吹上周辺では「元荒川」はかなり屈曲して流れていました。現在と昔を比べると、
(現在)ゆるやかなカーブになっている。
ところが、かつては
(1880年代)このように曲がりくねっていた。
「中山道」吹上宿(間の宿)。左に屈折する。北に向かうのは、「八王子千人同心街道」。
大幅な河川改修を行い、橋を架け替えているわけです。
「新宿(あらじゅく)橋」。
広い「駅北口通り」。
桜がデザインされています。
上流方向。
続いて、
「桜橋」。
元荒川の桜並木の中心部に架かる橋。橋の上は広く、イベント広場。四阿があります。
親柱。
流れに沿って、遊歩道。
「佐賀橋」。
大正末期まで、この付近には忍馬車鉄道(吹上~行田)が運行していて、元荒川には忍馬車鉄道の佐賀橋(木製の桁橋)が架けられていた。現在の橋はRC桁橋(2主桁のT形はり)である。
1901年(明治34年)6月に日本鉄道吹上停車場から行田を経て長野村に至る馬車鉄道が開業した。創業時は忍馬車鉄道。発起人は忍町(行田市)の橋本甚五郎ら15名で北埼玉郡忍町行田(行田市)の青縞卸商や足袋製造業者が中心となって設立した。
1905年(明治38年)5月、忍馬車鉄道の経営陣は新たに行田馬車鉄道を設立し前会社の事業を引き継いで経営したが、1922年(大正11年)に北武鉄道(後の秩父鉄道秩父本線)の開通によって会社に大きな影響を受けた。「大正11年度下半期第36期営業報告書」によると客車収入5,860円に対して自動車収入が11,839円と大きく上回り、1922年(大正11年)12月には行田 - 鴻巣間に乗合自動車の営業を開始し[2]、1923年(大正12年)馬車鉄道を廃止して乗合自動車専業となり社名を行田自動車と改めた[。行田自動車は1943年、東武鉄道傘下の東武自動車に合併されている。
※「八王子千人同心街道」を八王子から佐野まで歩いたときは、この佐賀橋を渡りました。
「日光千人同心街道」。
すぐ先に「新佐賀橋」。
上流方向。
元荒川では珍しい、アーチ型です。欄干には桜をあしらった装飾が施されていて、昭和8年に竣工された当時としてはとてもモダンなデザインでした。また、川とのふれあいの場としてランドマークにもなっている貴重な土木遺産であることが評価されて、平成24年11月18日に公益社団法人土木学会選奨土木遺産に認定されました。(「」より)
「吹上橋」。
今回はここまで。吹上駅に向かいます。
吹上本町。中山道の標石が右手に。
「間(あい)の宿 吹上」。
旧中山道。荒川土手に向かう道。
楓(ふう・かえで)。
モザイク画。
この壁と床のモザイク画は、吹上地域の豊かな自然である荒川、元荒川、桜、コスモス、伝統芸能のささら獅子舞をモチーフにしています。色鮮やかで、種類豊富なモザイクの材料は、石、レンガ、陶器、瓦等の建設廃材を再利用したものです。製作は、千葉県の障がい者支援施設の方々を中心に鴻巣市内にある心身障がい者作業所(吹上太陽の家、あしたば第一作業所、あしたば第二作業所、川里ポプラ館)の皆さんにも協力していただきました。
高崎線「吹上駅」。
特色ある橋巡りになりました。次回で、源流まで行くことができるでしょう。
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