前方にどっしりとした水門が。
「六郷水門」。
六郷水門は、令土木学会選奨土木遺産に選定されました。この水門は六郷用水の多摩川への排出と多摩川の氾濫による浸水被害の防止などを目的として、1930(昭和5)年に着工し、能く31年に完成しました。
六郷水門の特徴は、何と言ってもその丸みを帯びたようなユニークなフォルムです。これは竣工当時に導入が始まったばかりの鉄筋コンクリート造りという新技術の可能性を追求したもので、生命の躍動感を表現したものと言われています。また、その構造の骨格を成す基礎部分には、「金森式鉄筋煉瓦」という工法が取られ、その堅牢さは竣工より90年を経過した今もなお現役の水門として活躍し続けています。
「土木学会推奨土木遺産認定証」。多摩川への流入路を望む。
「六郷用水」船だまり。
橋の欄干に刻まれた、特徴的なロゴ。
作業所。
六郷用水(ろくごうようすい)
建設指揮監督者小泉次大夫の名を取って次大夫堀(じだゆうぼり)とも呼ばれる。
多摩郡和泉村(現在の東京都狛江市元和泉)の多摩川を水源とし、世田谷領と六郷領、つまり現在の狛江市から世田谷区を通り大田区に至る用水路であった。総延長は23キロメートルで、49の村の約1,500ヘクタールに、主に農業用水として水を供給した。
多摩川の対岸の川崎市を流れる二ヶ領用水(同じく小泉次太夫が建設指揮監督)と合わせて四ヶ領用水(よんかりょうようすい)とも呼ばれる。
《歴 史》
1597年からの14年かけて用水が開削された。開通後100年を経過したころ荒廃したが、1725年(享保10年)に代官田中丘隅(休愚)の手により改修された。この改修は、二ヶ領用水と並行して行われた。この改修後、世田谷領でも六郷用水が利用できるようになった。
廃止されたのは1945年である。宅地化が進み、大半は1970年代までに埋め立てられたか雨水用の下水道となった。流路の大半が失われたため「幻の六郷用水」と呼ぶ向きもある。
一部区間(世田谷区岡本から大田区田園調布)は丸子川として残っている。また、世田谷区喜多見では、同じ場所に野川からの取水により次大夫堀が再現されて次大夫堀公園になっている。大田区内では、中原街道と鵜の木三丁目の間は湧水を使って再現された用水路が遊歩道と共に整備されており、残りは道路になっている。
現在、用水の跡地は、道路、緑道(遊歩道)、次大夫堀公園のほか、未だ更地の場所もある。なお、六郷用水は既存の多くの河川と分合流あるいは交差していた。・・・
(この項、「Wikipedia」より)
振り返る。 重厚な印象。
次第に川幅が広く。
「海から4K」。
六郷ポンプ所排水樋管。
土手下は、桜並木。
振り返る。
ここまで、のんびりと歩いてきました。
河川敷がなくなり、コンクリート製の護岸壁に。
「海から3K」。
「たまリバー50キロ」案内図。
気づくと、「羽田」という地名が。
起点に着きました。「たまリバー50キロ」
実は「羽村取水堰」から53.0km。
「羽田水辺の楽校 自然体験教室」。
ここが大田区(東京都)側の多摩川起点のようです。
来た道を振り返る。起点を示す柱が色あせているのが残念。
この先、まだまだ河口は先に伸び続けているので、ちょっと中途半端なのかも。
「老舗の佃煮 大谷政吉商店」直売所。
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