パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昇竜しだれ梅園

2010年02月27日 15時59分48秒 | Weblog


天気予報では、回復はもう少し遅くなるはずだったが
8時を過ぎたあたりから青空が覗き始め
なんとなく天気が悪くなりそうな気がしなかったので
先日写真好きの知り合いから教えてもらった
しだれ梅ばっかりの梅園に行ってみた
(浜松市 舘山寺温泉近く)



ちょっとした高台にあるので
向こうに浜松市の中心部が見えて梅のせいだけでなく
いい気分でした



木自体は年季の入った太いものも多く
今まで育てる苦労が偲ばれた



梅の種類は分からないが白、ピンク、赤が
青い空に映えてとても綺麗だった

ところで園内に漂っていた甘い香り
同行人に言わすれば「クリスマスローズ」とのことだが
それはそうと梅の香りってどんなんでしょうね?
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「今勝つための練習」と「将来のための練習」

2010年02月26日 21時28分44秒 | Weblog
女子フィギアスケート
日本人としては多少残念な気持ちもあるが
現時点での実力通りの結果で
それはそれで良かったのではないか

このレベルになると選手は皆練習の虫
としか思えない生活を繰り返してきただろう
それでもキム・ヨナ選手が如何に真面目に
練習に取り組んできたか想像できる
そしてたどり着いたところはアスリート、勝負師というよりは
ある意味職人の域なのではないか

練習時間の長さは同じでもその質の濃さが違う
(勝手な想像だが)
そして、それを可能にしているのは彼女の頭の良さだろう
自分の特徴の生かし方、自分の顔にあった衣装、
効果的な音楽 それらはスケートを除いたところで
浅田真央よりも優っていたように思う

浅田真央は可愛いお人形がスケートしている
たまにびっくりするようなことをする
と言った印象
キム・ヨナは一人の女性がスケートという自己表現を
高い技術で演じている
と言った印象

だからと言って浅田真央が劣っているわけではない
ただ現時点ではあまりにも幼すぎた
これからの可能性 多少荒削りのところがある分だけ
伸びしろがあるかも
一方キム・ヨナは完成の域なのでこれをキープするのは大変

これから先リベンジするチャンスや時間が
あるかはわからない
運がよい人は報われるかもしれない
しかし、永遠に勝負の世界では報われない人もいるかも知れない
(たぶん大半の人がそう)
だが報われる報われないを決めるのは本人の心
その意味では上村愛子の姿は胸をうつ
どんなに努力してもあと一歩及ばない
これが昨年だったら とツキのなさを愚痴りたいかもしれない
それにおそらく筋肉の質の違いで
彼女は真にスプリントタイプではなく
トップ3に入るには努力以外のタレントが必要なのではないか
しかし、それでも甘んじてこの結果を受け入れる
それは人として本当に強いというかいい経験をしていると
思わざるをえない

さてこうしたスポーツ
大成するには普段の練習が問題だが
日本の問題点は、幼いうちは世界レベル
大人になると全然通用しない

こう言ったことが多く見られるのではないか?
サッカーも子供レベルでは日本も結構勝てる
フィギアスケートもそう

問題なのは子供の時点で
「今勝つための練習」が優先的であって
「将来役立つための練習」がおろそかになっていやしないか?
ということ

だれでも勝負する以上は勝ちたい
そして大人は親切にも勝ち方を教える
本当はその時期に身につけるべきものを
身につける機会を与えられなくて
ただ勝利という勲章だけを手にする
その結果、世間も評価しチヤホヤしそれでいいのだと
自ら成長する機会を失っていく

自分が考える伸びしろのない姿の原因はここにあるように思う

それともう一つ
それは日本という国が中途半端な
経済的大きさであるということ

日本で成功すればそこそこの生活ができる
だから自ずと判断の基準は日本をベースにしたものとなる
しかし、韓国等では自分の国だけでは小さすぎるので
必然的に外に出ざるをえず、その結果
判断基準はインターナショナルなものとなる

この自分を見つめる客観的な視点
それが日本と韓国の差を生み出している
ひとつの要素ではないのか

だからといって日本人の性格は
そんなに簡単には変わらないだろうし
変わる必要も感じていないだろう

本当は、オリンピックのような白黒はっきり結果でるもので、
今の方法でいいのか悪いのか?
考えなおす機会になればいいのだが

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本田デビュー戦(チャンピオンズリーグ) 合格

2010年02月25日 21時54分08秒 | サッカー
久々にに見たいと思った日本人関連のサッカーが
本田圭祐のCSKAモスクワ対セビージャの試合
本田にとっては実質的な公式戦デビュー戦
しかもチャンピオンリーグ
果たしてどのくらいできるのか?

解説者も口にしていたが最初は日本人の身びいきを差し引いても
かなり良くやっていた
シンプルにボールをはたいて全体のスピードを落とさず
シュートも積極的に数本
それは確かに今後の可能性を感じさせるものだった

途中くさびのパスを落とす時に強すぎたり
反対にパスが緩すぎたり
ちょっとしたパスコースのずれなどもあったが
総合的にはチームに入って短い時間であることを感じさせなかった

実は自分は本田のボールの動かし方
ボールの進め方が日本の10番の選手よりも好き
無駄がなく、縦に速いから
中村俊はドリブルが入って相手をひきつけ
スペースをつくるというものの
どうしてもワンテンポ遅く感じられて仕方ない
(もっともこれは好みの問題でどちらがいいとは言えないが)

また3月にはアウェイで2ndlegがあるが
出場できれば大いに楽しみ
(個人的には海外組では長谷部より森本より松井より期待している)

今日の結果は
CSKAモスクワ1-1セビージャ

本田、最後にイエローカードのおまけがついたが
前半がよかったので合格!
(ところで岡田監督、日本代表として本田を使うのだろうか?)
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結果を性急に求めすぎなのはどうなんだろう?

2010年02月24日 21時31分36秒 | Weblog
フィギアスケート女子
なかなかキム・ヨナ選手は手強い
というかチョット抜きんでいている感じ
それは丁寧に丁寧に修行して自分のものにした噺家の芸に似ている
つまり完成度が高い
そして安心感、満足感を与えうるモノのよう

一方、浅田真央は新しい噺を沢山レパートリーにもつ
テレビ的な芸人の芸のよう

どちらがその時代その土地で評価を受けるかは
神のみぞ知るだけれど
ここで気になるのは日本という国は、どうも
新しもの好きで、その新しいものが生まれるに至った
経過を理解せずに、単に新しいことはいいことだ
と、もてはやす傾向にありはしないかということ

新しいスポーツ、新しい戦術、新しい技術
それえはとりあえず一時的に効果的で
早めに取り入れた方が良い結果をもたらすことがある
しかし、問題はそれから
結局それらが生まれるに至ったプロセス、
コンセプトが抜けているから真の理解に達せず
あるところで伸びが止まってしまう

まるで攻略本を読んで
要領よく結果に結びつけている様子に似ている

それは子供達の教育にも言えることかもしれない
彼らの伸びしろを見込んだ上での教育というより
今なされているのは賢そうに見える柔軟性のない
子供達を作っているだけのように思えてならない

将来役に立つことを地道にやっていく
このことが今の日本人が出来ないことなのではないか
と不安になる(自分も例外ではないが)

大相撲で3年先のための稽古と言われるものがあった
具体的にどんな稽古がそれにあたるかは分からないが
言わんとすることは分かる
基礎は残念ながら身につけるのには沢山の時間がかかる
だが全てはその基礎に上に成り立つもの
(スポーツも学問も)

ここで言いたいことは、この国は
結果を性急に求めずに、もう少しゆっくりと
着実な実力をつけるというシステム
評価基準にした方がいいのではないかということ

正直なところ、愛国心はあるのでサッカーでもフィギアでも
日本人を応援はする
だが韓国の人の最新のパターンではなくても
ひたむきな姿にはチョット
勝てないかな?と思わざるをえない

現実を踏まえた、逞しさ強さが彼らにはある
ところが、我が国は、、、

日本人は辺境民族のDNAを持っているから仕方ないのかもしれない、
しかし、できればもういいとこ取り、話題の先端取りで騒ぐのは
もうそろそろ卒業して欲しい
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男というやつは、、、、しょうがない?

2010年02月23日 20時49分07秒 | Weblog
カップル同士がすれ違うとき
男は相手の女をチェックし、女は女をチェックするらしい
なるほど、なんとなくわかる 少なくとも男の心情は!

ところでオリンピック
スポーツ新聞のインターネット版には
カーリングの可愛い女性の写真が紹介されていた
イギリスの選手にロシアの選手

競技成績とは全然関係ないところで
喜んでいる男どもは、、、、
本当にしょうがない連中?

でも何かに集中しているショットはやっぱりなにか惹かれる
いや、そんなことよりやはり人並み以上に綺麗な人が多い

好みはいろいろありそうだけれど
カナダの選手も綺麗な人がいたような気がした
チラッとしかみていないので分からないが、、、

ところで日本人はかわいい人が好み
欧米人はセクシーな、キリッとした人が好み、みたいな傾向
(宇多田ヒカルのアメリカ発売のCDジャケットの写真は
 完全に日本人好みではなくアメリカ人好み)

真央ちゃんは可愛いけれど
この子供っぽさ(?)がキム・ヨナの大人っぽさと比べて果たしてどうか?

もっとも男の立場だけを述べているけれど
女の人も似た様なものかもしれない
どこの国の誰それがイケメンだったとか、、

結局、男も女も庶民の考える事といったら、、、


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いつの世も内側の理屈が最優先する?

2010年02月22日 22時24分04秒 | Weblog
空気を読む!
それが政治屋として貴重な能力であるとしたら
長崎県知事の民主党の敗北や
最近の内閣支持率のダウンは
はっきりとその理由は分かっているはず

何故だかわからないけれど
そして、なんとなくわかるけれど
国民は幹事長が嫌い

これは理屈を超えたところでの判断なので
どうしようもない

こうした世間の気分を実はわかっているはずなのに
(空気は読めているはずなのに)
さて行動には移せない

何故なんでしょうね?

企業がダメになっていく過程というのは
内側の理屈が外の理屈よりも優先するから
といったパターンが多いが
せっかく政権交代をした民主党も
この例から逃れられないのか?

もっとも、民主党に限らずどの政党も
どの国も、どの時代もそんなもんかもしれないけれど

もったいない!
せっかくチャンスをもらったのに
それにしても自民党もいまいち冴えない
困ったもんだ

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911、やっぱりどこか変なのでは?

2010年02月20日 16時55分49秒 | Weblog
先日アメリカで自家用ジェット機で
ビルに突入自殺した事件が報道された
早い段階で「テロではない」とコメントされていたが
その現場映像を見ると思い出すのが911の同時多発テロ

911の、あの火災はやっぱりどこか異常だったのでは?
今回のニュース映像を見て最初に感じたのがこのこと

今回はビルは燃えていて破壊されてはいない
鉄骨もその姿を残している、しかし911では見事に全てが
細かく粉砕されている

You Tubeには「911の嘘をくずせ」のタイトルで
様々な疑問点をあげて問題提起している

それを真面目に、本当のこととして取り上げるとか
あるいは公然と口にするのは
興味深いスキャンダラスであっても
かなりの勇気と覚悟がいる

以前民主党の議員が
「911は自作自演のうんねん」
と口にしたら一気に馬鹿にされてしまった

既に公にはあの事件はビン・ラディン率いる
組織がらみのテロと決められている

しかし、そう、しかしだ
あまりにも妙なことが多すぎる
これは小沢幹事長の起訴にはならなかったが
限りなく黒に近い状況と何らかわりない

あのビルの崩壊
本当に火災であんなにまっすぐに傾きもせず
崩壊するものだろうか
鉄骨も粉々になって長い鉄骨がないのはなぜ
崩れ落ちる速度があんなに早いのは何故?
崩れ落ちるビルの下の階の窓から吹き出している煙は何?
第7ビルは何故崩壊したのか?(近くのビルは崩壊しなかったのに)

アメリカン航空やユナイテッド航空の株が
事件数日前に大量に空売りされていたのは何故?

事件6週間前にWTCビルの持ち主が変わり
保険をかけておいたが、あの事件のおかげで
あっという間に元はとったのは偶然か?

ペンタゴン突入が旅客機なら
機首の柔らかいにもかかわらずあれだけの深い穴を
あけられたのは何故か?
また幅が大きな飛行機にもかかわらず
損害の範囲が極めて狭いのは何故?

また何故、わざわざ壁の厚い、補強したところに突入したのか?
一番効果的な突入は真ん中に飛び込むことではないのか?

つまり偏見なく見れば、むしろ怪しいことの方が多い

これを自作自演の、、、とまでは絶対追求はできないだろうが
狂信的なイスラム信者が起こしたことと断定するには
どこか無理がありそう

ところで振り返ってあの事件を思い出してみると
あの時感じた違和感は
何故タイミングよく突入の映像が映すことができたのだろう?
そして
ビルの崩壊を何故早くから予想できたのだろう?
(単なる火事ではないにしろ、崩れるなどと予想する方が 
 どこか不自然なのでは)

確かに物事はスキャンダラスな興味本位の方が面白い
だがこの事件は、その域を超えたところで
真剣に取り組まなければいけないのじゃないのか?

第7ビルはどうして崩壊したのか?
建築家、科学者は嘘偽りなく公の発表を信じることが出来るのか?

歴史とは全てこんなもん!
勝者が勝手に都合よく書き込んでしまうもの?
だとすれば誰かがアングラで我慢強く書き続けねば
社会はとんでもないことになってしまう

忘れていいこと、忘れてはいけないこと
911、事件自体は忘れてはいけない
だが表面的な事実の経過だけでは駄目だ
本当になにが起こったのか?
そのことを知りうる立場の人は全力をかけてそのことを追求し
表に出していかないと
人はまた大きな間違い(ユダヤ人大虐殺のような)を
起こしてしまうのでは


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人に勧めたくなるから「日本辺境論」は良い本

2010年02月18日 20時19分58秒 | 
「日本辺境論」
これだけバッサバッサと誤解を恐れずに
書き記されるとホント痛快!

なるほど日本人だからそうなのか!
そんな風に納得するところが随所に

話は飛ぶけれど、この論からすればサッカーで
日本人のFWに決定力がないのは、日本人だから!
とも言えそう

確かに日本人は、
何かを追いかけたり、学んだりする対象がある場合は
その本質を把握していようがいまいが
要領よく追いついたり身につけたりすることはできる

しかし、追いついてしまって先頭がいなくなると
いきなり何をしていいかわからなくなってしまう

サッカーのDFを、たまにFWのポジションをやらせてみると
多くの人間がパニックに陥ってしまう
前の景色が全然違うからだ
今までは前で起きていることに対応していけばよかったのが
前目のポジションでは点を取るという目的はわかっていても
さてナニをどうしていいか分からない


またまた話は変わって
昔から疑問に思っていたことがあった
それは多くのドラマでのこと
主人公が迷っている状況の時
日本のドラマは必ずといっていいほど
その主人公を導く先生みたいな存在の人が現れる
「天地人では上杉謙信、龍馬伝では親父殿とか他の人
 ごくせんではオヤジ(?)宮本武蔵では沢庵和尚などなど」
これらは決して神とかいった絶対のモノからの啓示ではなく
単に普通の、間違いも欲も見栄もある同じ人間であるという存在なのに
何故か絶対的に正しいというような扱われ方をする

つまり日本人は何かを教えてもらわないと
あるいは
教えてくれる存在が身近にいないと
不安になったり途方にくれたりする

また、日本人の新しいもの好きは
その新しいものが生まれに至った過程を理解しないで
結果だけ取り入れるから随分と違ったもの
表層的なものになってしまう

サッカーのシステムや戦術にしてもしかり
お手本は世界にいくらでもある
しかし、学ぶのはいいけれど
真に学ぶべきものは結果としてのシステムや戦術ではなく
試行錯誤してその結果に至った思考の流れや方法論であるべきなのに

さて、良い本か?そうでないか?
の評価の基準は、人に勧めたくなるかどうか?
で決められるが、この本「日本辺境論」は
確かに誰かに勧めたくなる
ということは、
良い本!ということで間違いなし




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大変化の時代、普通の人は何ができるか?

2010年02月17日 22時20分34秒 | Weblog
100年に一度の大不況と言われるが
確かに大不況だけれど後の歴史家は今を
ただの繰り返し起きる景気変動とだけみなすのだろうか?

100年に一度の大不況というより
100年に一度の社会の変化と言った方がいいような気がする
それは産業革命と同じ類のもの
今までの生き方、考え方、スピードがすっかり変わってしまった

多分それはコンピュータの所為だろう
ほとんど個人に1台所有し
あらゆる情報をいつでも手にすることができる
そのシステム自体はわからないが使い方は
すでにあったものの如く使いこなしている

そして一人ひとりのエンジニアの努力は
難しい年季のいる仕事を
オペレーターの単純な仕事にしてしまった
そして均一に大量の製品をロスなく生産できるようになり
世の中は消費経済、欲望喚起型の社会になってしまった

ヒューマンサイズのものからバベルの塔を作り始めたために
世の中が混乱してしまったように
このほとんどブラックボックスの便利すぎる化け物は
後戻りできない変化を生みだしてしまった

ここ10年の変化はどうだ
ここではある意味努力の限界を超えているところもある

存在意義、存在理由のないものは
おとなしく市場から去る
これが当たり前のことだとしても他人事なら納得できても
いざ自分に降りかかるとなかなか受け入れることができない

しかし、正直なところ役目を終えているような存在が
多く見受けられる

自分も含めて役目を終えた仕事は消え去るのは仕方ない!
と心の準備をすることと、次に来るものを予想するしか
今を生き抜く方法はないのかもしれない
だが、その予想が立たないのがつらいところだ
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日本辺境論

2010年02月16日 22時17分56秒 | 
まだ読み始めたばかり
しかし、なるほどこの本が評判になっているのがわかる
思わずニンマリしたところや
常々疑問に思っていたことを(たとえ論旨に離れていたとしても)
バッサリと切って論ずるところがあちこちに

たとえば
「何が正しいのか」を論理的に判断することよりも
「誰と親しくすればいいのか」を見極めることに
もっぱら知的資源が供給されるということです。
自分自身が正しい判断を下すよりも
「正しい判断を下すはずの人」を探りあて
その「身近」にあることの方を優先するということです

また別の個所では
「日米同盟が日本外交の基軸である」といいますが
それはアメリカの国益と日本の国益が一致している
ということではありません
アメリカは他国よりも日本の国益を優先的に配慮している
という意味でもない
当然ながらアメリカはアメリカの国益しか考えていない
日本に配慮するのはそうした方がアメリカの国益に
資するという計算が成り立った時だけです
しかし、アメリカが日本の国益を損なう要求を
してくる場合でさえ、
「やはり日米同盟しかない」という外交通の確信を
揺るがすことはできません
このような異常な判断が成り立つのは
「アメリカがときに日本の国益を損なうような要求をするのは
それだけアメリカが日本に近しい感情を抱いているからだ
(身内)だからこそこのような理不尽なことを平気でしてくるのだ」
という奇妙な信憑が私たちに共有されているからです

確かに、そうばかりとは言えない
と批判することはできる
だがよく当てはまることの方が多そう

結局、日本人は「長いものには巻かれろ!」
を実践してきた国民なんだと再確認!
(それが悪いことかいいことかはわからないが)

本はまだ途中なので
お楽しみはもう少し味わえるのがありがたい
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