パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

誰が使うのか?

2012年05月30日 22時09分37秒 | Weblog

先日のこと、市民開放情報端末というものを
使わざるを得ないことになった

市の施設を借りる予約をするのには
利用者は一旦登録しなければならず
その為の入力作業をその端末で使用としたのだが、、、

その面倒なこと、半端じゃない
まずその端末はキーボードがない
タッチパネルでもなかった
マウスで50音に並んだひらがなを選んで入力
小さな文字、点等は欄外にあって
いくらマウスでもあっちに行ったりこっちにきたり
そして半角・英数に切り替え、変換文字の選択範囲も
自由に使いこなすことができず
いらいらすること仕切り

と言うことで、いったいこの端末は誰が使うのだろう
と考えてしまった

一見、誰でも使えそうな端末ではある
しかし、普段キーボードで入力しているものにとっては
面倒以外の何物でもない

誰でも使えるといっても
ここまで面倒だったら果たしてこれを使おうかと
考える人が出てきてもおかしくない

いったいこの端末を導入するにあたって
どのくらいの費用を使ったことやら?

こんな端末など導入せずに普通のパソコンを置いて
使いこなせない人には、そこにいる人に手伝ってもらう
みたいなことにしたほうがずっと効率的な気がする

仮にそれができなくても、まだ何か方法はありそうな気がする

皆に使えるように、、、
しかし、結局誰も使わない端末
このことを全然予想しないのだろうか?

勿体無いお金の使い方は
想像力の欠如と責任逃れからの
一見正しいような「皆に公平」から
発生してしまう

それにしても、想像力の欠如は
ちょっと信じがたいレベルだ

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吉田秀和氏のこと

2012年05月28日 21時09分50秒 | Weblog

今日の朝刊に音楽評論家 吉田秀和氏の訃報が掲載されていた
先日のフィッシャー=ディスカウよりはずっと大きな扱いだった
そして、それはそうあってしかるべき扱いのようにも思えた

自分は好んで吉田秀和氏の音楽関連の本を読んだ
それは彼の文章が非常に感情に正直で
感じたままを素直に文章にしていて
常套句のような「いぶし銀の~」とか「精神的な~」
といった言葉を使わずにいたことが好ましく思えたからだ

音楽のことを言葉で話そうとすると
どこかまどろっこしい
食べ物の味を人に伝えられないのと同じだ
しかし、とても素直な感性の吉田氏は
ラジオ番組でも素直に聴く気にさせたし
聴いていても興味深かった

だからと言って感性だけではなかった
「ベートーヴェンを求めて」
などは分析的で、ページは楽譜が続いて
素人には面倒に思えたこともあるくらいだ

知っているようでも新聞で彼の足跡を改めて
眺めてみると、素晴らしい人達との出会い、行動に
ただただ驚くばかりだ

でも自分にとっては、いつまでも自分のことを「僕」と
呼んだ可愛い子どもみたいな人と言う印象が一番強い

正直、好きだったなあ吉田秀和
ご冥福をお祈りします

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感情の発露

2012年05月27日 21時36分36秒 | Weblog

今の日本の社会に足りないのは
正当な(ある意味いい加減な)感情の発露ではないのか
不意にそんな考えが浮かんだ

切れやすい若者が多いというのは
実はその前に適切な感情表現がなされてないからではないのか?

特に男の社会
それはある時期を超えて子どもでも
簡単に感情を現すことは控えるように
教育(?)されてしまっている

控えめが日本の文化なのかもしれない
韓国や北朝鮮の非常に大げさな涙や怒りは
今の感覚からすると違和感を感じざるを得ないが
昔から日本人は控えめだったか
ということになるとチョット疑問かもしれない

西行の歌にも、男なのに涙が出てくる
それも何の抵抗感もなく涙の言葉が使われている
とすると、あの時代は少なくとも感情表現を表に出すことは
はしたないことではなかったのか

