パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

今年の3冊

2012年12月31日 09時02分28秒 | 

新聞紙上にも書評の総括として今年の3冊が
紹介されていたが(中日新聞)
自分なりの今年の3冊は以下の本たち

このうち「ふしぎなキリスト教」は読んだのが
今年だったか去年だったか不明なため、参考にピックアップした

こうして見ると小説類が上がっていない
確かにミステリーも含めて小説は読んでいない
わずかに『カラマーゾフの妹」「マルセル」が記憶に残っている程度

「自由からの逃走」以外は新書で、短い章に区切られているので読みやすい
「重力とは何か」(小栗博司)は2度読み返してしまったが
本当にわかりやすく、もっともっと先が知りたくなる科学の啓蒙書
抽象的な思考で物事の秘密を突き詰めていける能力に少し嫉妬してしまう
この手の本で、中断したままでいる「ワープする宇宙」「エレガントな宇宙」も
読まなければと言う気にさせられた

「自由からの逃走」
本当に人は自由を望んでいるのか?
自由になった時点で責任を全部背負い込み孤独となった人間は
耐えられるのか?
何故ドイツ人は大したことのない、と判断したナチスにいつの間にか
従うことになてしまったのか?
息の長いセンテンスで集中力を要するが非常に示唆に富む一冊
知らないうちに自民党の圧勝に終わった今回の選挙以後の
世界を注意するようにとも警鐘を鳴らすようだ

「忠臣蔵の決算書」
以前読んだ忠臣蔵を中心とした物語「瑤泉院」の内で
赤穂藩が取り潰しになった時、退職金に当たるものをそれぞれ何両渡したとの
記述があり、物語よりもそうした事実のほうが興味深かったが
この「忠臣蔵の決算書」はそのタネ本となった『預置候金銀請払帳」の解説を
中心とした内容で合わせて大石内蔵助の性格もそれとなく紹介している

この本を読む限り大石内蔵助は単なる忠臣だけでなく
非常に深い洞察力を持った人物だったことがわかる


自分が忠臣蔵で特に気に入らなかった部分
吉良側の単なる仕事の上で防衛側に回った人物への
暴力(奇襲・殺傷)について大石内蔵助は
「また多くの人を殺したことは、かねての申し合わせに、
そうならないようにと存じておりましたが、
かの方でも主人を護って敵対し、(上野介を)討ち取る妨げとなったので、
そのようになりました。この方より強いて殺さなかった証拠がございます。
一人として止めは刺しませんでした。ただ、倒れて戦えないようにしただけです」
この本の内容とはあまり関係のない話だが
この一文に何かホッとする。
と同時に大石内蔵助に何故多くの人間が付いていったのかも納得できる

今年は「古事記」が出来て1300年
その記念の年ということで
この関連の本もチラホラ読んだけれど
まだ頭の中が整理できていないので、感想は次の機会に!

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バイロイトの第9

2012年12月24日 11時44分00秒 | 音楽

年末だから、と言うより気分がその気になったから
引っ張りだしてきたフルトヴェングラーの
あの有名なバイロイトでの第九のレコード(小池レコードで購入したもの)

実はこの演奏を聴くのには勇気が要る
それは初めて聴いた時の感動が鮮烈で、聴き直すとその時の感動の記憶、印象が
何処かに飛んでいってしまわないかという恐怖に襲われるからだ

だから、この演奏を聴くのは気合を入れて聴く気になった時にしかできない

久々の少し大きめの音量で聴けたので、その迫力や楽器間のやり取り
演奏の息遣い、間、気分の変化がよく感じ取れた

以前はちょっとノッテイないかなと思われた第一楽章でも、
今日はなにか巨大なものの始まりを暗示しているようで
それに真空管も温まってきたせいか全体の音も
バイロイト祝祭劇場のおかげもあるかもしれないけど
とても柔らかく厚く 好きな音色に感じられる

調子の出てきたのは第2楽章から
楽器間のやり取り、表に出たり引っこんだり
演奏が指揮という行為のもとになされているというより
始まってしまった音楽があるべき姿で
勝手に進んでいくような感じ

第3楽章のあのファンファーレの後の深い寂しい音色と間
これを聴くだけでこの演奏は尋常でないことがわかる

そして第4楽章
思いっきりピアニシモから始まる歓喜の歌の旋律
いつまで続くかと思われるほど合唱ののフェルマータ
絶妙な休止の後はじまるトルコ風の音楽
そして熱狂極まりないコーダ

これら聴く者にとっても単なる音楽の鑑賞体験にとどまらない
それよりは、何か人生体験のような印象さえ覚えさせる
演奏という行為が単なる作品の再現ではなくて
聴く人の心のなかに何事か起こすような
そんなことを感じさせる演奏だ

第9をこれからも聴くことはあるだろうけれど
この演奏は、とても大事にとっておいて
本当にその気になった時にしか聴かないだろう

何回も聴く気になるのが
いい演奏というのではないのだ


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ドビッシー生誕150周年コンサート

2012年12月23日 11時28分07秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

宗次ホールで聴くのは今回で3回目
アリーナ・イブラギモヴァのバッハ無伴奏パルティータ
篠原悠那のリサイタル に次いで
今回は生誕150周年を迎えたドビッシー
その作品演奏と解説を青柳いづみこさんの話を
混じえて聴くコンサート

演奏曲目はおおよそ作曲順に沿ったもの
あまり凝ったものにならずになっていた

このホールは馬鹿でかくなくて良い
室内楽にはもってこいだ


名古屋には以前スタジオ・ルンデというのがあって
そこも適度な広さで室内楽のコンサートが行われていたが
残念ながらそれを知ったのは活動中止になる直前
知り合いから譲っていただいた児玉麻里のベートーヴェンの
ピアノソナタの全曲演奏の中の一日
とにかく広くない演奏会場は感情の変化などがダイレクトに
見て取れて興味深い

ところでドビッシー
最初のアラベスクとか月の光あたりまでは
おそらく誰にでも美しいと思われるような曲調
でも、ドビッシーじゃない(微妙な響きとリズムの)
青柳いづみこ氏も話されていたが、後期のドビッシーに対する
批判 メロディーがないというのは
実はドビッシーはメロディーをかけなかったのではなく
書かなかったというのがうなずける
これはブルックナーのピアノ曲を聴いた時にも感じた印象と同じ
ブルックナーも美味しいメロディーを書けなかったわけではなく
自分の表現したい音を追求したら、彼にしか、
もしくは何度も聴かないと理解しづらい音楽になったことと
全く一緒だ

ドビッシーはドビッシーになった
ゴッホがゴッホになったように自分の感性を信じて
唯一無比の存在になった

しかし、根を詰めて聴くのはなかなかしんどい
感情移入しにくい面もあるためか
こうして聞いていくとフランス音楽の傾向
ラベル、メシアンなどはドビッシーに影響を受けているのがよく分かる

さて演奏は?
ピアノの方は良かった
ヴァイオリンは、、、

会場では年末から来春のコンサート案内のチラシが配られていたが
来年はこうして生の演奏を聴く機会を増やしていこう

 

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大人買い!オイストラフ

2012年12月19日 20時33分44秒 | 音楽

大人買いと言っても大げさなことはない
CD17枚のセットでセール価格で2,514円
しかもEMIから出されたものだから
録音はいいはず、、、
その期待は裏切られることはなかった

オイストラフは好きだな
名前は知っていたが、積極的に聞く機会がなかったけれど
ヴィターリのシャコンヌを聴いて以来、
無視できない演奏家の一人になってしまった
何と言う深い感情、綺麗な音、そして素人の自分が言うのは変だが
とても正確な音程

ところでこのセット
ソ連出身の演奏家にしては不思議な事にチャイコフスキーのコンチェルトがない
ベートーヴェンとブラームスは2種類
モーツァルトもソナタとコンチェルトがあるというのに
もっとも自分としては不満なことはない
というのはチャイコフスキーのそれは好きではないから
(この曲を聴くと何故か嫌な気分になる)

まず聴いたのがモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ
グリュミオーとハスキルのものほど大らかさにはかけるけれど
音自体は素晴らしい
次いでフランクのヴァイオリン・ソナタ
この曲は以前車の中でFM放送で聞いた時は
もう少し荒っぽい演奏のように思えたけれど
改めて(?)聴いいてみるとやはり濃い感情の演奏
ほんと心奪われる瞬間が存在する(モーツアルトの時も)

