子どもの頃、常磐線の亀有から綾瀬の間の南側、「大曲」という地名を聞いたことがありました。常磐線には、まだ蒸気機関車が走っている頃でした。
家からはかなり距離がありましたが、時々、慣れない大人用の自転車に乗って、蒸気機関車を見に行ったものです。
たしか土手があってその上に線路があり・・・。線路は直線なのに、どうして「大曲(おおまがり)」というのか不思議でした。
その道こそ、旧水戸街道の一部ではないかということを聞いたことがありましたが、今一つはっきりしませんでした。
それがありがたいことに、昭和22年の航空写真(goo)がインターネットで配信されたました。さっそく綾瀬付近を見てみると、たしかに一本の道が続いています。
辺り一面、民家も少なく、田んぼだらけの中、そして、縦横に用水路がある中、荒川(放水路)・綾瀬川の方からからくっきりと白く続いている道があるのです。その道は、東に進み、葛飾区の新宿の方に向かっています。
その道筋。大きく北に曲がり東に折れる箇所がありました。常磐線に接するところでは、幾分削れたようになっていますが、顕著な道筋です。ここが、「大曲」だな、と感じました。この辺で、汽車を見たことも思い出しました。勿論、今となっては記憶も曖昧になっていますので、確信があるわけではありませんが。
写真は、多分ここだろうと思う地点です。ここから道は右(すなわち東)に大きく曲がっていきます。
ちょっと南側の青戸辺りの方でも、今もこのあたりを「大曲」と呼んでいるようです。
家からはかなり距離がありましたが、時々、慣れない大人用の自転車に乗って、蒸気機関車を見に行ったものです。
たしか土手があってその上に線路があり・・・。線路は直線なのに、どうして「大曲(おおまがり)」というのか不思議でした。
その道こそ、旧水戸街道の一部ではないかということを聞いたことがありましたが、今一つはっきりしませんでした。
それがありがたいことに、昭和22年の航空写真(goo)がインターネットで配信されたました。さっそく綾瀬付近を見てみると、たしかに一本の道が続いています。
辺り一面、民家も少なく、田んぼだらけの中、そして、縦横に用水路がある中、荒川(放水路)・綾瀬川の方からからくっきりと白く続いている道があるのです。その道は、東に進み、葛飾区の新宿の方に向かっています。
その道筋。大きく北に曲がり東に折れる箇所がありました。常磐線に接するところでは、幾分削れたようになっていますが、顕著な道筋です。ここが、「大曲」だな、と感じました。この辺で、汽車を見たことも思い出しました。勿論、今となっては記憶も曖昧になっていますので、確信があるわけではありませんが。
写真は、多分ここだろうと思う地点です。ここから道は右(すなわち東)に大きく曲がっていきます。
ちょっと南側の青戸辺りの方でも、今もこのあたりを「大曲」と呼んでいるようです。
いろいろ調べてみると古隅田川(かつての荒川の本流)沿いの道として江戸期初期から地図にはあるようで、数少ない古道の1つなのかもしれません。
その場合には、本丸(城郭)はどこにあったかがまた興味深いことですが。