「坪井玄道生誕の地」解説板。
坪井玄道
下総国葛飾郡鬼越(現・千葉県市川市)の出身で農家の次男として生まれた。幼名は仁助。
慶応2年(1866年)に江戸幕府の開成所に入学して英語を学ぶ。明治4年(1871年)に卒業して初めは少得業生として大学南校、同年7月より東京師範学校(現在の筑波大学)の教員となった。明治7年(1874年)にアメリカから迎えた体育担当教師ジョージ・アダムス・リーランドの通訳を担当しているうちに体操の重要性を認識して体育学を学ぶ。
明治11年(1878年)、リーランドと共に同年に創設された体操伝習所教師となった。なお、体操伝習所が東京師範に吸収された明治19年(1886年)より高等師範学校の助教授となった。
明治18年(1885年)『戸外遊戯法』を出版し、日本語で書かれた初めての端艇(ボート)競技の教科書となった。また、同書は「フートボール」(サッカー)を初めて日本に紹介した書籍でもあった。明治20年(1887年)に『普通体操法』を出版した。坪井は合理主義的軽体操 (普通体操) と自然主義的遊戯を併せた体育論を唱え、学校の必修科目に体操を加えることの必要性を論じた。明治23年(1890年)より高等師範学校および東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の教授に就任する。明治29年(1896年)、この年に創設された東京高師のフートボール部(現:筑波大学蹴球部)の部長に就任した。
明治33年(1900年)、黒田清輝や瀧廉太郎らと共にイギリスなどへ留学し、翌年に帰国した。明治36年(1903年)、教え子の中村覚之助らが出版した「アッソシエーション・フットボール」の序文を記した。また、明治42年(1909年)には可児徳とともにドッジボール競技を「円形デッドボール」という名で日本に初めて紹介したとされる[6]。同年に東京高師、東京女子高師の教授を退任した。大正11年(1922年)4月に東京女子体操音楽学校(現:東京女子体育大学)の名誉校長に就任したが、11月に死去した。なお、墓所は東京都文京区の真浄寺にある。
平成18年(2006年)、日本サッカー殿堂(委員会特別掲額者)入り。現在、千葉県市川市立歴史博物館に、関連物が展示されている。
(以上、「Wkipedia」参照)
「木下街道」との分岐点。
角にある旧家。
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中山方面に進みます。りっぱなおうち。
街道筋らしいおうち。
船橋市に入ります。
「財団法人吉澤野球博物館」。
吉澤善吉が個人コレクションを元に私財を投じて1979年(昭和54年)に「吉澤野球資料保存館」として開設。当初資料保存のみを目的としていたが、2001(平成13)年に博物館法により登録博物館となり、2003(平成15)年には2階を増築して美術展示室を併設した。特に東京六大学野球を始めとする戦前のアマチュア野球史料の充実は特筆するものがある。
2001(平成13)年に「財団法人吉澤野球博物館」と改称、その後さらに「一般財団法人吉澤野球博物館」に再改称した。
吉澤理事長が2011年(平成23年)体調を崩したのを機に船橋市に収蔵品等を寄附する方針を固め、2014年(平成26年)3月30日をもって博物館は休館。コレクションは船橋市に寄贈された。2017年、「船橋市スポーツ資料展示室」内に「吉澤野球博物館資料展示室」が設けられた。
吉澤野球博物館資料展示室企画展「野球に魅了された男たち~天狗倶楽部からプロ野球発足まで~
はじめに
平成29年4月22日船橋市総合体育館(船橋アリーナ)内に、船橋市スポーツ資料展示室「吉澤野球博物館資料展示室」がオープンしました。吉澤野球博物館の貴重な野球資料を広く市民の皆様に紹介するとともに地域の野球文化に触れていただけるよう様々な企画展を開催します。
内容
「天狗倶楽部」とは、明治時代末頃、SF小説家押川春浪が中心となって結成したスポーツ社交団体です。私的な団体でありながら野球や相撲をはじめ数々のスポーツ振興に貢献しました。平成31年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』にも登場し、その破天荒さが話題となっています。
天狗倶楽部には、のちの日本初プロ野球チーム創設に携わるメンバーや、殿堂入りを果たすメンバーも参加しており、野球のために人生をかけた男たちがいました。本展示では、そんな野球に魅了された男たちを写真や人物ゆかりの資料で紹介いたします。
会期
平成31年2月15日金曜日から3月24日日曜日まで
吉澤野球博物館資料展示室(船橋アリーナ)
開館時間 午前9時から午後9時
※期間中の休館日:2月18日月曜日、3月11日月曜日
場所
船橋市総合体育館(船橋アリーナ)内スポーツ資料展示室
(サブアリーナ側1階ロビー奥)
(この項、「
」HPより)
ちょっと右手に入ったところに、「グリルはせ川」。
純和風のつくりで洋食屋さんのようです。お味の方は、はたして・・・
ここもりっぱなおうち。
大きな家が目立つ。
(11:35)右手に大きな案内板「二子浦の池」。
