Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ロースクール批判(その3)

2006年09月10日 09時09分42秒 | Weblog
1 ウィキペディア
2 黒猫のつぶやき

 バーディーが見る限り、この2つは的確なロースクール批判だと思う。
 ちなみに、「ケースブック○○法」といったロースクール本にも問題おおありである。例えば、アマゾンの「ケースブック民事訴訟法」に対するカスタマー・レビュー。

1 ロースクールで複数の教員が設問の意図に疑問を呈しながら授業をするという不思議な「ロースクール教材」。特に、ひとりの研究者が唱えている考え方(争点効のように、どの基本書にも載っているようなものではない)への反論、再反論を取り上げては考えさせる問題が多く、難解な上に学ぶ意味が分からずモチベーションが上がらない。見ると、著者のほとんどは法科大学院教授ではなく、法学研究科教授である。そこで、これは研究者の「試験はこうあるべき」との希望を著したものなのか?という疑問に駆られるが、しかし、来る新司法試験でこのような一人説を答案で書いても高評価が得られるのだとしたら、その時は先見の明に脱帽である。

2 法科大学院用というが、学説の対立に突っ込んだ考察を求めるものが多く、実務家養成教育の教材として適切か疑問。判例研究と言うよりは、研究者の満足のためという印象が強い。また、一部の学説に過度に傾倒した記述が目立つ。いずれにしても、研究者用の教材としては良いかもしれないが、法科大学院用の教材としては不適当と思う。

3 ロースクールの既修者教材として指定されているので使っているが,お勧めできない。質問がやたらと細かく,かつ難しい。考えさせようという意図なのだろうが,思考を段階的に導くような配慮には乏しいので,この本の予習はいろんな文献を調べまくって答えを見つけるだけの作業になってしまう。学者の養成用ならともなく,実務家を養成するロースクール用のテキストとしては,もっと教育効果があがるものを用いるべきであろう。


 ここで私が注目したのは、「3」の「思考を段階的に導くような配慮には乏しい」という行である。これぞ未修者を混乱に陥れる必殺の「アンチ・ソクラテス・メソッド」であり、ロースクールをダメにしている最大の原因の一つであると思う。
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アーサー・C・クラークを読む

2006年09月09日 23時06分16秒 | Weblog
 短編集「太陽からの風」(ハヤカワ文庫)を思い出したように読む。
 「地球の太陽面通過」の最後の場面から抜粋。
「・・・彼の遺体は、、南極で、生と死の大循環から切り離されて永遠に凍りついたままではいないからだ。あの孤独なテントは、遥か以前に、海への行進を開始したのだ。数年のうちに、それは降雪に埋まり、極から永遠に離れていく氷河の一部となった。ほんの数世紀のうちに、あの船乗りは海へ戻ることだろう。彼は、ふたたび生命の織り成すパターン---プランクトン、あざらし、クジラ、その他南極海のおびただしい動物相の中に溶け込むことになるだろう。・・・」
 
 輪廻転生を謳うアングロサクソン人は不気味だ。
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平山とカズの違い

2006年09月09日 15時17分12秒 | Weblog
“ホームシック”平山笑顔の帰国
「空港に降り立った平山は笑みを浮かべていた。ヘラクレスから戦力外通告を受けて失意の帰国のはずなのだが、どうも様子が違う。帰国後の第一声は退団の真相を明かす衝撃的な言葉だった。「日本に帰って来られて、うれしい気持ちでいっぱいです。6月に日本に帰った時に、日本が恋しいと思った。オランダの生活になじめなかった。オランダ語は一生、話せないと思う」。日本屈指の長身FWは、ホームシックにかかっていたのだ。」

 うむ、今後の彼の人生を予想しよう。彼は何をやってもダメであろう。15歳で単身ブラジルに渡り、大活躍したカズの100分の1程度には活躍するかもしれないが・・・。
 
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危険運転

2006年09月09日 13時53分08秒 | Weblog
 元福岡市職員による酒酔い運転のおかげで、「公務員の飲酒運転」に対する厳しい世論が巻き起こっている。だが、論点がズレている。
 ついさっき、スポーツクラブからの帰りに、自動車でやってきた人が、サンダルを履いたまま駐車場に向かうのをみた。サンダル履きでの運転が危険だとは思わないらしい。携帯をかけながら運転する人も後を絶たない。ちなみに、アメリカのある州では、携帯電話をかけながら運転すると刑罰法規に触れるらしい。
 「危険な運転」全般の抑止ではなく、「公務員の飲酒運転」だけがクローズアップされるという不思議!
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更生不能な人間(その3)

