パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

そうだったのか!新城市住民投票の裏側

2015年04月29日 21時35分33秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

一つ疑わしいことがあると、後から後から疑惑が湧いてくる
というのはよくあること
今回の新城市の新市庁舎見直しについての住民投票に関しても
良くわからない出来事が平気で進んでいく

まずは圧倒的な事実として設問が判断しにくい
つまり、何をいっているかわかりにくく、普通の人の判断はできない
にも関わらず、それを頑なに変えようとしない

でもその前に、住民投票に反対していた議員が
あるときから急に方向転換して、住民投票をしようという
流れになった不自然さがある

建前上は、短期間に9000もの署名が集まったからその声を
無視する訳にはいかないから住民投票に対する考え方を改めた
というのだが

実はそうではなかったようだ
新城市議の山崎 祐一氏の発行する「「新城公論」にこんな文章が乗っている

(住民投票の)条例文については、万が一のことを想定し、穂積市長らの指示で、
市の担当部局で 2月中旬ころから素案づくりに入っていました。

3月に加藤、白井議員と共同提案が市民の声に圧倒されて
自然となされたのではなく
初めから条例案(文)も検討した後のお決まりのコースだったということだ

これで一気に議員たちが態度を変えたのかが理解できた

ここで新城市議会の現状は、反市長派2人、共産党員1人、 独特な立ち位置2人
後の13人は市長派ということらしい 
つまり民主主義の多数決はこの13人にかかっているわけだが
この人達の判断が市民目線かどうかといえば、、、

とにかく、ひどい話だ

もっとも、市長側からすれば準備の良い段取りということが言える
その面では用心深く、先を読む力もある
そして言葉の上での法律上には問題がなさそうな形に持って行けている

今度の住民投票は18歳以上に投票のハードルが下げられた
若者に関心を持ってもらえるように、、、
聞こえはいいが口にしない本当の目的は 
投票率を下げるため
これはある議員が口にした言葉だ
用心深いタイプの人はここでも保険をかけている
まずはわかりにくい文章にして答えを分散させる
次に仮に結果が大幅な見直し〈規模縮小の)となったら
投票率の低さを取り上げて、市民の総意ではないといいそう

以上は偏った考えであることは認める
しかし、そういう考え方もできるということ自体が問題

それにしても、一体どうなっているんだろう
新城市の議会、行政は 

何故もっと前にまともな議論がなされなかったのだろう 
しないようになっていたのだろうか
それとも(議員が)ぼんやりとしていたのだろうか 

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本の価格(ヘッセ、三島由紀夫)とお土産本

2015年04月26日 16時16分28秒 | 徒然なるままに

4月初旬から中旬にかけてのドイツ旅行
その時に持っていったのがヘッセで文庫本の「荒野のおおかみ」
宇多田ヒカルが面白いと発言し、コリン・ウィルソンが
出世作「アウトサイダー」で取り上げた作品だ


ところが、裏表紙をみて驚いた

価格がなんと140円(昭和46年発行、47年3版印刷)
なんという安さ
ちなみに現在の文庫本での価格は594円
その差454円
昔の本なら4冊買える

この比較が興味深く別の本でもやってみた
三島由紀夫の「春の雪」単行本

この美しい装丁の369ページの本の価格が、680円(昭和46年)
現在単行本としては新たに発売されていないようだ 

現在との物価が違うと言ってしまえばそれまでだが
この本の価格の変動は凄まじい

日焼けしてしまった「荒野のおおかみ」
その内容の殆どを覚えていないが、コリン・ウィルソンに
刺激されて一気に読み終えたことは覚えている
そして何十年後にヘッセの故郷に行くことになるとは、、 

本の価格は実際上昇したが、その価値は同様に
上昇したか?と言えば 、必ずしもそうとはいえないところが
少しばかり残念

ところで、本つながりだがドイツ旅行のお土産はほとんど何も買わなかった
荷物になるので日本でネットのお土産サイトでカタを付けておいた
お陰で旅の途中で悩みことはなかったが、それでも何かの記念にと思い
購入したのが

