新城市に関する具体的な話、あるいは観念的な話
時々思うことがある
市の職員とか国の官僚さんは、その時々の判断に一般常識とか普通の人ならそのように感じたり
考えたりするだろうな、、といった要素を取り入れることはしないのだろうか
いや、それをやってはいけない、、ことなのだろうか、、と
新城市では残念ながら数日に渡って新聞紙上に、市の税金を用いる地域活動交付金が
不正領収書によって不当に支払われた記事が掲載されている
この活動交付金の事業を現実的に仕切ったのが現役の市議会議員
そこで市が関係者にあたり調査を行った結果、手続きに不正があったことを確認し
一旦支払った交付金の返還と罰則金(みたいなもの)の支払いを命じ
つい最近その求めに応じて金額が返還された(交付金93万6000円、罰則金36万5000円)
ただこれは3年間行われた事業の最初の2年の分だけで、最終年は現在調査中で市としての
対応も決まっていないようだ
最初の二年については一旦、お金が市に戻ったということで一段落のような様相を見せるが
この事業の不正を追求していた市民グループは、その独自の調査(当事者に当たっての)によれば
事業自体が実際に行われたのか疑問で(業者の日報・報告なし)またお金の流れで不自然・不明なところがあるので
お金を返せば問題終了としてはいけないのではないか
こうした事件の再発を真に防ぐ意味でこの事件の詳細な調査を行うべきではないか、、
との思いをもった
それに対するのが冒頭の市職員の反応(それは全員の考えでないかもしれないが)
この件の2年分については既に市からの結論は出ていて、お金も返還されており
扱いとしては終了している事案で、これについて更に調査したり別の判断を下すことはないだろう
でも市が下した判断のもとになる事実が、市民グループが調べたものと異なる場合
まして現場を見れば、大半の人が事業はなされていないと感じるものに対して
書類上だけの調査で済ませていいのか、、、
終了した事案について更に調査するというと、そこには担当する人と時間を要する
市民の税金をそのように使うということは、税金の使い方としてはふさわしくないとも考えられる
しかし、あなた達も見たように現場は、かなり疑われても仕方ない状況
多くの人がそのように感じることを、市民感情として持つ思いを横に置いて、一件終了としてよいのか
責任には説明責任と道義的責任があるが、自然に湧き上がってくる事業への不信をないがしろにしてよいのか
市民のそうした声があるということを、職員自身も一市民として常識的な思いをもって、ことに当たるということはないのか
そうした声がある時は、税金の使い方に通じるので最終的にはもっと上の判断(市長の判断)を仰ぐことになる
つまり、この件についてはとても明らかになっていない面が多いが、一旦結論を出し市としては終了した案件なので
更に人を使って調査することはない
そして、それに対して職員は「更に調査すべきとか、すべきでない」との声を上げる立場にはなく、最終的な判断は
市長判断任せとなる
こう言う説明を聞くと、そんなものかな、、と思わないでもないが、人間のやること、人間社会はそう簡単ではない
この問題となっている市議会議員は、いわゆる市長派の人物で2年ほど前に起きた市長リコール騒動の時に
反リコール運動の中心となった人物で、しかもその前の住民投票時でも市長の進める案の方を強力に推し進めた過去がある
だからこそ、職員の更に調べるか調べないかは「最終的には市長判断による」と聞いた時には
なんだこの件はこれでお終いとするのか、、、との思いをもった
それにしても職員も一市民としても存在のはず、職員と言う立場を離れて物事を見ればかなり不透明と感じる事柄を
その常識的な判断力を活かすことなく、ただ流れに沿って物事を進めるというのは一体適切なのだろうか
(公務員はそもそもそういう行動をすべきとされているのか、、個人の判断を挟む要素はないのか)
これは最近の「常識的な判断力をもっているはずの大人が、思考停止で命令に従ってしまった」日大アメフトの選手や
佐川さん、柳瀬さんの判断のへの一般人の疑問に通じる
市職員の自発的な判断ができそうもないもうひとつの件がある
新城市では新東名高速道路経由で名古屋直行バスを運行している