2006年09月09日 00時03分30秒 | Weblog
(ご存知「ヤギ被告」~読売新聞)
 岩倉広修裁判長は「計画性がなく衝動的な犯行で、前科も認められず、死刑にはなお疑念が残る」と死刑を回避した理由を述べた。そのうえで、「一生、罪を償わせるべきで、仮釈放には慎重な運用がなされるよう希望する」と異例の言及をした。検察、弁護側の双方とも控訴を検討する方針。
 死刑適用については、1983年の最高裁判決で、殺害された被害者の数などを考慮するとした基準が示されており、被害者が1人でも死刑を選択するかどうかが、今回の判決の焦点だった。
 検察側は、同種の性的犯罪を防ぐ見地から、「死刑選択の十分な理由がある」と主張していた。  
 岩倉裁判長は、量刑理由でまず、「7歳で可能性に満ちた未来を一瞬で奪われ、無残な姿で遺棄された女児の恐怖や苦痛は察するに余りある。社会に与えた影響も軽視できない」と指摘し、両親や弟が受けた喪失感、悲しみを詳述。動機や犯行態様、遺族感情などは死刑適用の基準を満たしていると認めた。
 しかし一方で、「被害者1人の事件の死刑選択には、複数の事件と比べ、より悪質性が高い必要がある」との考えを示し、「わいせつ行為の対象をあらかじめ物色していたとはいえず、女児と言葉を交わすうちに劣情を抱いた」と計画性を否定した。
 さらに、被告がペルーで起こしたとされるわいせつ事件については、有罪判決を受けた証拠がないことから、前科と認めず、「矯正が不可能なほどの反社会性があるとは言い切れない」と判断。無期懲役が妥当と結論づけた。
 また公判では、ヤギ被告の責任能力の有無も争点となり、弁護側は「悪魔の声に従った行動で、心神喪失か心神耗弱だった」と主張していたが、判決は、被告が犯行を隠ぺいしたことなどを根拠に、完全責任能力を認定。被告に確定的な殺意があったことも認めた。
 ヤギ被告の裁判は、争点を裁判開始前に絞り込む「公判前整理手続き」が適用され、3年後に始まる裁判員制度のモデルケースとして注目された。その結果、初公判から51日目という短期間で判決に至った。
(読売新聞)

 個人的には、無期懲役はやむを得ないと考えるが、「悪魔の声に従った」と述べつつ犯跡隠蔽を行っており、また、判決言い渡し時にガッツポーズともとれる姿勢で喜びを表したというヤギ被告人に対しては、憤りを感じる。
 以前にも書いたが、私は、それぞれの人間は違った種類の生物といってよいほど多様であると思う。したがって、猛獣のような人間については、そのように扱ってもよいのではないか。ヤギ被告人にふさわしい刑は、真の意味での「無期懲役」である。
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更生不能な人間(その2)

2006年09月08日 23時53分23秒 | Weblog
(読売新聞6月29日)
 福岡県内で起きた3女性連続殺人事件で、強盗殺人罪などに問われた同県直方市、土木作業員鈴木泰徳被告(37)の論告求刑。
 検察側は「凶悪かつ残忍極まりなく、人間性のかけらもない、まさに鬼畜の所行。事件と全く向き合おうとせず、反省の態度はみじんも見いだせない」として死刑を求刑した。
 9月7日に弁護側の最終弁論があり、結審する。
 検察側は、「若い人に犯罪に走らないよう伝えたい」などと死刑回避を求める鈴木被告の法廷での態度について、「醜悪極まりなく、常識はずれも甚だしい。遺族の怒り、悔しさを増幅させた」と厳しく指摘した。
 起訴状によると、鈴木被告は2004年12月12日、福岡県飯塚市の歩道で、専門学校生久保田奈々さん(当時18歳)を強盗目的で襲って絞殺。同月31日、北九州市小倉南区の路上で、パート従業員大中敏子さん(同62歳)を刺殺し、約6000円などが入ったバッグを奪った。05年1月18日には、福岡市博多区の公園で、会社員福島啓子さん(同23歳)を刺殺し、約1000円が入ったバッグなどを奪った。

