Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

パクリ疑惑(4)

2023年07月02日 06時30分00秒 | Weblog
 「最終的にヴェルディが選択した題材は、『椿の花の貴婦人』であった。最初の台本提出期限の七月末から遅れること約三カ月弱、まだ検閲の最終承認を得てはいなかったが、ようやくフェニーチェ劇場のための題材を決定したヴェルディは、初演が迫る≪イル・トロヴァトーレ≫の作曲と並行して、引き続きこの『椿の花の貴婦人』の台本化と、その本格的な作曲に向けた音楽構成の組み立てやスケッチを書き進めていくのであった。・・・
 『椿の花の貴婦人』のオペラ化にあたって、ヴェルディ達はオペラの題名を≪愛と死≫とした。その新たに付けた題名が示す通り、愛と死をその本質的なテーマとするオペラを作り上げることにしたのである。
 一度火が付いたヴェルディは、検閲の許可を得るための僅かな時間さえも待ちきれず、今度はベルディが催促する側に立った。ヴェルディに促されたピアーヴェは十月二十九日、提出したばかりの≪愛と死≫の許可を催促する手紙をサンターガタからブレンナに送った。」(p78~79)
 (ヴェルディの手紙)「1853年1月1日 ローマ
 ヴェネツィアのために取り組んでいる『椿の花の貴婦人』は、恐らく≪トラヴィアータ≫というタイトルになるでしょう。現代の物語です。・・・」(p98)

 ヴェルディたちが「椿姫」に付けたもともとの題名は「ラ・トラヴィアータ」(道を誤った女)ではなく、「愛と死」だった。
 上に引用した出来事は1852年のことであり、その時点で既にフランチェスコ・マリア・ピアーヴェは「愛と死」の台本(初稿)を完成させていたことになる。
 何やら「愛の死」(Liebestod)と紛らわしい題名だが、ワーグナーが「トリスタンとイゾルデ」の台本を完成させたのは1857年とされているので、「愛と死」=ピアーヴェとヴェルディの方が「愛の死」=ワーグナーより5年ほど早い。
 ところが、年が明けるや、ヴェルディの気まぐれによって、「愛と死」は「ラ・トラヴィアータ」に題名が変更されることになったのである。
 もし「愛と死」のままだったら、ワーグナーとしては、「愛の死」(初演時は独立した楽曲として演奏された)という題名を付けることが出来ただろうか?
 しかも、ややこしいことに、1859年にワーグナーはヴェネチアで過ごした時期があるので、フェニーチェ劇場 で「ラ・トラヴィアータ」を観ていた可能性が考えられる。
 そして、その内容に合わせて、筋書きを修正した、あるいは曲想を得た、などという可能性も考えられる。
 そうすると、「アイーダ」は「トリスタンとイゾルデ」のパクリであるという「パクリ疑惑」(パクリ疑惑(2))に加えて、「トリスタンとイゾルデ」がそもそも「椿姫」をパクったものではないかという疑惑が生じてくるのである。
 
コメント
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