唐梅。
旧暦では、一年のはじまりは立春からと考えられていました。
「二十四節気」も「立春」から始まります。そのため、節分や八十八夜など、季節の節目の行事は立春を起点として定められています。
立春の今日。東京地方は、朝方の冷たい雨も止みましたが、すっきりしないお天気。日本海側は大雪。東京も、明日は大雪の可能性もある、とか。
しかし、梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の兆しがところどころで見られます。
※今年。暖冬の影響で桜や梅、桃などが既に咲いた地域もあります。
「七十二侯」では、
・初侯 2月4日〜2月8日頃 東風解凍 はるかぜこおりをとく
暖かい春の風が、冬の間張りつめていた氷を解かし始める頃。
春先に東から吹いてくる風を「東風」といいます。東風は「こち」とも読みます。
「東風」というと、「天神様」として祀られる、菅原道真の歌。道真が太宰府に左遷されたとき、邸の梅の花に別れを惜しんで詠んだと伝わっています。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(『大鏡』)
その後、道真が亡くなった後、都(京都)では次々と不幸な出来事が起こり始める。疫病が流行ったり、清涼殿に雷が落ちたり、道真の左遷に関わったとされる者たちが次々と亡くなった。当時の人々は「これは道真公の祟りだ」「道真公の怨霊だ」と考えるようになり、畏怖の対象とされるように。
そこで、「菅原道真公の怒りを鎮めるためにお祀りしよう」ということになり、雷を落としたことから「雷神」、「天神」と信じられるようになった。
道真が亡くなった場所にお墓をつくり、そのお墓を祀っているのが現在の太宰府天満宮(福岡)。左遷されたまま都に戻れなかった道真を鎮魂するという意味で祀っているのが北野天満宮(京都)。
時が経ち、人々の記憶から道真の祟りや怨霊のイメージが薄れる一方で、道真は京都で高名な学者だったことも知られており、左遷後も自分の運命を受け入れて勤めに集中したといわれている。山の頂上に登って7日間篭りながら、自分を陥れた者たちへの恨みではなく「世の幸せと自分の無実を訴えるために祈り続けた」というエピソードも広まる。
そのため「恐ろしい祟りの神」から、少し少しずつ「学問の神」としての信仰へと変わっていった。
(この項、「・なぜ菅原道真公は学問の神様に。亀戸天神社の禰宜(ねぎ)である大鳥居さんにお話をお聞きすることができました」参照)
春一番は、その年の立春から春分(今年は3月20日)までの間の最初に吹く、強い南風です。風を生ぬるく感じるほど、気温が上昇するのも、春一番の特徴です。
つくしの子がはずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか
風が吹いて暖かさを 運んで来ました
どこかの子が隣りの子を 迎えに来ました
もうすぐ春ですね 彼を誘ってみませんか
泣いてばかりいたって 幸福(しあわせ)は来ないから
重いコート脱いで 出かけませんか
もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか
「ホーホケキョ」と、ウグイスが馴染みのある美しい鳴き声で、春の到来を告げる頃。ウグイスには「春告鳥」という異名があります。その年初めて鳴くことを「初音(はつね)」といいます。
『源氏物語』初音の巻に明石の君から姫君に寄せた歌があります。
年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ
長い年月、姫君の成長を待ち続けている私に、今日はせめて鶯の初音を聞かせてください(お便りを下さい)。
※その年に初めて聞く「夏告鳥」=ホトトギスの鳴き声は、「忍音(しのびね)」。
江戸時代には、鳴き声から「法、法華経」と聞きなされ、「経読鳥(きょうよみどり)」という異名もつけられました。
: 我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ
これらの歌は「梅にウグイスが来る」という内容というふうにとらえられますが、実は、ウグイスは鳴き声は聞こえるが、姿を見せることはほとんどない鳥です。
実際、梅の花の蜜に寄ってくるのは、メジロです。「向島百花園」でたくさん梅の花にとまっているのを見たことがあります。2019年2月。
鶯色をした小鳥がたくさん集まっています。メジロ。
(写真は「Wikipedia」より借用)
鶯は、ふみなどにもめでたきものにつくり、聲よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしき程よりは、九重のうちになかぬぞいとわろき。人の「さなんある」といひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて、ききしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹ちかき紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし。まかでてきけば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞなく。よるなかぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせん。夏・秋の末まで老いごゑに鳴きて、「むしくひ」など、ようもあらぬ者は、名を付けかへていふぞ、くちをしくくすしき心地する。それもただ、雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にもつくるなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。
(『枕草子』「鳥は」より)
あらたまの 年たちかへる 朝より 待たるるものは 鶯の声 素性法師
※去年初春、都県境歩きをしている時、川崎市麻生区でウグイスの姿を発見、鳴き声を聞きました。
電線上のウグイス。
昔、ニシンは春になると産卵のため大量に浜へ押し寄せることから、“春告魚”と呼ばれていました。その姿が消えてからおよそ半世紀が経ちましたが、ここ何年か「ニシンふたたび!」、「資源の復活か?!」といった文字や言葉を見聞きするようになってきました。
しかし、近年の漁獲の盛期は冬で、春になるとニシンは姿を消してしまいます。なぜ、“春告魚”が“春去魚”となったのでしょうか?
それは、昔のニシンは「北海道サハリン系群」と呼ばれるグループであったのに対して、近年になって獲られるようになったのは「石狩湾系群」というグループであるためです。(系群とは、それぞれ異なった生態を持つグループで、別々に増減します)
つまり、この2つのグループは、産卵のために沿岸へ来遊する時期が異なるのです。
4~5月に沿岸にやってくる北海道サハリン系群は、回遊の範囲がとても広く、その分大きな資源になることが出来ます。
これに対して、2~3月に沿岸にやってくる石狩湾系群は、回遊の範囲が宗谷湾から岩内湾に限られているため、それほど増えることができません。近年の漁獲量は2千トン前後ですから、残念なことに、今回の“復活”では、昔ほどの大豊漁(最高で97万トン)となることは難しいようです。
(この項、「道総研」HPより)
・末侯 2月14日〜2月18日頃 魚上氷 うおこおりをいずる
春の暖かさで湖や川の氷が割れ、氷下で泳いでいた魚が氷の上に跳ね上がる頃。
雪解というと、小林一茶の句が。
雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)
50歳で永住を覚悟し、故郷・信濃国柏原(現在の長野県信濃町)に帰ってきた時の句。
長野県大町市から安曇野一帯の早春の情景をうたった歌とされ、旧制長野県立大町中学(長野県大町高等学校の前身)の校歌の制作のために訪れた吉丸が、大町、安曇野の寒さ、そして春の暖かさを歌った歌です。
題名の「賦」とは漢詩を歌うこと、また、作ることをいいます。
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
作詞の吉丸一昌は、東京府立第三中学校(現両国中高校)教諭(当時の教え子の中には芥川龍之介もいた)の経験もありました。その関係で、今も歌い継がれている「東京府立第三中学校・両国高校」の校歌(石原重雄作曲)を作詞しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます