「本当は怖い平成ヒットソング」と言っておきながら、「おっとCHIKAN!」は1986年、つまり昭和61年リリースの曲であることに気づいた。
なんだか、最近、時間の感覚がおかしくなったようだ。
というわけで、再び平成ヒットソングを振り返ってみると、やはり「怖い曲」がいくつも見つかる。
① ファイト!(中島みゆき、2001年)
"私、本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私、驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ怖くて逃げました 私の敵は 私です"
意味もなく他人を傷つけて喜ぶ人間がいるだけでなく、被害に遭って困っていたり苦しんでいたりする人を見ても「助けもせず叫びもしない」という現代の日本(主に都市部)の状況を鋭く描いた歌詞で、とても他人事とは思えない。
② ロビンソン(スピッツ、1995年)
"誰も触れない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る"
この曲については、川谷絵音氏が、「後追い自殺」の歌ではないかという的確な解説をしていた(【関ジャム】スピッツ特集!プロも恐れるスピッツの才能!)。
「誰も触れない二人だけの国」=「天国」というのは容易に推測出来るし、洋楽の有名どころで言えば、A SONG FOR YOU の中の、
"I love you from where there is no place or time"(2分14秒付近~)
(私は、空間も時間もないところから、あなたを愛する)
の「空間も時間もないところ」なども、「天国」(あの世)の意味である。
「後追い自殺」と言えば、デュラン・デュランのオーディナリー・ワールド(1993年、平成5年)は、これを”何とか踏みとどまろうとする”曲である。
大切な人と別れた(生き別れか死に別れかは不明)彼は、"ordinary world" (ありふれた日常)を喪失し、途方に暮れる。
というか、完全に世界は崩壊してしまっている。
だが、「ロビンソン」とは異なり、彼は、日常を取り戻し、”生き延びよう”としている。
よい訳が見つかったので引用してみる。
「But I won't cry for yesterday
でも昨日のために泣いたりなんてしないよ
でも昨日のために泣いたりなんてしないよ
There's an ordinary world
そこにはいつものありふれた世界があるから
そこにはいつものありふれた世界があるから
Somehow I have to find
とにかく僕は見つけなければいけない
とにかく僕は見つけなければいけない
And as I try to make my way
普通と言える人生を
普通と言える人生を
To the ordinary world
自ら切り開かなければいけない」
自ら切り開かなければいけない」
メロディーもさることながら、一流の詩人が書いたような歌詞も素晴らしい。
少なくとも、この彼は、「終わらない歌ばら撒いて」自殺することはないだろう。