リハビリ通院も今は週1回。だんだん動くようになってくるのが、我が身にひしひしと感じます。
さて、中原街道の旅の報告も6回目。次回で一段落の予定。
緩やかな上り坂。
左手は畑や森。
「第三京浜」のトンネルを抜けます。
トンネルの左手奥に「鎌田堂」。
「横浜市仕切弁」。
上部に横浜市水道局の噴水のマーク。市章と水の字をデザインした仕切り弁の蓋。
右手に旧道が続きます。
(現在)弓状の道が旧道。
(1880年代)「旧道」が顕著に。街道沿いに家並み。
新道の交差点。「のちめ谷戸」。この付近は、丘陵地帯になっている。
※谷戸
丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。谷(や、やと)・谷津(やつ)・谷地、萢(やち)・谷那(やな)などとも呼ばれ、多摩丘陵、三浦丘陵、狭山丘陵、房総丘陵、武蔵野台地、下総台地といった関東の丘陵地・台地の縁辺部が、長い時間をかけて浸食され形成された谷状の地形。
旧道を進みます。来た道を振り返る。
旧家? 立派な長い塀。
「のちめ不動尊」。
この不動尊は今から約130年前の文久2年 (1864)、のちめの住人が八王子からお不動様を背負ってこの地に祀り、七世代にわたり地域の守り神として護持されて来ました。昔は山の上に鎮座されていましたが、天災の為現在の場所に安置さ れました。この間数回の改築補修がなされましたが、平成元年暮れに二〆・城山講中全員の発意により再建することになりました。
※「のちめ」=「二〆」。
新道に合流。
「宮の下」バス停。
右手に「山田(やまた)神社」。※山田は「やまだ」ではなく、「やまた」。
横浜市のマンホール。
デザインはベイブリッジ。4羽の鳥・「ユリカモメ」? 「YOKOHAMA」の文字と、「OSUI」の文字。
農家の軒先に「新鮮野菜直売」。
キャベツが400円と表示されていたので、買って帰ろうか、と。大きな丸ごとなので、諦めました。
「中川中学校」グランド脇に「馬頭観音」。塔婆が供えられている。
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