これから数日はこのセットを楽しめそう

さて今日はK364の第2楽章でも聴こうかな

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科学への信頼と、自然の脅威への畏怖

2012年12月15日 19時13分34秒 | あれこれ考えること

明日は衆議院選挙
このあたりは田舎だから運動の最終日でも
一回選挙カーが回った程度で静かなもの
(それでもマイク越しの声は必死そうだった)

ところで今回の選挙
メディアが伝える様に確かに選択に迷う
いつもなら決めているのだが、今回は今でも揺れている

争点は景気対策と言われるようだが
ウェブ上の関心は原発のほうがあるらしい

ところで新聞やテレビ局の行う調査の信頼性はどんなものなんだろう?
そして、その結果の及ぼす影響はどんなものなのだろう?
前回の選挙での調査は確かにその雰囲気を反映していた様に思えたが
今回は何かちょっとずれているような気がしてならない

この調査結果、実際のところそんなに頻繁に報道する必要があるのだろうか?
付和雷同的に流されやすい国民性を考えると
意図的なものを感じてしまわないでもない
もっとも、調査結果が逆に作用してしまうと言う説もあるから
何とも言えないが
つまりは、開けてみればわかることを前もって大騒ぎすることはないということ
それよりは、各党、各人の訴えのポイントを何度もわかりやすく
伝えるほうが意味があると思うのだが、、、

ところで原発
この難しい問題に取り組む出発点として
科学に対する信頼を楽観的に持つの人と悲観的持つ人とに分かれてしまう
人間は今まで様々な困難を乗り越えてきた
そして今度も、これからも人間の英知は必ずや問題をクリアするだろう
と考える人と
自然災害は必ず人間の想定外の規模で起こる(可能性がある)
人間の知恵は素晴らしいがそれでも限界があって
原子力については事故が起こってしまったらお終いになってしまうから
勇気を持って撤退すべきと考える人が存在する

どちらが正しいか?
いまの自分の気分は人間には限界がある方に傾いているかな

それにしても活断層だとか活断層でないとか
同じ現場について当たり前の様に当事者同士の意見が違い
解釈の違いがどちらが正しいのか検証する場所もないような
客観的に決めるシステムが存在しないことは
ホント今までいい加減だったんだと思わざるをえない

明日の選挙でこれからの方向が決まるのだけれど
国民の選択だからみんなで従うしかない
と諦めを持つような結果にならないことを願うばかりだ



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伊勢神宮へ

2012年12月11日 19時47分36秒 | 旅・旅行

何十年ぶりの近鉄特急 昔はおしぼりが出たが、、、

向かう先は、頭に「お」がついて末尾に「さん」の付くところ
近鉄のシートはオシャレで上質な感じ

さて着いたところは式年遷宮を間近に控えた伊勢神宮

前に来た時はもっと広く感じたけれど、思いの外狭い気がした
大きな木々に囲まれて清々しい気分に

神楽殿の屋根が面白い

写真は階段の下から!ということで

帰りは定番のおかげ横丁探索

こんなの見つけた
お伊勢さんの出口でマイペースでいたのがこの3匹

何を考えているのか?考えていないのか!

ついでに秦氏の先祖の説もある猿田彦を祭った神社に(猿田彦神社に)

すぐ隣には奥さん(?)のアメノウズメノミコトの神社が

一角には「たから石」 来年の干支 蛇に見える縁起の良い物らしい

旅は、花より団子かもしれない
写真はアップしなかったが
おかげ横丁や参道の土産物屋さん飲食店が気を引いた

ところで、話はもとに戻って、伊勢神宮の全体の雰囲気だが
どこか散漫な感じを受けてしまった
京都の下鴨神社のほうがぴりっとしていたような記憶が
(思い込みかも知れないが)

ということで、何だか京都の緊張感のある美、
とか細部に気を回している様の凄さを再認識したようだ

京都、次に出かけるのは正月かな

 

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既得権?電波利用料のとんでもない安さ。

2012年12月10日 22時32分10秒 | Weblog

最近少しも騒がれなくなったテレビ局の電波利用料の問題。以前は週刊誌が鋭くセンセーショナルに扱っていたが、いつの間にか立ち消えに!
週刊誌ポストはこんな風に取り上げていた。


