パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

枕草子 清少納言の挑戦状

2024年09月02日 16時50分58秒 | 

同時進行で読んでいる「香子」紫式部物語 帚木蓬生著より
さっさと読み終えたのが「歴史読み 枕草子 清少納言の挑戦状」赤間恵都子著

著者は一条天皇の中宮だった定子が兄の伊周と隆家の暴挙のあと(長徳の変)
不幸の連続であったとしても、清少納言はその事件を書かずに
そのサロンの輝かしさを書き残した意図を推理している

これは少し前に読んだ「清少納言のたくらみ」山本淳子著と似ている

つまりは、定子が悲惨な人生を送った人物ではなく、人を育てるセンスのある
とても賢い人であったこと、それを書き残すことを自身の役割と自覚し
定子との時間がいかに有意義であったかを現している

枕草子の内容は時系列に並んでいない
それは意図的になされており、定子の兄の事件のことは不自然なほど書かれていない
その隠し方を、この本の著者は時系列で事件を並べ
そのようにした清少納言の気持ちを推理している

「光る君へ」で印象的だった枕草子が書かれた理由(定子のためにだけ書かれたとする)のシーンは
どうやら、脚本家の想像の産物ではなく、細かく分析すると明らかにそのような意図があったと
想像できるものらしい

歳を重ねて記憶力が衰えてきたが、この本を読んでいる時に実感したのは
「光る君へ」を見ているので人間関係がほとんどわかっていたことは
本当に助かったということだ

やはり人は物語で何かを覚えるというのが一番の方法かもしれないと実感する
藤原斉信も藤原行成も藤原公任も、その役割を大河ドラマを見ていなかったら
想像だけの世界の人物で、イメージするのは難しかったと思うが
清少納言と藤原斉信の関係も、ドラマで何やら匂わせるところがあったのは
この本でそのような事があったからなのか、、と納得した

それにしても、やはり運のない定子は気になる
高畑充希さんの出るCMを見ると、つい定子を思い出してしまう
ファーストサマーウイカさんもCMを見ては泣いてしまうといった話をしていた
その気持、わからないではないなというところ

自分は運がない人に惹かれるという意味では源氏物語で気になる女性は「紫の上」

「光る君へ」では鳥と女性が書かれた扇子を、道長がまひろにプレゼントしたが
その絵は彼らの思い出シーンであると同時に源氏物語の「若紫」(紫の上)の登場のシーンだった

ということで、毒にも薬にもならないことが結構心を震わせるということ
人にはそういうことが必要だと深く思う

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「なぜ、子どもはあのような絵を描くのか」

2024年08月31日 09時38分18秒 | 

今回のノロノロ台風は雨台風
今日も新城市には大雨警報が出ている
自宅付近ではさほど大雨の印象は無いが
この数日で宇連ダムの貯水率が11%台から50%超えとなっているから
やはり相当降っていると考えるほうが妥当だ

新城と言っても中心部と鳳来地区、作手地区と気象条件が違う
数字が発表される観測所はいったいどこだろう
きっと自宅から遠いに違いないと勝手に思い込んでいた
ところが調べてみると場所は冨永で、自宅から1.5キロくらいのところ
子供の頃、川遊びに通った場所だった

すると、数字と実感との違いが気になってしまう
実感は信用できない怪しいものなのか、
それとも馬の背を分ける雨の降り方のせいなのか
いずれにせよ、今日も雨模様だ
晴れは飽きることはないが、雨は数日で飽きてしまう

先日、新聞広告に掲載されていた本をざっと読んだ

いつも思うことだが、子供の絵はどこか迫力がある
ただ単に、上手く使えない手で鉛筆をもって右左したり
丸を描こうとしているだけなのに、それは確かに何かを訴えているような気を起こさせる

