おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

房総東往還・伊南房州道往還。総集編。第8日目。外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」―「安房鴨川」。

2024-02-27 20:36:21 | 房総東往還

前回の「勝浦駅」から「行川アイランド駅」までは、電車(二駅 「鵜原」「上総興津」)で移動。

そこから「おせんころがし」を歩いて、「安房鴨川駅」まで歩くことにします。

1月8日(祝)。快晴。

「行川アイランド駅」。

           下車したのは、小生のみ。日陰に位置しているせいか、よけい寂しい雰囲気。

・行川アイランド駅

2006年(平成18年)度の1日平均乗車人員19人であり、県内のJR駅の中では最も少なかった。1990年代前半は200人超であったが、1994年に200人を割ってからは、年々減少の一途をたどっている。駅名の通り実質的に行川アイランドの来園のための専用駅で、閉園後は一気に利用客が減少した。

ここで、道を間違えてしまいました。「孝女・おせんの身投げ供養塔」(旧道)に行くためには、トンネルの手前で海の方に向かわなければならなかったのです。

※左手の駐車場のような空き地のところを海の方に進むが、その付近は寒々しい印象が強く、ちょっと逡巡してしまった。

せんころがしトンネルへ伸びる現国道128号線は昭和44年に作られた3代目の道路。初代国道は明治に作られ(当時は県道、後に国道へ昇格)、それこそが「おせんころがし」に他なりません。                                  

「大沢漁港」へ下ります。

                小さな漁港。背後の崖と海に挟まれた坂道周辺に数軒の家が。

※「大沢集落」の中心は「国道128号」の右上奥の山側になる。

      正面が「孝女・おせんの身投げ供養塔」方向。そこへつながる、断崖絶壁の道がかすかに残る。

古びた木製の案内板。

                     「←・・・ 誕生寺→」。

この付近の今昔。

明治以前、山側に古道があった(「日蓮寺」方向)が、その後は、ほぼ廃道。

左図・左端に描かれている道は、大正時代に国道としてあった道。

(「今昔マップ」より)

※1969(昭和44)までは、「おせんころがし」道は、国道128号線として位置づけられていました。

現在の国道128号線は、「行川アイランド駅」前からトンネルを通過して、小湊方面へ進む。

さて、旧道(「伊南房総通往還=房総東往還」)を海沿い(崖沿い)に歩くことに。

振り返る。「大沢漁港」から北の道は、廃道に近い。

             眼下に房総の海が広がる。

           

  車も行き来するので、ちょっと怖い。頑丈なガードレールはあっても、左は垂直の崖が続く。

「落石注意」の看板が随所に。

               しかし、地震などで崩壊したら、にっちもさっちもいかなくなりそう。

それでも、雄大な景色を堪能しながら歩きます。

振り返り、振り返りしながら歩く。

房総の海が広がる。

                  内房では対岸に三浦半島が見えますが、はるかかなたまで海が。                   

隧道を抜けると、小湊の町へ。

隧道の先は森の中へ。木洩れ陽の中を下っていく。

            

住宅が現れます。左手は廃墟?

正面奥に「誕生寺」が見えてきます。誕生寺。裏手に来たようです。

小湊山誕生寺 総門」。 

 誕生寺は、日蓮聖人生誕の地に建治2年(1276)に建立されました。
 明応7年、元禄16年の2度の大地震、津波により水没したこともあり、寺域を現在地に移して堂舎を再興しました。
 宝暦8年(1758)の大火で誕生寺の諸堂は焼失しましたが、宝永3年(1706)に建立と伝えられる「仁王門」のみ焼失をまぬがれました。県内でも最大規模の仁王門で、創建時の様子をとどめている貴重な建造物として、平成9年に県の有形文化財として指定されました。
 ・・・