涙は女の武器だとも言われるが
それは男に対してのそれだけでなく
自分自身の精神コントロールを図るのに
有効なツールと言うこともあるかもしれない

ひとしきり泣いて
あーすっきりした!
と日常の生活に立ち戻っていけるのが女性

しかし、男はどうなんだろう
感情絡みで考えられそうなことといえば
飲みニケーション、酒の席でウダウダと愚痴を言うくらい

しかし、まだ愚痴が出るうちはいいかもしれない
最近では飲みニケーションも少なくなっているという
ならば、どうやってささやかな感情の発露が行われるのか

上手な教育というのは
適度な感情の発露の仕方を教えることではないのか
その手段としての芸術活動
絵画・音楽・文芸 あるいはスポーツの分野もそうなのかもしれない

これらの分野は確かに忍耐・我慢が必要な世界ではあるけれど
ある時期までは無邪気に感情を現すことも必要
この経験を経ずにひたすら忍耐・我慢を要求されると
彼らは伸びやかな感性を育てることはできないのではないか

感情に沿って生きる
ジョブズもそれを勧めていた
論語でも最後の方は自分の思うように動いて
則を越えないようになった
ともある

おそらく人が一番楽に生きられるのは
自分の感情に正直になること
それが社会と一致すれば一番問題はないのだが
日本ではその弊害を過大評価・危険視して
感情表現を慎むようになってはいないか?

もう少し、いろんな面で大らかで
人に対しても自分に対しても
向かうことができたらいいのに、、、


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トラップとドリブル

2012年05月23日 21時47分41秒 | サッカー

久しぶりの代表選
本番の予選を間近に控えての一戦
アゼルバイジャンには2-0で順当な勝利

注目点は本田のコンディション
結果的にはまずまず
この人は最近当たり外れがなくなってきた
コンディションさえよければそこそこの働きをする

得点をとった香川
あのシュートの落ち着きと技術は素晴らしい
気持ちよくなって頑張れた2点目の間接的なアシストも
アジリティーの良さをふんだんにいかして
今季の好調さを物語っていた

しかし、点を取るまでは少々消えてた感じもあった
様に感じる

ところで最近は全体的にレベルが上がってきたというものの
前目のポジション、時間とスペースのないところでのトラップは
まだまだ技術不足
森本は前を向いた時のトラップ、オフサイドになった時のそれは良かったが
後ろを向いた時、ゴールを背にした時のトラップに難がある

香川が得点を重ねられるのも
スペースのないところに走りこんでも絶妙のトラップができるから
の部分が大きい
実際、前目のポジションはトラップ勝負みたいなところがある

ところで今日のもう一つの目玉、宮市
スピードがあると聞いていたが
初めてなので舞い上がっていることを差し引いても
スピードを活かすための大きめに蹴ってのドリブルは
直ぐに壁にぶつかりそう

もう少し体から離さないようなドリブルをしないと
(それでも速くないと)
ステップアップには難しいかもしれないと思ってしまった
本田は走るのが速くないけれど
ドリブルで真ん中でもボールを前に運べる
長友佑都のドリブルもあまり離れないいいドリブル
ああいうのを真似ることも必要

香川も緩急をつけたドリブルをするけどサイドで通用する感じ
真ん中でもドリブルはどうなんだろう
効果的に働けるか?
彼は2列目のストライカーといった役割
インザーギとは違うけれど、役割は同じ感じ
岡崎よりももう少し繊細で精密な感じ

とすると真ん中をドリブルで上がれる人物がいない
ここが問題だと思うのだが
バルサはメッシ以外にもイニエスタが真ん中でも上がっていける

この部分をもう少し人材発掘しないとキツイかな
それと一人で何とかしてしまうFW
そんな人が必要なのだが
なかなかこの国では出てこない
何故なんだろう?
フィジカルだけの問題じゃなさそう
ホント何故だろう

何れにしても、トラップとドリブルの質を上げないと
最近のサッカーはキツイでしょう

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アメリカ離れ

2012年05月22日 20時51分13秒 | Weblog

今日の中日新聞25面に
「米国文化へ薄れる憧れ」 日本人「ハリウッド」離れ
というタイトルの記事が掲載されていた

日本では、米国文化離れとも言える現象が起きている。
ハリウッド映画は不振、音楽もパッとせず、留学する学生は大幅に減少した。
日本での米国の「ソフトパワー」は弱まっており、専門家はこんな時代は
過去なかったと指摘する、なぜ、米カルチャーは日本人に届かなくなったのか。