 今月7日の最終陳述でも、鈴木被告人は、例によって検察と裁判所をえんえんと非難し続けた。死刑廃止を訴えるならば、彼を更生させる手段を提示すべきだ。
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富と名声

2006年09月08日 07時17分31秒 | Weblog
 「富と名声」を避けよ、とはニーチェの言葉である。確かに、この2つは人間を束縛する。
 例えば、親殺しの例をとると、世間で大々的に取りざたされるのは大抵名家の子息が親を殺害するというものである。最近では立教大学教授殺害事件や奈良放火殺人事件などがそうである。
 また、富と名声ゆえに、その後の転落が悲惨な例もある。極楽とんぼの山本圭一の今後はおそらく悲惨なものであろう。だが、バーディーが最も悲惨な「転落人生」だと思うのは、田代まさしである。全盛期の彼を知るだけに、「片翼の田代」を見ると、少し悲しくなってしまうのである。
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親殺しの原因は親にある?(その2)

2006年09月07日 23時06分01秒 | Weblog
 不易と流行。
 「最近凶悪犯罪が増えたと感じる人は多いものの、昔も凶悪犯罪は多かった。ただ、現在のようにマスコミで喧伝されなかっただけである。」という見方も一理ある。特に、親殺し・子殺しについていえば、「姥捨て・子殺し」の伝統が社会に根付いていた時代の方が、件数的にははるかに多かったはずである。
 さて、こういう問題は客観的なデータに基づいて論じるべきである。そこで、親殺し統計。尊属殺人は昔の方が圧倒的に多く、昭和46~49年ころを除き減少基調にあった。ただし、近年は若干増加しているようである。
 ここでバーディーが注目するのは、一時的に尊属殺人が増加した時期が第二次ベビー・ブームと符合している点である。憶測に過ぎないが、親殺し(子殺しも)は、「神の見えざる手」による人口調節の一環に過ぎないのではないか?そうすると、最近のように、人間が生きにくい時代には、親殺しが増えても不思議ではない?!
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クロコダイル・ハンター死す(その3)

2006年09月05日 23時10分16秒 | Weblog
 BBCの続報。
 Tape 'shows Irwin's last moments'

 Mr Irwin's heart is believed to have been pierced, and he died almost immediately.

 事故の瞬間をとらえたビデオテープが存在する。それによれば、アカエイの針は、アーウィンさんの心臓を貫通しており、アーウィンさんは即死だった模様。なお、アカエイが防御目的以外に針を使うことはないので、おそらく、接近して撮影していたアーウィンさんら撮影クルーにおびえたものと思われる。
 ・・・合掌。
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親殺しの原因は親にある?

2006年09月05日 07時36分54秒 | Weblog
 親が「親殺し」を生む(livedoorニュースより)
・放任主義との胡散臭い旗印のもとに、子供たちの悪行を注意しない親、社会がある。
・公共の場において道徳やマナーを教え込まない親がいる。
・家庭でのしつけを行わず学校機関に丸投げをする。
・親による虐待・育児放棄がある。
・両親がもっともらしい理由を付けて離婚し子供に劣悪な環境を与える。
 上記などの悪条件が交われば、誰しもが悪魔へ変貌するおそれがある。親と社会が率先して犯罪を引き起こす悪魔へと育てているのが現状である。“子は親を映す鏡である”との言葉どおり子供は、親の素行を観察しそれに習い成長を遂げる。親殺しの原因は、至極簡単である。その親の育て方に多くの要因がある。
 あえて極言すれば、今や“親は真剣に子育てをしなければ殺される時代”である。今一度、子に殺されたくない親御さんは子育ての方針や子供たちへの接し方を再考して頂きたい。

 極端な意見だが、一面の真理をついている。子供は環境次第で変わるものだ。そして、子供が悪くなるのを防ぐのは、第一義には親である。
 この問題については、今後考えていくこととしたい。 
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