駅の本屋に置いてあった
数軒の本屋に置いてあったから少しは評判の本だったのかもしれない
この旅でドイツ語とおさらばするのは残念に思い
少しづつ訳して行こうと思ったが

これが想像以上に困難な作業
まずわからない単語がどんどん出てくる
分かる単語の間に分からない単語が出てくるのではなく
全くその反対、わからない単語の間に僅かに見覚えのある単語が出てくる程度

辞書を引いて進めていくのだが悲しいことに
老眼はその辞書の文字がよく読めない
そこで拡大鏡を使って調べるのだが、本当に開き直って時間をかけて
やっていくしかない

そこで思ったのは「解体新書」を訳した人たちのこと
彼らもほとんどわからない言葉の連続でさぞかし苦労したことだろう
それは使命感のようなものにうなされて行ったに違いないが
それでも毎日毎日この大変困難な作業に取り組んだことを思うと
頭が下がる

さて自分だが、気まぐれで嫌になるまではとりあえず続けるつもり
現在は数行で一日分は終了
それもちゃんと訳しているか確認もできないが
とりあえずわかったつもりでの段階で前に進むことにしている
ま、いいか! 

 

 

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新城市産廃の問題

2015年04月26日 11時26分14秒 | 産廃

先日の議会報告会の最終日に話題となった産廃についての
国会でのやりとりのビデオ(DVD)
同級生の友達から貸してもらって見た

そこから言えることは既に既成事実化している様に見える
産廃業者の操業が、我々の目に見えないところで政治家が
妙なことをしなければストップできるということ

このストップさせる手段の流れは
企業団地には使用を許されるには条件がある
◯反社会的組織とのつながりがないこと
◯行政処分を受けている企業でないこと

これらに該当する企業は企業団地での活動は認可されない

今回ストップさせようとする方法は問題となっているタナカ興業が
下の行政処分を受けるに値する企業であることを(処分される企業と)
県に認めさせることによってストップさせることができる
と言う段取り

そこで、このタナカ興業の現在の活動の違法性を追求する
ところでこの企業は以前に静岡県で肥料と名付けられたものの中に
該当しない産業廃棄物が入っていて、行政処分を受けている歴史がある

そこで産廃をストップさせようとする人たちはタナカ興業が
肥料と称して耕作放棄地に山積みにしている現地に赴いて
そこの土壌調査をして危険な薬物が検出されたし
現実に臭いがすごいことになっていると県に伝えた

この危険な薬物は県の調査では発見されなくて
市民団体の方は検出された
そこで、市民団体は県の人が立会のもとで再調査をすればいいことになるが
そこの請求はまだなされていない

国会でのやりとりは法律的な要素、それも複数の法律にわたっているので
直ぐには理解し難いが、要はある法律では臭いには規制がないが、ある法律には
法律的な制限がある

肥料と称するには現実に10アールあたり何キロと言った使用状況が
肥料としての認定の判断となる
そして肥料として売ったのだから、売った業者が儲けが
マイナスになるようなことはいけない
また肥料の製造については無闇矢鱈と製造できるものではなく
使用先の状況を踏まえて計画的に製造しなければならない

ここで最初の畑に投肥量は山積みになっているので
明らかに目的は肥料としての扱いではない
肥料を山積みの地点まで持ってくるのはタナカ興業
そして積み上げるのもタナカ興業
この手間賃を考えると儲けはないのではないかとも想像される
そして肥料の製造は計画に沿っているか

国はリサイクル法の認定を全国で180数社しており
認可した以上責任があるので、その部分で
産廃反対の市民の会は国に対して返事を求め
そして行政処分に当たるのではと希望した

そこでの国の答え
個別案件であるから愛知県、該当自治体でまともて欲しいというもの
つまり、県を何とか動かせば求める結果は得られるというもの
行政処分についても同じこと