この現象を紹介する数字が並べられている
2010年の映画興行収入の日本映画の率は53.3% 洋画は46.9%
2011年は日本映画54.9% 洋画は45.1%
2012年はこの差がもっと拡大する予想

音楽産業も似たり寄ったり
2002年が邦楽75% 洋楽25%だったのが
昨年は邦楽82% 洋楽18%だった

米小説はもっと厳しい、かつてはマーク・トウェーン、ヘミングウェイ、サリンジャー
といったヒーローが日本でももてはやされたが今はそういう存在もない

米国に留学する日本の学生の減少にも歯止めがかからない
                            などなど

この現象の解説・説明として、ある評論家は
震災以後日本人の価値観の変化を挙げている
米国的な競争社会・拝金主義に対する疑い、嫌気が出てきている
穏やかな方向を日本人が求めるようになってきている

ハリウッド映画は世界中をマーケットにした分、品質を落としている・
子供っぽくて、日本の大人の見る映画ではない
                     と手厳しい

 

だが、こういう傾向があるとしても
メディア・経済は依然として変わらずアメリカをひな壇に祭り上げる
アメリカこそが先頭を走っていてその後を付いて行けば安心
といった具合に

しかし、本当は少しずつ皆感じている
アメリカ国内のベースボールのリーグ覇者との戦いを
ワールドシリーズと名付ける国のおごりを
まことししやかな民主主義・自由のことばで隠し
国益を追求する異様な姿を
(もっとも国益を追求しない国などないかもしれないが)

アメリカもおかしいが、
無批判に追従するこの国(日本)の支配者達(政治家・経済関係者)もおかしい
そこに教養とか地頭の良さを感じることがない(残念だが)

ところで、いったい自分らが好きだった
憧れの的だった頃のアメリカはどこに行ったのか?
名犬ラッシー・フリッパー・逃亡者などでみられた
どこか田舎風の人間の営みはどうしてすっかり忘れ去られたのか

本当はアメリカ以上に日本人も変わってしまった
のかもしれない
そしてこのアメリカ離れが本当に
何かの揺り戻しなら期待が持てるが、、、さて、、、

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金環日食

2012年05月21日 20時55分43秒 | Weblog

なるほど裸眼で金環食を見てはいけない
と言われていた理由が納得できた
太陽が隠れるといってもその眩しいこと
実際には裸眼では見てはいられない明るさ
しかし今日はなまじっか雲が出ていたために
つい裸眼で見てしまった人も多かったようだ

この明るさでは動物たちも特別変わった行動を
しなかったかもしれない
前回の皆既日食では鳩が不安そうに
地表を歩きまわっていたが今回は
自分が見る限りは何ら変わったことはなかった

起きた時には厚い雲に覆われて
せっかく購入した専用メガネも記念の一品
としか役割を果たせないかと思ったが
幸い通勤途中の金環日食が始まる時刻
ちょうど晴れてきてしかも車を停めるのにも
最適な場所があって(既に先客がいたが)
そこで世紀の天体ショーを楽しませてもらった

といっても、ホント予想されたとおりだ
テレビと同じだ
くらいしか感想はない
ただ少しばかり気持ちがウキウキはしていたかもしれない

ところで通勤途中みかけた風景で対照的だったのが
小学生やお母さん連中、お年寄りの反応と
高校生の反応の違い
小学生は体全体からにじみ出るような好奇心・
ワクワクした様子が感じられた
それは付き添いのお母さんがたやお年寄りにも感じられた

一方、全く反対だったのがバスを待つ高校生の姿
日食にはまるっきり関心のない様子
普段と一緒で友達とだべったり地面に座り込んだり
およそ今日が特別な日の感じはない

しかしなあ、こんな日は滅多にあることじゃないし
単純に騒いでもいいんじゃないか!
と思ったし、むしろ何故ザワザワしないんだ
もう興味はないというかそういうエネルギーすら
ないのかと余計な心配をしてしまう

あとで会社の若い仲間に聞くと
彼らは照れくさくて平成を装ってるのでしょう
とあった
それならいいけれど
もう少し単純に気持ちとか好奇心を表に出せれたら良いのに
と、また余計な考えが浮かんだ
若いってことは、こんなもんかな?

