Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

誰のための司法か

2023年07月15日 06時30分00秒 | Weblog
 
 大阪空港訴訟上告審は、住民側勝訴の判決が下されようとしていたところに、(法務省から要請を受けたと思われる)前最高裁長官の圧力が加わり、事件は大法廷に回付される。
 そして下された判決は、差し止め請求を却下するという、住民側実質敗訴の判決だった。
 この過程が、團藤重光先生のノートに記されていた。
 私が注目したのは、このノートにある「騒音のため列車の接近に気づかず、子供が轢かれて死んだこともあった」という趣旨のメモである。
 つまり、騒音被害で亡くなる人もいたのであり、この点を團藤先生は重視していたのである。
 これに対し、国(法務省・運輸省)側は、国際利用運送事業における「相互主義」、単純化して言うと、「わが国の事業者の便が外国に1便乗り入れをするためには、わが国の空港がその国の便を1便受け容れなければならないという原則」を強調し、要するに「国益」でもって被害を正当化しようとしたようだ。
 これは、極論すると、「9人が生き残るためには、1人が犠牲になってもやむを得ない」という思考である。
 ここで私は、「奔馬」(p175~176)の中に出て来る財界の黒幕:蔵原武介の次のセリフを思い出してしまう。

(蔵原)「いつだって緊縮財政は不人気でして、インフレ政策は人気を呼びます。しかしわれわれだけが無知な国民の究極の幸福を知っており、それを目ざしてやっているのですから、その間、多少の犠牲が生じてもやむをえますまい
(松平子爵)「国民の究極の幸福、って何ですか
蔵原「わかりませんか
わかりませんかね。・・・・・・それはね、・・・・・・通貨の安定ですよ

 「通貨の安定」のためなら”多少の犠牲”が生じてもやむを得ないという思考は、大阪空港訴訟の国(法務省・運輸省)側の主張と共通している。
 しかも、(法務省の意を受けたと見られる)前最高裁長官は、担当小法廷の裁判長に電話を架けて、大法廷に回付するよう圧力をかけた。
 これは、明らかな憲法76条3項(裁判官の職権行使の独立 )違反である。
 何と、この国では、前最高裁長官が、憲法違反の行為をやってしまうのである!
 当然のことながら、これに團藤先生は、「この種の介入は誠にけしからぬ」と憤りをあらわにした。
 この事実を、團藤先生がノートに書きのこしておいてくださったことは、唯一の救いというべきだろう。
 團藤先生、本当にありがとうございました。
コメント
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