姪が時々、お兄ちゃんと3歳の女の子を連れてやってくる
始めは慣れずに不安そうな顔をしていたちびっこも
最近はいつもの場所に置いてある貯金箱を持ち出して
お金を出したり入れたりして遊んでいる
また2階に行って無双窓を開けて母親に嬉しそうに声をかける
お兄ちゃんと二人で、部屋中を走り回るのは相変わらずだ

先日は絵を描きたいから、あるようなら鉛筆を貸して欲しいと姪が言った
幸い色鉛筆があったのでそれを出して、紙はプリンターで使用するA4の紙を渡した

ピンクの色鉛筆を持って彼女は右から左へと線を引く
何回か同じことをして、その線はバラバラでそれだけだ
次に丸を描こうとする
大きな丸できっちり閉じていないがそんなことはお構いなしだ
それを描くと、その紙は用無しになって次の白紙に向かう

一番偉いのは一番年齢の低い子だから、彼女の要求通りに白紙を渡す
また同じことを繰り返す
何かを描こうとしているのか、ただの運動なのか

しばらくして丸い図形をさしてお母さんといった
もう一つの丸は別の人物だと宣言する
この本には、子供の絵には丸から脚が出ている人間が描かれることがある
と紹介されていたが、それが見られた

少し昔の話だがある時、子どもが描いたお父さん、お母さん、お姉ちゃん
自分自身の絵を見比べる機会があった
丸に目鼻口と僅かな髪の顔の絵で、一見同じような絵ばかりなのだが、
ヒントなしにそれらの絵を見て、どれがお母さん、お父さんなのかと判定するのだ
これに真剣に向かうと、なんだか知らないがこれはお母さん、あれはお父さん
というのがわかったような気がした
そしてそれは当たっていた
何故当たっていたのかはわからない
別の人にもトライしてもらったが、その人も自分と同じ答えだった
つまりは何らかのメッセージを感じ取ったということで
それは一体何だったのだろうか?との疑問がずっと残っていたので
今回この本を読んでみようとしたのだった

子どもの発達の経過と変化、それに対する仮定や考え方
世の中にはこうしたことを研究する人がいることに少し驚くが
読んでいる間は、頷くことが多くて面白いものだった

ということで、困った台風の中、少しばかり興味深い本を読んだということ

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5年間で読んだ本たち

2024年08月20日 17時37分56秒 | 

2019年 読んだ本

2020年読んだ本

2021年読んだ本

2022年読んだ本

2023年読んだ本

2019年から2023年まで トータル234冊
今年は今のところ21冊

この手の本を読む人はどんな人物か?
それは自分だが、そう言う人と話し合いたいものだ

ほとんど覚えていないとしても、血肉になっている実感はある

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男にはわからない世界がある

2024年07月27日 09時05分04秒 | 

小泉今日子は知っているが岡崎京子は知らない
知人の女性に薦められたのがこの本

ふたりのキョウコのお話

小泉今日子はキョンキョンの頃は知っている
わいい女の子でCMによくでていた印象だけが残っていた

だが、気になりだしたのは、前回の衆議院選挙の時
和田靜香さんの紹介(?)で坂本美雨さんと香川一区の小川淳也さんと
インスタライブで珍しい政治的な対談をしたからだ

珍しいという言葉がでてしまうこと自体が、日本の社会の異様さを現すものだが
現実世界として芸能界はその手の話をするのは稼ぐ手段を失うきっかけになる
小泉今日子もその経験をしたひとりで、若い頃、ちょっとしたきっかけで
政治的なコメントをしたところバッシングを受けて、しばらくはこの手の話は避けよう
と世間知がついたのだが、年令を重ねるとそれはおかしいと気づくようになって
大人の普通の女性が人間として日々感じることは口にしてもいいのではないか
と思えるようになったことを伝えていた

この発言がごくマトモに思われたので、この人はちょっと違うかも知れない
と心に刻んだのだった

それがあったのでこの本を手にしたのだが、
もうひとりのキョウコである岡崎京子は全く知らなかった
(知り合いの女性は漫画家であることを知っていた)