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市内に存在が確認されている湧水は、都市化の進行に伴い荒廃が進んでいますが、平成9年度に実施した「湧水保全・再生計画調査」によって、まちづくりの視点から再生価値の高いものも存在することが確認されました。
湧水は、台地部の樹林や農地等に降った雨が地下に浸透し、低地部からしみ出す水循環について学ぶ最適な素材であると同時に、動植物の棲息環境としても大切な水源であることから、平成9年度より地元の方々と協働して整備を進めてまいりました。
その中でも葛飾地区については、地元の皆さんの湧水に対する保全・再生への意識が高く、地形的にみても湧水や松林、由緒ある寺社が連なるなどの特色があることから、「葛飾湧水群」として整備に着手し、平成9・10年度は「二子藤(ふたごふじ)の池」の復元、平成11年度には「葛飾神社の池」及び「ゲエロの池」と、3箇所の湧水池の整備を行ってきました。
平成12年度からは、市の中央部に位置する「倶梨迦羅不動尊(くりからふどうそん)の池」の整備に着手し、平成13年度に完成しました。また、平成14年度に葛飾地区で「葛羅(かづら)の井」の整備を、平成17年度には「二子浦(ふたごうら)の池」の整備を行いました。
かつては海に面していた場所なので二子浦と呼ばれていたそうで、鎌倉時代にはここから船で鎌倉との間を往来していた、とか。しかし、当時、東京湾を南西から北東へ縦断する航路があったとは思えません(三浦半島から上総に渡るのが最短で安全)。海岸沿いの地名(入り江)であることは間違いないと思いますが。
右手は台地への上り坂。黒い板塀のおうち。
街道沿いのおうち。
(11:47)「武蔵野線」ガード手前、中央分離帯に見事なクロマツの大木が3本。
その先、「勝間田公園」の花壇の中央にブロンズ像。
久保浩作《まなざし》
船橋市内にはこうした多くのブロンズ像の作品が各所に置かれているようです。
「勝間田公園」は、かつては溜池だったそうです。その左隣にある「葛飾神社」にも見事なクロマツがあるそうです。
東京湾に沿った市川から船橋、幕張、千葉にかけては、かつて松林が続いていました。今、その風景は大きく変わってしまいましたが、僅かながら残るものもあります。JR西船橋駅から国道14号線を市川方面に行くと、右手に勝間田公園が、その先に葛飾神社があり、石段の下から、お堂を覆いつくすような松が見えてきます。それが、今も残る「葛飾神社のクロマツ」です。「葛飾神社のクロマツ」は、1836(天保7)年に刊行された『江戸名所図会』の挿絵『勝間田池』にも、その姿が描かれています。『勝間田池』は本郷にあった溜池でしたが、和歌の名所であった奈良の勝間田池になぞらえて、そのように呼ばれていました。池の左手にある小山の上には、松で囲まれた熊野宮が描かれています。
熊野宮は、後に葛飾神社と合祀されましたが、この熊野宮を取り囲む松の一樹が、「葛飾神社のクロマツ」ではないかと推測されています。現在では、勝間田池も埋め立てられ公園になってしまいましたが、かつての情景を想い描くことができるのもこのクロマツが現存していればこそ。拝殿の屋根の上に広がる枝ぶりは絵になりますし、木肌の亀甲模様も極めて美しいものです。このクロマツは、平成24(2012)年3月に二宮神社のイチョウとともに船橋市の天然記念物に指定されました。天然記念物であった妙見神社のクロマツが虫害で枯死し、指定解除されてから35年後のことです。船橋市内に天然記念物を、と願う市民の声が届いたようです。帰路はJR西船橋駅方向に戻り、駅入口の交差点の先を左手に入ると春日神社が、その脇には西船4丁目緑地があり、そこにも東京湾から続く松林の一部が残っています。葛飾神社と西船4丁目緑地に設置された案内板には、解説とともに『江戸名所図会』の挿画が添えられており、かつての情景に想いを馳せることができます。
(この項、「
」HPより)
歌碑があります。
しげやまの尾根をはひゆく
雲見れば晴れたるかたに
移りつつあり 松平
作者の(松平)公平さんは、県立船橋高校の教諭とか。
「勝間田公園」の今昔
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1880年代のようす。溜池がある。下方は行徳からの道。 2010年代のようす。公園に。中央がJR「西船橋」駅。
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(11:54)「武蔵野線」のガードをくぐります。
船橋市のマンホールの絵柄。
さすが港町です。
坪井玄道
下総国葛飾郡鬼越(現・千葉県市川市)の出身で農家の次男として生まれた。幼名は仁助。
慶応2年(1866年)に江戸幕府の開成所に入学して英語を学ぶ。明治4年(1871年)に卒業して初めは少得業生として大学南校、同年7月より東京師範学校(現在の筑波大学)の教員となった。明治7年(1874年)にアメリカから迎えた体育担当教師ジョージ・アダムス・リーランドの通訳を担当しているうちに体操の重要性を認識して体育学を学ぶ。
明治11年(1878年)、リーランドと共に同年に創設された体操伝習所教師となった。なお、体操伝習所が東京師範に吸収された明治19年(1886年)より高等師範学校の助教授となった。
