蔦谷好位置さんの「歌詞以外(non-verbal)の要素から『別れの理由』を推理する」手法に感銘を覚え、私も、別れの曲だらけの昭和歌謡について「別れの理由」をあれこれ考えてみた。
すると、うっすらとではあるが、いくつかの類型が存在するように思えてきた。
(1)疑似「別離ソング」
まず、注意しないといけないのは、歌詞だけ読むと男女の別れを描いたように見えるが、実はそうでない曲がいくつかあることである。
これらは引退ソングであり、歌詞はファンに向けられたメッセージである。
(2)題名に別れの理由が示されているもの
次に、歌詞を読むまでもなく、題名だけで別れの理由が分かってしまう曲がある。
(3)サビの歌詞に別れの理由が示されているもの
歌詞を読むと別れの理由が分かるものは多いが、中でも、サビの部分にそれが端的に出て来る曲は親切である。
テレサ・テン「別れの予感」はその典型と思われ、「あなたをこれ以上 愛するなんて 私には出来ない」とあるとおり、別れの理由は、「愛情過多(愛し過ぎ)」とみるのが素直だろう。
これほど重たい愛は、普通の男にとっては息苦しいのではないだろうか。
(「彼にほかの女性が出来たから」という説もあるようだが、歌詞からそのように推理するのは難しいだろう。)。
H2O「想い出がいっぱい」(またしても阿木燿子!)もこの類型かと思われ、「少女だったと いつの日か 思う時がくるのさ」のくだりから、「女性の未熟さ」あるいは「それを許せない男性の不寛容」が別れの理由なのだろう。
(4)冒頭の歌詞に別れの理由が示されているもの
(3)とは逆に、数は少ないが、初っ端から別れの理由が出て来る曲もある。
古くは、水原弘「黒い花びら」が挙げられる。
何しろ「黒い花びら 静かに散った あの人は帰らぬ・・・」なので、歌い出しから十秒前後で死別であることが判明する。
(5)歌詞全体を見ないと別れの理由が判然としないもの
(3)や(4)とは異なり、歌詞全体を見ないと別れの理由が判然としない曲もけっこうある。
その代表格が、かぐや姫・イルカ「なごり雪」と思われる。
1970年代ころまでは、東京を離れて(実家のある)地方に帰郷することは、恋人との永遠の別れを意味していたのである(「なごり雪」歌詞の意味を考察!季節はずれの雪が意味するものとは?)。
ちなみに、野口五郎「私鉄沿線」などは、三番まで聴かないと、「別れ話もなく突然彼女がこの街に来なくなった 」事実がよく分からない。
(6)歌詞をどう読んでも別れの理由が分からないもの
最後に、歌詞をどう読んでも(あるいは、歌詞以外の要素を分析しても)別れの理由が全く分からない類型があって、結構大ヒット曲に多い。
千昌夫「星影のワルツ」は、「好きなのに、理由もなく別れなければならない」理不尽な昭和歌謡の筆頭である。
もっとひどいのは、尾崎紀世彦「また逢う日まで」である。
「たがいに傷つき 全てをなくす」ような壮絶な離婚原因(普通に考えると双方の不倫など)がありながら、「別れの そのわけは 話したくない」という主人公の口から真相が語られることはついぞなかった。
・・・以上は私の全くの独断である。