この本で驚いたことがあった
それは多少年齢のせいもあるが、おそらく性差のせいと思われる
全く知らない世界があたっといことだ

小泉今日子の生き方を紹介した部分は記憶をたどればなんとなくわかった
しかし、全く知らない人物の岡崎京子を紹介した部分は
ほとんど何もわからなかった
女の子の雑誌のやファッションの話やら、女性がごく自然に感じる何かを
男だと頭で理解するのはなんとかできたとしても心から共感するというのは
全く不可能と思えてしまったのだ

ただふたりともひたむきに生きているということはわかる
わかったのはそれだけだ

こうしてみると、根本的な共感の部分で男と女はまったく違った傾向をもつ
と思えてしまう
だからこそ、男中心の世界があまりにも優先し過ぎていると思われる世界は
もう少し女性の感じかたとか生き方、知恵を借りたほうが良いと思われる

それは女性の味方をするというのではなくて、そのほうがバランスが良さそう
と感じたということ

新聞の週刊誌の広告は、男用の雑誌と女性用の雑誌は記事内容の傾向は全く違う
それが良い悪いというのではなく、こうした事実があることは
もう少し考慮すべきかな、、と思ったということ

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「裁判官の良心とはなにか」を読み始めた

2024年06月27日 18時49分41秒 | 

昨年、豊橋にある時習館高校の130周年記念行事に
卒業生であり現役の裁判官でもある竹内浩史氏の講演会があった
その講演タイトルは「裁判官の良心とはなにか」だった

裁判という言葉にすぐに反応してしまう立場の一人として
また裁判官の良心に期待していた面もあったので
この講演を聞こうと思いエントリーしようとしたが
時すでに遅し!定員はすっかり埋まっていた

チャンスは逃したままだと思っていたら「裁判官の良心とはなにか」
というタイトルの本があることを教えられた
大手の出版社からではないようだが、とにかく手に入れた

この本はいくつかの章に分かれているが、このタイトルの章が最初にあって
時習館高校の130周年記念事業の内容を収めたものだった

そもそも「裁判官の良心」とは憲法76条3項に「裁判官の良心」
という言葉が出てきて、それが引っかかっていて、彼独自の見解を現すために
講演とか本に残したとのことだ

憲法76条3項は以下のような文章
「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ
 この憲法及び法律にのみ拘束される」
不思議なことに良心という言葉が入っている
この良心云々の言葉が入っていなくてもおかしくはないのに
なぜ入っているのだろうと竹内氏は考えた
そして独自の解釈に至った

あまり好ましくないヒラメ裁判官は、自分が担当する事案については
当事者の主張と証拠に基づいて事実認定をする、ここまでは良いのだが
ヒラメ裁判官は、まず過去の類似事案の上級審の判例を検索して探す
うまく見つかったならば、それと同じように判決して一件落着、一丁上がりとして
処理件数を稼いでしまう
こんな進め方で良いのか?
それが良いのなら生成AIのほうがよほど効率的に処理できると考えたからで
彼は良心的裁判官は以下のようなステップを踏むとしている
1 まず、仮に法律が無かったとしたら、どっちを勝たせる事案か、自分の良心で考える
2 その結論を法律に基づいて上手く説明できるか考える 出来るならばそれで判決を書く
3 そのために自分の法律論に反するような最高裁判例が無いかを確認する

つまりは憲法の文章に書かれた順番で、つまり良心で一番最初に判断し
それから法令等のチェックをするというのだ
もちろん、これは言うにやさし、行うに難しの部類で実態は難しい取り組みだ
だが、こうした人がいるという事実は、裁判は信じても良い制度なのかもしれない
と思えたのも事実だ