テレビ電波利用料安すぎる

これを見て何か感じないか。
一言で言えば不公平に満ちている。
アメリカ、ヨーロッパの様にオークション制にして国の財政の足しにするという考え方を何故しないのだろう?
皆が知らないことをいいことに、随分妙な事が起きている。
残念ながら気づいた人間が大騒ぎしないと問題提起にも解決にも至らない。
この問題はテレビ局は絶対扱わない。

会津若松に「ならぬものはならぬ」の言葉が有るが正にその通り、これは絶対変でもっと議論の対象となるべきだ。

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ミューラーの記録とメッシ

2012年12月07日 20時39分20秒 | サッカー

メッシの怪我は幸い打撲で済んだようで
次の試合には出られそう
ということで、年間ゴール数も
あのゲルト・ミューラーの85点を超える可能性が出てきた

しかし、ここで素朴な質問
72年のミューラーの試合数は何試合だったのだろうか?
メッシは今までで60試合?
ミューラーの時代はこれほど試合数はなかったんじゃないかな

だからと言って、メッシの株が下がるわけでもない
現在のように時間とスペースのないサッカーで
これだけの数字を上げるのはやはり驚異

しかし、今日の話題はミューラーについて
なんといっても凄いのはドイツ代表の試合62試合位で68ゴール
つまり1試合1点以上

それ以外ではブンデスリーガ427試合で365ゴール
欧州クラブカップ74試合で66ゴール
ちょっと信じられない得点効率だ

実はこのミューラーの現役時代をドイツで見たことがある
正式な試合ではなく、自分が泊まったユースホステルの地域の消防団と
バイエルン・ミュンヘンとの親善試合でのこと

最初、消防団がどういう訳か1点先制してしまった
(お情けの手抜き?)
しかし、それからが凄かった
そのあと直ぐ様キックオフから相手に一度も触らせずに
あっという間に同点


そしてミューラーの得点シーン
今でも鮮烈に覚えているのは、ミューラーはゴミをちり取り掃除するみたいに
ゴールにボールを流し込む
とても簡単そうに、そして確実性たっぷりに

ゴールを確実にするためにはゴールに近いほうがいい
豪快なシュートは派手に見えても実際は確率が少ない
あのブラジルのロナウドでも豪快というよりゴール近くで
キーパーをかわして確実にシュートした場面も少なくない

ミューラーはそんな豪快なところはない
むしろ地味っぽく、だがこれなら誰でも入るといったような
シュートを連発していた

ホント、ちり取りでゴミ掃除するみたいにゴールにボールを流し込む
この、ちり取り云々の言葉は、その時頭に浮かんだ言葉で
いろんなことは忘れたが、この言葉は覚えている

しかし、この奇妙な才能の持ち主は例にもれず
多少変わり者で、その後順風満帆の生活とはいかなかったようだ
でも、なんかそれを含めても好きだな
ボテッとした体格、なんか憎めない

現在メッシが凄いけれど
現役の時に実物のプレーを見ておきたいのがイブラヒモビッチ
この人も桁外れの存在
守りしなくても、走り回らなくてもやることはやる
ミューラーとは違うかもしれないけど
自分にとってはクリスティアーノ・ロナウドよりも興味がある

それにしても、なんでもできるメッシと比べて
ミューラーの得点するだけの能力は
やはり不思議な才能だ

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税金の無駄遣い(選挙広告)

2012年12月03日 20時48分10秒 | Weblog

国政選挙には税金が使われる
選挙自体の運営に関わることではなくて
選挙広告の事

まず、新聞広告は2段1/4の大きさで5回まで掲載が許される
投票の結果が設定数に達しない場合を除いて
その費用は国から支払われる

ここで問題は新聞広告の値段
新聞広告は、特別料金(臨時料金)、求人料金、営業料金
と分かれていて、特別料金が一番高額だ
この特別料金は死亡広告や決算公告などに用いられるが
選挙そのひとつ

つまり選挙広告は、新聞広告のうち
一番金額の高いカテゴリーの広告となっている

ところで、多くの新聞には地方版というものが存在する
選挙区をカバーでき、選挙区以外の人には見られることもなくて
使い勝手のいい広告と思われるのだが
(昔は地方版の広告を使っていたが)
最近はこの地方版の広告をやめて、わざわざカバーするエリアの広い紙面を使って
選挙区とは関係のない地域まで顔や名前が掲載される版が用いられ
政党はみんなをまとめて広告を出している
この結果、費用は膨大なものとなってしまう
地方版の5回で必要な金額の数倍が必要となる

