おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「横浜市営地下鉄・仲町台駅」~「相鉄線・三ツ境駅」。その5。都岡(つおか)辻。帷子川・「御殿橋」。階段を上がる旧道。矢指(やさし)一里塚跡。矢指市民の森。(「中原街道」をゆく。第4日目。)

2025-02-10 20:18:15 | 中原街道

やっと下り坂に。

 「都岡(つおか)辻」バス停。

?? 「米国車両保管施設」。

           ホットロッダーかアメ車好き以外立入禁止。アメ車が展示されています。

その手前には「水道道プロムナード 帷子(かたびら)川ルート」。

「帷子川」に架かる「御殿橋」。

旧中原街道の一部である『御殿橋』は、東海道の裏街道にかかる橋として、歴史的な価値を持ったものである。道は虎ノ門に通じ、古くは、徳川家康が江戸入場のとき(天正18年=1590年)に、この橋を通行したといわれています。
 家康は、その後この橋を改修し、鷹狩りや民情視察などでよく利用したとのこと。
 また、江戸時代初期(慶長18年=1613年)に家康が相州高座郡の中原御殿(平塚市)へ行く途中、この付近でお茶をたてたので、このあたりを「御殿丸」という字がついたという。橋の名称も徳川家康にちなんでつけられたものである。

「帷子川」。

安藤広重「帷子橋と帷子川」。

帷子川は旭区若葉台に源を発しています。中堀川、今井川などの支流を合わせ、相鉄線に沿って流れます。横浜駅西口付近で石崎川、新田間川、派新田間川に分派し、横浜港に注いでいます。昭和33年、台風22号(狩野川台風)が流域に大災害をもたらしました。これを契機に本格的な河川改修工事が始められました。横浜市の事業区間は、中堀川合流点より上流の6.17kmです。
 現在、帷子川は年超過確率1/6.3の規模の降雨に対応できるよう河川改修を実施中で、下川井町周辺まで改修が完了しています。また、河川敷空間(中堀川合流点~鶴舞橋、延長600m)を有効に利用し、地形や自然、水の流れなどの渓谷風景が生かされた親水公園を整備しました。工事は昭和58年度に着手され、昭和63年度に完成しました。この親水公園は市民の皆さんが、水辺に親しめるよう「水と緑と歴史のプロムナード事業」の一環として整備しました。(「横浜市」HPより)

※現在の横浜市保土ケ谷区天王町一帯は片方が山で、片方が田畑であったため、かつては「かたひら」と呼ばれていた。その地を流れていたので「かたびらかわ」と呼ぶようになったともされているが、名称の由来については諸説ある。

※「帷子」=帷子は裏地のない1枚の着物のこと。装束をつけるときに汗取り(下着)として着たり、夏に身につける着物として用いられた。

「保土ヶ谷バイパス」が見えてきます。

くぐると、左手に急な階段が。

「平塚の中原から江戸の虎ノ門に通じる旧街道 1590年家康が江戸入城の時に利用した。」と記されてある。

急な階段で、当方、疲れ気味なので、少し回り道をして旧道に入ります。

旧道は階段を上ったあと、この地点まで上がってきます。

旧道に復帰。

右手に「一里塚跡(矢指(やさし)の一里塚)」碑。

旧中原街道の一里塚があったところです。中山の宮下(現緑区中山町)へ一里、桜株(現大和市上和田)へ一里です。

左手、眼下を望む。

旧道は丘陵の端を進んでいく。この辺りの標高は、80m程。この付近もけっこう起伏があるところのようです。

展望台にある案内図。

「史跡 岩船不動尊」。

先に進みます。カーブの様子など、旧道らしい道筋。横浜市のマンホール。

「矢指市民の森」まで来ましたが、たまたま休憩中のタクシー運転手に声をかけたら、OKしてくれたので、「三ツ境駅」までタクシーで。

まだまだ先はあったのですが、今回はここまで。

         ↓が旧道。                           (「今昔マップ」より)

「三ツ境駅」。

        遠く西の方に丹沢山塊が見えます。一番左が「大山」?


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