実は最近は裁判自体に不信感を持っていた
自分が経験した裁判は、
裁判官が社会人として普通に感じるであろう違和感を何ら持たずに
雑な判定を行う、、、それはとても許しがたいことのように思えた
だが、それより前は裁判は立派な人格者が行うものと信じていた
それは団等重光氏の「法学の基礎」を読んだからで、この人の裁判に向かう態度とか
姿勢は尊敬に値し、そして裁判に関する法体系は秩序だって素晴らしいものと思っていたのだった

団等重光さんのような人の判決なら仕方ないかな、、と思えるもので
この竹内さんでも似たような感情を覚えるに違いない

ということで読み始めたこの本
裏事情の紹介もあってなかなか面白い
ところで、時習館高校で行われた講演会はYoutubeにアップされている
「裁判官の良心とは」33回生 竹内浩史 時習館高校130周年記念フォーラム 2023.10.29

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「資本主義の宿命」を読んで

2024年06月14日 17時41分09秒 | 

少しお気楽な投稿が続いたので、久しぶりに真面目なものを

「光る君へ」のドラマの影響で「香子」とか「清少納言のたくらみ」を購入して
平安時代の価値観などに浸っているが、反動として現代の問題にも関心が行くようになって
「資本主義の宿命」(橘木俊詔著)をアマゾンで購入した
そして一気読みした

資本主義に関しては少し前に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」
を手にした

この本が思いのほか興味深かってので、それで上記の本を手に入れたのだった

この本(宿命の方)の終盤に二つの考え方の否定がなされてる
一つは世界ではよく知られているが、何故か日本ではそう思われていない
トリクルダウンの効果のないこと
富むものが富めば(経営者たちが富めば)そのお金は下々まで落ちてくるという
一時期自民党の表立って唱えた考え方だ
これはピケティの「21世紀の資本」でも否定されているし
それ以外でも世界では当たり前のように否定されている
だが日本ではいつまでも説得力をもって語られるような気がする
これは早くメディアが現実のことを伝えるべきと思う
(それが現実的に機能しなかったのは人間性の闇の部分のせいか、
    それとも法的な不備(下請法などの)のせいか、いずれにしても結果的には機能しなかった)

もう一つは、高収入の人々に累進課税をかけると、せっかく頑張って働いてきたが
税金でお金をたんまり持っていかれてしまうのでは、もうそれ以上働く気持ちが失せてしまい
それは経済にとっても良くないとする考え方
心情的にはそんな気がしないでもないこの理屈も、実態はそのようなことで勤労意欲は
失せることはないとデータが示しているという
考えてみれば大谷さんが税金をたくさん取られるからと言って野球に真面目に取り組まないとか
藤井聡太さんがたくさん税金を取られるからといって、自分の大事にしているものを
自ら離れていくなどとは考えられないことから想像できる

格差が存在しないほうが経済的だけでなく保安上も良いと思われる
どのように格差について対応していくかが国とか地域によって違ってくる
日本がお手本とする国アメリカは、自己責任の精神が根ざしていて
弱者に対して公的な補助は否定的な考え方が多いようだ
日本でも最近は自己責任論が巷で広がっている
不思議なのは、すぐにでも弱者に陥る可能性のある人々が(弱者予備軍が)
自分たちは勝ち組のような精神状態にいることだ
つまりは日本人はどの立場にいても自分たちを勝ち組とか自己責任論で乗り切れる
と思っている人が多いような気がする

大雑把に分けると、経済を仕切る人たちの要望を考えて社会を運営する考え方と
どうしても生まれてしまう経済弱者を中心に考えてより良い社会を作ろう
とするものに別れるようだ
現実的にはバランスの問題だが、ヨーロッパのドイツ、フランス、あたりは
自己責任論で終わらない半ば公的な力を重視する社会になっているようだ

さて日本はどちらがいいか?となるのだが、
問題は日本人はこの問題に対してしっかり考えていないことではないか
日本人はどんな時も対処法だけで済まそうとする
根本的な取り組み方は、どうしてもないがしろにされて
対処法が思想にまではならない