静岡県で行政処分の対象になっており
同じことを愛知県でやって行政処分にならないのは
少し不自然(明らかに先の静岡県の例を反省として
タナカ興業がきちんとやっていれば問題はないが、田原市の例を見るとそうではない)

つまり普通の感覚なら県が行政処分を出せる条件は揃っていて
その為のデータを集めたいなら市民団体は正々堂々と立会のもとで
実施しようと訴える

要は、誰かがひと押しすればこれは行政処分対象の企業であるから
操業はストップできる

しかし、問題はここから
どうも県に対する働きかけがない
この部分に市民団体の「子供を守る母の会」の方々は怒りを覚えている

一ヶ月前の県会議員公開討論会でも、また先日の議員報告会の質問でも
県議、市議とも具体的な行動は取られていない
言葉ではやりますと言っているが、、

正式の認可まで時間が少なくなってきて
早くストップさせないとと焦りを持っていても依然として
行動すべき人の動きは遅い

さて何故遅いのか?
そんなことはないと思いつつも、あらぬ想像が頭をよぎる
そしてそれはヒソヒソと語られつつある話なのだが

そもそものケンメイという潰れそうな会社をあそこ地に
持ってきたことが、全ての計画の始まりだったのではないかということ

人の財布から言えばサラ金に手を出しているような会社を
企業団地に入れて急いで創業させ、予定通り倒産
この土地を競売にかけて売ることになるが一つ悪い条件がついていた
買い戻し特約、この土地は本来製造業、物流業しか求めるこことができない縛りがあった
しかし、8月の数日間でなぜかその縛りが外されてしまって
タナカ興業が高値で買うことになった

それからの動きは、新聞等で紹介されているが
県議、市議の動きが悪いのはその能力の問題ではなく
こうした背景のもととなるものが行動を規制しているのではないか
ということ

こうしたことで問題となってくるのは、さて愛知県の代表者大村さん
かれはこの手の企業から献金を受けていないかどうか?ということ
大村さんだけでなく、わからない方法で政治屋さんたちにも、、、

こんな話は実は想像したくない
ちゃんとまともに行動すればきちんとした反応が得られる
(多少の不満は残るにしても)
それが、当たり前なのだが、どうもそれができなくなっている
妙な話だ

最後に一つ、産廃の操業は県の個別事案
県ときちんと交渉すればストップできるということだけは事実
そのきちんとした交渉ができるか否かだけが問題だ

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新城市議会報告会

2015年04月25日 07時50分47秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

市議会議員が3班に分かれて
22日・23日・24日の3日間にわたって
行われた新城市議会報告会

市議会議員の全員の人格・資質を確認する意味で
最初は新城市勤労青少年ホーム、二日目はちさと会館
そして最終日は富岡ふるさと会館に出かけた
そこで、ひとりひとりの受け答え、そこから感じとられる人間性を
じっくり観察することにした
(もっとも、あんまり頭にきているのでついつい質問を怒りの口調で
投げかけてしまったが)

普段行われる議員報告会がどのくらいの盛況、活気が初めてなので
比較できないが、今回は全会場熱気に満ちたものとなった
その理由は、新市庁舎建設に対する住民投票の問題
議会で決定した設問が極めてわかりにくい
それは、ずっと市民の間で求めてきた住民投票案のものとは
かけ離れてしまっているので、何とか直して欲しい
と切望する市民が中心となっていた
つまり、その会場にいた人たちの大半は今の住民投票の設問案に反対する人たち

自分がここまで熱くなっているのは、この住民投票の選択肢が極めてわかりにくい
にも関わらず議員が通してしまった点
あの設問で初めての人はどうやって判断を下すというのだろう
どんな手続き上の整合性があろうとも混乱をもたらす設問であることには
間違いない
議会側は補足資料で分かってもらえるようにとか
まちづくり集会でわかりやすく紹介するようにする
とか言っているが、まちづくり集会に来られる人は会場に満杯になっても
1000人程度
そして補足資料を読んで理解できる人、理解しようとする人がどれだけいるかが
現実的には圧倒的に少ないことが予想される

そして結果的に行われる住民投票は勘違いを含めて何をやったか
分からない結果となることが予想される

本当にそれでいいのか?

