と。周辺が整備されたら、元の位置に戻すということでした(かつての場所には設置できないと思いますが)。
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京成ドライビングスクール前には、「葛飾区立桜道中学校」があります。「佐倉」に「桜」をかけたのでしょう、「さくらみち」と呼ばれています。
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かつてこの辺りの農村は、江戸川を目の前にしながら水不足の悩みが絶えなかったそうです。明治に入って、上小岩村の石井善兵衛を中心に運動を進めた結果、明治11(1878)年に取水口が完成し、「善兵衛樋」と命名されました。
大正13(1924)年、地元の人達が、その功労者の氏名並びに石井善兵衛の功績を称えるために作ったものが、左手の「水神」碑。高さ約3メートル幅約1メートルとかなりりっぱなものです。人々には、まさに「水神」様に思えたのでしょう。
「善兵衛樋」は、高く組み上げた岩と岩との間から、江戸川の水が勢いよく噴き出し、流れ落ちる仕組みになっていて、まるで滝のようです。その背後、見上げるような土手の向こうには、江戸川からの取水口と流れがそのまま残っています。
この「善兵衛樋」からほぼ南に向かって約1キロメートル、「上小岩親水緑道」が続きます。
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「右面 是より右岩附慈恩寺道 岩附迄七里 これより左 千手道 新宿迄壱里千手迄弐里半」とある。注:「岩附」=「岩槻」、「千手」=「千住」
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(2012/9/15 「佐倉街道」その2。)
再び細い直線道路として南下する「佐倉道」は、京成電車「江戸川」駅の西側のガードをくぐると、正面(南)から来た元佐倉道(旧千葉街道)と合流し、江戸川堤へ向かう。このあたりに「小岩・市川の渡し(関所)」があった。渡河した旅人は南東に進んでいく。
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左(西)にある(土手)道は、「現岩槻街道」となる古道と思われる。右(東)の土手道は江戸川河川敷内となり、消滅。
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それによると、対岸の市川から江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると道筋のほぼ正面に見えた道標だった、とのこと。
「・・・銘文は安永4年(1775年)に建てられたもので、岩附・江戸・市川の3方向を示しています。
銘文 正面 右せんじゅ岩附志おんじ道 左リ江戸本所ミち 右面 左リ いち川ミち 小岩御番所町世話人忠兵衛 左面 右 いち川ミち
安永四乙未年八月吉日 北八丁堀 石工 かつさや加右衛門 江戸川区教育委員会」
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もともと、小岩市川の渡し場に建てられていた。昭和9(1934)年江戸川改修工事の際に寳林寺(宝林寺)境内に移された。この渡しは江戸時代には成田山新勝寺や千葉寺詣での人たちで賑わっていた。そのため、「佐倉街道」は「成田街道」とも呼ばれた。
この「常燈明」は、天保10(1839)年、千住総講中によって献灯されたもの。灯籠の高さ2m、台石は五段に組まれていて、高さは1.82mある。
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1870年代のようす。 2010年代のようす。
(2012/9/16 「佐倉街道」その3。)
北小岩は佐倉街道(成田街道)、元佐倉街道(千葉街道)、岩槻街道(篠崎街道)が交差・合流する交通の要所でした。参勤交代のみならず、江戸の後半には、さいたま市岩槻の慈恩寺、成田市の新勝寺、千葉市の千葉寺などへの参詣で大勢の旅人が行き来していました。必ず通過しなければならない関所もありました。そのため、文化財・旧跡が多い場所でもあります。じっくり歩けばまだまだ興味深い発見があるところのようでした。
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それには、「・・・関所を通り、水戸・佐倉道を往来する人々のために、市川村では2~3艘の船を用意し、川端に番小屋を建て、20人前後の船頭や人夫を雇っていた。・・・明治2年(1869年)に『関所廃止令』が出されて、その使命を終えてもなお、明治38年(1905年)に江戸川橋が架けられるまで、渡船の運行は続けられた。しかし、度重なる江戸川の護岸工事で、関所の建物や渡船場の正確な位置は、今日不明となっている。平成16年7月 市川市」とある。
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