職業柄、言葉には敏感なため、歌を聴いているときも歌詞の意味が気になる。
そんな中で、平成時代のヒットソングを振り返ってみて、恐ろしい歌詞が含まれているものを発見した(ネットでも指摘されているようである。)。
代表的なものを2つ挙げてみる。
① 最後の雨(中西保志)
”誰かに盗られるくらいなら 強く抱いて 君を壊したい”
このくだりが示しているのは、まさしく譲渡担保権者、ストーカーやDV加害者の心理であり、これが極限まで進めば犯罪になるだろう(譲渡担保を巡るエトセトラ(9))。
もっとも、昭和の時代には、「骨まで愛して」という被害者側の心理を描いた歌もあるので、この2曲を「共依存ソング」としてセットで論じるべきかもしれない。
② おっとCHIKAN!(おニャン子クラブ)
”無実のその手つかまえて ちょっといじめちゃおう!
女の子の悪だくみよ
この人はCHIKAN!
大きな声で この人はCHIKAN!
みなさん一緒に退治しましょ
ストレス解消(ストレス解消)
ラッキー!”
もはや解説の必要もない、痴漢冤罪を生み出す若い女性の心理を暴いた歌詞である。
「わいせつ事犯において、加害者と被害者との間に面識がない場合、被害者には虚偽を述べる動機がないことから、その供述には高度の信頼性が認められる」と断言する刑事裁判官たちは、この曲を十分分析しておく必要があるかもしれない。
「とりわけ、犯人と被害者との間に事件前にまったくつながりがない場合、よほどの事情(たとえば、被害妄想、虚言癖)がない限り、被害者が犯罪の被害がないのにこれがあったように故意の虚偽供述をして被告人に無実の罪を着せるなどという事態は考えにくい。なぜなら、通常の場合、被害者がそのような事態を作り出す動機も利益もないからである。利益がないどころか現実的に考えてみると、被害者にとっても犯罪の被害を訴え、警察、検察庁で供述をし、法廷で被告人の面前で被害状況を述べるのは実は大きな負担を背負うことになるのである。いわんや性犯罪のような被害者にとっても、できることなら公にしたくない被害を公の場で供述しなければならない場合はそうである。そのような負担を負ってまで、虚偽の被害供述をする者は通常いないと考えるのが、経験則に合致している。」(p477)
こうした刑事裁判官の”経験則”が、「無実のその手をつかまえ」る「女の子の悪だくみ」に、つけいるスキを与えているかもしれないのである。