「『源平盛衰記』をベースに、木曾義仲とその残党にまつわる筋と、梶原源太景季の物語が交錯しています。角書(題名の上に主に2行で記される、主題や内容を暗示する文字)は「逆櫓松/矢箙梅」となっていますが、「逆櫓松」は前者を、「矢箙梅」は後者を象徴しています。ちなみに、『義経千本桜』の角書は「大物船矢倉/吉野花矢倉」です。
今回は木曾義仲の奥方やその腰元、家臣、そしてある船頭一家に訪れるドラマを描く、「逆櫓松」の筋を中心とする初段から三段目までの構成です。5年ぶりの昼夜二部制での約4時間の上演時間を通じて、作品に込められた仕掛けや、細やかに表現される登場人物の思いをご堪能ください。」
国立劇場・5月文楽のBプロは、「ひらかな盛衰記」の「義仲館」(初段)・「楊枝屋」(二段目)、「大津宿屋」から「逆櫓」まで(いわゆる「半通し」)である。
上演時間が約4時間ということで、忙しい人向けに3分であらすじ(あらすじを動画でご紹介!【動画あり】)が紹介されている。
一言で言うと、義仲の家臣が義仲の遺児(駒若君)を敵(義経が率いる鎌倉勢)から守ろうとする物語。
核となるテーマは「”ゲノム”の承継」であり、これに、「(木曽)源氏」(義仲)VS.「(鎌倉)源氏」(義経ら)という「イエ」内部の抗争が絡んでいる。
今月は、歌舞伎座でも「毛抜き」や「伽羅先代萩」という「お家騒動もの」が上演されているが、文楽もやはりそうだった。
さて、「イエ」内部のヘゲモニー争い(いわゆる「同姓勝負」)においては、当然のことながら、敵の”ゲノム”断絶、つまり「胤を絶やす」ことが最大の目標となる。
そのことを端的に示すのが、鎌倉方の現場トップ:番場忠太の
「仇の末は根を絶って葉を枯らす。当歳児でも男のガキ、生けておいては後日の仇」
というセリフである。
ここで注意が必要なのは、鎌倉時代においては、承継の対象はまだ男系の”ゲノム”に限られるルールだった模様で、江戸時代(例えば、「毛抜き」の錦の前)のように「女系の”ゲノム”でもOK」というルールは出来ていないという点である。
かくして、鎌倉勢は義仲の遺児:駒若君の命を狙い、これを前半ではお筆(義仲館の腰元)が、後半では樋口次郎兼光(漁師のイエに入り婿して変装している)がそれぞれ守るというストーリーが展開する。
ところが、追手を逃れる途中(「大津宿屋」の段)で、歌舞伎・文楽でいかにもありがちな、「人物のすり替わり」が起こる。
つまり、お筆らが連れていた駒若君が、隣の部屋に泊まっていた漁師:権四郎の孫である槌松と入れ替わる。
そして、番場忠太につかまった槌松は、首をとられるのである。
これは意図せざる自己犠牲であり、いわば「アクシデントによるポトラッチ」と言って良い。
真相に気づいたお筆は、摂津国・福島の権四郎の家を訪ね、「取り違えた子を返して欲しい」と、「代償なき贈与」を要請するが、槌松が殺されたことを告げた上で、このように言い添える。
「代はりを戻さねば取り返されぬ若君、・・・何を代はりに取り戻さう」
この「『返礼する義務』違反」に権四郎は激怒し、
「町人でこそあれ孫が仇、首にして返そうぞ・・・その子死人づだづだに切り刻んで女子に渡せ」
と述べて、婿(娘の二番目の夫)の松右衛門(実は樋口)に子の殺害を指示する。
ところが、これを松右衛門(実は樋口)は拒否し、
「これこそ朝日将軍義仲公の御公達駒若君、かく申すは樋口次郎兼光よ」
と子と自分の正体を明かした上、
「殺されし槌松は樋口が仮の子と呼ばれ、御身代はりに立つたるは二心なき某が忠義の存意」
と、「仮の子」である槌松が「身代わり」で死んだことは「忠義の存意」であるというロジックで権四郎の説得を図る。
ここで、樋口と槌松の間に「”ゲノム”の承継」はないにもかかわらず、「子による『身代わり』」が成立するというのは明らかに矛盾しており、はっきり言えば単なる欺瞞である。
なので、このようなダブル・スタンダードに、現代の日本人が騙されるようなことは絶対にあってはならないと、私などは思うのである。
これについては、結局のところ、樋口の言葉の根底には、「町人は武士の犠牲となるのが当然」という思考があると説明するしかないだろう。
ところが、信じがたいことに、権四郎はここでアッサリと引き下がる。
「侍を子に持てば俺も侍・・・わが子の主人はわしのご主人」
というのである。
権四郎の中では、「孫の命」と引き換えに「武士の身分」を得たという、ある種の échange が成立したかのようだ。
権四郎は、樋口とも駒若君とも”ゲノム”のつながりを持っていないというのに!
その後、鎌倉勢の追手が迫り、駒若君と樋口は万事休すかと見えたが、権四郎が機転を利かせて駒若君の命を救う。
「あれ(孫)は樋口が子ではござりませぬ、死んだ前の入婿の松右衛門が子で」
と役人に真相を告げて、樋口の命と引き換えに、駒若君つまり義仲の”ゲノム”を救った。
ここでのロジックは、「駒若君は樋口の”ゲノム”を承継していない」というものであり、これまでのストーリーによればノーマルな主張である。
というわけで、「ひらかな盛衰記」のポトラッチ・ポイントは、駒若君を守るために槌松と樋口という二人の命が失われたことから、10.0:★★★★★★★★★★。
以上を総合すると、5月のポトラッチ・カウント(と言っても歌舞伎座の歌舞伎と国立劇場の文楽のみが対象)は、
・「毛抜き」・・・10.0
・「極付幡随長兵衛」・・・5.0
・「伽羅先代萩」より「御殿」と「床下」・・・10.0
・「四千両小判梅葉」より「四谷見附」~「牢内言渡し」・・・10.0
・「和田合戦女舞鶴」より「市若初陣の段」・・・5.0
・「近頃河原の達引」より「堀川猿廻しの段」と「道行涙の編笠」・・・1.0
・「ひらかな盛衰記」(半通し)・・・10.0
を合計して、51.0となるが、こうやって見てみると、今月のテーマは「『”ゲノム”の承継』というフィクションないし幻想」だったような気がする。
これが、江戸時代のある時点では、「”苗字”(屋号)の承継」にすり替わってしまうわけだ。
・・・そう言えば、今月は、「取り違い」、「すり替わり」や「身代わり」がやたらと多かったが、こんな具合に「首」(=フォルム)の判別すら出来ない/しようとしない社会なのだから、”ゲノム”が”苗字”(屋号)にすり替わったとしても、気づかなかったのではないだろうか?
いや、それでは江戸時代の人たちが可哀想だ。
これほど「”ゲノム”の承継」にこだわっておきながら、「首」(=フォルム)の判別が出来ない/しようとしないというのは、いかにも愚かである。
当時の歌舞伎・人形浄瑠璃の作家たち(の一部)は、この愚かさを強調することによって、「”苗字”(屋号)の承継」への転換を促そうとしたのではないだろうか?
それが成功したからこそ、今日の私たちは、愛之助(ラブリン)の芝居を楽しむことが出来るのである。