会場に詰めかけた大半の傍聴者は12月、3月の定例議会の報告が済むやいなや
市庁舎の住民投票の質問・苦情に移った
その大半の意見は要約すれば、
住民投票の設問をもっとわかりやすいものにしてほしいということ

しかしその答えに対する議員の答えは、、、
会場の糾弾する熱気に負けて皆さんの意見を持ち帰って相談する
素振りをみせるものの結果的には最初の二日間の要望は
議員間に持ち帰って相談して何とかなったという類のものではなかった

「あなたの思いを受け取りに行きます」
新城市議会が印刷したものには、一番上にこの様に書いてある
しかし、聞いたけれど、反映してはいないのが現実の有り様
どれだけ熱意を込めて、感情を込めて、怒りを込めて訴えても
議員はその当日さえ過ぎれば、あとは何もしない

本来は新城市議会基本条例に基づけば、そんなことは許されないはず
●市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための議会運営に努めること
また別の項目では
●議会は、請願及び陳情を市民による政策提言と位置づける(とともに、その審議においては
これら提案者の意見を聞く機会を設けなければならない)

つまりはこの様に無視することはできないことになっている
しかしなされていることは、一体なんだろう?

話は変わって、昨日市役所に行く機会があったので
ずっと前から疑問に思っていたことを聞いてみた
新城 道の駅「もっくる新城」の建設費が予算と大幅に違っていて
2億円以上もの補正予算を組まなければならなくなったが
一番の当事者である市の職員は懲罰を受けたのか
ただ、ミスしましたすみませんで済ませているのか

普通の人、われわれは誰も責任をとらず
すみませんでしたの一言で済ませてしまっている
との認識でいる
でも、それはさすがにないだろうと思い直しての市役所への質問なのだが
その答えは、実は担当者は懲罰を受けている
つまり責任をたらされている、とのこと、
どのような懲罰ですか?
それは言えません
誰が懲罰を決めたのですか?
庁内に懲罰委員会だったかな、とにかくある組織を作って
そこで懲罰に対して決める
メンバーは?
お答えできません
本当にしたのかどうかを分かる方法はあるますか?
議員さんが聞いてくれば、、全てをはなすことはできないかもしれませんが

いいですか、市民はあなた達のミスを誰も責任とらないで
平気でいると思っているのですよ
ちゃんとそうした対応をしたのなら、自分たちは自分たちでカクカク・シカジカの
懲罰を行いました、これで許してください
と発表したほうが自分たちにとってもいいのでないですか?

結局のところ良くわからない
確かに個人攻撃やら名前を公表することは少し問題があるから
公表の程度は考えてもいいが、公表しなければ何をやっているかわからない
それにはたして本当にやったのかもわからない

話はそこから続いて思ったのが
市議会議員は最初、予算案を可決した
つまりハンコを押した
この人達の責任はどうなのか?
部下が見積もりを出して上司がチェックしてオーケーをだした
ところがその見積にチョンボがあった
この時末端の当事者は始末書等を書かされて何らかの罰を受けるのが
世間では一般的
そしてその見積もりを承認した上司は何のために印鑑だったのか
ということでやはり責任は追及され、自らか強制的か分からないが
そのままでは終わらない
ところが、ここ議員さんたちの間ではこの理屈や段取りに従わないらしい
どうも不思議な結局は誰も責任をとらないシステムのようだ

これでいいのだろうか?

