小湊鐵道線「養老渓谷駅」。
近くの温泉へということで、初めての「養老渓谷」。JR内房線「五井」駅から「小湊鐵道線」に乗って。
ところで、「小湊鐵道線」とは?
小湊鐵道線(こみなとてつどうせん)
千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ小湊鐵道の鉄道路線である。
東京湾沿岸から房総半島内陸部を結び、路線の大半が市原市内に属する。
概要
非電化・単線の路線で、首都圏にありながら駅舎や車両など古くからの雰囲気を残している。2018年には「小湊鉄道とその沿線の景観」が千葉県により、ちば文化遺産の一つ(広域)に選定された。
1990年代後半からの10年間で乗客が急減した。2000年代では、多少減少幅が緩やかになったが、やはり乗客は減少傾向にある。
駅係員の合理化が進む一方で車掌は全列車に乗務しており、無人駅では各駅ごとに検札・集札を行い、無人駅から乗車券を持たずに乗車した旅客には車内で切符(パンチ式車内補充券)を発売する。
養老渓谷駅 - 上総中野駅間の板谷隧道(トンネル)は千葉県内の鉄道の最高地点になっている。
女性を積極的に採用しており、車内で精算業務を行う若い女性の車掌が10名弱勤務しているほか、一部の駅では女性係員が勤務している。2007年には女性運転士も誕生した。
いすみ鉄道いすみ線との乗り換え駅である上総中野駅では、両線の線路が繋がっているが、相互乗り入れの話が出ても、旅客流動上も相互乗り入れのメリットは極めて薄いとされており、両社共に消極的で、路線との乗継割引、直通運転はしていない。
交通系ICカードは導入されておらず、導入予定もない。
路線データ
管轄(事業種別):小湊鐡道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):39.1km
軌間:1067mm
駅数:18駅(起終点駅含む)
複線区間:全線単線
電化区間:全線非電化
車両基地:五井機関区
歴史
当初は安房郡小湊町(現在の鴨川市の一部)を目指して着工された。工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊の鉄道敷設訓練の一環としての性格もあった。
1917年(大正6年)に会社を設立したが建設資金調達に苦心し、伝を頼り安田善次郎に出資を依頼するため陳情団が東京を訪れる。安田は利益を上げる見込みのないローカル線への出資を承諾し、1924年(大正13年)には安田財閥の持株比率が6割を超える。安田財閥の資金を元に、同年ボールドウィン社より蒸気機関車を2台(1号・2号)を購入、このとき購入した機関車は、1号車(拓本番号57776)、2号車(拓本番号57777)ともに小湊鉄道五井駅に保存、展示されている。
1925年(大正14年)3月7日に五井駅 - 里見駅間で開業。1926年(大正15年)9月1日に里見駅 - 月崎駅間、1928年(昭和3年)5月16日に上総中野駅までの全線が開通した。
上総中野駅から先の延伸工事、並びに終点として想定されていた小湊駅(現在の安房小湊駅付近に設置される予定だった)近辺の工事も一部着手されていたが、資金難のため1929年(昭和4年)5月頃に中止された。資金面の問題に加え、昭和初期の土木技術では延伸区間の清澄山付近で難工事が予想されたこと、加えて1934年(昭和9年)に上総中野駅まで延伸した国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)と接続して房総半島の横断ができるようになったことから、最終的に延伸は断念された。
太平洋戦争下の1942年(昭和17年)12月、本鉄道は京成電気軌道系列の企業となる。『京成電鉄五十五年史』には、本鉄道が京成電気軌道系列に入ってきた、とされているが、『安田保善社とその関係事業史』では、当局の要請により仕方なく営業譲渡した、とされている。
・・・
(以上、「Wikipedia」参照。)
キハ200形気動車
「第四養老川橋梁」をゆく「里山トロッコ列車」。
(この項、「」HPより)
さて、出発です。
「五井機関庫」。 土曜日ですが、シーズンオフなのか、車内は閑散としています。
余談ですが、「鉄道」の「鉄」を「鐵」にしているこだわり。「旧東海道」歩きのとき、「金谷」宿の「大井川鐵道」で聞いたことが。旧字体というだけでなく、「金」を「失う」では縁起が悪いので、あえて「鐵」にした、と。発想は、共通しているのでしょうか?
