補助金の申請などには、その事業によって期待される効果とか雇用を
事業前と事業後でどのくらい変化(増加)するのかを数値で表すことが必要とされる
抽象的な言葉による「効果がある」という表現では駄目で、誰もが納得する数字によって
客観的に明らかにされることが必要とされる
そして事業報告書にも実績数値が記述されることになる
この補助金等の審査を行うのが国とか省とか地方自治体
ところが自分たち(国・省・地方自治体)の仕事ぶりを評価する場合は、
この客観的な数字を使ってはいないことが多いのではないか
また仮に数字を使っているとしても、それは少し甘い使い方なのではないか、、と思うことがある
抽象的な話ではなく自分の住むところ(新城市)に限れば、行政が主体となって
進めている事業の評価は、果たして適切なんだろうか、、、ということ
より具体的には、新城市には若者会議というシステムがある
対外的には知られているが、市内においては名前は知っているが実際は何をしているか
また会議の結果何が実行されたのかわからないという人も少なくない
この現実を踏まえて、この事業の評価をするのはどのような判断基準が適切か、、ということが問題になる
一昨年(?)の行政改革報告会(?)だったかには、識者が
「若者会議はどれだけの費用を使い実際にどれだけの金額の効果があったかを、具体的に市民に知らせなければ
税金の使い方としてはふさわしくないのではないか、、」(コストベネフィット分析が必要)と総括していた
その時の行政の答えが「数字には現れない効果もありますので、、、、」
このような抽象的な評価には、地域自治区制度もある
10箇所に分かれた地域自治区に、活動交付金と地域自治区予算の2つの予算が与えられて、各自治区で独自の使い方が
できるというものだが、これも若者議会と同様にその内容を知っている人は多くない
知っているのは輪番あるいはあて職で区長を経験したことのある人物などの一部
他の人は、このシステムの存在すら知らない(民度の高いと思われる女性会議に参加した人でさえ知らなかった)
そしてこのシステムの評価をする時には(議会で質問されて)どのように説明されるか、、といえば
「過去何年間に500以上の活動交付金事業を行い、、」との実績を述べて、それで上手く回っていると言い切りたい感じ
ところがそのように簡単に言い切れないことが起きてしまった
それが活動交付金の不正受給事件で、手続き上の正規な手続きを経ずとも交付金を支給された団体(個人)があり
その活動の主だった人物が議員であったために、政治倫理審査会まで開かれ、議員辞職勧告まで議決されることになり
一旦支払われた交付金も取り消し、返却を求められることになった
今回はこのような事があったために、単純に今までの実勢数を紹介するだけではこの事業(システム)の評価軸とはならない
また新城市には「市民まちづくり集会」というものが一年で一回以上行われることになっている
これは自治基本条例で、議会・行政・市民の三者が力を合わせてまちづくりをするために情報共有の機会を持つために設ける
となっている
この「市民まちづくり集会」の評価が、どうなのか、、と気になるところだが、現実を見ると実行委員会の方々の苦労とか
努力には頭が下がるが、参加者、会議の内容ともに、とても成功しているとは思えない
上記3つの事柄は、自分たち(行政)の検証が極めて甘いのではないか、、
あるいは、その評価基準があまりにも曖昧なのではないか、、ということだ
行政の方々は経緯を知っているから、前と比べれば今はマシ、と考えるかもしれない
「市民まちづくり集会」などというものが存在しなかったときと比べれば、
今は参加者が少ないとしても好ましい状況になっている、、と
ところが過去の経緯を知らず現時点での印象で評価をするものは、これを全く良しとしない
果たしてどちらが(経緯を知っている人、知らない人)正しいか、、、
どちらの評価を重要視すべきか、、
文句言いの自分としては、現状の把握はもう少し厳しい目で見るべきじゃないか、、との方
確かに数字に現れない効果はあるかもしれない、、でもそれをなんとか数値化して表す工夫・知恵も必要と思うけどな
ということで、面倒くさい話、、やれやれ