今回は、相模線・横浜線の旅。上野~茅ヶ崎~(相模線)橋本~(横浜線)八王子~上野。
ローカル線といっては申し訳ない。
今まで乗った関東エリアのローカル線とは趣を異にし、市民の足として活躍、駅ごとの乗降客も多く、けっこうな混み具合でした。
附:上野駅で見かけた回送列車。
停車中の電車。
孫(小1)に写真を見せると、上の列車はお召し列車、下は「特急ときわ」、と。「ときわ」は常磐線特急の最新型のようです。
さて、茅ヶ崎までの東海道線。横浜まではけっこう混んでいます。
茅ヶ崎で待ち時間もなく、乗り換えます。開閉がドアボタン式でちょっと慌てました。
相模線
神奈川県中央部を縦貫して東海道線と中央線を連絡することと、相模川で採取した砂利の輸送を目的として建設された路線。相模鉄道(法人格としては現在の相鉄ホールディングス)によって建設され、1931年(昭和6年)に橋本駅までの全区間が開業した。しかし太平洋戦争中の1944年(昭和19年)6月に、茅ケ崎駅 - 橋本駅間と、相模海軍工廠とつながっている支線の寒川駅 - 四之宮駅間が戦時買収私鉄として国有化された。
相模線の沿線人口は少なく、さらに相模川の砂利採掘が禁止された1960年頃には貨物輸送も激減し、関東地方の国鉄線の中では第3位の赤字路線であった。にもかかわらず、近隣の座間市にあった日産自動車座間工場で生産された自動車を輸送する路線として、またベッドタウンの足として位置付けられ、国の資本が投下され続けた。
国鉄分割民営化でJR東日本の路線となり、1991年(平成3年)には全線が電化され、電化によるスピードアップ、およびダイヤ改正による運行本数の増加(約1.5倍)、海老名駅の開業(1日乗車人数9千人前後)、横浜線への直通運転の復活などで利便性向上が図られ、また京王相模原線の橋本駅乗り入れや沿線のベッドタウン化など周辺環境の変化もあって通勤通学での利用客が増加し、現在は通勤・通学路線として定着している。(「Wikipedia」参照)
車内は親子連れなどで混み混み。写真を撮るゆとりもなく、座席に座ったまま。
右側の車窓より。
相模線の西側は丹沢の山並みと田畑が続きますが、東側はほとんど住宅地です。
ということで、終点の「橋本駅」に。
神奈川県相模原市緑区橋本六丁目および同二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・京王電鉄の駅。
当駅及び当駅周辺は相模原市(旧市街地)北部の交通・商業の拠点地域としての役割を持つ。
JR東海によるリニア中央新幹線の駅が「神奈川県駅(仮称)」として併設される予定である。
・・・
新駅建設地は、県立相原高校の跡地。駅は地下3階構造となっている。地下約30メートルに、幅最大50メートルの空間をつくって設置される計画で、長さは680メートルほどとなる予定だ。
リニアが運行する区間は品川〜名古屋間で、最速運行時間は約40分を予定している。神奈川県の他にも、山梨県、長野県、岐阜県に新駅が建設される予定だ。
神奈川県駅(仮称)~品川駅間は10分程度となる予定で、現在の所要時間から大幅に短縮される見込みだ。
橋本駅周辺がリニアの停車駅候補地に選ばれた理由は、橋本駅が交通の結節点であり、交通利便性に優れていることが大きい。品川駅、山梨県駅(仮称)の位置関係から見ても、新駅は神奈川県北部に作るのが妥当という見方もあった。
これまでの再開発の進捗もふまえ、橋本駅周辺に新駅が建設されることが決定した。
(この項、「楽待 不動産投資新聞」HPより。写真を含む。)
リニア工事中の駅前。大がかりな工事が進行中。
長い人の列は工場へ向かうバス待ちの外国人労働者たち。
橋本駅に戻り、今度は、「横浜線」で八王子駅まで。
横浜線
東京地区の電車特定区間(E電)の路線のひとつであり、横浜市から町田市および相模原市を経由し、八王子市に至る首都圏の郊外を結ぶ全長42.6 kmの路線である。「横浜線」という路線名称ではあるが、起点は東神奈川駅であり、京浜東北線・根岸線に直通する列車を除いて横浜駅には至らない(ただし路線の約4割が横浜市内にある)。
横浜線は横浜市の北部から同市中心部へのアクセス路線として機能しており、また東京都心から放射線状に伸びる多数の鉄道路線と結節点を持つことから、2008年3月31日に発表されたJR東日本の「グループ経営ビジョン2020-挑む-」では、南武線や武蔵野線、京葉線ととともにいわゆる環状路線として東京メガループに指定されている。郊外路線でありながらJRの前身である国鉄時代から数少ない黒字路線であった。(「Wikipedia」より)
車窓より。
八王子駅に近づきます。
このあいだ、八高線でやってきました。「八王子」からは中央線で戻ります。
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