最終日は産廃建設予定地ということもあって
他の地区よりは産廃の話題が多く取り上げられた
議員として言葉ではなく何を具体的に活動しているのか
その質問がなされたが、具体的な回答はなし

そもそも現実把握がなされているのか
タナカ興業が肥料と称して積み上げて問題を起こしている田原市へは
行っているのか?
行っているのは一人
この肥料と称するものが本当に肥料か、それとも産廃なのか
国会まで問題にしてもらっており、県の指導があることになっている流れの
テレビ中継もなされたが、それはご存じですか?見ていますか?
見ているのは一人
見るべきだと思いますが、ビデオを見たいと思いますか?
見ますか?
、、、、、、

今となっては議員の状況把握を求めても遅すぎて
もっと具体的な拘束力のある方法を取る時期に来ている
と訴える方もいる

一体市民の代表としての議員の活動とはなんだろうかと
考えてしまう

話は再び市庁舎の問題に移って
借金の支払いは年5000万円で20年間
現状市は400億円の借金があるが、それで財政は平常にやっていけるのか
やっていける根拠は?
これは市の職員と議員さんに聞いてみると
議員さんは市から出されたデータ・シミュレーションで納得していて
大丈夫だという
市は色々要素はありますが、複合的ではなく市庁舎の建設に関する費用の
支払いに関しては問題はないと思います

しかし、この出されたデータというものは本当に信用できるものなのか?
自分たちが何かの目的のために創りだしたデータにすぎないのではないか
それを第三者機関に(税理士・会計士)などに見てもらって
それは客観的な事実か?
第三者に見てもらうことはしていない

そこで、監査法人に勤めた身内の人に聞いてみた
市が出してくる計画の不備を見つけることができるのか?
答えは、残念ながら数字はなんとでもできる、大きな市などは
最初から会計士などが入って数字を作っているから
聞かれてもなんとでも答えることができるように作っている
もし追求できるなら数年後、計画通りにはなっていないことを
追求はできるが、その時はその時でうまい言い訳を口にする、、

こんなことを聞くと絶望的な気持ちになってしまう

数字は嘘をつかないというが
その数字は根拠の無い都合の良い解釈で作り上げられ
体裁の良いグラフや表にされた時点でその数字の
本当の意味を知り得る能力を持つ人がいないために
出された数字を盲信してしまう

人を善意で解釈し
市職員はまさか悪いことをしない
市議会議員はまさかいい加減な議論はしていない
そんな風に思うのは間違いなのか
とさえ思えてくる

ここを法律で縛ったところでイタチごっことなってしまいそう

少し甘い理想主義かも知れないが
最近は人としての何かが本当に壊れてしまっているのではないか

本当に、今どうすればいいのだろう?
三日間の不満の掃き出し場所としての議員報告会としては終わらせたくない
どうすればいいのだろう


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教会の鐘の音と鳥の声

2015年04月21日 20時30分28秒 | 徒然なるままに

現地に行かないとわからないことの一つに音がある
今回のウィーンとドイツへの旅で改めて気になったのが
教会の鐘の音と鳥のさえずり

バンベルクで鐘の音が聞こえたので急いで動画モードに切り替えて
音を録音するために撮影

実はウィーンでもケルントナー通りを歩いている時に
数カ所から教会の鐘の音が聞こえた
それが割合大きな音だったので不意に
40年前にリューベックで聞いた鐘の音を思い出した
あの時もあたりを圧倒するような音だった様な記憶がある
(本当はそれほどでもないかもしれないが)

この鐘の音は日本のお寺の音とはだいぶ趣が異なる
日本の諸行無常の鐘の音と言われるような
どこか寂しい感じとは違って存在感たっぷりの何かを主張するような音
しかし、やかましい感じはしない
こうした音をこちらの人は当たり前のように聞いているのだ

もう一つ、鳥のさえずり
ヨーロッパ(ドイツ)は想像以上に自然が多い
散歩道や公園があってそこをジョキングやウォーキングしている人を
見かけるがその人達を見守るように(?)鳥達が騒いでいる
その鳥の声も耳が慣れると本当に色んな種類の鳥がいることがわかる
鳥なんてカッコウやホトトギスみたいな特徴のあるのもしか
分からないが、とにかくいろいろだ
メシアンが鳥のさえずりを音楽にした気持ちや発想がなんとなく理解できる