明治18年(1885年)『戸外遊戯法』を出版し、日本語で書かれた初めての端艇(ボート)競技の教科書となった。また、同書は「フートボール」(サッカー)を初めて日本に紹介した書籍でもあった。明治20年(1887年)に『普通体操法』を出版した。坪井は合理主義的軽体操 (普通体操) と自然主義的遊戯を併せた体育論を唱え、学校の必修科目に体操を加えることの必要性を論じた。明治23年(1890年)より高等師範学校および東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の教授に就任する。明治29年(1896年)、この年に創設された東京高師のフートボール部(現:筑波大学蹴球部)の部長に就任した。
明治33年(1900年)、黒田清輝や瀧廉太郎らと共にイギリスなどへ留学し、翌年に帰国した。明治36年(1903年)、教え子の中村覚之助らが出版した「アッソシエーション・フットボール」の序文を記した。また、明治42年(1909年)には可児徳とともにドッジボール競技を「円形デッドボール」という名で日本に初めて紹介したとされる[6]。同年に東京高師、東京女子高師の教授を退任した。大正11年(1922年)4月に東京女子体操音楽学校(現:東京女子体育大学)の名誉校長に就任したが、11月に死去した。なお、墓所は東京都文京区の真浄寺にある。
平成18年(2006年)、日本サッカー殿堂(委員会特別掲額者)入り。現在、千葉県市川市立歴史博物館に、関連物が展示されている。
(以上、「Wkipedia」参照)
「木下街道」との分岐点。
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中山方面に進みます。りっぱなおうち。
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街道筋らしいおうち。
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船橋市に入ります。
「財団法人吉澤野球博物館」。
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吉澤善吉が個人コレクションを元に私財を投じて1979年(昭和54年)に「吉澤野球資料保存館」として開設。当初資料保存のみを目的としていたが、2001(平成13)年に博物館法により登録博物館となり、2003(平成15)年には2階を増築して美術展示室を併設した。特に東京六大学野球を始めとする戦前のアマチュア野球史料の充実は特筆するものがある。
2001(平成13)年に「財団法人吉澤野球博物館」と改称、その後さらに「一般財団法人吉澤野球博物館」に再改称した。
吉澤理事長が2011年(平成23年)体調を崩したのを機に船橋市に収蔵品等を寄附する方針を固め、2014年(平成26年)3月30日をもって博物館は休館。コレクションは船橋市に寄贈された。2017年、「船橋市スポーツ資料展示室」内に「吉澤野球博物館資料展示室」が設けられた。
吉澤野球博物館資料展示室企画展「野球に魅了された男たち~天狗倶楽部からプロ野球発足まで~
はじめに
平成29年4月22日船橋市総合体育館(船橋アリーナ)内に、船橋市スポーツ資料展示室「吉澤野球博物館資料展示室」がオープンしました。吉澤野球博物館の貴重な野球資料を広く市民の皆様に紹介するとともに地域の野球文化に触れていただけるよう様々な企画展を開催します。
内容
「天狗倶楽部」とは、明治時代末頃、SF小説家押川春浪が中心となって結成したスポーツ社交団体です。私的な団体でありながら野球や相撲をはじめ数々のスポーツ振興に貢献しました。平成31年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』にも登場し、その破天荒さが話題となっています。
天狗倶楽部には、のちの日本初プロ野球チーム創設に携わるメンバーや、殿堂入りを果たすメンバーも参加しており、野球のために人生をかけた男たちがいました。本展示では、そんな野球に魅了された男たちを写真や人物ゆかりの資料で紹介いたします。
会期
平成31年2月15日金曜日から3月24日日曜日まで
吉澤野球博物館資料展示室(船橋アリーナ)
開館時間 午前9時から午後9時
※期間中の休館日:2月18日月曜日、3月11日月曜日
場所
船橋市総合体育館(船橋アリーナ)内スポーツ資料展示室
(サブアリーナ側1階ロビー奥)
(この項、「
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ちょっと右手に入ったところに、「グリルはせ川」。
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純和風のつくりで洋食屋さんのようです。お味の方は、はたして・・・
ここもりっぱなおうち。
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(11:35)右手に大きな案内板「二子浦の池」。
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市内に存在が確認されている湧水は、都市化の進行に伴い荒廃が進んでいますが、平成9年度に実施した「湧水保全・再生計画調査」によって、まちづくりの視点から再生価値の高いものも存在することが確認されました。