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フィッシャー=ディスカウ・フルトヴェングラー・ホロヴィッツ

2012年05月20日 19時08分55秒 | 音楽

昨日の新聞の片隅にフィッシャー=ディスカウが亡くなったことが載っていた
それ程好きなタイプの人ではなかったが、自分にとってはパバロッティよりも
親近感はある
だが、こんな小さな扱いではなくもっと大きく扱われるべきではないか
とフト思ったりした
世の中はもうこの手の人には関心がなくなってしまったのか?

哀悼の意を込めて彼の名唱が聴けるレコードを引っり出してきた

そのレコードとはシューベルトの「冬の旅」とマーラーの「さすらう若人の歌」がセットになったもの
そして聴こうとしたのはマーラーの方
この演奏が凄い、なんと指揮がフルトヴェングラー
フルトヴェングラーとなるとブルックナーはイメージできてもマーラーは合いそうになさそうな気がしてしまうけれど
この演奏はそんな事は微塵も感じさせない
マーラーも初期の作品だからフルトヴェングラーにも合ったのかどうかは分からないが
最初の数小説からまさに音楽の世界に浸ってしまえる

深々とした大きな呼吸の演奏の中で、フィッシャー=ディスカウは知的になると言うよりは
若さに身を任せて、その時期にしかできない演奏を繰り広げている
この演奏自分は本当に好きで、バーンスタイン・ワルター・バレンボイムなどを聴いても
なにか上滑りの深みがないように聴こえてしかたない
マーラーが合うの合わないのというより音楽にのめり込んだフルトヴェングラー
そのニュアンス・音色  素晴らしい

話はフィッシャー=ディスカウからそれてしまったが
彼の歌ではヴォルフのゲーテの詩による「ガニュメート」の
バレンボイムとの演奏が、むせ返る花の感じがしてとても好きだ
ここでもフィッシャー=ディスカウというより伴奏のバレンボイムの
ピアノの方に耳が行ってしまっているのかもしれない

あとはマタイのイエスとか、タンホイザーのヴォルフラムがいいかな
「冬の旅」はハンス・ホッターの朴訥とした演奏が孤独感・寂寥感を際立たせて
何度も聴く気にはならないけど、一番のお気に入り
ただ曲集の中の「春の夢」は音色の変化がぴったり決まったフィッシャー=ディスカウも
捨てがたい

そんなこんなで、フィッシャー=ディスカウを聴くつもりでいたのが
連続して聞いたのはフルトヴェングラー指揮の演奏
真っ先に浮かんだのが1938年 ベルリン・フィルとやったトリスタンとイゾルデの
前奏曲と愛の死

同じ曲の別の時期の演奏のレコード・CDも持っているけれど
なぜだかこれが一番好きだ
フルトヴェングラーが50代の気力も充実してたころの現役バリバリの演奏
シンフォニックな感じが好きなのかな?

そういえばまたまた話は飛んで
「愛の死」はホロヴィッツのラスト・レコーディングの
演奏も雰囲気があって。濃厚なロマンティシズムが感じられて好きだな

こんな風に話が飛ぶところを考えると
どうやら自分はフィッシャー=ディスカウのよい聞き手ではなかったようだ
ライバルのヘルマン・プライの方に無条件に共感を感じてしまえる自分がいる

でも上手いな
ということは間違いない
そしてあのビロードのような声も
チョット知的な部分が耳障りに感じることはあっても
やはり別格の天才の一人だったと思わざるをえない

しかし、世の中はドナ・サマーの死を大きく扱っても
フィッシャー=ディスカウのそれはおまけみたいな扱い
ここに(文化・教養の欠如の進む世界の)不安を感じるのは余計なお世話か

 