これが一人のことで済まない
何百人となるととんでもないことになる

政党としてまとめて出したほうがわかりやすい
のは分からないではないが、だからと言って
5回の規制は守っているものの無制限に近い金額を出すのはどうかと思う

小選挙区の新聞広告はその選挙区をカバーする版に限る
とするだけでどれだけ税金の出費を抑えられることだろう

ところが、新聞社にとって選挙広告は神風が吹くみたいなもの
大きな売上をコストパフォーマンスよく上げる絶好の機会
この様な都合の悪い話は絶対表に出さない
だから知らず知らずに膨大な税金がメディアに使われていく

またテレビ広告も似たようなことがある
テレビ広告には一応定価表は存在するが、現実にはその金額で
放映されることはない
出稿パターンにもよるが安くなっているのが現実
(民間企業はそうした要求が強いから当たり前か)
ところが、投票を呼びかけるたぐいの選挙広告は
新聞における特別料金の場合と同じで、変に定価を守って
つまり高い料金でCMを流すことになるのが実態
テレビ局も国民の税金だから安くしようなどという考えは存在せず
千載一遇のチャンスと考える

どちらのメディアも法律的には違法ではないかもしれない
しかし、それで正しいかと言えばおおいに疑問が湧く
このことを多くの人が知ったら、人はどんな反応を示すのだろうか?
メディアにとっては永遠に内緒であって欲しいことなのではないのか

ここで妙な勘ぐりが浮かんでしまう
政党は従来の地方版の広告から一括して
大きなエリアをカバーする版の広告に切り替え
それを大手の広告代理店に任せる
広告代理店は地方版の積み重ねより楽に
しかも大きな金額の受注を受けることができる

そこでフト人間の考えそうなこととして浮かんだのが
この大きな金額の広告をある代理店に一旦発注して
帳簿上は払ったことにしておいて(国が払う形になっているが)、
あとで支払った金額の一部をバックするように細工していないか
ということ

勿論、想像上のことで、実際はそうでない
と信じたいが、この手のからくりは簡単に思いつくので
誰かがやっていそう!
と思ったりするのはホント残念なことだ

それにしても、税金の無駄使い
政治家は本当に考えているのか

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スカイフォール

2012年12月02日 20時20分09秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

前作は何となく行きそびれてしまった007
今回は公開二日目の鑑賞となったが
今日は、いつもなら気になる火薬の大量消費も
車の破壊も、そして悪役側の助っ人が簡単に殺されていく事に、
それ程抵抗感を感じられずに、単なるエンタメとして見られた

確かに、良い出来の作品
ショーンコネリーの時ほどの余裕・ユーモアはないけれど
スポード感に満ちて、多少ご都合主義のところはあっても
荒っぽいストーリー展開ではなくて、ちゃんと起承転結があって
それもなかなか現実味のある社会的背景
50周年の映画としての事実と
それに合わせてMと本人の時代との関係が(時代遅れの引退間近の存在?)
サブのストーリーとして展開していく

スカイフォールがどんな意味なのかは映画の後半の部分で
分かることになるが、
その前のアストンマーチンででかけて一休みする
スコットランドの曇った寒そうな風景
ここは良かったな!
スコットランド・コーンウォールなどは一度行ってみたい気がする
こういう風景を見ると007ではなくてフリーマントルの
チャーリー・マフィンのシリーズなんかはピッタリきそうな雰囲気だ
そこでは淡々と神経戦の戦いが続き、派手なシーンは無さそうだが
面白そうかな!とフト頭によぎってしまった

詳しい内容は、これから見る人のために伏せるけれど
チケット購入分の元は取れる作品
007役のダニエル・クレイグ だんだん様になってきていて
アメリカの派手さはないけど格好いい

この人映画館からの帰りで12月中旬に上映される
「ドリームハウス」(だったかな?)にも出るようだけど
なんか他の役ではどんなんか少し興味あるな

それにしても、あのアストンマーチンが出てきた時は
ロッキーのテーマが流れて盛り上がるシーンを彷彿とさせて
なんか、ワクワクした

 

 

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