湧水は、台地部の樹林や農地等に降った雨が地下に浸透し、低地部からしみ出す水循環について学ぶ最適な素材であると同時に、動植物の棲息環境としても大切な水源であることから、平成9年度より地元の方々と協働して整備を進めてまいりました。
その中でも葛飾地区については、地元の皆さんの湧水に対する保全・再生への意識が高く、地形的にみても湧水や松林、由緒ある寺社が連なるなどの特色があることから、「葛飾湧水群」として整備に着手し、平成9・10年度は「二子藤(ふたごふじ)の池」の復元、平成11年度には「葛飾神社の池」及び「ゲエロの池」と、3箇所の湧水池の整備を行ってきました。
平成12年度からは、市の中央部に位置する「倶梨迦羅不動尊(くりからふどうそん)の池」の整備に着手し、平成13年度に完成しました。また、平成14年度に葛飾地区で「葛羅(かづら)の井」の整備を、平成17年度には「二子浦(ふたごうら)の池」の整備を行いました。
かつては海に面していた場所なので二子浦と呼ばれていたそうで、鎌倉時代にはここから船で鎌倉との間を往来していた、とか。しかし、当時、東京湾を南西から北東へ縦断する航路があったとは思えません(三浦半島から上総に渡るのが最短で安全)。海岸沿いの地名(入り江)であることは間違いないと思いますが。
右手は台地への上り坂。黒い板塀のおうち。
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街道沿いのおうち。
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(11:47)「武蔵野線」ガード手前、中央分離帯に見事なクロマツの大木が3本。
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その先、「勝間田公園」の花壇の中央にブロンズ像。
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船橋市内にはこうした多くのブロンズ像の作品が各所に置かれているようです。
「勝間田公園」は、かつては溜池だったそうです。その左隣にある「葛飾神社」にも見事なクロマツがあるそうです。
東京湾に沿った市川から船橋、幕張、千葉にかけては、かつて松林が続いていました。今、その風景は大きく変わってしまいましたが、僅かながら残るものもあります。JR西船橋駅から国道14号線を市川方面に行くと、右手に勝間田公園が、その先に葛飾神社があり、石段の下から、お堂を覆いつくすような松が見えてきます。それが、今も残る「葛飾神社のクロマツ」です。「葛飾神社のクロマツ」は、1836(天保7)年に刊行された『江戸名所図会』の挿絵『勝間田池』にも、その姿が描かれています。『勝間田池』は本郷にあった溜池でしたが、和歌の名所であった奈良の勝間田池になぞらえて、そのように呼ばれていました。池の左手にある小山の上には、松で囲まれた熊野宮が描かれています。
熊野宮は、後に葛飾神社と合祀されましたが、この熊野宮を取り囲む松の一樹が、「葛飾神社のクロマツ」ではないかと推測されています。現在では、勝間田池も埋め立てられ公園になってしまいましたが、かつての情景を想い描くことができるのもこのクロマツが現存していればこそ。拝殿の屋根の上に広がる枝ぶりは絵になりますし、木肌の亀甲模様も極めて美しいものです。このクロマツは、平成24(2012)年3月に二宮神社のイチョウとともに船橋市の天然記念物に指定されました。天然記念物であった妙見神社のクロマツが虫害で枯死し、指定解除されてから35年後のことです。船橋市内に天然記念物を、と願う市民の声が届いたようです。帰路はJR西船橋駅方向に戻り、駅入口の交差点の先を左手に入ると春日神社が、その脇には西船4丁目緑地があり、そこにも東京湾から続く松林の一部が残っています。葛飾神社と西船4丁目緑地に設置された案内板には、解説とともに『江戸名所図会』の挿画が添えられており、かつての情景に想いを馳せることができます。
(この項、「
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歌碑があります。
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しげやまの尾根をはひゆく
雲見れば晴れたるかたに
移りつつあり 松平
作者の(松平)公平さんは、県立船橋高校の教諭とか。
「勝間田公園」の今昔
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1880年代のようす。溜池がある。下方は行徳からの道。 2010年代のようす。公園に。中央がJR「西船橋」駅。
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(11:54)「武蔵野線」のガードをくぐります。
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船橋市のマンホールの絵柄。
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