パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「ナチズム前夜」読書中

2025年02月10日 09時50分00秒 | 

この本の帯には
「昨今、政治的状況や政治家の発言などがナチズムを連想させるという指摘が数多く
現在の日本はナチスが台頭していた頃のドイツに酷似していると言っても過言ではない
ワイマル共和国という民主主義国家から、なぜナチズムが生まれたのか?
それは今の私たちにこそ突きつけられている問だ」と記されている

この帯の言葉が常々の実感としてあったので、アマゾンで購入したのが
 「ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力」 原田昌博著


正直なところ、もう少し簡単に読めると思っていたし
ナチスはポピュリズムとプロパガンダによって容易に
あの地位を手にしたと思っていた

しかし、それは違った
日本語で書かれたこの本は一体誰が読むのだろう?
と思えるほどあの頃のドイツ国内の事情が詳細に書かれている
自分のような事情を知らない素人が手にすると
ここに書かれた事件や背景を知るだけで頭が混乱する
まずは正確な知識からスタートするという当たり前のことが
とても苦労が要求されるのだ

こんな時は、わからなくてもとりあえず読み進める
という手を取ることにしている(中断するのは悔しいので)
そして読む進める時は、出来事が進行している世の中の空気感を
想像力をもって味わうことにしている

すると、これらの出来事は、明治維新のころのざまざまな組織が
それぞれの考えのもとに覇権争いをしている姿に似ているような気がした
そして現在の日本においても、政権が少数与党になった中で
それぞれの党が存在感を得るために様々な案を提案することにとどまらず
組織同士の集合・離散を繰り返す姿を思い浮かべた

ナチスは一気に上り詰めたのではなく、初期は危険な存在として把握されており
ヒトラーは刑を受けて収監されてもいた
しかし、当時の政治的背景は圧倒的な与党が存在せず、第一次世界大戦の賠償で
国内に不満が蔓延していたときに、小さな政党同士の数確保に四苦八苦している
隙をついて、巧妙な戦術とイメージこまめな活動と(まだ読んでないが)暴力によって
あの状態を作り出したようだ

それぞれ党が連立を組む、そして挫折する
またもや別の連立を組む  こうした繰り返しは日本でもありそうなことで
明治維新もおそらく詳しい研究者ならこうした出来事は多かった
と解説するに違いない(と思う)

政党間のこうした出来事は、現実世界で充分ありそうなことだけに
そのなかから異端のナチスが、ついには支持を受けるようになってしまった
というのは、ナチスが一気に上り詰めたと考えるよりももっと恐ろしい気がする

日本では天皇機関説事件が発生した後、一種の熱狂を背景に暴力が各地で行われ
ついにはそれに声をあげることもできなくなり、個人・家族が現実に生き抜く方法として
体制にながれる空気にしたがっていくことを選ぶようになった

暴力が物理的なものだけでなく、現実に死を招くこともある言葉も含めるならば
(兵庫県のあの事件)現在の日本は暴力が蔓延しているとも言える

人にはいろんあ意見があって、それぞれが個々の自由に任されるとしても
一つこのことだけは、個々のいろんな意見という言葉で終わらせてしまってはいけない
それは「戦争はいけない」ということ
これは誰にとっても同様な考えが必要だと思う
「戦争はいけない」とするならば、戦争が起きてしまった過去は
なぜ起きて起きてしまったのか?どうすればよかったのか?
今後どうすれば防ぐことができるのか
これは過去から学ぶしかない

つまりは、過去の出来事の真摯な追求や反省は絶対に必要だということ
しかし、その行為を一体誰が負うべきか?
庶民全体、庶民の代表としての政治家?