街中を抜けると、田園地帯が広がります。
駅舎も歴史を感じます。
こちらの看板も。
1時間ほどの乗車、久々に乗った気動車・ディーゼルカーのエンジンの音も懐かしい。
使われなくなったホームと線路。
「里山トロッコ列車」が停車中。
里山の四季を肌で感じることができるトロッコ列車を運行します。
客車を引く機関車は、小湊鐵道で実際に走っていたものを再現。動力は現代の環境に対応したクリーンディーゼルエンジンを搭載しています。客車は4両、うち2両は窓を取り去り、里山の風を肌で感じることができます。また、4両ともに天井はガラス張りです。
トロッコ列車の運行区間は上総牛久駅から養老渓谷駅で、乗降可能駅は上総牛久駅、里見駅、月崎駅、養老渓谷駅です。乗車は定員制で、窓あり車両、窓なし車両ともに、乗車券の他に整理券を購入する必要があります。
トロッコ整理券はWebまたはお電話にてお申込み頂き、乗車当日、トロッコ列車乗車駅にてお申込み済みの旨をトロッコ係員にお申し出の上、トロッコ整理券をお買い求め下さい。
なお、運行・予約受付はホームページ等にてご案内いたします。
里山トロッコ列車運行の開催期間 2019年3月16日~12月中旬
(この項、「」HPより)
バックして去っていきます。
途中、「里見」駅ではタブレット交換が行われていました。駅員が待機し、受け取って駅舎に。
【タブレット交換】
単線区間の路線での運転時、列車同士の衝突を防ぐ仕組み。
線路を一定の区間で区切って(閉塞区間)、その閉塞区間には通行許可証(タブレット)を持った列車を1本しか入れないようにする為、路線の途中駅で列車の行き違いが出来る駅が設定されている。
その駅に到着した上り下りの列車は、それぞれのタブレットを待機していた駅員に手渡して、駅員が専用の機械を操作した後、上りと下りのタブレットを交換してそれぞれの運転士に手渡し、発車が可能となる。
現在は信号機によって制御されていているので、この光景はほとんど目にする事はない。
「つきざき」駅。「チバニアン」への下車駅。
当社沿線の月崎駅より近くの市原市田淵に学術的に世界に3箇所しかないうちの1箇所といわれるパワースポット(地球磁場逆転地層)の存在が明らかになりました。
地球46億年の歴史の中で地球磁場のN極とS極が逆転していた時期がまれにあり、その痕跡が市原市田淵の養老川沿い崖面に見られます。
この場所では堆積物に含まれる磁石の性質を持つ鉱物が、地層上部では現在と同じ磁気の向きを示したのに対し、地層下部では逆になっていたことを地元研究者らが約40年間研究を進めた結果、磁場逆転を示す境になっていることが判明しました。
今から、約77万年前の地層と言われております。
この正磁極期と逆磁極期の地層が連続して確認できるのは、イタリアとここ市原の田淵だけだそうです。学術的に認定されればゴールデンスパイクが打たれ、「チバニアン」と言う一時代が刻み込まれます。
(この項、「小湊鐵道」HPより)
次の駅名は何と読むのでしょう? ①「海土有木」②「馬立」③「飯給」
「養老川」に沿うようにだんだん高度を上げて、「養老渓谷」駅に到着。
次の機会には、乗ったり降りたりしながら「小湊鐵道線」の旅をしてみようと思います。
※駅名答え
①あまありき ②うまたて ③いたぶ
それぞれの駅名の由来は「小湊鐵道」HPに掲載されています。
近くの温泉へということで、初めての「養老渓谷」。JR内房線「五井」駅から「小湊鐵道線」に乗って。
ところで、「小湊鐵道線」とは?
