短く残った旧道を進みます。
すぐに先ほどの通りに合流。右折し、南へ。
しばらく進むと、新旧房総往還の分岐点。左に折れるのが旧房総往還(下図ではC)。
旧道(C)は、内房線を越え、南下。ほぼ「国道127号線」がその道にあたるようです。ただし、かつてあった「貞元」という宿場とは少し離れているようです。
もう一つの旧房総往還道(B)は、もっと先で新道(A)と分岐し、南下、「君津駅」付近を通り、「三舟山」の山裾を進み、やはり「佐貫町」で合流します。「貞元」という宿場はこの街道沿いにあったようです(君津駅の南方)。こちらが古い街道のようです。木更津方向からはほぼ直線で進むので、けっこう利用されていたのではないか、と。
富津岬付近を経由する「A」の新道は本来の「房総往還」ではなく、江戸後期、江戸湾防備政策によって整備された道のようで、「佐貫町」付近で「房総往還」と合流しています。
注:上の図は、「 www.eskfw.co.jp/okiraku/regions/boso-kaido1/」HPよりお借りしました。
ちなみにこのHPでは、Bの旧道を歩いたようすが掲載されています。
ただし、現在は、君津方向からの峠・山道は、土砂崩れや落石の危険があるため、通行不可(立入禁止)となっているようです(特に中央部・上図ではB付近)。Aの道が主要道として大いに利用されるようになり、明治中期以降、荒廃。その後、地域の道路整備もあって、現在は、おそらく廃道に近い状態に。
たぶんこの道が参勤交代などの際には利用された道だと思います。再整備され、歩けるようにしてほしいものですが。
また、常に参考にしている『歴史的農業環境閲覧システム』(1880年代=明治13年頃)では、三つの道が載っていますが、Cを「房総街道」、Bを「房総海道」「西房総街道」と表記しています。これからたどるAは「従木更津村 至富津村」と記され、「村道」扱いとなっていて、本来の「房総往還(街道)」とは扱いが異なっています。
先達の紹介記事では、Aの道をたどって佐貫町まで歩く、というケースが多いようです。
いずれ、残りの2コースも歩いてみたいと思います。
1880年代のようす。←が分岐点。かなり広い道。
2010年代のようす。これからたどる道は、旧海岸線。
角に「平政御菓子司」。
道路の向かいには、「鶴岡歯科」の大きな屋敷。
直進します。郵便局の向かいにも旧家。
沿道には「白井海苔店」。かつての海岸沿いの名残。
こちらはマッサージ・鍼灸院。昔の家屋を改造。
「ソニー前」バス停。奥に「ソニー」。
「県道90号線」に合流。「港南台」が、左手の高台奥に広がります。右手は埋め立て地の工場地帯。
左手は、覆い被さるような崖。
「中川海苔店」。ここにも海苔屋さんがあります。
「小浜」バス停。読みは「kobama」。
「館山自動車道」が見えてきます。
蔵造りの建物。
この先、「畑沢」バス停付近に、西房総街道=B(「三舟山」経由)との分岐点があります(左折する道)。しかし、その先「君津」駅付近までは、住宅地となって不明の箇所、多し。
1880年代のようす。○が分岐点。 2010年代のようす。住宅地が広がる。
「畑沢橋」。
すぐに先ほどの通りに合流。右折し、南へ。
しばらく進むと、新旧房総往還の分岐点。左に折れるのが旧房総往還(下図ではC)。
旧道(C)は、内房線を越え、南下。ほぼ「国道127号線」がその道にあたるようです。ただし、かつてあった「貞元」という宿場とは少し離れているようです。
もう一つの旧房総往還道(B)は、もっと先で新道(A)と分岐し、南下、「君津駅」付近を通り、「三舟山」の山裾を進み、やはり「佐貫町」で合流します。「貞元」という宿場はこの街道沿いにあったようです(君津駅の南方)。こちらが古い街道のようです。木更津方向からはほぼ直線で進むので、けっこう利用されていたのではないか、と。
富津岬付近を経由する「A」の新道は本来の「房総往還」ではなく、江戸後期、江戸湾防備政策によって整備された道のようで、「佐貫町」付近で「房総往還」と合流しています。
注:上の図は、「 www.eskfw.co.jp/okiraku/regions/boso-kaido1/」HPよりお借りしました。
ちなみにこのHPでは、Bの旧道を歩いたようすが掲載されています。
ただし、現在は、君津方向からの峠・山道は、土砂崩れや落石の危険があるため、通行不可(立入禁止)となっているようです(特に中央部・上図ではB付近)。Aの道が主要道として大いに利用されるようになり、明治中期以降、荒廃。その後、地域の道路整備もあって、現在は、おそらく廃道に近い状態に。
たぶんこの道が参勤交代などの際には利用された道だと思います。再整備され、歩けるようにしてほしいものですが。
また、常に参考にしている『歴史的農業環境閲覧システム』(1880年代=明治13年頃)では、三つの道が載っていますが、Cを「房総街道」、Bを「房総海道」「西房総街道」と表記しています。これからたどるAは「従木更津村 至富津村」と記され、「村道」扱いとなっていて、本来の「房総往還(街道)」とは扱いが異なっています。
先達の紹介記事では、Aの道をたどって佐貫町まで歩く、というケースが多いようです。
いずれ、残りの2コースも歩いてみたいと思います。
1880年代のようす。←が分岐点。かなり広い道。
2010年代のようす。これからたどる道は、旧海岸線。
角に「平政御菓子司」。
道路の向かいには、「鶴岡歯科」の大きな屋敷。
直進します。郵便局の向かいにも旧家。
沿道には「白井海苔店」。かつての海岸沿いの名残。
こちらはマッサージ・鍼灸院。昔の家屋を改造。
「ソニー前」バス停。奥に「ソニー」。
「県道90号線」に合流。「港南台」が、左手の高台奥に広がります。右手は埋め立て地の工場地帯。
左手は、覆い被さるような崖。
「中川海苔店」。ここにも海苔屋さんがあります。
「小浜」バス停。読みは「kobama」。
「館山自動車道」が見えてきます。
蔵造りの建物。
この先、「畑沢」バス停付近に、西房総街道=B(「三舟山」経由)との分岐点があります(左折する道)。しかし、その先「君津」駅付近までは、住宅地となって不明の箇所、多し。
1880年代のようす。○が分岐点。 2010年代のようす。住宅地が広がる。
「畑沢橋」。