この本はまだ途中なので、最後まで読んだら違う考えに至るかもしれないが
現時点で、頭に浮かんだのはこういうこと

いつものまとまらない話

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会う人会う人に推薦しているが、、、

2025年02月03日 17時01分20秒 | 

会う人会う人に薦めているのが先日紹介した本

スマホで撮影する人、頭の中に入れて後で検索しようとする人
その中の一人でも読んで欲しいと切に思う

この中には自分がずっと思っていたことが書かれている
ただし自分よりもっと上手く言語化されている
自分の考えは自分が経験の中から生まれたのではなく
これらの本によって洗脳されて生まれたのかもしれない
と思うこともある
(自分で考えついたと信じたいが)

フィンランドの教育を知ることは、実は日本のことを知ることだ
物事は比較によってその違いとか良し悪しを判断できる
圧倒的に密度の濃い人を育てる教育システムは
少し自信を失いそうな気分にさえなってしまう

気になったところは付箋をつけて、読み返すことができるようにしている
その中の一つにこんな言葉がある
「きまりを教える日本、本質を教えるフィンランド」
その通りだと実感するのだが、この言葉は本の終盤の章に出てくる
それは道徳に関わること書かれた章で
日本は挨拶しようとか、地域の活動に積極的に参加しようだとか
一見そうあるべき姿のようでも、自発的というよりは
そそのかしと思えないこともない

へそ曲がりは、良いことも強制されるのは嫌だな!
と思うが、大義名分の強さゆえに表立って抵抗することはできにくい
だから余計にもやもやした気分になってしまう

この本は一気読み近いかたちで読み終えたので
早いうちに読み直した方が良いかもしれない
だが読書モードになっている今は、同時に購入した本が
早く読んでほしいと訴えているような気がする
その本は「ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力 (集英社新書) 新書 」

現在がその当時のドイツと似ている様子を紹介する本で
ここで政治的暴力を物理的な暴力だけでなく
言葉による暴力(それは死に至らせる場合もある)を含めば
まさに今の日本を想像できる

これらの本は、何かしらの危機感を感じている人がやむにやまれず形にしたものだ
やはり、今の日本は不安な空気感は漂っていると思えて仕方ない




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィンランドでは「人生観の知識」という授業があるそうだ

2025年02月01日 09時48分40秒 | 

本を読むと、新しい情報とか知見だとか考え方を得ることができる
だがそれ故に自分の頭で考えることをしなくなる
と警鐘を鳴らした人もいる(多分、ショーペンハウアー)

でも実感からすると、確かに影響は受けるけれども
本を読むことで得られる利益は何ものにも代えがたい

今ワクワク感を覚えて先へ先へと進みたがっている本がある
はやく読み終えたいと思う反面、いつまでもこの状態に留まっていたいとも思う
その本が「フィンランドの高校生が学んでいる 人生を変える教養」岩竹美加子

数年前、「あなた自身の社会」スウェーデンの中学校の教科書を読んで衝撃を覚えたが
北欧の社会の思想・価値観から導かれる教育というのは、随分日本のそれと違っている
端的に言えば、北欧のそれは「確固とした大人を育てる教育」
日本のそれは「従順な労働者を育てる教育」と言えるかもしれない
そして今読んでいる最中のこの本も、やはりしっかりした大人を育てるようになっている

一番衝撃的で興味深かかったのは、授業の選択科目の中に「人生観の知識」
と名付けられたものがあることで、この抽象的な名前の授業は
いろんな視点から物事を捉える訓練がなされる
現在のフィンランドは基本キリスト教(ルター派)が多く
信者たちはその授業を受けることができる
それ以外の人たちは(移民も他の宗教の信者)この「人生観の知識」
を受けることになる

この授業内容が凄い
日本では全く考えられない内容だ
フォンランドの教育庁は「人生観の知識」についてこう述べている

人生観の知識の出発点になるのは、既に用意されたカリキュラムではなく、生徒が生きている世界とその現象である。
自分の人生観をアクティブに形成、その根拠を内省し、それに影響を与えているファクターを分別する。
同時に、政治的、科学的、哲学的、思想的、ポピュラーカルチャーや宗教など、様々な一般的な世界観を考える。
人生観の知識は、多分野で、人類学、哲学、心理学、生物学、地理学、歴史、文化、アート、教育学、社会学、メディア、研究、ジェンダー研究などから得られる視点を活用する。
生徒は、全体を掴み、現象の間のつながりを理解し、幅広く批判的な思考を発展させていく。
また、一般教養、判断能力、他人の尊重、会話、聞くこと、自分の表現を強化する。
人権に目指し、持続可能な将来の建設。社会的な存在として人を理解し、
周りの現実を批判的に検証する能力、自由で平等、アクティブで倫理的な社会の一員として生きることが期待される