鳥のさえずりだけではない白鳥も珍しい存在ではなく
案外すぐそこにいたりする
日本で言えば雀みたいに身近な存在
ワーグナーやグリムが白鳥を扱ったのは
当然の成り行きかもしれない

田園を作曲したと言われるベートーヴェンの散歩道(ウィーンのハイリゲンシュタットにある小道)でも
第2楽章に聞けるような鳥のさえずりが聞くことができる
そしてそれはとても気持ち良い

ところで、平和の印 鳩は随分大きな顔をして教会の周りを飛んでいる
その鳩が水浴びをしているシーンを見かけたので動画で撮影してみた
場所はバイロイト 街の中心部

鳥は水が苦手と思い込んでいたが、遊びで水浴びをしているみたいで意外だった

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大石内蔵助とルードヴィッヒ2世

2015年04月17日 19時35分55秒 | 徒然なるままに

確か泉岳寺と思ったが、そこに大石内蔵助の使った
帷子があった
それを見て一番最初に感じたことは、小さい!

一昨年ドイツに訪れた時、ルードヴィッヒ2世の使った
マントだったか服が飾られていたが、それを見て感じたことは
大きい! 


今回ドイツに行って今まで感じたことのないくらい
痛切に感じたのはこのサイズの違いだ

考えてみれば人間は自分の体格を基準にして
生活に関するいろんな物を作るに違いない
日本人からすれば猛烈に体格のでかいドイツ人は
食べる量もすごいが座って占める面積もでかい
だから電車の座席も当然ながら大きい
ホテルのベッドも大きい
男性用の小便器の位置も高い
ホテル自体の部屋の面積も日本のものと比べて広い
フォルクスワーゲンのゴルフがモデルチェンジをする度に
サイズが大きくなっていくが、それはドイツ人の体格から考えて
国民車となるのはあのくらいの大きさが必要なのだと
変に納得してしまう

晩御飯用に一人分のメインの料理を頼むと 
これが半端な量ではない
見ただけでこんなに食べられないと思ってしまう
時間をかけても食べられない
そんなふうに思うのに、パンがついてきたりする

そのパン、夕食用ではないが町中で肉やチーズを挟んだものは
しっかり硬くて食べがいがありすぎる
途中くらいから嫌になってしまう

しかし日本人にとってデカすぎたり多すぎたりしても
当のドイツ人にとってはごくふつうのコト
このあたりまえの事実に今更ながら驚いた数日間だった

大きいのは男性だけでなく女性陣もしっかりと豊過ぎる
体格を維持している
お尻も大きいが胸も大きいし
頭も大きな人もいる

この女性陣を見て感じることはルーベンスやルノワールが
ふくよかな女性を描いたのは無理からぬことということ
彼らは特にグラマーな女性を描いたのではなく
普通のありきたりの対象、それがありきたりであるがために
原風景とも言えるかもしれない対象を描いたに過ぎなかった
と思ってしまった

この日本人から見れば大きすぎるドイツ人は
思考の面でも体力がある、
文法自体がかっちりしたまとまりの良い形式で
それはまるで音楽の形式を連想させるし
突き詰めて積み上げていく思考の建築物は
やはり強靭な体力をベースとしたものだ

それを思うと日本人の思考は季節に左右される感じやすい
繊細かつ感情的な感性で、多分思考による建築物には向かないものだ
どちらがいいというのではなく、明らかに違いが存在するのだから
それぞれのいいところをより発揮したほうが無理は無いかな

ところで、むこうで大きなドイツ人を見続けた時
こんなに大きな連中と闘っている岡崎や香川、清武、内田その他は
大変だろうなと 、ふと今までの思いが
あまりにも想像の中のことで有り過ぎた気がした

フィジカルの差
これはどうしようもなく存在する
あるときは絶望を感じるほどに

しかし、それでもやっていかねばならないなら
知恵としてどのように付き合っていくか、、、

しかし、体格の差
本当にデカイ
このサイズの違いによる生活の違いは
昔読んだ「ゾウの時間ネズミの時間」を思い出させる 

それにしても、ドイツ人はデカかったな
 

 

