市議会議員が3班に分かれて
22日・23日・24日の3日間にわたって
行われた新城市議会報告会
市議会議員の全員の人格・資質を確認する意味で
最初は新城市勤労青少年ホーム、二日目はちさと会館
そして最終日は富岡ふるさと会館に出かけた
そこで、ひとりひとりの受け答え、そこから感じとられる人間性を
じっくり観察することにした
(もっとも、あんまり頭にきているのでついつい質問を怒りの口調で
投げかけてしまったが)
普段行われる議員報告会がどのくらいの盛況、活気が初めてなので
比較できないが、今回は全会場熱気に満ちたものとなった
その理由は、新市庁舎建設に対する住民投票の問題
議会で決定した設問が極めてわかりにくい
それは、ずっと市民の間で求めてきた住民投票案のものとは
かけ離れてしまっているので、何とか直して欲しい
と切望する市民が中心となっていた
つまり、その会場にいた人たちの大半は今の住民投票の設問案に反対する人たち
自分がここまで熱くなっているのは、この住民投票の選択肢が極めてわかりにくい
にも関わらず議員が通してしまった点
あの設問で初めての人はどうやって判断を下すというのだろう
どんな手続き上の整合性があろうとも混乱をもたらす設問であることには
間違いない
議会側は補足資料で分かってもらえるようにとか
まちづくり集会でわかりやすく紹介するようにする
とか言っているが、まちづくり集会に来られる人は会場に満杯になっても
1000人程度
そして補足資料を読んで理解できる人、理解しようとする人がどれだけいるかが
現実的には圧倒的に少ないことが予想される
そして結果的に行われる住民投票は勘違いを含めて何をやったか
分からない結果となることが予想される
本当にそれでいいのか?
会場に詰めかけた大半の傍聴者は12月、3月の定例議会の報告が済むやいなや
市庁舎の住民投票の質問・苦情に移った
その大半の意見は要約すれば、
住民投票の設問をもっとわかりやすいものにしてほしいということ
しかしその答えに対する議員の答えは、、、
会場の糾弾する熱気に負けて皆さんの意見を持ち帰って相談する
素振りをみせるものの結果的には最初の二日間の要望は
議員間に持ち帰って相談して何とかなったという類のものではなかった
「あなたの思いを受け取りに行きます」
新城市議会が印刷したものには、一番上にこの様に書いてある
しかし、聞いたけれど、反映してはいないのが現実の有り様
どれだけ熱意を込めて、感情を込めて、怒りを込めて訴えても
議員はその当日さえ過ぎれば、あとは何もしない
本来は新城市議会基本条例に基づけば、そんなことは許されないはず
●市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための議会運営に努めること
また別の項目では
●議会は、請願及び陳情を市民による政策提言と位置づける(とともに、その審議においては
これら提案者の意見を聞く機会を設けなければならない)
つまりはこの様に無視することはできないことになっている
しかしなされていることは、一体なんだろう?
話は変わって、昨日市役所に行く機会があったので
ずっと前から疑問に思っていたことを聞いてみた
新城 道の駅「もっくる新城」の建設費が予算と大幅に違っていて
2億円以上もの補正予算を組まなければならなくなったが
一番の当事者である市の職員は懲罰を受けたのか
ただ、ミスしましたすみませんで済ませているのか
普通の人、われわれは誰も責任をとらず
すみませんでしたの一言で済ませてしまっている
との認識でいる
でも、それはさすがにないだろうと思い直しての市役所への質問なのだが
その答えは、実は担当者は懲罰を受けている
つまり責任をたらされている、とのこと、
どのような懲罰ですか?
それは言えません
誰が懲罰を決めたのですか?
庁内に懲罰委員会だったかな、とにかくある組織を作って
そこで懲罰に対して決める
メンバーは?
お答えできません
本当にしたのかどうかを分かる方法はあるますか?