ということで、これらの本を読むたびに日本人の問題に取り組む姿勢が
どこか浅いものとか、最近の知識人といわれる人々の人間性のポテンシャルは
過去の丸山眞男とか福沢諭吉などと比べて
すごく小さなスケールになっていないだろうかと不安を覚えてしまう
(この本はもっと詳しく格差についての話が本筋となっているが
  とりあえず自分が気になったのはこのこと)

例のごとく話が逸れてしまったが、そう思うきっかけになったということ



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運の悪い人が気になってしょうがない

2024年06月03日 16時31分29秒 | 

以前、枕草子をかじった時は、お坊さんはハンサムのほうが良いと
書かれた部分が印象に残って、今も昔もそんなもんだな、、と思ったものだが
今回「枕草子のたくらみ」山本淳子著を読んで、枕草子に対するイメージは
すっかり変わってしまった

枕草子は「光る君へ」では、ただただ定子のために書きはじめたと
されていたが、この本でもまさにその通りだった

清少納言は枕草子には既に起きていた兄による不幸な事件のことや
それ後の定子の悲惨なことは書かれておらず
幸せだった頃の雅な文化的な話題を呑気に書いているように思える
だがそれは意図的にしたことで、推しの定子のためを思ったり
忘れ去られないようにするためのものだった

この本を読んで一番心に残ったのは実は清少納言の定子に対する思い
ではなくて定子という人物そのものだった
彼女はとてもセンスが良く機知に富んで漢詩や和歌の素養もある
そして清少納言を育て上げたディレクターのような人物だった

自分はどうも彼女のようなちょっと運の悪い人につい惹かれてしまう
大津皇子、村山たか、土方歳三、
歴史に燦然と輝く人物ではなくて、どこか運命に振り回されるような人物
だからこそ清少納言が一次資料としてこの書物を残そうとしたのはわかる気がする

彼女の人物像をダイレクトに感じるには、定子の残した歌を味わうのがいい
定子は三人目の子どもを懐妊し、それが原因で産後亡くなってしまったが
生む前から自らの死は感じていて、辞世の句を3つ残している

この本にあったので、現代文と一緒に書き残しておいたのが以下
現代語訳は著者の山本淳子氏)

●夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき

 一番中、あなたは私に愛を誓ってくださいました
その言葉をお忘れでないなら、私の亡くなった後、あなたは私を恋しがってくださるでしょう
そして、悲しみのあまり、血の涙を流すでしょう
その色が見とうございます

●知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも 急ぎたつかな

この世と別れ、知る人もいない死の世界へ。
心細いけれど、急いでもう旅立たなくてはなりません

●煙とも 雲ともならぬ 身なれども 草葉の露を それとながめよ

私の身は煙となって空に上ることも、そこで雲になることもありません
でも、どうぞ草の葉に降りた露を、私と思って見て下さい

 

この感情の深さ
きっと素晴らしい人だったんだろうな
清少納言の気持ちもわかる気がする


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「香子」「清少納言のたくらみ」「丸山眞男対談セレクション」

2024年05月31日 09時30分48秒 | 

町(村)に1軒も書店がないところが増えているそうだ
通販がそれに拍車をかけているようで、確かに自分でも
書店よりAmazonで購入するほうが多い

でも書店は好きだ
女性がウキウキしながらウィンドウショッピングするのと同じように
書店で脚が棒になるまでウロウロしたり突っ立っているのは
とても幸せな時間だ

書店ではいつも、人はなんと多くのことを感じたり、考えたり
表現したりするのだろうとの思いに駆られる
そしてそれらの中から宝物を探すように運命の本と出会うのは
通販では感じられない醍醐味だ