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最終日はコブレンツのエーレンブライトシュタイン要塞

2015年04月13日 20時15分04秒 | 旅・旅行
都市には独自の雰囲気がある
当たり前のかもしれないが
ウィーンとミュンヘンとは違う
ミュンヘンは陽気そうだがまだ真面目な雰囲気がある
ウィーンは、何故だろうとても親近感がある
ホッとする

ところで、旅の最終日
出かけたのは39年前訪れたコブレンツ
この地にエーレンブライトシュタイン要塞というのがあって
そこのユースホステルに数日泊まったので
懐かしさも先立ち、ライン川が見下ろせる場所へ
ロープウェイで

高い所からはドイッチェス・エックというライン川と
モーゼル川が合流する箇所が見下ろすことができる


でもお目当てはこの景色ではなくユースホステル
しかし、入り口の切符売り場の女性からは
ユースホステルは建て直しをして、昔のままじゃない
とのこと
でも懐かしさがよぎる

この場所で自分はベンチか何かに横たわってウトウトしていた時に
ハエが自分の顔にうるさく付きまとったのを覚えている
そしてみんなが飲むからつられて飲んだのが白ワインのリースリング
その美味しかったこと

ここでのこの二つの記憶は、大した内容ではないのに
鮮明に覚えている

それからこの要塞を歩きながら
ユースホステルに向かった時に
エルトン・ジョンのハイアントンの思い出の歌詞みたいだな
と思ったことも覚えている

記憶は不思議だ
どんな意味があるのか
何かのために潜在意識として残しておくのか

数年後、自分はこの旅の何を覚えているのだろう

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ブルックナー最期の家とグリーヒェン・バイスル

2015年04月08日 14時49分23秒 | 旅・旅行
シュタッツオパーのパルジファルまであと数時間
ホテルで一休みのうちにこれの更新に!

午前中はベルデヴェーレに出かけた
お目当てはクリムトではなくブルックナーの過ごした家
ひっそりと印があるだけ
誰も注目しない
彼はこの風景を毎日見たのかと感慨に耽る



宮殿の中はクリムト、エゴン・シーレ他近代の画家の絵があった
絵にはそんなに興味はないが、有名なクリムトの接吻、
実物は女性の恍惚とした表情が印象に残った

この後昼ごはんにグリーヒェンバイスルに

ベートーヴェンやモーツァルトのサインのある有名な店
自分が入ったのは別の部屋

ワインとランプのステーキ
量が多すぎて閉口した


頼んでサインの部屋に


なかなか目的のサインは見つからない
米倉涼子の文字は何故か直ぐに見つかった

思いの外店は空いていて隣の部屋は日本人の団体客だった
自分は一人旅
彼らには自分はどんな風に見えたのだろう?
日本以外のアジア人?
それとも偏屈な日本人?
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ウイーン2日目

2015年04月08日 02時30分27秒 | 旅・旅行
時差には少し慣れたが、いつものように夜中に眼が覚めるのは歳のせいか
ウィーン2日目
ホテルの近くにアン・デア・ウィーン劇場があった
魔笛で儲けたシカネーダーが作ったのが始まりらしい
ベートーヴェンのフィデリオ、クロイツェルソナタなどが初演された?らしい


このような劇場が自己主張することなく
周囲に溶け込んで当たり前のように存在している
近々にフィガロの結婚があるが残念ながら見ることはできない

その劇場の前にあるのがナッシュマルクト

数百メートルにわたっての青空市
こういう普通の生活シーンが面白い
やたら目につくのはチーズの店

買ってみたいが購入しても保存が心配でパス

野菜、フルーツの店がカラフルできれい

香辛料の店、パンの店、肉、魚の店
なかなか興味が尽きることはない

この後マリアテレジアプラッツに向かう


長すぎるフライトに飽きて足元にあった
オーストリアを紹介する本にマリア・テレジアが紹介されていたが
ウィーンの重要なポイントにマリア・テレジアの像が建てられ
名前を冠する場所はあるのに納得した