凄いと実感するのは、この抽象的な目標が現実に有効なものとなるような授業が実践されていることだ
こうしたものを見ると、ヨーロッパの社会は思想が現実社会に実体化されると思えてならない
それを日本と比べると、かつて明治維新で海外経験を積んだ人びとは(福沢諭吉など)
海外の思想と技術を学んで一見こなしきっていると見える日本だが、思想が社会化されておらず
表面的な技術だけが身についているに過ぎないとしている

この本、現在の読んだところは半分程度
いろんな視点からとりあげられているので、一つ一つ驚きを覚えるが
実感として思うのは、読むことで必然的に生まれる何かと比較する
(例えば日本と)ということは、本当に刺激となるということだ

きっと読んだ人はまず日本との違いに驚く
すると漫然と受け入れていた日本の教育はこれで良いのか?
と考えるようになる
そして自分の頭で考えて、日本の現状に合わせて、あるいはあるべき姿を目指して
どのような教育(方法)が良いかを考えることになる

こうした行動のきっかけとなる刺激的なこの本
個人的にはこうした本こそがベストセラーになれば良いと思うが
この本を求められる社会は、実は何かが不足していることの反映なのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すべての、白いものたちの」を読んで思い浮かべたこと

2025年01月26日 09時36分24秒 | 

久しぶりに小説を読んだ
年令を重ねると作り物はリアリティがなくてしんどい!
と感じる人も多いようだ(友人がそうだった)
確かにその傾向は自分でも見られるかもしれない
その代わりに読むものは現役世代ではないのでハウツウ本とか
自己啓発本ではなく、小難しい本となっている

読んだのは「すべての、白いものたちの」ハン・ガン著

手にした理由は、ノーベル賞レベルの質感を確かめたかったからで
受賞した作品とそうでない作品、その違いはどんな印象をもたらすのか?
に興味があった

この本は不思議な本で、余白が多い
一つの章は一ページちょっと(多いものでも数ページ)
つまり文字が少ない
最近の事細かな描写が多い類とは全く違う
でもそれで情報量が不足しているかと言えば、そんなことはない
余白部分は読み手の想像力にお任せ!という感じで
このような読み手の想像力に任せる方法は結構好きだ

例えばクラシック音楽も、能を楽しむのも受け手側の想像力に依存していて
作品自体は説明的ではない
このように勝手な連想が可能な作品は、説明的なのよりも個人的には好きだ

ただし、短い文で書かれたものがすべて想像力を触発するか?といえば
決してそんなことはなくて、そこにはセンスとか文章の技術が必要
なのだろうと思われる
この作者の書いたものは、その喚起力が相当なものだったので
これがノーベル賞レベルかと一人納得した

過去に読んだ本と比較するような楽しみ方は、本当は良くないかもしれないが
この本を読んでいて思い浮かべたのは西脇順三郎の詩?(禮記)だ
何か似ていると!とすぐに頭に浮かんだのだが
似ているのは短い文で構成されているということだけだ
だが想像の世界を刺激する方法は共通している
(西脇順三郎のこの本を読もうとしたのは外国人に面白いよ!
 と奨められたからなのが少し残念だが)

深い余韻のような静寂とか悲しみ
そうしたものが本全体から感じられる

だが、このような世界観(美意識)の本が現在の殺伐とした社会で
存在意義を持つことができるのだろうかという不安が頭に浮かぶ
〇〇パといわれる効率を求めたり、過剰に勝ち負けに拘る世界
法に抵触していないからと言って、平気で常識のブレーキを無視する世界
そうした世界に、これらは何らかの力を持ちえるのだろうか