通販と書店で購入し読むのが同時進行しているのが以下の三冊


帚木蓬生の「香子」2は紫式部の人生が大河ドラマ「光る君へ」の現在の放映と
ほぼ同じくらいの頃の話だが、大河ドラマとは違って藤原宣孝と結婚し
子供も産んでいる(夫はあっけなく死んでしまっているが)
そして藤原道長とはあまり接点がなく、ようやくその機会を得たくらいのところ

大河ドラマとは状況が違うがドラマを見ていると話が頭に入りやすい
大河ドラマもこちらもフィクションだが、まずは楽しむこと優先で接している

前回の「光る君へ」では枕草子が書かれるきっかけがエピソードとして登場したが
「枕草子のたくらみ」山本淳子著では、そのエピソードをフォローするとか
支持するような内容だ
つまり不幸な定子のために、彼女だけのために枕草子は書かれたとしている
有名な冒頭の「春はあけぼの、、、」何故、四季の話題が一番先に来るのかは
実は古今和歌集等でも季節の話が最初に扱われることを真似ているらしい
そして、枕草子の定子の登場するシーンは年若い定子が年上の清少納言の
力を引き上げるためにいろいろな課題を与えたとしている

つまりは定子はすごく教養の高い女性となっていることがわかる
定子はそんなに教養の高い女性の素地があったのか?
と彼女の母親のことを調べると、高階貴子(道隆の妻)は36歌仙の一人で
相当な知識と力の持ち主のようだ
定子は親のそうしたものを引き継いでおり、それ故に学問好きの(?)
一条天皇にも可愛がられたようだ

本を読んでいて「これは自分と同じ感じ方とか同じ考えだ」と思うことがある
それは「自分と同じ」なのか、それとも「同じと感じるように教育されているのか」
はどちらの可能性もあるような気もする
そうしたことを感じたのが三冊目の「丸山眞男対談セレクション」で
教育のこと、吉田秀和との対談の「フルトヴェングラー」のことは
同感の部分が多くて、ページが早く進んだ

現在は三冊が同時進行中だが、源氏物語絡みの「香子」は急いで読まずに
ドラマの進行に合わせて読んでいくことが良さそうと思うことにした

「枕草子」絡みは一気読みしたほうが良いかもしれない
もうドラマにはききょうは登場しないかもしれないから
紫式部と清少納言は対立したとの説もあるが
本によると清掃納言の娘は紫式部のように藤原彰子に仕えたとある
現実世界はそんなものだろうと思う

そう言えば何かで、いとこ同士の藤原定子と彰子は仲が良かった
との話を見けけた記憶がある
これも実態はそう言うことがありそうな気がする

ということで、人と会話する時間が多くない生活をしているが
今のところ退屈はしないでいられる
本はお金のかからない楽しみだと思う
(だが、欲しい本は妙に価格が高い本が多くなっているかも?)




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「ヤバい統計」と「香子」が読了の足を引っ張る

2024年05月14日 09時22分23秒 | 

競っているわけではないが、読了の記録をつけていると
その数がなかなか増えていかないことに少しストレスを感じることがある
先月から今月にかけて読了の数が増えていかないのはこれらの本のせいだ

少し前の中日新聞の書評にもあった「ヤバい統計」ジョージナ・スタージ
前々から統計については違和感を覚えることが多かったので
タイトルに惹かれて購入した
この本には数式は全く登場しない
だがそれでわかりやすくなったか!といえばそうでもない
この本で扱われるのはイギリスの国内事情のものが多く
事情を知らないものにはすぐわかる類ではない
それでも一般論として言わんとすることはわかるし、それらは予想した内容だった
(比較のためのバッドデータとか母集団のこととか)
しかし、ヨーロッパ人の根気の良い文体は精緻であっても読むには疲れる
読んでいてもページが進まないことに苛ついてしまう
こんなんじゃダメだと思いつつも、雑な読み方になっているがまで読了となっていない

「香子 紫式部物語」帚木蓬生著
5冊あるうちの一冊目はとりあえず読了した
大河ドラマの「光る君へ」では「まひろ」と呼ばれる紫式部だが
この本では「香子」となっている
学説でも「香子」とするものがあるらしい