小湊鐵道線(こみなとてつどうせん)
千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ小湊鐵道の鉄道路線である。
東京湾沿岸から房総半島内陸部を結び、路線の大半が市原市内に属する。
概要
非電化・単線の路線で、首都圏にありながら駅舎や車両など古くからの雰囲気を残している。2018年には「小湊鉄道とその沿線の景観」が千葉県により、ちば文化遺産の一つ(広域)に選定された。
1990年代後半からの10年間で乗客が急減した。2000年代では、多少減少幅が緩やかになったが、やはり乗客は減少傾向にある。
駅係員の合理化が進む一方で車掌は全列車に乗務しており、無人駅では各駅ごとに検札・集札を行い、無人駅から乗車券を持たずに乗車した旅客には車内で切符(パンチ式車内補充券)を発売する。
養老渓谷駅 - 上総中野駅間の板谷隧道(トンネル)は千葉県内の鉄道の最高地点になっている。
女性を積極的に採用しており、車内で精算業務を行う若い女性の車掌が10名弱勤務しているほか、一部の駅では女性係員が勤務している。2007年には女性運転士も誕生した。
いすみ鉄道いすみ線との乗り換え駅である上総中野駅では、両線の線路が繋がっているが、相互乗り入れの話が出ても、旅客流動上も相互乗り入れのメリットは極めて薄いとされており、両社共に消極的で、路線との乗継割引、直通運転はしていない。
交通系ICカードは導入されておらず、導入予定もない。
路線データ
管轄(事業種別):小湊鐡道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):39.1km
軌間:1067mm
駅数:18駅(起終点駅含む)
複線区間:全線単線
電化区間:全線非電化
車両基地:五井機関区
歴史
当初は安房郡小湊町(現在の鴨川市の一部)を目指して着工された。工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊の鉄道敷設訓練の一環としての性格もあった。
1917年(大正6年)に会社を設立したが建設資金調達に苦心し、伝を頼り安田善次郎に出資を依頼するため陳情団が東京を訪れる。安田は利益を上げる見込みのないローカル線への出資を承諾し、1924年(大正13年)には安田財閥の持株比率が6割を超える。安田財閥の資金を元に、同年ボールドウィン社より蒸気機関車を2台(1号・2号)を購入、このとき購入した機関車は、1号車(拓本番号57776)、2号車(拓本番号57777)ともに小湊鉄道五井駅に保存、展示されている。
1925年(大正14年)3月7日に五井駅 - 里見駅間で開業。1926年(大正15年)9月1日に里見駅 - 月崎駅間、1928年(昭和3年)5月16日に上総中野駅までの全線が開通した。
上総中野駅から先の延伸工事、並びに終点として想定されていた小湊駅(現在の安房小湊駅付近に設置される予定だった)近辺の工事も一部着手されていたが、資金難のため1929年(昭和4年)5月頃に中止された。資金面の問題に加え、昭和初期の土木技術では延伸区間の清澄山付近で難工事が予想されたこと、加えて1934年(昭和9年)に上総中野駅まで延伸した国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)と接続して房総半島の横断ができるようになったことから、最終的に延伸は断念された。
太平洋戦争下の1942年(昭和17年)12月、本鉄道は京成電気軌道系列の企業となる。『京成電鉄五十五年史』には、本鉄道が京成電気軌道系列に入ってきた、とされているが、『安田保善社とその関係事業史』では、当局の要請により仕方なく営業譲渡した、とされている。
・・・
(以上、「Wikipedia」参照。)
キハ200形気動車
「第四養老川橋梁」をゆく「里山トロッコ列車」。
(この項、「」HPより)
さて、出発です。
「五井機関庫」。 土曜日ですが、シーズンオフなのか、車内は閑散としています。
余談ですが、「鉄道」の「鉄」を「鐵」にしているこだわり。「旧東海道」歩きのとき、「金谷」宿の「大井川鐵道」で聞いたことが。旧字体というだけでなく、「金」を「失う」では縁起が悪いので、あえて「鐵」にした、と。発想は、共通しているのでしょうか?
