例えば、「ツァラトゥストラ」の「読むことと書くこと」の次のくだり。
”Es ist wahr: wir lieben das Leben, nicht, weil wir an's Leben, sondern weil wir an's Lieben gewohnt sind.”
① 手塚富雄「まことに、われわれが生きることを愛するのは、生きることに慣れているからではない。愛することに慣れているからだ。」
② 吉沢伝三郎「われわれが生を愛するのは、われわれが生に慣れているからではなくて、愛することに慣れているからだというのは、本当にそうだ。」
どちらもドイツ文学の大家による名訳だが、原文のダジャレを伝えきれていない。
ニーチェは、Lieben(愛すること)とLeben(生きること)を掛けているのだ。
だから、訳すとすれば、例えば、「われわれが生きること(レーベン)を愛するのは、それに慣れているからではなく、愛すること(リーベン)に慣れているからだ」という風にしなければいけないと思う。
”Es ist wahr: wir lieben das Leben, nicht, weil wir an's Leben, sondern weil wir an's Lieben gewohnt sind.”
① 手塚富雄「まことに、われわれが生きることを愛するのは、生きることに慣れているからではない。愛することに慣れているからだ。」
② 吉沢伝三郎「われわれが生を愛するのは、われわれが生に慣れているからではなくて、愛することに慣れているからだというのは、本当にそうだ。」
どちらもドイツ文学の大家による名訳だが、原文のダジャレを伝えきれていない。
ニーチェは、Lieben(愛すること)とLeben(生きること)を掛けているのだ。
だから、訳すとすれば、例えば、「われわれが生きること(レーベン)を愛するのは、それに慣れているからではなく、愛すること(リーベン)に慣れているからだ」という風にしなければいけないと思う。