地域活性化のために実証実験とされるこの事業は、残念ながら予想通り(誰でも想像できた)の利用者数しか確保できていない
それに要する市の負担金が、無視できないほどきわめて大きい
初年度は国の加速化交付金でバス一台の料金と、9ヶ月分のバス会社への委託料合わせて6000万円強は国から支払われた
ところが2年目以降からの国の応援が心もとなくなっている
二年目は地方活性推進交付金という名で委託料金の半額(約1800万円)が確保されたが、バスの利用者数が少ないために
委託業者から更に約700万円の請求を受けている
これが三年目の今年になると、地方活性推進交付金はほとんどなし、委託料金のほとんど全額が市の負担となった
問題は、予算案が通ってしまった今年のことではなくて来年度予算はどうなるのだろうかという点
正直なところ、バス利用者の劇的な改善はとても難しく感じられる
市は国からの交付金をもらうために目標値等を設定しており、KPIは9ヶ月経過した時点で35000人としているが
1年9ヶ月経過した現在でも、利用数は年間15000人程度で、目標の半分にも達していない
これがあと少しで目標に達するという範囲ならどのように頑張ろうか、、と考える余地はある間もしれない
しかし、圧倒的に目標値に達しない「実証事件」は、そもそも来年度必要とされる4500万円(不足分を含めて)をかけて
継続する必要はあるのだろうか、、との思いが浮かぶ
そこで話は職員に戻って、この現実を踏まえた上で、担当職員はこのバスの実証実験継続の予算をあげるのだろうか
と疑問を感じてしまった
日々明らかにされている数字を見れば、挽回の可能性はきわめて低い
お金は効果的に使われていないかもしれない、、、
職員ではなく一市民としてはそのように感じることもないとはいえない
しかしだからと言って来年度の予算案にこの項目を入れない、、という選択肢は職員にはどうもないようだ
その根拠は、実証実験は約4年行うとなっているので、それを途中で止めることは自分たちの立場から言い出すことは出来ない
明らかに非効率的なお金の使い方でも、決められているから、やめる判断はできない
しかし調べてみると委託業者との契約は、途中でもやめることが出来て、それに関しては罰則等の費用は発生しないことになっている
だから常識的な判断力さえあれば、自発的に「この事業は現時点で無理筋だった」との結論になり、これ以上の税金の投入はやめたほうが良い
と職員も考えて欲しい、、というのが、バス運行に反対する人の意見
そこで予算の提案の仕方を聞いてみると、まず各部署に来年度の予算の概要をあげてもらう
それを市長のところにもっていき、市長・副市長・総務部長等の会議でチェックし訂正等の作業を行い
訂正したものを議会に予算案と提出し、議会が議決するという段取りとのこと
職員の立場では継続をストップという判断はできない
そして市長・副市長・総務部長等の会議でも、この事業の言い出しっぺだからストップの判断はしない(と思われる)
そうなると今度は議会がこの事業についての客観的な評価をどう下すか、、が問題となるのだが、、
議会は行政のチェック機関と言われるが残念ながら(多分新城市だけではないと思われるが)
行政の追認機関となっていると思われても仕方のない行動を繰り返している
となると、一旦決めてしまえばどんなに理不尽だろうが突っ走るしか無いような雰囲気だ
それだからこそ、議会には慎重にいろんな可能性(不測の事態)を踏まえて、慎重に判断・議決してもらいたいが
そこまで覚悟をもった議員さんがいるかと言えば、、、
ところで、市長の立場の力というものを改めて感じてしまう
先の活動公費金のさらなる調査をするかしないかは市長の判断
バス事業の継続をするかしないかの予算の判断を下すのも市長(最終的には議会議決を経るというものの現実的にはフリーパス)
また、各種メディアに対しても都合のようタイミングで、都合の良い表現で行うもの市長
更には、どうも市長しか知り得ない情報がふんだんにあるようだ
しかし、それにしても職員・官僚が一個人となった時、判断というのは、一体何が優先されるのだろう
優先順位は個性によるかもしれないが、その個性はどこから生まれるか、、、
法的存在の前に、一人の人としての常識的判断、、
そんなのを望むのは非現実的なのかな、、国も市も、、、