おやじのつぶやき

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「ダンスウィズウルブス」(古きよき映画シリーズその9)

2012-12-09 21:10:31 | 素晴らしき映画
 映画文化の牽引車はいうまでもなくアメリカ・ハリウッド。英語(アメリカ的価値観を押し付けるという要素が大いに気になりますが)を通じてアメリカの社会・文化・現状・未来などへの関わりにとどまらず、古今東西に亘る異国の歴史・文化・伝統を描くことに、多大な貢献をしています。
 イタリア・フランス・日本、あるいはその他の様々な言語による映画つくりも、こうしたアメリカ的文化・価値観とは異質の世界を描くことで、映画ファンからはそれなりに高い評価を得てはいます。しかし、巨大な資本力をもとに制作されるハリウッドにはかなわない感じです。(かつて「マカロニ・ウェスタン」などというキワモノ映画もありましたが)そういう意味では、小生も毒されているのでしょう。このブログにUPされた映画は主人公はドイツ人であったりしても、英語を・・・。
 ドイツ人が主人公でありながら、流ちょうな英語を話し、ロシア人が主人公でも英会話をこなし、一方で、登場する書物やポスターは、ドイツ語やロシア語で書かれている・・・。よくよく見ればかなりの違和感。
 もちろん、日本でも「赤毛物」(差別的かな?)と称する芝居のジャンルがあります。特に代表的な出し物は、チェーホフやシェークスピアの作品。舞台のセット、登場人物の身なり・髪の色などはすっかりロシア人やイギリス人ですが、日本語を流ちょうにしゃべり、演技する。アメリカの作家の作品でも同様。そこには、たとえ人種・言語が異なっていても、人間としての共通のテーマ・内容が含まれているからですが(シェークスピアにいたっては東北弁で行う芝居もあります)。TVドラマなどの吹き替えもその一種。あまりなじめませんが。
 もちろん、それをよかれとしない演出家もいて、とりわけ韓国や中国を舞台にしたとき。俳優達がお互いの言語を話し(固有の言語体系・文化を背景にした)、観客には日本語に翻訳したテロップ等で伝えますが、舞台では異言語によるやりとりを行っていきます。異文化、価値観の違いなどの際立ちが狙いだとかで、最近では多く見かけます。昔観た映画では「舞姫」。郷ひろみが流ちょうなドイツ語をしゃべっていました(ヒロインの女性がイメージが違いすぎたのが残念)。他にもこうした作品は、たくさんあるようです。
 さて、アメリカ映画自身を取り上げても、かつて大流行だった「西部劇」などでは、固有の言語体系を持つ(っていた)インディアンが流ちょうな英語を話す(あるいは片言の英語を話す)、という設定の作品が多かったですね。「西部開拓史」とは、主にそこに住む原住民を近代的で大量の武器によって制圧していくお話ですから、観客(アメリカだけでなく日本でもすっかり「毒されて」)には、大いに受けたわけでしょう。以上ここまでが長たらしい前説。
 
 1863年秋、南北戦争中、北軍の中尉であったジョン・ダンバーは英雄的な行為によって自由に勤務地を選ぶ権利を与えられた。「失われる前にフロンティアを見ておきたい」とサウスダコタ州のセッジウィック砦への赴任を志願。見渡す限りの荒野とすでに放棄された「砦」で自給自足の生活を始めた。
 「砦に白人がいる」との報告を受けたスー族たちは、ダンバーとの接触を試みる。ダンバーは、星条旗を掲げ野営地へ向かう。その道中で大怪我を負って倒れている女性を助け、集落まで彼女を送り届ける。
 後日、「蹴る鳥」「風になびく髪」と呼ばれる二人の男がダンバーの元にやってくる。言葉の通じない自分たちを精一杯もてなすダンバーに、「蹴る鳥」は好感を抱き、次第に友好を深めていく。
 言葉がなかなか通じずもどかしい思いをしていた双方の通訳に指名されたのは、ダンバーが以前助けた「拳を握って立つ女」と呼ばれる青い目の女性。彼女は幼いころ、スー族と敵対するポーニー族に家族を殺され、逃げ延びたところをスー族に拾われ育てられた。幼いころに身につけていた英語はたどたどしくなっていたが、彼女の養父である「蹴る鳥」とダンバーの助けにより双方の意思の疎通が図れるようになった。
 ある夜、凄まじい物音で目を覚ましたダンバーが外に出てみると、バッファロー(タタンカ)の大群が移動していた。ダンバーは急いでスー族に報告。スー族は歓喜に沸き、目撃者であるダンバーは一躍彼らの知るところとなった。スー族様式の狩りに参加する中でダンバーは今まで感じたことのない安らぎを覚える。

 交流を深める中でダンバーは「拳を握って立つ女」を愛し、また彼女もダンバーを愛し始めていた。しかし、彼女は、前の夫を殺され喪に服していた。養母は「蹴る鳥」に、「拳を握って立つ女」が彼女の喪を明けさせることを提案、「蹴る鳥」も快諾し、ダンバーと「拳を握って立つ女」は結婚した。さらに、ダンバーは「シュンカマニトゥタンカ・オブワチ(「狼と踊る男」)」というインディアン名までもらう。
 やがて冬が到来し、山籠りするために集落を移動する日が来た。日記を取りにひとりでセッジウィック砦に戻ったダンバーは、駐留していた騎兵隊に捕えられ、反逆者として処刑を宣告される。しかし、スー族の戦士たちが奇襲攻撃を仕掛け、ダンバーの命を救う。
 北軍は目前まで迫っていた。これ以上仲間たちに迷惑をかけるわけにはいかないと感じたダンバーは、愛する妻を伴って雪山の奥深くへと分け入っていった。


 

スタッフ/キャスト

スタッフ
監督:ケビン・コスナー
原作/脚本:マイケル・ブレイク
撮影:ディーン・セムラー
音楽:ジョン・バリー
美術:ジェフリー・ビークロフト
キャスト
ジョン・ダンバー中尉/狼と踊る男 ケビン・コスナー
拳を握って立つ女 メアリー・マクドネル
蹴る鳥 グラハム・グリーン
風になびく髪 ロドニー・A・グラント
 
 
 南北戦争時代のフロンティアを舞台に北軍の中尉と、スー族と呼ばれるインディアンとの間との交流を描いた「西部劇」。これまでの「片言の英語を話すインディアン」というのではなく、「インディアンたちが彼らの言語でしゃべる」、という点で、異色中の異色。
 「登場する主人公・白人=善良な人間」というステレオタイプからは脱し切れてはいませんが、インディアンとの言語、文化の違いを超えて交流するという白人という設定がこれまでの西部劇とは異なっています。
 莫大な制作費を投入しての「娯楽」映画として、随所に西部劇的な要素を取り入れてあります。特にバッファロー(タタンカ)狩りのシーン。画面全体を震わせるド迫力には、腹の底から圧倒されます。また、ダンバー奪還のための奇襲攻撃のシーンなども迫力があります。一方で、スー族の祭礼の場面や話し合いのシーン。・・・。白人中心の視点からではないショットの数々が織り込まれて、大変興味深い。
 エンディング直前のオオカミの遠吠えとダンバーが妻と雪道を歩むときの「テロップ」が切実でした。固有の文化・伝統の「滅び」を暗示し、それを踏み台にした近代文明への警告となっているような・・・。


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