中山道に入ってすぐ右手に元荒川の流れ。
そこにはこんな案内板が。
「ここは、世界で熊谷市のみに生息するムサシトミヨがすんでいる川です。川の汚れを少なくし、豊かな緑と清流を守るため皆さんのご協力をお願いします。」
この付近の流れ。
旧中山道に戻り、その先を右折。
そこにも同じ内容の標示があります。
住宅地の中を流れる川に水草が生い茂り、それがムサシトミヨの生育を助けているのです。
住民の自然環境を守ろうとする心を感じます。
「旧中山道」を進みます。左手に「東竹院」。
奥には荒川土手。
しばらく中山道を進むと、二手に分かれる元荒川が西に向かう流れのところに、
「ムサシトミヨと共存できる環境作り」と「ムサシトミヨ」のポスター。
※通りの反対側に「元荒川」が右と左と二手に分かれるところがあります。
こちらは左手の流れ。
「県の魚 ムサシトヨの 棲む郷土」
元荒川の水草 オランダガラシ(クレソン)
生食野菜として明治初期に輸入。クレソンの名で食用に栽培されていたものが野生化した帰化植物。
全国の河川や湧水のある水路に群生する。通常水面上に繁茂するが、湧水中では沈水状態でも生育する。
茎が太く流れに安定で、特にヒゲ根はムサシトミヨの巣の素材として好まれる。
ヨーロッパ原産。
ムサシトミヨ保全推進協議会
ムサシトミヨはトゲウオ目トゲウオ科トミヨ属に属する体長3cm~5cm位の淡水にすむ1年魚です。オスが水草などで球形の巣を作り、子育てをする珍しい魚です。
湧き水が出ていた昭和30年代頃までは、東京と埼玉の限られた湧水に生息していました。埼玉県内では、熊谷市のほかに上里町・本庄市・川越市などでも見られました。
しかし、開発による川の汚染や湧き水の枯渇などにより、現在では熊谷市の元荒川上流域が世界で唯一の生息地となってしまいました。この周辺は豊かな地下水を利用した養鱒場があり、汲みあげられた地下水が放流されてきたため生き残ったのです。
2011年2月調査の推計生息数は22,655尾。ムサシトミヨは、環境省や埼玉県のレッドリストで「絶滅危惧IA類」※に分類され、絶滅の危機に瀕する希少な魚です。
※ごく近い初来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの
(HPより)
右に分かれる源流をさぐってみます。
帰帆橋。
帆掛け船が通過するような所とは異なります。かつて、元荒川が荒川本流だったころの名残でしょうか?
向かい側が元荒川。その左に行ったところに、
「値打ちある 元荒川の 起点の碑」
下流方向。
上流方向。
以下、「中山道」歩きの時の記録。
・・・
旧中山道はその先で右に折れ、「元荒川通り」を突っ切って進み、その先を左に折れ、先ほどの道に合流します。
「熊谷」と「久下」の境だった「熊久橋」跡。
「過ぎし世の熊久橋(ゆうきゅうばし)や左富士」
この「左富士」というのは「東海道」には二ヶ所ありましたが、「中山道」で?
この表現は、京から江戸に向かう旅人の視線なのでしょう。京から来るとき、はるか右手遠くに見える富士山が、道を曲がったここからは一瞬、左手に見えるということに。
1880年代のようす。→が「熊久橋」付近。直角に曲がっていることがわかる。「元荒川」の流れも確認できる。
「元荒川」。
先ほどの通りに合流し、少し「元荒川通り」方向に進んだところには「元荒川起点の碑」。
元荒川の源流付近(南側・下流)。
北側・上流。細い流れになってしまう。
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