ダマシオの仮説によれば、「自己」ないし「意識」は、「原自己」→「中核意識」→「拡張意識」という三層構造を成している。
この仮説によれば、フロイト先生が用いた概念をある程度分かりやすく解明することが出来ると思う。
「最も基底にあるのが「原自己」[proto-self]。脳の中に存在する「身体」のひな型(「身体マップ」)で、emotions (情動)や sensory input (感覚刺激)を”無意識に”(※ここ重要!)処理している。」
「次に来るのが「中核意識」[core consciousness]という単純な種類の意識。有機体に一つの瞬間「いま」と一つの場所「ここ」についての自己の感覚を授けている。中核意識の作用範囲は「いま・ここ」である。対象を処理する有機体のプロセスによって有機体自身の状態がどう影響されるかについて、脳の表象装置がイメージ的、非言語的説明を生成し、かつ、このプロセスによって原因的対象(有機体の状態に影響を及ぼす対象)のイメージが強化され、時間的、空間的に顕著になると、「中核意識」が生じる。」
「最上位にあるのが「拡張された意識」[extended consciousness。以下「拡張意識」と表記]。多くのレベルと段階からなる複雑な種類の意識は、有機体に精巧な自己の感覚ーーまさに「あなた」、「私」というアイデンティティと人格ーーを授け、また、生きてきた過去と予期された未来を十分に自覚し、また外界を強く認識しながら、その人格を個人史的な時間の一点に据えている。これは、記憶や言語を処理する際に立ち現れてくる。」
「上記3つは、身体・脳幹・大脳皮質(主に前頭前皮質のこと)という部位に概ね対応しており、脳幹は身体と大脳皮質を結んでいる。したがって、脳幹と身体の間の相互作用がなかったら意識は失われるし、脳幹と大脳皮質の間の相互作用がなかったら意識は失われる。」
「「原自己」、「中核意識」、「拡張意識」のうち、前者2つはたくさんの種に共通し、その大半は脳幹及びその種が持っている大脳皮質から生じているが、「拡張意識」だけは、限られた種が持つものだと思われる。」
以上を見ると、フロイト先生が
「エスの中には時間観念に相当するものは何も見出されません。」と述べた際に念頭に置いていたものが、実はどうやら「原自己」と「中核意識」(ざっくり言えば「身体」と「脳幹」:「いま・ここ」のみが存在し、時間の観念はない)であることや、「超自我」(民族の「記憶痕跡」のヴィークル)と呼んでエスの中に取り込んでしまったものの正体が、実はどうやら(記憶や言語を司る)「前頭前皮質」であるらしいということが推測出来るだろう。
つまり、フロイト先生は、「身体」・「脳幹」から「前頭前皮質」までを、十把一絡げに「エス」の概念にぶっこんでしまったのではないかと思われるのである。
これは、ダマシオによる明快なフロイト批判と言うことが出来るだろう。