おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

65 吉良邸跡・本所松坂公園

2009-05-23 19:34:27 | 歴史・痕跡
 昨日、地元ではご存じ、吉良邸跡、今は、本所松坂公園、に行ってきました。
 1702(元禄15)年、12月14日は、赤穂浪士による吉良邸打ち入りの日。去年、この直前、12月上旬に来たことがあります。
 「深川江戸資料館」から「芭蕉記念館」「芭蕉庵跡」まで行き、それから北上してやってきました(偶然、その歩いた道の途中は、赤穂浪士がめでたく首尾を果たして泉岳寺まで凱旋?する道筋をさかのぼったのですが)。
 けっこうその時には道に迷いました。夕方になって肌寒い冬の日だったので、何とか見つかったので、同行の諸氏とほっとしました。外側のなまこ壁がなければ通り過ぎてしまうところでした。
 実に小さな公園。その狭い中に、稲荷神社とか首洗い井戸(これはどうも嘘くさい!)とかありました。吉良上野介義央の広大な上屋敷跡のほんの一画(敷地の東北の外れに位置した場所のようです。)だったそうで、資料によれば、当時の87分の1の広さしかないようです。
 かつては両国ではなく松坂町と呼ばれていましたので、「本所松坂公園」といいます。この地は1934(昭和9)年、地元の有志が購入し、公園として東京市に寄贈したものだそうで、1950(昭和25)年に、墨田区に移管されたもの。
 毎年、12月14日には「元禄市」でこの界隈は賑わいます。
 「忠臣蔵」では、敵役として扱われる吉良上野介であるが、実際は地元で名君としての名も高かったようです。ここでは、20年くらい前からは吉良上野介供養の吉良祭も義士祭の前日におこなわれています。
 まさにミニ公園という感じでした。
 ちなみに、江東橋のたもとにある、都立両国高校は、浅野家の倉庫とか畑があった跡地。内匠頭への処分が下され、屋敷払いになったときに、手際よく家財道具などを運び込んだところです。地元でも知られざるエピソードですが。
 写真は、公園正面。左手の木戸から中に入ります。 

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