それは読んだ人と読んでいない人の判断とか考え方の違いを
比較することで実質的な効果は確認されるかもしれない
何かのCMを引用して、人は読んだものから(体験したものから)できている
とするなら、人はなるべく良質な体験をすべきだと思う







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赤松小三郎ともう一つの明治維新」

2025年01月18日 09時41分30秒 | 

昨日は比較的運が良かった
待たされるのを覚悟して9時過ぎに突然診療に出かけた歯医者だが
たまたまキャンセルが出たので11時に見てもらえることになった

家から近いので一旦自宅に戻ってあれこれ何かをして
再度11時少し前に出かけると、ソファで待っている知人を見つけた
最近、知人と会うのは医療関係の場所が多い
年齢からすると、そうしたことは今後増えることはあっても
少なくなることはないかもしれない
そこでちょいと情報交換をしていると時間となった

医者はそれなりに凄いな!とつくづく思う
原因と処置そして対処法を教えてくれて、飲み薬を3日分もらって
今は少し歯に違和感は覚えなくなりつつある

待ち時間で読もうとした本「赤松小三郎ともう一つの明治維新」は
結局家で読み終えることになった

この本は本当に面白かった
速くも今年一番の評価を与えることになるかもしれない
この本は実は去年読んでやはり興味を覚えた「江戸の憲法構想」
と同じ人が書き上げた本だった

今年の大河ドラマは江戸時代
何故か視聴率は戦国時代を扱ったもののほうが高いようだが
大した戦いがなかった江戸時代はもう少し評価されてもいいと思う

江戸時代の識字率は当時の世界各国と比べても高いそうだ
寺子屋で論語とか算盤を習ったようで、それがあるからこそ
蔦屋重三郎は出版という事業を運営できた

寺子屋では儲けの話ではなく、正しく生きるべく
倫理観を醸成するものも教えられた
それらの教育を受けた人たちは、さてどのような人間になるか
を考えると、赤松小三郎のような人間を生み出す可能性がある

歴史の中で赤松小三郎が話題になることは殆どない
だが、いざ知ってみるとその考えたこと、行ったことには驚きを覚える
明治維新の五箇条の御誓文よりもレベルの高い選挙による
民主主義体制を提案している
(二院制、普通選挙による議員の選抜、立法府を上位におくシステムなど)
それはイギリスの民主主義を学んで、それをそのまま日本に移し替えるだけでなく
彼の独創的なアイデアも入れられている
彼は山本覚馬(新島八重さんのお兄さん)とか東郷平八郎とか
明治維新に関わった有名人とも多く付き合っている
(というより赤松小三郎はイギリス式の戦い方の先生役だった)

つまりは庶民出身でありながら深い知識を人間性を持ち得た人物で
暗殺によって命を失うことになったが、彼の死を悼んだ人は教え子たちだった

この本にある彼の提案した憲法構想が社会に出て討論され
それを受け入れるか、どうするかという部分の記述は
まるでリアルタイムで中継を見ているようで
彼が暗殺されることを知っていてもハラハラしたものだった

この本は「もう一つの明治維新」とあるように、明治維新を肯定的な立場で
捉えたものではなくむしろ否定的な捉え方だ
特に長州人の行ったことは許しがたいものだと論じている
(その結果が戦争を招き、多くの人命を失うことになったとしている)


今流行りの「オールドメディアは一方的な視点からに過ぎない」とされるように
歴史の捉え方も従来のような明治維新を一方的に善きものとして
捉えるのではなく負の部分も慎重に考慮する必要はあると思う

それにしても運の悪い人たち
「大津皇子、村山タカ、小栗忠順、土方歳三、赤松小三郎」
たちに関心が行ってしまうのは何故なんだろう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ読み終えないとまずいかも

