読み終わった本の有効的な使い方は、
一般的にはブックオフなどの店で現金化するのが
現実的だが、自分は最近市の図書館に寄贈することにしている
少しのお金を得るよりも、自分が読んでよかったと思う本を
多くの人に読んでもらえて、同じような感情・感動を
持ってもらえるほうが気持ちがいい
今日、部屋にだらしなく置いてあるだけの本を整理して
図書館に持って行くことにした
大半は読み終えた本、しかし購入したものの波長が合わず最後まで行かなかったものもある
ジャンルは小説から、新書、経済関連の本まで、種々雑多
寄贈する本と、自分の手元に残しておきたい本を区別
判断するわけだが、もう一度読みたいとか、なんとなく離したくない本は
どうも多くの人には評価されないような本が多い
ベルクソン、マズロー、キエルケゴール、ライプニッツ、メルロポンティなどの哲学系から
北杜夫、辻邦生、ヘッセ、立原道造、西脇順三郎、
それから自然科学関連も、不思議な数eの物語、自然界における右と左、エレガントな宇宙、
素数の音楽などなど
あっさりもう縁はないと気持ちを吹っ切ってしまったのが
ミステリー関連、そして村上春樹の1Q84,
どうも村上春樹は相性が悪く、ノルウェーの森も以前に寄贈してしまった
奥泉光もどうも合わない
宮部みゆきの蒲生邸は手もとに置きたかったが、この本は多くの人に
読んでもらいたい思いさよならすることにした
こうして考えてみると必ずしも読んで欲しい本ばかりを
寄贈しているわけではない
残念ながら読んで欲しい本は実は自分がもう一度読みたいから
手もとに置くことになっている
それにしても図書館に行って
価値があって多くの人に読んでもらいたいなと思う本が
全然スペースを確保していないのが悲しい
辻邦生はその名前すらない、福永武彦も
北杜夫はどくとるマンボウシリーズばかり
本の値打ちは感動の量に比例すればいいのだが
必ずしもそうはなっていない
多くの人に支持されるということは何かしら
人の心を打つものがあるのだろうが
一部を除いて直ぐに忘れられてしまう
自分はベストセラーが本を選ぶ基準にはなっていない
それよりも、何か沸々と湧いてくるものに素直に従って
本の選択を行っている
今はハンナ・アレントの作品を心が求めている
安倍さんの暴走気味の姿勢が不安感を募らせるので
彼女の示唆する悪の凡庸さ、人間がしでかしてしまう悪にたいする
考察が自分にとっても必要と感じている