安宅(あたか)
歌舞伎「勧進帳」の元ネタである能「安宅」では、弁慶が主君である義経を打擲して危機を逃れるが、この弁慶の行為について義経は、「いまの機転さらに凡慮よりなす業にあらず、ただ天の御加護とこそ思へ」と「八幡大菩薩」の「御託宣」であると指摘する。
ここが非常に興味深いところで、義経は、人間の行為を神の恩寵に帰するわけであり、ここに「他力」の思想を読み取ることが出来る。
こうした思想は、現代の日本ではすっかり失われてしまった。これを、共同体崩壊の原因とみるか結果とみるかは議論の分かれるところだろう。
歌舞伎「勧進帳」の元ネタである能「安宅」では、弁慶が主君である義経を打擲して危機を逃れるが、この弁慶の行為について義経は、「いまの機転さらに凡慮よりなす業にあらず、ただ天の御加護とこそ思へ」と「八幡大菩薩」の「御託宣」であると指摘する。
ここが非常に興味深いところで、義経は、人間の行為を神の恩寵に帰するわけであり、ここに「他力」の思想を読み取ることが出来る。
こうした思想は、現代の日本ではすっかり失われてしまった。これを、共同体崩壊の原因とみるか結果とみるかは議論の分かれるところだろう。