「今回の演奏会で指揮をするのは、東京フィルの名誉音楽監督であるチョン・ミョンフン。彼は、パリに民衆の劇場「オペラ・バスティーユ」が新しく建った 1990年、この劇場の管弦楽団トップとして『トゥランガリーラ交響曲』を最初の演奏会で演奏してもいる。(もう15年前になるけれども)彼が著者のインタビューに答えて、その理由を次のように語ってくれたことを思い出す。「音楽をやっていくうえで私がもっとも大切に思っているのは、たぶん『精神性』という言葉でしか表現できない何ものかなのです。私がバスティーユのこけら落としコンサートにメシアンの作品を選んだのも、メシアンの精神性が新設されたオペラ劇場に息づき、メシアンの精神性がこれからはじまる新たな冒険を助けてくれるようにと願ったからなのです」。なんと美しい言葉だろうか。「『精神性』という言葉でしか表現できない何ものか」、これこそ「トゥランガリーラ」であり、「愛」であり、メシアンの音楽を貫いて流れている力でなくてなんであろう。」
現代音楽の巨匠:オリヴィエ・メシアンの代表作「トゥルンガリーラ交響曲」を聴くのはこれが初めて。
ちなみに、私が尊敬するコバケン先生は、現代音楽が大嫌いである(再生のための全否定)。
なので、コバケン先生がこの曲を指揮することは絶対にないだろう。
他方、今回指揮をするチョン・ミョンフンは、メシアンから
「〔チョン・ミョンフンの指揮で〕実現された『トゥランガリーラ交響曲』の壮麗なヴァージョンは、〔わたしが楽譜に加えた〕これらの修正を考慮にいれ、私の全要求に答えている。これこそ良いテンポ、良いダイナミクス、真の感情そして真の喜びである。」
と絶賛されている。
この曲の世界初演を指揮したバーンスタインも、日本初演を指揮した小澤征爾も亡き今、チョン氏は、おそらくメシアン指揮者の第一人者ということになるだろう。
そういう事情もあってか、3階席までほぼ埋まっており、大盛況。
チョン氏が、「子どものような耳で聴いてみてください。きっと楽しめると思いますよ」というので、私も、虚心坦懐にこの曲を聴いてみた。
すると・・・。
熱帯の森の中の、たくさんの動物たちの叫び声がきこえてくるではないか!
動物たちの中に特に主導的な存在がいるわけではなく、基本的に各自バラバラに自己主張を行っているが、トゥッティの時はなぜか揃って大音声を奏でる。
いや、動物たちだけではなく、何やら超自然的な存在の声が、私にとってはなじみ深い「森のBGM」のように響いているようである。
そう、「オンド・マルトノ」の響きである。
聴いていると、直観的に、「無秩序を内包する森」というイメージが浮かび上がってくるのである。
Robert Markow さんの解説:
"The keyboard department includes a piano part of solo proportions, glockenspiel, celesta, and vibraphone, all of whose combined sounds reproduce approximately the effect of a Ballinese gamelan ensemble"
「鍵盤楽器のグループは、ピアノ独奏部分、グロッケンシュピール、チェレスタとヴィブラフォンを含み、これら全てを併せた音が、バリのガムランのアンサンブルに近い効果を生み出している。」
なるほど、ガムランをまねようとしたのか。
道理で熱帯の森の中に入り込んだ気分になるわけだ。
メシアンは、この曲で「愛」を描いたというが、そこに現れたのは、私見では”森”だった。
もちろん、この”森”が暗喩に過ぎず、「この世界」自体を示していることは言うまでもないだろう。