「語られたことよりも、語られなかったことの方が重要である」
というのは、ある作家の言葉だったと思う。
典型的な「信頼できない語り手」が主人公のカズオ・イシグロの小説「日の名残り」を読むと、一層その感を強くする。例えば、主人公のスティーブンスは、自分がかつて仕えていた主人の名前を隠そうとしたり、主人が反ユダヤ主義者であったことも否定しようとするのだが、実に不自然である。要するに、主人は、イギリスでは対独協力者として歴史的評価が固まってしまい、国民から蔑視される存在なのである。だからスティーブンスは主人の名が出るとこうした行動に走るのである。また、ユダヤ人のメイドを解雇した際の追想は、あたかも自分が解雇されたメイドらに対して同情的であったかのようなトーンで語られる。これもどうやら嘘くさい。
「日の名残り」は、敗者の立場で語られる歴史によく似ている(パロディというべきか。)。「語られぬこと」を見逃すと、とんでもない誤解に陥ることになる。
というのは、ある作家の言葉だったと思う。
典型的な「信頼できない語り手」が主人公のカズオ・イシグロの小説「日の名残り」を読むと、一層その感を強くする。例えば、主人公のスティーブンスは、自分がかつて仕えていた主人の名前を隠そうとしたり、主人が反ユダヤ主義者であったことも否定しようとするのだが、実に不自然である。要するに、主人は、イギリスでは対独協力者として歴史的評価が固まってしまい、国民から蔑視される存在なのである。だからスティーブンスは主人の名が出るとこうした行動に走るのである。また、ユダヤ人のメイドを解雇した際の追想は、あたかも自分が解雇されたメイドらに対して同情的であったかのようなトーンで語られる。これもどうやら嘘くさい。
「日の名残り」は、敗者の立場で語られる歴史によく似ている(パロディというべきか。)。「語られぬこと」を見逃すと、とんでもない誤解に陥ることになる。