議員さんが聞いてくれば、、全てをはなすことはできないかもしれませんが
いいですか、市民はあなた達のミスを誰も責任とらないで
平気でいると思っているのですよ
ちゃんとそうした対応をしたのなら、自分たちは自分たちでカクカク・シカジカの
懲罰を行いました、これで許してください
と発表したほうが自分たちにとってもいいのでないですか?
結局のところ良くわからない
確かに個人攻撃やら名前を公表することは少し問題があるから
公表の程度は考えてもいいが、公表しなければ何をやっているかわからない
それにはたして本当にやったのかもわからない
話はそこから続いて思ったのが
市議会議員は最初、予算案を可決した
つまりハンコを押した
この人達の責任はどうなのか?
部下が見積もりを出して上司がチェックしてオーケーをだした
ところがその見積にチョンボがあった
この時末端の当事者は始末書等を書かされて何らかの罰を受けるのが
世間では一般的
そしてその見積もりを承認した上司は何のために印鑑だったのか
ということでやはり責任は追及され、自らか強制的か分からないが
そのままでは終わらない
ところが、ここ議員さんたちの間ではこの理屈や段取りに従わないらしい
どうも不思議な結局は誰も責任をとらないシステムのようだ
これでいいのだろうか?
最終日は産廃建設予定地ということもあって
他の地区よりは産廃の話題が多く取り上げられた
議員として言葉ではなく何を具体的に活動しているのか
その質問がなされたが、具体的な回答はなし
そもそも現実把握がなされているのか
タナカ興業が肥料と称して積み上げて問題を起こしている田原市へは
行っているのか?
行っているのは一人
この肥料と称するものが本当に肥料か、それとも産廃なのか
国会まで問題にしてもらっており、県の指導があることになっている流れの
テレビ中継もなされたが、それはご存じですか?見ていますか?
見ているのは一人
見るべきだと思いますが、ビデオを見たいと思いますか?
見ますか?
、、、、、、
今となっては議員の状況把握を求めても遅すぎて
もっと具体的な拘束力のある方法を取る時期に来ている
と訴える方もいる
一体市民の代表としての議員の活動とはなんだろうかと
考えてしまう
話は再び市庁舎の問題に移って
借金の支払いは年5000万円で20年間
現状市は400億円の借金があるが、それで財政は平常にやっていけるのか
やっていける根拠は?
これは市の職員と議員さんに聞いてみると
議員さんは市から出されたデータ・シミュレーションで納得していて
大丈夫だという
市は色々要素はありますが、複合的ではなく市庁舎の建設に関する費用の
支払いに関しては問題はないと思います
しかし、この出されたデータというものは本当に信用できるものなのか?
自分たちが何かの目的のために創りだしたデータにすぎないのではないか
それを第三者機関に(税理士・会計士)などに見てもらって
それは客観的な事実か?
第三者に見てもらうことはしていない
そこで、監査法人に勤めた身内の人に聞いてみた
市が出してくる計画の不備を見つけることができるのか?
答えは、残念ながら数字はなんとでもできる、大きな市などは
最初から会計士などが入って数字を作っているから
聞かれてもなんとでも答えることができるように作っている
もし追求できるなら数年後、計画通りにはなっていないことを
追求はできるが、その時はその時でうまい言い訳を口にする、、
こんなことを聞くと絶望的な気持ちになってしまう
数字は嘘をつかないというが
その数字は根拠の無い都合の良い解釈で作り上げられ
体裁の良いグラフや表にされた時点でその数字の
本当の意味を知り得る能力を持つ人がいないために
出された数字を盲信してしまう
人を善意で解釈し
市職員はまさか悪いことをしない
市議会議員はまさかいい加減な議論はしていない
そんな風に思うのは間違いなのか
とさえ思えてくる
ここを法律で縛ったところでイタチごっことなってしまいそう
少し甘い理想主義かも知れないが
最近は人としての何かが本当に壊れてしまっているのではないか
本当に、今どうすればいいのだろう?
三日間の不満の掃き出し場所としての議員報告会としては終わらせたくない
どうすればいいのだろう