「元州砲台」跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/0a/62dce2d4f648bc1b7b61b1bb9641c390.jpg)
中の島の由来・富津元洲堡塁砲台跡「解説板」より
富津公園一帯は明治14年(1881)、時の明治政府により砲台と海堡が築かれました。
ここ中の島は元州砲台として同年8月に起工し、約3年の歳月をかけて築造されたものです。
築造の方法は、幅20~30㍍の外濠を掘り、海水を引き入れ砲台の整備とし、濠の砂を盛り、崩れを防ぐため外面を富津市二間塚の土で覆ったといわれ、現在もその痕跡を留めています。
明治28年(1895)には東京湾要塞司令部が発足し、守備隊がおかれました。元州砲台には砲兵中隊446名が守備についたが、幸いに富津の砲台は一弾も発射されることなく、日露戦争には一部攻城砲とあいて旅順に送られたものもありました。大正4年(1915)9月に旧式として除籍され、陸軍技術本部の大砲試射場となり、後に24㌢対車砲も設けられ、その試射もありました。
軍の占拠は終戦まで続きましたが、昭和26年(1851)に県立公園に指定され、昭和28年(1953)に鉄筋コンクリート三層最上階高さ11㍍の中の島展望塔ならびに中の島周辺に通称行幸橋を含む三橋が築造されました。
その後、老朽により中の島展望塔、行幸橋が撤去されましたが、昭和55年(1980)に鉄筋コンクリート三階建て高さ9.1㍍の展望塔が築造され現在にいたっております。
(注:「展望塔」は、訪問した2020年3月現在、立入禁止となっています。)
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1880年代のようす。○が砲台。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/ee/08b544ccbe0fbad7f2600ffa1b8b02f7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7b/a65fd0c87a00e74ad7c6b8a27a0e534e.jpg)
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2010年代のようす。○が「中の島」。
「濠(大池)」を眼下に望む。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/c1/9c72d938813d2e5a1976933f0ae306d8.jpg)
「公園」側を望む。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/3f/1b12dc64a208943f719d99a0899c5424.jpg)
ここで、大失敗! そのまま階段を降りて公園の方へ向かってしまいました。
「展望塔」を回り込むようにして進めば、「富津元洲堡塁砲台」跡へ行けたはずです。
ちょうど昼飯時だったので、公園脇の「公園食堂 志のざき」で、「磯ラーメン+ミニ穴子丼」を。磯の香りたっぷりで美味です。
帰宅後、「youtube」で「富津元洲堡塁砲台」跡の探訪記録を。
以下は、「Baron's CHANNEL YouTube - 2014/12/24」の映像から借用させていただきます。今度は直に我が目で確かめたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/2a/b2f54e04d2bc327c463f8f5f7ae535a4.jpg)
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・・・
もと来た道を戻ります。けっこう歩きます。
「魚貝類包丁 砂山金三郎」。苗字がすてきです。
「富津」交差点を右折し、「房総往還」に復帰。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fc/436bcdb2964e9c62c64ad72aaa265174.jpg)
「川名」で「国道465号線」と合流し、大貫・佐貫方向に。
渋い朱塗りのおうちと隣には小池。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/59/9922be2052a1de969cd343f905d040e9.jpg)
お蕎麦屋さん「里山」。
広い敷地には陶芸教室の工房と蕎麦打ち教室も開いているようです。自宅を改築したようなお店の雰囲気がよさそうです。
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中の島の由来・富津元洲堡塁砲台跡「解説板」より
富津公園一帯は明治14年(1881)、時の明治政府により砲台と海堡が築かれました。
ここ中の島は元州砲台として同年8月に起工し、約3年の歳月をかけて築造されたものです。
築造の方法は、幅20~30㍍の外濠を掘り、海水を引き入れ砲台の整備とし、濠の砂を盛り、崩れを防ぐため外面を富津市二間塚の土で覆ったといわれ、現在もその痕跡を留めています。
明治28年(1895)には東京湾要塞司令部が発足し、守備隊がおかれました。元州砲台には砲兵中隊446名が守備についたが、幸いに富津の砲台は一弾も発射されることなく、日露戦争には一部攻城砲とあいて旅順に送られたものもありました。大正4年(1915)9月に旧式として除籍され、陸軍技術本部の大砲試射場となり、後に24㌢対車砲も設けられ、その試射もありました。
軍の占拠は終戦まで続きましたが、昭和26年(1851)に県立公園に指定され、昭和28年(1953)に鉄筋コンクリート三層最上階高さ11㍍の中の島展望塔ならびに中の島周辺に通称行幸橋を含む三橋が築造されました。
その後、老朽により中の島展望塔、行幸橋が撤去されましたが、昭和55年(1980)に鉄筋コンクリート三階建て高さ9.1㍍の展望塔が築造され現在にいたっております。
(注:「展望塔」は、訪問した2020年3月現在、立入禁止となっています。)
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1880年代のようす。○が砲台。
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2010年代のようす。○が「中の島」。
「濠(大池)」を眼下に望む。
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「公園」側を望む。
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「展望塔」を回り込むようにして進めば、「富津元洲堡塁砲台」跡へ行けたはずです。
ちょうど昼飯時だったので、公園脇の「公園食堂 志のざき」で、「磯ラーメン+ミニ穴子丼」を。磯の香りたっぷりで美味です。
帰宅後、「youtube」で「富津元洲堡塁砲台」跡の探訪記録を。
以下は、「Baron's CHANNEL YouTube - 2014/12/24」の映像から借用させていただきます。今度は直に我が目で確かめたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f8/7f71cf2e6d009224e66601ec9faae9a0.jpg)
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・・・
もと来た道を戻ります。けっこう歩きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/fc/d5bcba5b78de22c087829f527a4aad88.jpg)
「富津」交差点を右折し、「房総往還」に復帰。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0e/e02be772a93e2d0a6f6c01e4ae2151e8.jpg)
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渋い朱塗りのおうちと隣には小池。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/59/9922be2052a1de969cd343f905d040e9.jpg)
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お蕎麦屋さん「里山」。
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広い敷地には陶芸教室の工房と蕎麦打ち教室も開いているようです。自宅を改築したようなお店の雰囲気がよさそうです。