2025年01月07日 09時23分28秒 | 

年令によって興味の分野が変わってきて、それに伴い読む本も変わってくる
若い頃はミステリーとか小説がメインだったが
最近は社会に関するものになってきている

紫式部が「蛍」の帖で書いたように、確かに物語は歴史書よりも
人間の真実を伝えている可能性がある
ただしそれには想像力を駆使することが必須条件となる

そうした想像力を刺激する物語は、ある程度は社会の教養となっているので
それなりの立場の人はそれなりの物語を知らないことは
ちょいと恥ずかしかったり、人間性の底を読まれてしまう可能性もある

ところで最近読み始めている社会に関することは
ストーリーを追いかけるのとは違い、なかなか集中して読み続けることは難しい
それは難しいことが書かれているせいだが、この難しいというのは
実は前提となっている歴史的事実を知らないためということが多い

最近、面白いと思いつつ詠んでいる「法の精神」モンテスキュー


面白いと思いつつ一気読みできていないのは、ここで扱われているヨーロッパの歴史
ローマ時代とギリシア時代の出来事が全く頭にないからだ
モンテスキューは過去の出来事の例をとりあげてそこから一般論を導き出そうとする
だがその事件とかエピソードを知らないと、ただただ文字の上を見るだけになっている
つまりは本を読み込むにはそれなりの前提としての知識が必要となってくる

そこで不意に思ったのだが、マキャベリの「君主論」も
もしかしたらこのように過去の歴史からなにか一般化できるものを
まとめた本ではないかということ
現在「君主論」は本棚にずっと鎮座して眠っているが
もしかしたら今なら読めるかもしれないという気もする

同様に今なら読めるかもしれないと思えたのがルソーの「社会契約論」
でもこれは相当ハードルが高そうな印象を覚えたまま、ほっぽりだしている
そして積読状態が解消されない可能性はやはり高いとも思える

旅行や登山はできるうちにやっておいたほうが良いというのが
それなりの年齢の人間が実感することだが
読書も同じようなものかもしれない

読めるうちに古典とされている本を消化不良でも読んでおく
わからないことに悪戦苦闘する
そうしたことは攻略法なしにゲームのクリアを目指して戦っているのと
同じかもしれないと想像できないだろうか

ということで、消化不良とか全くの理解の外にあるとしても
読もうと取り組んだ山の大きさ高さは、最後のページに至ったときは
なんとなく誇らしい気になった気もする

ということで、いつものまとまらない話
それにしても「法の精神」はそろそろ読み終えないと
今年の読書に勢いはつかないし、いろいろヤバいことになるかも


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年読んだ本

2024年12月25日 09時29分45秒 | 

恒例の今年読んだ本を並べてみた
例年と比べて読み終えた本が少ない
年ごとにこうした傾向は続くかもしれない

少し弁解をするなら、今年は必要に迫られて以前読んだ本の一部を
拾い読みしたものが少なくなく、それで時間をとってしまっていた
例えば「全体主義の起源」3、「世界宗教史」「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の部分とか
部分を読むだけで集中力を要するような本だ
でも相対的には気力、集中力の低下を身にしみて感じてなんか情けない気分だ

今年の「優」の評価は小説が「ラウリクークスを探して」だけで
最近は小説を読まない傾向がある

経済に関する分野では「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」
「堤未果のショック・ドクトリン」「超訳資本論」
優ではないが「資本主義の宿命」
資本主義には内在する問題点があるのでは?
と思い浮かんで、これらの本をそういう視点から読んだのだった

社会的なものでは「詭弁社会」
下山事件絡みで「謀殺下山事件」「葬られた夏」「夢追い人よ」などで
今年のちょっとしたマイブームは下山事件だった

歴史絡みでは「枕草子のたくらみ」が非常に面白かった
「光る君へ」の枕草子誕生の回の直後に手にしたが
ドラマを見た後だったのですんなり理解が進んだ
確かに定子のために書かれたものと納得せざるを得なかった

読んでいると驚きを覚えて、興味が湧いたのが「江戸の憲法構想」
これは明治維新が歴史の必然というより
どこか強引に武力で推し進められていった一種の革命ぽいところがある
と考えるきっかけになった
この本を読んだ影響で、アマゾンで「赤松小三郎ともう一つの明治維新」
を購入することになった

