国道の割には静かな道を進みます。大きなおうちが目立つ。
「花つみ」の看板。この奥の方でしょうか。
「ストック」 (HPより)
南ヨーロッパ原産、花には芳香があり、切り花としても広く栽培されている草花。秋にタネをまいて春に花を楽しむ。「秋まき一年草」として扱うのが一般的、だそうです。
「キンギョソウ」 (同上HPより)
南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部産地、その名の通り金魚のような花を穂状に数多く咲かせる。花の色は赤・桃・白・橙・黄・複色。「秋まき一年草」。
草花に疎い小生には区別がつけにくい。そこで、アンサーを。
実際に見れば判りやすいと思いますが、言葉で説明するのは意外と難しいですね。とりあえず、キンギョソウはゴマノハグサ科、ストックはアブラナ科です。
一般的なキンギョソウだと花の形が結構特徴的なので判りやすいのですが、ペンステモン咲きになると判りにくいかも?ストックは離弁花なので花弁が1枚ずつ分かれ、キンギョソウは合弁花なので基部がくっついています。蕾も違うんですけど、言葉で説明しにくい^^;
比べやすいのは葉かなぁ。ストックの葉は少し大きめ、へら形で少し肉厚な感じでやや白っぽい色で互生しています。キンギョソウは小さめで長円形~楕円形の対生です。あー、でも上の方の葉は互生してるかぁ。全体的にはストックのほうがモコっとした感じです。
(この項、「だいさん」HPより)
左手奥に畑が広がっています。
「富津市下洲漁業協同組合」。
左右の視野が開けてきます。
右手奥に「下洲漁港」。
左手には畑、田んぼが広がる。
「篠部」バス停。また少しずつ家並みが出てきます。
あちこちに小型船舶が置かれています。
「兼光刃物店」脇にも。
ログハウス風の「散髪屋」さん。
大きなお屋敷。
しばらく進むと、「内房線」の「新田踏切」。
「大貫駅」方向。
「青堀駅」方向。しばらく待ちましたが、電車は通らず。「君津」以南は本数が少ない。
踏切を渡った先で線路のため、街道は途切れます。
再び踏切を渡り返し、スーパーの「尾張屋大貫店」脇の道へ。これが旧道。
線路の向こう、「セブンイレブン」の看板のところが途切れた旧道。
しばらく進み、左折。
「大貫駅」のところで、旧道は中断されます。
今回は、ここまで。
「佐貫町」方向を望む。
1880年代のようす。A、Bが屈折点。 2010年代のようす。Aは分断、Bは分かりにくく、若干、道に相違あり。
この記録は、3月22日(日)のもの。
コロナ感染防止のため、不要不急の外出は控えるようにとの御達し。いつ街道歩きを復活できるでしょうか?
今は、家で辛抱、辛抱、忍耐、忍耐、お互いに。爆発的な感染は何としても避けねば。
1人10万円で生命と暮らしが買えるなら、何の苦労もありませんが・・・。
「花つみ」の看板。この奥の方でしょうか。
「ストック」 (HPより)
南ヨーロッパ原産、花には芳香があり、切り花としても広く栽培されている草花。秋にタネをまいて春に花を楽しむ。「秋まき一年草」として扱うのが一般的、だそうです。
「キンギョソウ」 (同上HPより)
南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部産地、その名の通り金魚のような花を穂状に数多く咲かせる。花の色は赤・桃・白・橙・黄・複色。「秋まき一年草」。
草花に疎い小生には区別がつけにくい。そこで、アンサーを。
実際に見れば判りやすいと思いますが、言葉で説明するのは意外と難しいですね。とりあえず、キンギョソウはゴマノハグサ科、ストックはアブラナ科です。
一般的なキンギョソウだと花の形が結構特徴的なので判りやすいのですが、ペンステモン咲きになると判りにくいかも?ストックは離弁花なので花弁が1枚ずつ分かれ、キンギョソウは合弁花なので基部がくっついています。蕾も違うんですけど、言葉で説明しにくい^^;
比べやすいのは葉かなぁ。ストックの葉は少し大きめ、へら形で少し肉厚な感じでやや白っぽい色で互生しています。キンギョソウは小さめで長円形~楕円形の対生です。あー、でも上の方の葉は互生してるかぁ。全体的にはストックのほうがモコっとした感じです。
(この項、「だいさん」HPより)
左手奥に畑が広がっています。
「富津市下洲漁業協同組合」。
左右の視野が開けてきます。
右手奥に「下洲漁港」。
左手には畑、田んぼが広がる。
「篠部」バス停。また少しずつ家並みが出てきます。
あちこちに小型船舶が置かれています。
「兼光刃物店」脇にも。
ログハウス風の「散髪屋」さん。
大きなお屋敷。
しばらく進むと、「内房線」の「新田踏切」。
「大貫駅」方向。
「青堀駅」方向。しばらく待ちましたが、電車は通らず。「君津」以南は本数が少ない。
踏切を渡った先で線路のため、街道は途切れます。
再び踏切を渡り返し、スーパーの「尾張屋大貫店」脇の道へ。これが旧道。
線路の向こう、「セブンイレブン」の看板のところが途切れた旧道。
しばらく進み、左折。
「大貫駅」のところで、旧道は中断されます。
今回は、ここまで。
「佐貫町」方向を望む。
1880年代のようす。A、Bが屈折点。 2010年代のようす。Aは分断、Bは分かりにくく、若干、道に相違あり。
この記録は、3月22日(日)のもの。
コロナ感染防止のため、不要不急の外出は控えるようにとの御達し。いつ街道歩きを復活できるでしょうか?
今は、家で辛抱、辛抱、忍耐、忍耐、お互いに。爆発的な感染は何としても避けねば。
1人10万円で生命と暮らしが買えるなら、何の苦労もありませんが・・・。