この人現実的にハプスブルク家とウィーンを守った人なのだ

この像の直ぐ近くに美術史博物館がある
約40年前訪れた時の記憶を辿れば
2つだけ覚えていることがある

ひとつは階段が広くて開放的だったという事
そしてもうひとつはブリューゲルのバベルの塔があった点
2つしか覚えていないのは情けないが、仕方ない

入るといきなり階段に圧倒された
石という素材の持つ存在感
時間をかけてしか作りようのない建物
日本の建物が大きな建物を思い出しても
やはりスケールが違う


しかし、広すぎる、展示が多すぎるこの美術館
結局直ぐに疲れてしまった

大きな絵画はいったいどうやって描き進めるのか
どのくらい時間がかかったのか
その細部まで描きこんでいるのは才能か執念か
それとも使命感か

人間が成しうる壮大な目論見
それらがここで見られる
しかも時間を繋いで

こういうものを見ると
西洋人の積み重ねてきた経験、知識、
体系というのはとてつもないものと感じる

現在ではみんながみんな知識人ではないとしても
ベースにこういうものがある事実には変わりない

ヒューマニズムとは
人道的なと言った感情的なものではなく
人文学を学んでいる人の総合的な判断のなせる技
というのが本来の使い方とある本で読んだが
なるほど、ヨーロッパの世界はそうかもしれないと再確認

自分の考えていることは所詮思いつきにすぎない
と少し凹んでしまう

ヨーロッパ人がヘーゲルの哲学体系や
バッハのフーガの技法のような複雑なものへの挑戦
そういう時間と根気を要するものを
成し遂げていく気力、体力に今更ながら驚く

人は何を成しうるか?
無限!
フトそんな気さえする
日本で感じる自然の偉大さに比べ人には限界がある
といった思いは、ここではあっさり吹っ飛ばされそうだ

午後からは前回の訪問時には休館だった
ハイリゲンシュタットのベートーヴェンハウスに再挑戦

道はなんとなく覚えているので順調に進んだが
オープンしている時間は朝と昼は2時から
2時までには時間があったので前回同様にベートーヴェンの小径を散策


時折鳥の声が耳に入って田園を作曲した時の
ベートーヴェンが想像できて満足
ただし彼は聞こえなかったかも?


ベートーヴェンハウスは小さな家だった

14番の後期の弦楽四重奏曲が流れていた
展示品は少しだけ、1番印象に残ったのはデスマスク
この人は職人の顔をしている
何故かそんな思いが浮かんだ

歩き疲れた感じがするのでiPhoneのアプリを見ると
14キロ以上歩いている

少しオーバーペース?

明日は(今日は)シュタッツ・オパーでパルジファル
体力を温存しておかねば、、、


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旅の途中に思うこと

2015年04月07日 07時37分28秒 | 徒然なるままに
普段と違うというだけで
いろんな事に気づく旅
昨日もボーッとしてあれこれ連想することがあった

成田着立寸前の機内から見えた整地された畑のきれいなこと
あれは何を作っているのだろう?

着陸して乗客を降ろすところまでの飛行機の時速はどのくらい?

チロリアン航空の座席のテーブル、モニターは作りが頑丈
フィンエアーはもう少し貧弱だった
これはボーイングとエアバス社の違い?

準備されたイアホンは性能わるくて使い物にならない
Apple製品に替えたらずっと良くなった

ロシアの大地の雄大なこと
夏はうねるように流れる大河が見えるが今の時期は雪で真っ白
誰もいないみたい
ふとシベリア鉄道で横断してみたいと思う

飛行機は海の上の方が揺れる?

ウィーン空港近くに風力発電の風車がたくさん見える
日本はまだまだ地についていない
ポーズだけのような気がする

ウィーンは多民族の人で溢れている
それが他人に無関心にいるというより
どこか人間に温かい気がするのは不思議

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