さて振り返ってこれらの本を覚えているか?
と自問すると、その答えはかなりあやしいのが現実だ
でも、それは気にしないことにしている
コンサートに行っても覚えていることは僅かな印象だけということが多い
読書もそれで良いのではないかと思うことにしている

何も残っていないと思えても
読んだ何かはきっとどこかに蓄積していると思うことにしている

年内に読み終えようとした「香子 紫式部物語」5は
今読んでいる「法の精神」モンテスキューが面白いので
そちらに時間をとられて年内に終えられそうにない
ま、それも仕方ない(かな)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読みかけの本と読みたい本

2024年12月11日 09時34分43秒 | 

先日、友人のお母さんのお葬式に列席した時
キリスト教の牧師さんが話されたことが気になった

「エッセンシャルというのは必要不可欠という意味です
  世界中のどの地域にも宗教はあります
 だから宗教は人類にとって必要不可欠なものです
 また、ほとんどの宗教はあの世のことを扱っています
 キリスト教も、、、」

普段耳にするエッセンシャルはこう言う意味だったのか!
と初めて知ったのは恥ずかしいが、確かに宗教というものは
人類には心理的必然性があるように思われる

そこで思い出したのが昔読んだ3冊「世界宗教史」ミルチア・エリアーデ著

本棚にひっそりと並んでいたのを、今ならどう感じるだろうかと
引っ張り出して、ところどころ読んでみた
しかし、情けないことに何も覚えていない
かすかな記憶にはどの宗教にも「イニシエーション」(通過儀礼)が存在する
ということぐらいだ
今読んでも手応えはありすぎて、昔、本当に読んだのか?
とさえ思うが、これは部分的に拾い読みしたい気分
(今はユダヤ教絡みのところ)

ところで自分は同時進行で何冊かの本を読むタイプではなかった
一冊をとにかく終えてから次に取り組むのが常だった
しかし、困ったことに今は読みたい本が一気に増えてしまった

図書館で借りたのは村上春樹と並んでノーベル賞候補と言われる
金井美恵子さんの「スター誕生」

一つ一つの文章がとても長くて、野坂昭如の「エロ事師たち」を思い出した
それからプルーストの「失われた時間を求めて」と文体が似てるな!とも

ところで最近の世の中は「法に抵触していない」との言葉で芳しくないこともスルーされる
傾向にあるが、そもそも「法の存在意義」は一体なんだろうか、、
と考えるうちに思いついたのは「法の精神」モンテスキューの本
何が書かれているかは全くわからないが、今の気分に合いそうとの直感でアマゾンで購入した


これは面倒くさい本だが、とても面白い
西欧人の知識人の懐の深さに驚く

アマゾンで購入した最近の本は「赤松小三郎ともう一つの明治維新」

少し前に読んだ「江戸の憲法構想」の中に、幕府の中にも民主主義的な考えを持った
赤松小三郎という人がいて、生きていたら世の中は今とは違ったものになったとされるが
彼はテロによってその役目は果たすことができなかったとあった
自分は運の悪い人はどうしても気になってしまうし、読むべきとの使命感に襲われて手に入れた

そして今年中に読み終えないと!と脅迫観念に襲われるのが「香子」紫式部物語 帚木蓬生著

5冊ある中の最後の一冊だ
「光る君へ」の進行と合わせて読んでいたが、これは何としても今年中に最後のページに
たどり着きたいものだ

ということで、少なくとも今は「読みたい」意欲とか衝動があることにホッとしている
なかなか偉いぞ!と自分で自分を褒めてる毎日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再読の候補は、、