街中を抜けると、田園地帯が広がります。
駅舎も歴史を感じます。
こちらの看板も。
1時間ほどの乗車、久々に乗った気動車・ディーゼルカーのエンジンの音も懐かしい。
使われなくなったホームと線路。
「里山トロッコ列車」が停車中。
里山の四季を肌で感じることができるトロッコ列車を運行します。
客車を引く機関車は、小湊鐵道で実際に走っていたものを再現。動力は現代の環境に対応したクリーンディーゼルエンジンを搭載しています。客車は4両、うち2両は窓を取り去り、里山の風を肌で感じることができます。また、4両ともに天井はガラス張りです。
トロッコ列車の運行区間は上総牛久駅から養老渓谷駅で、乗降可能駅は上総牛久駅、里見駅、月崎駅、養老渓谷駅です。乗車は定員制で、窓あり車両、窓なし車両ともに、乗車券の他に整理券を購入する必要があります。
トロッコ整理券はWebまたはお電話にてお申込み頂き、乗車当日、トロッコ列車乗車駅にてお申込み済みの旨をトロッコ係員にお申し出の上、トロッコ整理券をお買い求め下さい。
なお、運行・予約受付はホームページ等にてご案内いたします。
里山トロッコ列車運行の開催期間 2019年3月16日~12月中旬
(この項、「」HPより)
バックして去っていきます。
途中、「里見」駅ではタブレット交換が行われていました。駅員が待機し、受け取って駅舎に。
【タブレット交換】
単線区間の路線での運転時、列車同士の衝突を防ぐ仕組み。
線路を一定の区間で区切って(閉塞区間)、その閉塞区間には通行許可証(タブレット)を持った列車を1本しか入れないようにする為、路線の途中駅で列車の行き違いが出来る駅が設定されている。
その駅に到着した上り下りの列車は、それぞれのタブレットを待機していた駅員に手渡して、駅員が専用の機械を操作した後、上りと下りのタブレットを交換してそれぞれの運転士に手渡し、発車が可能となる。
現在は信号機によって制御されていているので、この光景はほとんど目にする事はない。
「つきざき」駅。「チバニアン」への下車駅。
当社沿線の月崎駅より近くの市原市田淵に学術的に世界に3箇所しかないうちの1箇所といわれるパワースポット(地球磁場逆転地層)の存在が明らかになりました。
地球46億年の歴史の中で地球磁場のN極とS極が逆転していた時期がまれにあり、その痕跡が市原市田淵の養老川沿い崖面に見られます。
この場所では堆積物に含まれる磁石の性質を持つ鉱物が、地層上部では現在と同じ磁気の向きを示したのに対し、地層下部では逆になっていたことを地元研究者らが約40年間研究を進めた結果、磁場逆転を示す境になっていることが判明しました。
今から、約77万年前の地層と言われております。
この正磁極期と逆磁極期の地層が連続して確認できるのは、イタリアとここ市原の田淵だけだそうです。学術的に認定されればゴールデンスパイクが打たれ、「チバニアン」と言う一時代が刻み込まれます。
(この項、「小湊鐵道」HPより)
次の駅名は何と読むのでしょう? ①「海土有木」②「馬立」③「飯給」
「養老川」に沿うようにだんだん高度を上げて、「養老渓谷」駅に到着。
次の機会には、乗ったり降りたりしながら「小湊鐵道線」の旅をしてみようと思います。
※駅名答え
①あまありき ②うまたて ③いたぶ
それぞれの駅名の由来は「小湊鐵道」HPに掲載されています。