もし自分が大学1年生に戻って、「法学入門」のような講義を受けるとしてみよう。
その際、「法」について、最も分かりやすい説明があるとすれば、それはどのようなものになるだろうか?
極めて大雑把であるし、不正確な点を含んでいるはずなので、お叱りを受けるかもしれないが、個人的には、次のように、法の「原点」についてズバリ説明してもらうとありがたかっただろうと思う。
① 民事法の原点:
父が、男たちによる凌辱から娘の貞操を守るため、娘を聖化(殺害)する。
② 刑事法の原点:
父が、姉(又は妹)を殺害したため処罰を受けそうになる息子を、「父である私が処罰し得たのにそうしなかったのは息子が正しいからである」と述べて弁護する。
①は言うまでもなく「ウェルギニア伝承」(ウェルギニアの物語)であり、②は余り有名ではないかもしれないが、「ホラティウス伝承」(ホラティウス三兄弟)である(奇しくも、①②とも「父」と「子」が登場する。)。
18歳くらいの頃、こういう説明を受けていれば、その後の理解がスムーズに進んだのではないかと思うわけである。
同じことは、宗教についても言えるように思う。
フロイト先生は、キリスト教(但し、パウロの思想)の「原点」について、次のように説明する。
「息子が、民族が父に対して犯した罪(原罪)を償うために、その命を犠牲に供する」(「モーセと一神教」ジークムント・フロイト 著 , 渡辺 哲夫 翻訳 p225~226)
しかも、この「原点」には、いわゆる「「原父」の殺害」というショッキングな出来事が先行して存在したというのが、フロイト先生の解釈である。
これは、「ウェルギニア伝承」にも、「ディアナ(ダイアナ)に捧げられるカミラ」 という「原画像」(「聖化」の画像)が存在すること、また、「ホラティウス伝承」にも、(枝分節集団において広くみられる)「父が、懲罰として息子の存在を消去(殺害)する」といういわば「原懲罰」が存在することとちょっと似ているように思う(もっとも、これらは、「「原父」の殺害」のような、歴史的・論理的に先行する出来事という位置づけではないのだけれど・・・)。