海岸沿いを走る「気仙沼線」。リアス式海岸に沿って、風光明媚で、漁港や海水浴場など見所満載だった路線。
かつての気仙沼線。
東日本大震災で、線路や駅、鉄橋などが崩壊し、全線が不通となった。特に、大津波で多くの駅が流失、津谷川橋(気仙沼市本吉町:陸前小泉 - 本吉間)が落橋、各所で路盤・築堤が流失(消失)するなど、沿岸部を通る陸前戸倉 - 南気仙沼間は壊滅してしまった。復旧には自治体の復興計画による路線の変更も想定できるため、全く見通しがつかない状態に。
そこで、2012(平成24)年5月21日より、年内のバスによる輸送開始を目指し、線路を撤去して舗装してバスが通れるようにし、また並行して走る一般道路も活用する仮復旧計画が実現。こうして、不通区間のBRT(Bus Rapid Transit・バス高速輸送システム)による運行が始まった。同年8月20日よりバス代行運転扱いとして運行を開始。BRT用の車両はJR東日本が用意し、「ミヤコ―バス」に運行を委託していたが、12月22日より、JR東日本がバス事業者となりBRTの本格運行を開始した(実際は、引き続きミヤコ―バスが行っている)。
バス。
「陸前階上」駅(バス路線)。
プラットホームはそのまま(「YouTube」より)。
この区間は、線路を撤去して舗装道路に。
橋桁や柱が崩壊し、すでに線路は撤去されている。本吉町下宿付近。
震災直後のようす。(「写真集」より)
気仙沼線。二度と見ることが出来ない鉄橋を走る気動車。
すっかり線路のなくなった築堤。(「陸前小泉」駅付近?
橋脚のみ残っている。
左奥が海。
中央奥にトンネル。
現在の鉄橋のようす。
遠く、小さな入り江(清水浜付近)に架けられた鉄橋も半分以上が崩壊。手前右は自動車の残骸の山、山。長浜街道内井田付近。
逃げ遅れ車の中に閉じ込められたまま、亡くなった方も多かったという。
南三陸町・防災対策庁舎。
すっかり何もなくなった街並みに残されている。このあたりの地名として、「塩入」「塩見」がある。もともと津波が襲いやすい地域。そのための庁舎でもあったのだが。
多くの方々が犠牲になった。献花台が置かれ、訪れる人も多い。本吉街道沿い。
すぐ脇にあった倒れたままの電柱。雑草が生い茂り、2年という年月を感じる。大震災前、周囲にはたくさんの家々が立ち並んでいた。
JR・古川駅構内。
色とりどり。
かつての気仙沼線。
東日本大震災で、線路や駅、鉄橋などが崩壊し、全線が不通となった。特に、大津波で多くの駅が流失、津谷川橋(気仙沼市本吉町:陸前小泉 - 本吉間)が落橋、各所で路盤・築堤が流失(消失)するなど、沿岸部を通る陸前戸倉 - 南気仙沼間は壊滅してしまった。復旧には自治体の復興計画による路線の変更も想定できるため、全く見通しがつかない状態に。
そこで、2012(平成24)年5月21日より、年内のバスによる輸送開始を目指し、線路を撤去して舗装してバスが通れるようにし、また並行して走る一般道路も活用する仮復旧計画が実現。こうして、不通区間のBRT(Bus Rapid Transit・バス高速輸送システム)による運行が始まった。同年8月20日よりバス代行運転扱いとして運行を開始。BRT用の車両はJR東日本が用意し、「ミヤコ―バス」に運行を委託していたが、12月22日より、JR東日本がバス事業者となりBRTの本格運行を開始した(実際は、引き続きミヤコ―バスが行っている)。
バス。
「陸前階上」駅(バス路線)。
プラットホームはそのまま(「YouTube」より)。
この区間は、線路を撤去して舗装道路に。
橋桁や柱が崩壊し、すでに線路は撤去されている。本吉町下宿付近。
震災直後のようす。(「写真集」より)
気仙沼線。二度と見ることが出来ない鉄橋を走る気動車。
すっかり線路のなくなった築堤。(「陸前小泉」駅付近?
橋脚のみ残っている。
左奥が海。
中央奥にトンネル。
現在の鉄橋のようす。
遠く、小さな入り江(清水浜付近)に架けられた鉄橋も半分以上が崩壊。手前右は自動車の残骸の山、山。長浜街道内井田付近。
逃げ遅れ車の中に閉じ込められたまま、亡くなった方も多かったという。
南三陸町・防災対策庁舎。
すっかり何もなくなった街並みに残されている。このあたりの地名として、「塩入」「塩見」がある。もともと津波が襲いやすい地域。そのための庁舎でもあったのだが。
多くの方々が犠牲になった。献花台が置かれ、訪れる人も多い。本吉街道沿い。
すぐ脇にあった倒れたままの電柱。雑草が生い茂り、2年という年月を感じる。大震災前、周囲にはたくさんの家々が立ち並んでいた。
JR・古川駅構内。
色とりどり。
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