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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

西武池袋線・「上り屋敷(あがりやしき)」駅跡。「欅」。「自由学園明日館」。・・・

2013-06-05 19:12:29 | 鉄道遺跡
 今回は、西武線池袋線・「上り屋敷」駅跡付近の探訪。
 「上り屋敷(あがりやしき」駅は、1953(昭和28)年まで存在した駅。池袋を出て、JR線路を越えるための高架線を終えてしばらく進んだところにありました。
 西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が1929(昭和4)年、池袋駅 - 椎名町駅間に駅を設置。駅名としてこの一帯の地名「上り屋敷」が採用されました。第二次世界大戦中の1945年(昭和20)年、戦況悪化を理由に営業が中止され、終戦後も再開されることはなく、結局、1953年(昭和28)年に正式廃止されました。今でも駅のプラットホームの痕跡は残っています。
 今の「西池袋」は、その昔の住所表記は雑司ヶ谷(大字)であり上屋敷(小字)でした。しかし、「上屋敷」(上がり屋敷)といういわれは定かではないようです(「かみやしき」ならそういう大名屋敷みたいな名付けだが、ここらあたりにはそういう大きな屋敷はなさそう。徳川様の屋敷のこと? まして、「あがり」という言い方は・・・)。
「上り屋敷」という名称は、北側にある公園と町会の名に残っていました。
 JR山手線・目白駅の改札口を出て「目白通り」を西に向かって2つ目の信号を渡って右の細い道に入ってしばらく進むと、住宅街の先に西武池袋線の踏切が見えてきます。ここから一つ西側にある踏切との間に上下線のプラットホームと駅舎がありました。
 よく見ると、上りも下りも線路の用地が沿線のほかの場所よりも少し高く盛り土され、広くなっています。西武新宿線・「西鷺宮」駅の遺構とよく似ています。
まだ駅がない頃。(線路の北側に「雑司谷旭出」と記されている。雑司ヶ谷地域は現在の山手線をはさんで大きく広がっていた。) 
駅名が記されている。のところ。
すでに駅はなくなっている。の部分。西方の駅は「椎名町」駅。 

「目白庭園」の北側。閉園時間だったので中に入れず。この道の少し北側に駅がありました。
奥に見えるのが、上り線のホーム跡。少し盛りあがっています。上り線の手前側に駅舎がありました。
下り線ホーム跡。
草で覆われています。
駅舎跡は、「サンクス」の店になっていました。
上り線ホーム跡。
民家に接するようにホームがありました。

写真を撮りおえて、今度は池袋駅方向へ。
東側(池袋駅側)の踏切への道。
家と家との間に巨大な古木が。
この欅の全貌。すごい! 近所には、この欅を名に取り入れたマンションがあるそうです。
「自由学園」明日館講堂。
講堂正面玄関。
「明日館」。国の重要文化財に指定されています。

 自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。
 明日館建設にあたり羽仁夫妻にライトを推薦したのは遠藤新。帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤は、友人でもある羽仁夫妻をライトに引きあわせました。夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。
 空間を連続させて一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けとの見方もあります。木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を厳密なシンメトリーに配しており、ライトの第一期黄金時代の作風にみられる、高さを抑えた、地を這うような佇まいを特徴としています。プレイリースタイル(草原様式)と呼ばれるそれは、彼の出身地・ウィスコンシンの大草原から着想を得たもので、池袋の界隈に開放的な空間を演出しています。道路を隔てた南西には、300人収容できる遠藤新設計の講堂がならび、重要文化財・自由学園明日館は構成されています。
 1934年(昭和9)に自由学園が南沢(東久留米市)に移転してからは、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきました。その後、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、1997年(平成9)5月、国の重要文化財指定を受けました。関東大震災や第二次世界大戦の空襲からも免れた明日館でしたが、80年の歳月のなかで老朽化が顕著になったため、1999年(平成11)3月から2001年(平成13)9月まで保存修理工事が行われ、同年11月に再開業いたしました。(自由学園明日館」HPより)

 「自由学園」は、独特の教育方針に基づく学校として有名。学生の多くが学園内の寮で生活し、キャンパスの維持管理はとくに危険な仕事を除きすべて生徒の手によって行われています。これは毎日の生活を生徒自身が責任を持って行うという「自労自治」の精神に基づいています。文部科学省の学習指導要領にとらわれない独自の教育方法で知られ、たとえば学生による稲作(田植え・収穫)、女子部生徒が学園内農場で野菜を育てる農芸、男子部生徒による酪農(豚・牛を育てる)など、それによって得た給食調理も生徒自身が行っています。
 このような教育理念・方針に賛同する保護者・学生・卒業生(友の会)によって根強く支えられてるようです。

JR山手線との交差橋。

 何年か前に、西武新宿線の「西鷺宮駅(にしさぎのみやえき)」(表記は、「西鷺ノ宮駅」?)跡を訪ねました。その記録を改めて。

・・・ 車窓から見える両脇の盛り土に当時のプラットホームの遺構を見ることができます。また、上り線の駅舎があったところは、その一部が西武鉄道の変電所の建物になっています。・・・
 写真は、下井草駅側から見たもの。左が上り、右が下り線。両側にホームがあった。
下り線のホーム跡。
上り線のホーム跡。東側の奥(かつての駅舎のあたり)には、現在、変電所がある。
変電所側から見たもの。下り線電車が通過中。
変電所。このあたりに改札口(橋上の駅舎だった)に向かう階段があったはず。通学生は、この道を右(北)に学校に向かった。・・・



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