 

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想像力を駆使してテキストを読むことも、時には必要

2012年05月17日 19時56分47秒 | Weblog

Facebookは当たり前のように画像つきの投稿が多い
Twitterでも140文字のテキストというより
画像のアップとコメントが増えてきたようだ

なるほど、画像があればわかりやすいし
読む気になれるのも事実
これらのツールはそういうものだ
と言ってしまえばそれまでだが
こればっかりでいいのか?
と少し疑問を持ってしまった

つまり文字ばっかりで
それを苦労しながら読んで
その中から想像力を駆使して理解したり楽しんだりする
こうした過程を省いてばかりいるとまずいんじゃないか
ということ

書籍の販売不振
週刊誌類がコンビニに並んでいるがそれらは
省力された情報と写真が必要不可欠なレイアウト
こればかり売れているということは
フジテレビばかり見てるということ
ハリウッド映画の予定調和のアクション映画ばかり見ているということ
に通じないか

それらが悪いというのではない
ただ、そればっかりではまずいということ
なんでもそうだけれど、楽な方に楽な方に流れてしまうから
時にはあえて障壁の多いものに挑戦しなくては
ということ

しかし、一旦楽に流れると戻るのは苦労してしまう
もっともハードな物を乗り越えた時には達成感はあるが

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貴族の生活

2012年05月15日 21時35分33秒 | Weblog

今年は珍しく大河ドラマを見ているので
ついでにこの時代のことをお勉強してみた

しかし、より興味深かったのは
ドラマティックな政権闘争より
貴族の生活などについての事柄

 

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貴族は起きると、属星を七回唱え、鏡で顔を見、具注暦を見て
その日の吉凶を判断する。ついで楊枝で歯を掃除して口をすすぎ
手を洗う。仏の名を唱えて、帰依している神社を心のなかで念じ
昨日のことを日記につけた。

貴族の食事は1日2回で、1回目は巳の刻(午前10時頃)
2回目は申の刻(午後4時頃)であった。

食事(朝ごはん)のあとは、髪をすき(ただし3日に1度)
手足の爪を切る。しかも丑の日には手、寅の日には足と決まっていた

古く日本では寅の刻(午前4時頃)出仕し、午の刻(正午頃)退出することになっていた
しかし、次第に政務・儀式の開始時刻が遅れるようになった。
その理由は公卿達が時間通りに参内しなくなり、最低限の人数を確保するために
時間をずらしたことが慣例化した。

 

小学館 日本の歴史 平安時代  揺れ動く貴族社会から抜粋

 

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人ってどの時代も変わらないな!
それが実感
政権闘争もわが子をトップにしたい親のエゴと
周辺の関係者の利権確保のため

そういえばこの本の別のページには
税の取り立ての難しさが書かれていたし
監視が届かないところでやりたい放題の
連中の存在も書かれていた

また最澄と空海のちょっとした揉め事も、、

歴史は人間の織りなす出来事
そしてその人間のいい加減さは
困ったものだが
それでも、だからこそ安心・ほっとするのは何故だろう

真面目すぎる話にどこか嘘を感じてしまうのは
斜に構え過ぎか?

 

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そしてイニエスタ

2012年05月14日 21時19分04秒 | サッカー

帰りの車の中
NHKFMから流れてきたのは
バルサの選手の名前が羅列された
森山直太朗の曲「そしてイニエスタ」

<!-- そしてイニエスタ -->

バルサの選手の名前が続々出てくる
でもメッシでもなくシャビでもなくイニエスタと歌ってる
アルバムの8曲目というから
森山直太朗のイニエスタ好きは本格的か

自分も好きだなイニエスタ
ワールドカップの決勝点を挙げたからでも
チェルシー戦での同点ゴールを挙げたからでもなく
ただ何となく好きだ

めちゃくちゃ上手いし
時折目にするインタビュー記事も
とてもやさしい人間性にあふれていて
そして風貌が髪が薄くハンサムでないところもいい

でもイニエスタ、怪我だけはしないでくれ
もっと試合にコンスタントに出られるように!
東の国から応援してるから

 

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