「源氏物語」は読んでおいて良かったと思う作品だが
この小説は紫式部の物語と「劇中劇」としての源氏物語が登場する
紫式部の生活(結婚・出産・地方暮らし)と彼女の「源氏物語」の進行状況が登場する
そして出来上がった作品を祖母や妹たちが読んで感想を言い合ったりしている
ここでは当時の権力闘争は誰かを通してしか知ることができなくなっていて
大河ドラマのように、紫式部も権力闘争の実態をなんとなく知っている
ということがない
メディアがない時代だからそんなものだろうと思う

悲しいことに読んでおいて良かったとする源氏物語だが
劇中劇の作品を読んでいて、こんなシーンあったかな?と思うことが度々あって
自分の記憶も怪しものだと改めて再確認する

ページが進まず読了が進まないが現在は5冊あるうちの2冊め
ここであることに気がついた
それは劇中劇の源氏物語は、主人公の紫式部の物語より数段面白いということ
人物描写が源氏物語のそれのほうが紫式部物語 つまり香子の物語より
ずっとリアリティがあって面白いということだ

1000年以上大事に残され、世界中にも認められている傑作と
フィクションとしての紫式部物語を比較するのは無理なのかもしれない

ということで読了が進まない現状だが、このように手こずって悪戦苦闘している時間こそが
実は長編小説を読む醍醐味かもしれない
でも読了数が増えないことが気になって仕方ないのは、どうしても消し去ることができない

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読書について

2024年04月13日 09時22分40秒 | 

ハリー・ポッターの作者J・Kローリングさんは、地下鉄で自身の作品を読んでいる人を見て
作品が売れていることよりも、ゲームに夢中になっている人が少なくなったことに
喜びを感じたそうだ
ある程度慣れると読書はそれなりの楽しみを得ることができる
だが読書は自家発電の様で、自らが働きかけて単なる文字の羅列から
想像力を駆使しないと何もやって来ない
親切に映像もストーリーもゲームや映画のようにやってこない
ゲームは受動的だが読書は能動的作業を要する

世の中には読書好きな人がいる
どこでも、好きな時間に楽しむことができるので究極のオンデマンドが可能で
便利この上ないが、最近は書店や図書館を利用する人が減っているそうだ
読書するより別のことで時間を費やす人がいたり、電子書籍で紙の本を購入しなくて済んだり
そもそも自家発電のような作業自体が面倒と感じる人も多いようだ

味の素のCMに「人間は食べたものからできている」というのがあった
多分、「人間は読んだものからできている」も言えるのではないか
確かに読書の記憶は断片的であったり、すぐに忘れられてしまうものかもしれない
だが、それでも何かが人生の経験のように残ると思う
それは実感として確信していることだ

先日、読書について面白いものを見つけた
「読書して付箋をつけることが多いが(ここまで読むと自分と同じだと思ったが)
 結局本を最後まで読まなければならない(このオチで笑ってしまった)」
そしてもう一つ
「読書することによって、自分は何も知らなかったと感じることができる」
これもまさに実感することだ

書店に行くと本当にいろんなジャンルの本が並び
「人はなんといろんなことを考えるのだろう」と呆れてしまうが
同時に、自分には知らないことが無限にあると情けなく思うこともある

人が覗いても見たいものの一つは、他人の本棚だそうだ
確かに、少なくとも自分はそうだ
本棚に並んだ本でその人の性格とか傾向は分かる気がする
だからこそ、数年前の市長選の公開討論会では候補者たちに
「今読んでいる本とおすすめの3冊を挙げてください」
との答えを聞きたかったが、それは別の問いがなされることになって実現しなかった

ということで、記憶力の低下を嘆きつつ
まだ本を読む気持ちが失せてないことにホッとしている
(この時間つぶしはお金がかからず良いものだ)

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