この付近の今昔。
2010年代のようす。鋭角に折れる都県境。
1880年代のようす。当時から鋭角に折れている。
「横浜町田IC」付近の込み入った道を避けて、迂回し、インターの北側に。
東名の向こう側のラブホテル街。
東名を走っているとき、短い距離で「神奈川県から東京都」、「東京都から神奈川県」と標示されるところです。
料金所へ向かう道路に沿って、回り込みます。
「横浜町田料金所」。
その手前で、都県境の道に復帰。左が町田市、右が横浜市。
振り返る。この付近もホテルが建ち並ぶ。
横浜市のマンホール。
「町田市辻」交差点。
ここは、「八王子絹の道」歩きで通過しました。奥から来て、東名入口交差点から南に向かいました。
今回は、右折して「国道246号」を進みます。
左側に「道祖神」。
「渋谷(まで)29㎞ 長津田(まで)3㎞」。
「すずかけ台駅 この先70 ㍍」。
左手に東急田園都市線が近づき、眼下が開けてきます。
国道246号の反対側は、「東京工業大学(東工大)キャンパスの大きな森。
「神奈川県横浜市緑区」。
振り向くと、
左手には、馬の親子像。
「南つくし野こうま公園」(町田市)
東工大キャンパス通用口。
都県境は、左に曲がり、すずかけ台駅方向に。
「すずかけ台駅」。
すぐ「国道246号」に復帰します。
「三宅坂まで32㎞」。
「東工大入口」交差点。
すぐまた左の坂を上っていきます。
眼下が大きく開けてきます。「旧大山街道(馬の背)」。
遠くに「大山」が見えます。
※「矢倉沢往還」=「大山街道」
江戸時代中期以降になると大山講が盛んになり、宿駅などが整備されていた矢倉沢往還が江戸からの参詣道として盛んに利用されたことから、「大山街道」(おおやまかいどう)、「大山道(青山通り大山道)」(おおやまみち)とも呼ばれるようになった。
矢倉沢往還の街道は、律令時代より東海道の本道にあたり、鎌倉時代に湯坂道(箱根峠)が開かれるまで官道として機能していた。江戸時代に入って大山講が盛んになる享保年間から、江戸から大山へ、あるいは足柄から大山への道としても機能する。急峻な箱根峠に対して足柄峠は緩やかであり、また、江戸-沼津間の短絡路であったために、東海道の脇往還としても発達した。神奈川県内の区間は大正時代になると県道1号線に指定され、後に国道246号となり、幹線道路として機能している。
(この項、「Wikipedia」参照)
「旧大山街道」。
左が町田市、右が横浜市。
国道246号(「青山通り」)に下りていきます。
都県境は、通りを越えて進む。
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