※上記にもあるように、日蓮聖人誕生の地は海底に沈んでいるようです。          

       祖師堂。

小湊漁港。

「鯛の浦遊覧船乗り場」。

「鯛の浦遊歩道」を歩くことに。

               「特別天然記念物 鯛の浦タイ生息地」

内浦湾内、誕生寺前の渡船場から東南方へ船で5分ぐらいの海域で、伊貝島、弁天島などの近辺に多数のタイが群生するので、この辺りを「妙の浦」と呼んでいる。ここに集まるタイ類は、大部分がマダイで、ほかにクロダイ、メジナ、イスズミなどが混ざっている。マダイは、深さ30~150㍍ぐらいの海中に生息し、普段はその中層あたりを泳いでいる定着性の近海魚である。しかし、鯛の浦は、10~30㍍の浅海で、しかも限られた狭い海域に生息し、人間の投与する餌(魚の切り身など)をよく食べるのは、ほかに見られない現象である。日蓮聖人が誕生した古来殺生禁断の聖地であり、観光船の船ばたをたたくと海底から浮上させあらそって餌をもとめるのは不思議なことといわれている。

・・・

通常の鯛は、定着性の深海魚です。水深約30mから150mまでの、海底が岩や砂利のところにすんでおり、水温8度以下の海にはすんでいません。また、マダイは深海性の魚で小回遊の習性があり、群れをなさないといわれています。
通常の鯛と違い、鯛の浦の鯛は年中一定、海中に群れをなしてすんでいます。鯛の浦の鯛が年間を通じて船べりをたたく音を聞くと水面近く群れをなして出現し、与えられた餌を食べるという事は、非常に珍しいことなのです。鯛の浦の現象は、科学的には完全に解明されていません。その習性が珍しいので、「鯛の浦のタイ生息地」として指定を受け保護されているのです。日本でこのような習性を持つ鯛が鯛の浦だけに生息しているのは、鯛の浦周辺に住む人々の遠い昔から続いてきた信仰の歴史と、素朴な鯛保護の精神が生きているからなのです。
    

内浦湾。

                遙か遠く、正面奥は安房鴨川方向。

                        

「鯛の浦遊歩道」先端。小弁天島。

右端の島は、大弁天島。

「昭和天皇行幸啓記念碑」。

こんな風に穴の空いた石がたくさんあります。

                  

はて?

生きた貝が穴を空けるというケースがあります。
これはボーリングシェル(穿孔貝せんこうがい)と呼ばれる貝が、柔らかい砂岩や泥岩を削ったり、あるいは酸で石を溶かして穴を明けたものです。
石に穴を開ける貝としてはタガソデガイモドキ、トマヤガイ、カモメガイ、モモガイ、キナマツカゼガイ、イシマテガイヤエウ、メノハナガイ等があり、貝の大きさやによって穴の径や、角度が変わってきます。

一般的な磐笛の多くはこの貝由来のタイプをいい、酸に溶けやすい石灰岩や泥岩や砂岩の場合が多く、深い穴が特徴です。

         ここで大地震が起き、津波に見舞われたら逃げるすべがなさそう。

振り返る。遠くに弁天島。

小湊漁港。    

 この交差点を左に折れて駅に向かう。

と、バス停があり、まもなく来たバス。「安房鴨川駅」(終点は、「仁右衛門島」)まで行く、とのこと。飛び乗ってしまいました。

※「安房天津駅」を通過して、安房鴨川駅まで。

この先は、バスの車窓からの風景。

海岸伝いに進むバスの車窓からは、左手に海が広がります。小さな漁港をたどりつつ・・・。

※途中のバス経路は「伊南房州通往還(房総東往還)」と重なっています(言い訳がましいですが)。

左手に「鴨川シーワールド」が広がっています。

生命(いのち)の輝きと、ふれあえる海

          

                 

(「」HPより)

まもなく「安房鴨川駅」に着きます。

      「安房鴨川駅」。

安房鴨川駅は、「外房線」と「内房線」の境目の駅。

どちらも下りの終点駅。

上り「(内房線)館山・木更津・千葉方面 (外房線)茂原・千葉・東京方面」の始発駅に。

ほとんど1時間に1本。21時過ぎで、終電。

※「外房線」の上りに東京行きがあるのは、外房線に乗り入れている「京葉線」の終着駅が「東京駅」だから。

外房線に乗って帰ります。

(「上総一ノ宮」で「東京」(京葉線経由)行きの電車に乗り換え、さらに「蘇我」で内房線「千葉」経由、総武線「船橋」まで。)

「安房天津」。

「安房小湊」。

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