2024年11月05日 09時18分27秒 | 

再読しようと思い、思い出しながら読んでいるのが
シュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」

この人は実際に政治・経済の現場に携わった人で、抽象的な概念に振り回されることはなく
実感を込めて話が進められているので思いのほかわかりやすい

カラオケに行くと、他人の歌を聞いているより次に自分が何を歌うか
曲探しに忙しいことがあるが、今はそんな状態だ
次にどんな本を読むかが頭に浮かんで仕方ない

候補にあがって同時進行で読み初めたのがハンナ・アーレントの「責任と判断」

この本は付箋がつけてあったので、とりあえずそこから読むことにした

流石に付箋のある部分は面白い
だがそこだけでは内容の把握は困難なので、少し前のページから読むことになる
残念なのは付箋の部分をあまり覚えていないことだが
それにいちいち落ちこんでいては仕方ない

再読の本が思いのほか面白かったので、次はと、つい気が急いてしまうが
面白かったという記憶があったこの本が候補にあがる

これは大学の講義をまとめたもので、「監獄の誕生」よりも思考の過程がわかり
理解しやすい
これを読み終えた時、面白かったのでこのシリーズを続けて読もうとしたら
この本はそれほど在庫がなくて、中古があっても高価な金額になっていた
残念ながら市の図書館にはない

とまあ、こうして挙げてみると変な本に今は興味が向かっているかもしれない
硬い本ばっかりなので、物語を欲する気持ちも少し湧いてきている

アマゾンでほしいものリストに登録したのは
ヨン・フォッセの「三部作【トリロギーエン】」と「朝と夕」
なにやら幻想的な物語らしい
だが、この候補も一般的ではないかもしれない

よく「人は食べたものでできている」と言われるが
「人は読んだものでできている」というのもありだと思う


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積読本、再読本などについて

2024年11月04日 09時19分24秒 | 

気力とか忍耐力とか、その他にもある程度の知識が必要な読書
大威張りで趣味は読書とまでは言えないが本は好きだ
気に入った本と出会った時はワクワクして
最終ページに行くのがもったいない気さえする

ベストセラーを読むタイプではなく、その時の自分の中心課題とか
目にして気になったものを選んで読むが
それは一般的な選択とは言えない変な本が並ぶ
(人の本棚を覗くとその人の性格がわかるという話がある)

アマゾンのお勧め本は確かにポイントをついて推奨するので
無駄はないが、それでもそれ故に時には反抗したくなる
時には本屋に行くのはいい刺激になる
本屋でいつも思うのは、人はなんといろんなことを考える生き物だな
ということ
それは驚きとともに呆れるほどだ

昨年は植物絡み、今年は枕草子関係と資本主義、社会主義関係が
関心の対象になっている
本は多少の知識が無いと消化できない
だから再読すると、以前読んだときには見過ごしてしまったことが
知識を得た後は切実に訴えてくるといいことはある
現在再読中のシュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」は
「超訳資本論」を読んだ後なので、前に読んだときとは心に訴えるものが違う
ただ、この本はもう一回読まねば!
と思っていたことは、つくづく正解だったと思う

と言っても、勢い込んで購入した本もある
それは積読という形になる
今は「花と龍」「神の代理人」「普通の人々」「権威主義の誘惑」が積読状態の本だ

昔は読み終えてからでないと新しい本は購入しなかった
読む終えられないのがなんだか悔しくて
とにかく最後のページまで行くことに必死だった

だが最近は、読み終えられなくても良いや、、とも思えるようになり
そのせいで、積読本は増えていくことになった

この積読本について昨日の中日新聞の読書蘭にこんな記事があった

この批評欄の最後の部分が素晴らしい
「本は冊という単位で考えるべきではない
本はあらゆる本、あらゆるページと、瞬時のうちに連結しては
また離れるということを繰り返している」
一冊にパッケージされているようで、実は世界と無限につながっている
僕たちが読んでいるのは、その無限に広がる網の一部なのである

なるほど、読書体験は滔々と流れる時間経過の一部分で
それは明らかに社会にも、個人の生き方にも
そして今後についても関与していると実感する

フト思いついたが、今後(来年)は再読を中心に読んでみるのも悪くないかも
その候補の本を選択する過程もなんだか面白そうだ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする