パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

顎が、、、、

2018年06月30日 19時02分27秒 | 徒然なるままに

時々体がストライキを起こす
その兆しは薄々わかっているが、なかなか対処法がない
最近、軽いストライキがあった
これを被ると体が真っ直ぐに立つことができない
鏡に映る自分の体は腰から上が左に曲がって「く」の字になっている
知らず知らず何かをかばってそうなっている

この迷惑なストライキとはギックリ腰のこと
でも今回は大きくなかった
「く」の字の状態も2日くらいで収まった

しかし今回は余分なおまけがあった
ご飯を食べている時、口が開かなくなった
顎の関節が固まったみたいになって、上顎が動かない
全然開かないということはないので、少し力を入れて開けるのだが
あまり気分の良いものではない

きっと腰からきているのだろうな、、とすぐざま思ったが、それは似たような経験があったからだ
昔、サッカーのコーチをしていた頃、ずっと立ちっぱなしの一日中試合ばかり日があった
その昼ごはんの時、おにぎりを食べようとした時、突然口が開かず顎がカクン、カクンと音をたてるようになった
立ちっぱなしで背中も痛くなっていたが(それも持病の腰痛のせいだが)こんなのははじめてのことだだった
それで、人にこのことを話してみると「顎関節症」じゃないのか、、、とのこと

この症状はずっと続くことはなく
立ちっぱなしだとか腰に負担があったと思われる日によく現れた
だが、幸いそのうち忘れてしまう位で収まった

それがここ2.3日の顎の異常
すぐに収まると思っていたが、案外しぶとく抵抗している
困ったものだ

なんかなあ、ちょっとずつ自分の体が情けないと思うようになった
目は老眼と白内障っぽくて夜は文字が霞んでみえるし
歩くスピードも駅から自宅まで歩くと若い人の普通の速度についていけないような、、
それから記憶力も、、、とても怪しくなってきている、、

それにしても、顎くんのストライキは、そろそろ収まってほしいものだ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポーランド戦の最後の時間の使い方について

2018年06月29日 09時37分53秒 | サッカー

今朝のテレビの話題はなんと言ってもワールドカップのポーランド戦
(日本0-1ポーランド)
敗戦にもかかわらず決勝トーナメントに進出出来たわけだが
このポーランド戦の戦い方、負けているのに攻めないプレーに賛否両論が噴出している
サッカーにあまり関心のない人でも、自分はこう考える、、と
熱く語る機会を作ることになったのは、良かったと言えるのではないか
毒にもクスリにもならないことを、自分の言葉で相手を説得しようと頭をフル回転させながら
熱くなって語る、それは、良いことだ

そこで自分のこの戦い方に対しての考えだが
こんなのもありかな、、と割合肯定的にとらえている
この手のことは珍しくもない
それでも、負けていて時間つぶしをするのはないぞ、、と言われるかもしれないが
グループリーグ突破という点では相手(コロンビア対セネガル)任せかもしれないが
現実的には可能性の高い度胸の良い判断だったといえる

この試合スタメンを大幅に変えている
岡崎、武藤、宇佐美、酒井高徳、山口、槙野と六人も変えている
上手くいってるうちはいろいろ変えないのが基本だが、ここで大きくいじったのは
気温が暑い中でのゲーム、ベテラン選手の疲労の具合、相手チームが嫌がりそうなのは
単純にアジリティの高い走れる選手が良いと想像したのではないか
そしてこのチームなら最低でも引き分けに持っていける、、と踏んだのではないか

しかし、ワールドカップは甘い世界ではない
結果的にこの舞台で得点を上げることができる選手は、もってるだけでなくどこか特別な選手だ
同じように見えてもそこには超えられない何かがある
プレースタイルの違いと言えばそれまでだが、宇佐美の乾の同じ様な位置からのシュート
乾はゴールに飛んでいるが宇佐美はDFにブロックされている
運が悪いとか大勢いるからの問題ではなく、これができるかどうかの一歩の違いが才能というもの
メッシは大勢いても横に流れてドリブルシュートしてもブロックされることは少ない
宇佐美はワンステップでシュートするのも身に着けないと
同じようにサイド攻撃の選手もセンタリングの正確さ云々の前に、クロス(パス)がDFに引っかかってしまう選手と
何故か引っかからない選手がいる
そしてそれは偶然というより、いつも同じ様なことが繰り返される

そこで、昨日の試合を見てると残念ながらこのチームでは得点は出来ないだろうな、、という雰囲気を感じた
うまくいけば失点は防げるかもしれないが、、得点となると、、、
戦っている選手はみんな得点を目指す
しかし、今日はその日ではない、、というような雰囲気を感じる試合はあるもので
残念ながら昨日は、そんな感じだった

部分的には最初の酒井高徳の壁パスが正確に出来なかったこと
武藤は自分でシュートしたくてゴール前にいた岡崎にパスできなかったこと
槙野は心配したファウルが多そうだったこと
山口はひところの自信を失っているように見えたこと
岡崎は相変わらずひたむきだが、体調は大丈夫かと思われたこと
宇佐美はボールロストしたらルーニーみたいに追っかけられるかということ
それらが、どうも合格点までは達しなかった

その得点の匂いが全体的に感じられない状況で、セネガルと全く同じ勝ち点、得失点差、総得点で
フェアプレーポイントで日本が上回りこれ以上失点しなければ勝ち抜ける状況をベンチは知った

この時の判断が、相手任せで良いのか、、
もしセネガルが同点に持ち込んだら日本は後悔の残る試合になったのではないか、、
目指しているサッカーは、将来を見据えて、、これで良いのか、、というのが
批判的な方々の話

でも自分がコロンビア対ポーランド戦を録画で見た時に直感的に思ったのは、
コロンビア対セネガルはコロンビアが勝つだろうな(勝たねばならないコロンビアの気合や集中は予想できた)
南米のしぶとい守りをセネガルの身体能力だけでは突破できないだろうな、、ということ
だから途中で、コロンビアは勝たなければならない試合を失うようなことはないと
(期待を込めながら)想像した
現場で幾つもの修羅場を経験した人の勘は、リスクが十分すぎるほどあったとしても、自分と同じ様なことを
感じたのではないか(勘を支持する詳細なデータが届けられているらしい)
プロの世界はいい意味でも悪い意味でも結果がすべて
つまらない時間つぶしをすれば批判される
攻めに行ってスキをつかれて失点しても批判される
どのみち結果が伴わねば批判される運命だ
定番のいじらないからスタメンを大幅に変えたときから、西野さんはある程度覚悟を持っていたのではないか

正々堂々と勝利を目指して戦う、、という姿勢は、何が起きるかわからないので可能性としては同点に持っていける
と考えそうだが、現場にいる現時点でも選手の能力、流れ、勢いを感じ取る中では
一番の選択肢は、、、残念ながらあの状態でも仕方ないといえそうと自分は思う

日本の時間つぶしに協力したのはポーランドもそうだった
さらに得点をしようとする気配はなかった
もうこの勝利だけで良い
この雰囲気を肌で感じ取った選手たちは、可能性の高いと思われた相手任せの選択を受け入れた
これは、仕方ない、、

でもこの問題は、いい意味でもっと多くの人の話題にのぼると良いかもしれない
半端ないって、、ということばがあちこちで言われるより、この話題でつばを飛ばしながら話す
その方が、サッカー好きは嬉しいな

あとワールドカップで不思議なのは、同じチームとよく当たるということ
次のベルギーは日韓の初戦であたっている
タレント揃いというものイングランドより日本は戦いやすい気がしないでもない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーとマスコミ報道の話

2018年06月26日 08時50分06秒 | あれこれ考えること

昨日は深夜の日本対セネガル戦(日本2−2セネガル)をリアルタイムで見て
気になるコロンビア対ポーランドの試合は録画で見ようと思ったが
興奮していたせいか結局のところこの試合もリアルタイム観戦することになった

コロンビアは強かった(コロンビア3-0ポーランド)
一人ひとりがたくましくて南米の強固な守りはポーランドにスキを与えないで完勝というところ
日本の最初の試合は、彼らが多分なめてたのと、ハンドで一人退場になったのが大きかった
もう一度戦うと、多分勝てないだろうし、クアドラードが早めに抜けて助かった
つくづく運が味方したと思う(運を味方にして勢いにのる短期勝負のコツ)

それで昨日は眠たい一日を過ごすことになったが、気になるのは最近のマスコミ報道
豊田真由子、日馬富士、貴乃花、伊調馨、日大アメフト、紀州のドンファンなどの報道は
褒められたものではない、このしつこいくらいの低レベルのものがサッカーの報道でも繰り返された

初戦は大迫の決勝ゴールがあったせいで、一躍大迫が時の人になった
「大迫半端ないって、、」のキャッチーな言葉が、わかりやすいというだけで
一気にどのテレビ局も使うようになった
そして二戦目の乾得意な角度からのゴールで今度は「セクシーフットボール」時代(高校時代の)
映像やら過去が賛美される
そしてそれらは、サッカー好きな既に知っていて、高校時代のまだプレスの少ない時代には
可能なプレー(スタイル)で、それがその後同じように出来たかどうかが一番の問題だ

大迫の後ろからのボールの半端ないとされるトラップは「高校生レベルでは、、」但し書きがつく
ポーランド対コロンビア戦でもレヴァンドフスキが全く同じ様なプレーを行った
以前ではバッジオが後ろからの浮いたボールを柔らかなトラップで方向転換して
キーパーを交わしてシュートというのがあるし、Jリーグの試合でも時々見られるプレーだ
と言って大迫の評価が下がるわけではないが、問題なのはみんなが同じように騒ぎ立てていることだ
そしてその騒ぎ立てている人たち(テレビ局の人たち)には「サッカーに対する愛情」が感じられない

テレビは万人にわかりやすく伝える
万人にわかるというのは入門編の説明だ
その入門編の説明をクドいくらいに繰り返し、見ていた人はなにかわかったような気になってしまい
いつかテレビで聞いた話をまるで自分が考えた思いのように人に話すようになる

サッカーははっきり結果が出るのはゴールだけで、それ以外は評価はなかなかが難しい
例えば初戦の試合では、決勝点を上げた大迫を評価し、またある人は試合をコントロールした柴崎を評価する
浦和レッズのファンは死ぬほど走りきった原口を評価したし、トルコやイタリアの記者は長友を
フランスの記者は酒井宏樹を良いプレーだと褒めている
つまりは、そういう事
見る人によって大きく評価が違うのがサッカーというゲーム
ちなみに代表のこの2つの試合を音を聞こえないように絞って観戦したら
人はそれぞれどのように感じただろうか
それはテレビとか新聞で言われているのと同じ様な評価をしたのだろうか

問題はここから先
音を小さくして感じた自らの印象を、日本人は自分の感じたこと、考えたこととして表に出すことができるか
それは出来ないのではないのか、、というのが、自分の中にある不安
自分の中に浮かんだ素直な思いや感動を声に出せない
さほど重要とも思われないような、入門編的な視野の意見が広まっていると判断される中で
自分の考えを出せないのは、一つには同調圧力の雰囲気、そして独自の考え方を披露したことによる摩擦を
勝手に想像し、自ら声をだすことをやめてしまう、、という日本人にありそうな傾向

これはサッカーに限ったことでもない
人にはもともと独自の考え方など存在しない、それは何らかの情報によって既に萌芽のように形成されている
としても、(人間社会はそういうものだとしても)、特に政治的な発言などはその時出回っている雰囲気・空気に
異論を発しにくい状況には、自らやめてしまうのが見られそう

大きな社会知を形成し、短時間に膨大な人に情報を伝えるメディアは、現代のこの国では決して「深掘りする」ことはない
何時まで経っても入門編の話を繰り返す
深掘りしたい人は必然離れてより専門性の高いものをお金を使って求めることになるが
そこで得たものは、彼が入門編の時代に得たものとはかなり違う考えに至ることが多いだろう

そうして自ら深掘りしていく情報を得ていくと、現代に対する不安が知らず知らず湧いてくる
サッカーにおいては、いま必要とされる個人の技術とか、もっとさかのぼって育成時代に身につけるものはなにかとか
そもそも日本は体格面を考慮してどの様なサッカーを目指すべきなのか、、、と根本的な問題にさかのぼって不安を感じるが
社会面では戦争に向かった歴史を学び深掘すれば現在の空気が、限りなくあの時代に似ているのではないか、、と感じさせる

何かを知れば何かに対する不安が生まれる
そして何かを知れば不安が生まれるのと同じように、何かを知れば怒りを覚えるようになるかもしれない
自分の住むこの地区でも、知らないでいれば怒りすら覚えないことが、たまたま知ったために怒りを覚えずには
いられないことが見つかり、それらがさらに深掘りした情報を求める様になっている

いつものように話は逸れたが、サッカーの話に戻って、よく言われる言葉に
「勝っているときは余計な変更(選手の変更)はしない」というのが基本で、それで勢いの継続を図るのだが
川島は明らかに二試合ともミスをしている、最初のコロンビア戦はパンチングにいけば良いものをキャッチを選択し
セネガル戦はキャッチすべきところをパンチング(これは初戦のあのことが脳裏に浮かんだせいか?)
外国メディアは川島の評価はひどいもんだ
外国の声を聞かずとも最初から個人的には不安だった、試合にコンスタントに出ていないせいか彼に良いところの闘志も空回り
自信のない表情も見てとれた、、と言って彼に変わるGKは、、、これもギャンブルしかないが、、
乾は西野さんは一試合目で不甲斐ない自分を、二試合目も使ってくれたのでそれに応えようとして頑張ったという
以前のザッケローニ監督は汚名挽回のチャンスを与える監督で、以前川島がミスした時も、我慢して使い続けて
川島が自信回復につながったが、今回は選手を変えても変えなくても、責任はすべて監督の判断の責任になる
プロの世界は結果がすべて、、、厳しい世界だ、、

しかし、それにしても現在のマスコミ、、、いろんな意味で不安を覚えてしまう、、
一億総白痴化、、、昔使われた言葉が、何故か頭に浮かんだ、、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンドの判定と帳尻合わせ

2018年06月21日 09時39分20秒 | サッカー

まだ余韻が残っているようなコロンビア戦
運が良かったのは早い時間に得点できたことではなくて相手に一人退場選手がでたこと
決勝点を叩き出した大迫が抜け出した時点であっさり得点をしていたら
(本当はそうあるべき)その後の展開は、攻めるコロンビア守る日本が
長い時間経過することになり、最後は疲れ切った日本が失点とダメージの残る
試合展開になったと思われる

ところが審判は即レッドカードの判断
これはみんながみんなレッドカードを出すかと言えば、審判が近くで見ていたようだが微妙なところだ
慄然と判断したように見えるが、果たして自信をもって判断したのか、、

というのは日本が失点した時のフリーキックの場面の長谷部のファウルの判定で
審判はちょいとバランスをとったのではないか、、と思われたからだ
映像を見るだけでは長谷部がファウルというより、その反対すら思えそうだが
審判の頭に浮かんだのは試合最初のレッドカードの判断
これが、やりすぎたかな、、、と瞬間に浮かんで、そのバランスを取ったと第一感で思われた

自分が審判をしていた頃、この様なことは無くもなかった
どこかでバランスを取ろうとする気持ち、、
一見偏って見えようとも冷静に審判すべきなのだが、自分の心の中のバランスも取りたい気持ちは
どうしようもないのは人間が行うことの難しさ、、
この審判の裁定は審判経験者は、なんとなく分かる、、といったところ

ところで、コロンビアの選手のハンドについて、あれが意図的かどうか議論があるが
いまでも覚えていて、時々紹介している意図的なハンドがある
一つはウルグアイのルイス・スアレスの行ったもの
南アフリカ大会の試合においてゴールライン上のあたりにいたスアレスは、明らかに入ってしまうと思われた
シュートを手でひっかき出した
当然、彼はレッドカードで退場
しかし、その時行われたPKは相手が失敗、、結果的にウルグアイは勝ちを収めることになった
このPK失敗を喜んでいたスアレスの表情が映像で大きく報じられ、スポーツマンらしくない、、ということで
かなりの出場停止の罰を受けた
彼はその次のワールドカップでも有名な噛みつき事件を起こしているが
この野性的な獰猛なところは、少し惹かれてしまう

ハンドの事件の頃からスアレスは好きな選手になったが、あの荒々しいプレースタイルでバルセロナに合うかな
と思いきや、いきなりフィット、一時期のメッシ・ネイマール・スアレスの3トップの迫力は段違いだった
スアレスのゴールはメッシのように淡々と取り続けるというより、イブラヒモビッチのように一つ一つが印象的で
凄いなーと声が漏れそうなのが多い
スアレスはサウジアラビア戦で決勝点を奪ったが、コーナーキックでぽかんと空いたようなあの場所にいること自体
特別な役割を任された人のように思えてしまう

もう一つの印象的なハンドは、だいぶ昔に行われた日本代表対イングランドの試合
たしかイングランドのウェンブリースタジアムでおこなれたものと思っているが
試合は最初、井原がCKからのボールをヘッドで得点、優勢に進めたがその後失点し、
1-1でこのまま終わるかと思われた最後のところでイングランドの選手の放ったシュートを
柱谷哲二が、スアレスと同じように手で意図的に守った
当然、彼はレッドカードで退場となったが残り時間はほとんど無く、このPKが決められて日本は負けとなった

ハンドはスポーツマンらしくない、、という
しかし、勝負に執着心をもつこういう人たちは、入ることがわかっていて自分が何もしない
ということに、耐えられるのだろうか
いや本能的にすべきことをしてしまうのではないか、、、
そしてそれは本当に悪いことか、、、
それは簡単に決められない、、と思えてしまう
(罰則は下されるが是非の評価とは少し違う)

それは選挙で選ばれた議員さんたちが判断した危うい法案を、その結果世の中がどうなるか心配した一般大衆が
これは見過ごすことできないと声を上げるのと少し似ている気がする
いけないことをしたとされるスアレスや柱谷、彼らはもしかしたら勇気をもっていたのかもしれないとも思う
(もっとも、本当のところはそんなことも考えず、つい手が出てしまったというところだろうけど)

この勇気、とか覚悟とか、踏ん切りというところが日本人が苦手とするところ
サッカーの外国人監督の日本選手に対する感想は
「日本人は言われたことはきちんと実行する、しかし、言われないことはしない(言われたことしかしない)」
この言葉はこの国の官僚さんにも当てはまる
それはシステム的にそうなっているのか、それともこの国だけの問題か、、
結局のところフロムの「自由からの逃走」という結論に繋がりそうだ

ところで、最新技術でのゴール判定やファウルの確認だが、審判の犯す間違いもサッカーの一部みたいな
感覚がある自分としてみれば、選手たちにはかわいそうかも知れないが、人任せ・運任せのほうが
深みがありそうで、面白そう

時間というか運命はいつか帳尻を合わせるようで、イングランド対ドイツのワールドカップで
イングランドの選手の放ったシュートはバーに当たってゴールライン上の微妙な位置に
この時審判はゴールの判定をし、もつれた試合はイングランドの勝利に
これが何十年後、全く同じ様に繰り返された やはりワールドカップの試合で(ドイツ大会だったかな)
イングランドの選手が放ったシュートがバーに当たってゴールライン上に、、
それが今回はノーゴールの判定  ところがテクノロジーが進んでビデオ画像では確かにゴールを割っている
本当はゴールだったのだ
しかし、そこで偉かったのはイングランドの選手  特になにか抗議するわけでもなく淡々とゲームを進めた
このイングランドの選手の態度が尊敬すべきと思ったのと同時に、サッカーの神様はいつか帳尻を合わす、、というような感覚をもった
前の微妙な判定は本当はノーゴールが正しくて次はゴールが正しいのだが、同じように審判は間違え、結果的に両国とも公平になった
この結末は、感情的に受け入れやすい
戦ってる本人たちにとっては無責任な感覚かもしれないが、人間の間違いも含めてサッカーを考える(見る)方が少しばかり面白い




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運にも恵まれたワールドカップ・コロンビア戦

2018年06月20日 08時49分56秒 | サッカー

今回のワールドカップ気温が暑くないようなので全体的な運動量も大きく
それ故にハイレベルな試合ができている
そうなるとFIFAランキングが低い日本はしんどいかな、、と思っていたが
初戦のコロンビア戦は運も味方して最高の結果となった
日本2−1コロンビア

まずはスタメン、自分予想とはGKは中村、トップは大迫ではなく武藤だった
実績・慣れの部分では西野さんの選ぶスタメンが妥当だが、川島は前回の惨敗した時のイメージが
残るので(相手にとっては既視感のようにやりやすそうなので)中村を推したいとした
大迫と武藤はタイプが若干違う、武藤のほうが走り回れるタイプなので全体的な前への推進力を
求めるなら、それにプレスにも岡崎並みに頑張れそうなので期待したが、、
でもオーソドックスな選択に文句はない

だが日本の左サイド、乾と柴崎の守りは少し不安だった
後ろに長友がいるとしても、軽い感じの守りしかイメージがないので不安だった
ずっと押し込んでいる状態ならいいのだが、守りの状態になったときは心配だったが
この日ハメス・ロドリゲスがスタメンではないと読んでこの起用になったらしい

勝つときは運がついて回る
早い時間の得点はありがたいが、反対にリズムを崩しかねない
知らず知らず守りの姿勢になってしまう
実際に失点後のコロンビアは感情の高まりもあって個人の能力を発揮して
攻めの気持ちにあふれて、日本は少し受け気味になった
だが運があったのは相手に退場者が出たこと
このレベルで一人いないハンディは大きい
それを上手くついていければ、長く長く感じられる試合の時間も安心して見られるようになる
しかし、前半は勢いに押された感じ
あのフリーキックは川島はもう少しなんとか出来なかったのかな、、と思う
コロンビアは一人欠けたことで選手交代で一番厄介なクアドラードがいなくなった
正直なところこの選手交代で、この試合は負けない、いや勝てるかもしれない、、との思いが浮かんだ
フォルカオも抜け出すタイミングは凄いけど一人で何もかもしてしまうタイプじゃないので
グアドラードがいなくなったのは本当に助かった

同点で迎えた後半、多くの人の言うように試合に入り方も進め方もだいぶ良かった
ボールを良く回し相手を走らせて、、、ただ、まだまだパスミスが多い
もったいないパスが幾つかあった
乾へのパスが前に行きすぎたり後ろすぎたり
全体的にはいいリズムで進められたが、香川が消えてしまった
パスを受けるシーンが画面に映らない
逆に目立ったのは柴崎、いいタイミングでうけて左右に散らして、時に鋭い縦のパス
ワールドカップ直前のパラグアイ戦でもこれが効いていたのがこの日も彼の特徴がよく出ていた

試合の中では原口の岡崎並みの走力・頑張りはひたむきさがあってよかった
乾は仕掛ける能力はあるがまだプレーが軽い感じ
酒井宏樹は同じ酒井の高徳よりは安心して見られるので、怪我の回復が間に合ってよかったというところだが
美味しいチャンスは決めてほしいな

本田は計算できる選手で、いつでもそれなりの仕事をする
最初のシュートが良かったので気分良くゲームに入れてあのコーナーキックにつながったというところだろう

守りはポカの多い吉田だが昌子とのコンビはまずまず
槙野の戦う姿勢は分かるけど、かれは少しミスが多すぎる(ファウルも含めて)

結局のところ勝つときは運も味方する
そしてこういう短期の勝負は勢いに乗ることが重要
勢いだけでなんとかなるほどこの世界は甘くないが、それでも多くの人が期待していなかった初戦に勝ったことは
少なくともあと2試合を楽しむ権利を持てたことになる
願わくば、試合を通じてチームの実力が飛躍的にアップすると良いのだが、、

で、個人的なマン・オブ・ザ・マッチは決勝点の大迫じゃなくて、落ち着いたゲームを作り出した柴崎
この選手はもっと経験を積めば日本代表に欠かせない存在になりそう、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根拠のない熱狂への不安とメデイア

2018年06月19日 15時06分42秒 | Weblog

ワールドカップ、強豪国が苦労している初戦
ドイツが負け、アルゼンチン・ブラジルが引き分け
アジア勢がやっとのことでイランに勝ったのは正直ホッとする

そう言えば前大会で優勝したチームの初戦は案外負けているかもしれない
アルゼンチンが優勝した、あのマラドーナの5人抜きのあった大会の次のイタリア大会では
アルゼンチンは初戦のカメルーンに0-1で負けている

南アフリカ大会で優勝したスペインはブラジル大会ではオランダに負けてたし
ブラジル大会優勝のドイツがメキシコに0-1で負けた
別に法則性はないのだろうが、偶然が重なるとなにか意味があるのかとも思いたくなる

本来ならばこのようなワールドカップのことで頭がいっぱいという状態ならば
幸せなんだが、どうも気になって仕方ないことが頭から離れない
それは最近のメディアのこと
相変わらずスキャンダルを追いかけ、低俗なのぞき見趣味を満足させているような報道のことではなくもう少し真面目なこと
本来はもっと批判的に取り上げたり、時間やスペースを費やすべきものが、それがされていないのではないかという不安
もっと右左の連中からは各メディアは偏向しているとの指摘があるが

このように心配なのは、以前読んだ「太平洋戦争と新聞」の中で紹介された新聞の見出しが
大衆迎合的であり、戦争への道を突き進めてしまったのはメデイアと大衆ではないかと思えるからだ

例えばリットン報告書に対する新聞各社の見出しは
東京朝日 「錯覚・曲弁・認識不足---発表された調査団報告書」
大阪朝日 「認識不足と矛盾のみ」
東京日日・大阪毎日 「夢を説く報告書−−誇大妄想も甚し」
読売 「よしのズイから天井覗き」
報知 「非礼ふ匿(ひれいふとく)たる調査報告」
時事新報 「報告性は過去の記録のみ」
このほか「現実無視」などなど

こんなのを見ると、現在問題となっているどこかの国の報道のことを批判したり笑えなくなってしまう
日本だって以前そうだったと、、
そして問題は大衆はこの様な勇ましい記事のトーンを望み、現実に新聞の売上にもそれが寄与したということ

この本には松岡洋右が国際連盟を脱退して日本に帰ってきたときのことが書かれている

帰国すると避難されると思っていた松岡は、国内では大歓迎を受けて面食らった。
「口で非常時といいながら、私をこんなに歓迎するとは、皆の頭がどうかしていやしないか」と帰国した夜郷里の歓迎会の席上、もらした。

連盟脱退の翌日のジュネーブの「ジュルナル・ド・ジュネーブ」の記事は
「日本はこの14年間、連盟の常任理事国として大きな役割を果たしてきた。二人の事務次長・新渡戸稲造氏と杉村陽太郎氏は
多くの人々の支持と尊敬を得ていた。しかし、日本はいま立ち去ろうとしている。、、、日本は世界に孤立し、いったいどのような
見通しを未来に持っているのか。前世紀ならいざしらず、もはや国際社会に孤立して生きることはできない。日本はこのことに気づいていない」

おそらく客観的な世界の見方が後者の記事
どこか浮かれたような、わけのわからないものにつつまれている、、のが前者の日本
そして、日本のこのわけのわからない空気は、いつの間にか反対意見を述べることができない
大きな流れになり、悲劇をもたらすことになった

ネトウヨさんたちの安倍さん礼賛の客観性のない投稿や、右の人たちのおかしな報道(月間HANADA等)は
どうしても、これらを連想させる
そして大衆が感情的な熱狂にいつか巻き込まれてしまうのではないか、、
という不安を小心者は消し去ることができなくて、ちょいとばかりストレスになっている
こんな時、人は、一体何をすれば、、、、、、何をすべきか、、、

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「安政の大獄」と「奸婦にあらず」

2018年06月17日 11時21分11秒 | 
どうも自分は、大成功した人物よりは少し運の悪い人物に惹かれるようだ
大津皇子・村山たか・土方歳三、、「こんなはずではなかった、」とこぼしたくなるような人たちなど
その中の「村山たか」に関心があって、これらの本を読んだ。


「安政の大獄」吉田常吉著は一次資料がふんだんに用いられて、権力闘争や時代背景の臨場感が凄い
読んでいるとハラハラして、まるで今そこで起きているかのような錯覚さえ覚える
現実的な対処法としての幕府の開国政策は観念的な攘夷思想の人たちと比べて
どちらのほうが適切だったのか、、明治維新とは何だったのかと少し考える機会になった。
歴史の教科書で覚えた印象とはかなり異なる。
でも、正直なところ、井伊さんやりすぎ、、あれじゃ、、、


安政の大獄の中心人物の井伊直弼に関わる人物として「村山たか」と言う女性がいる
舟橋聖一の「花の生涯」で知ったが、あの小説の主人公は井伊直弼ではなく村山たかだったとも個人的な印象
この人がとても興味深い、井伊直弼の愛人であったり、長野主膳の愛人であったり、スパイであったり、、
しなくても良い経験を嫌という程することになった村山たかは、最後は一人生き延びて京都の詩仙堂近くの
金福寺で尼さんになって、お墓もそこにある
ここには一度行ったことがあるが、この際もう一度行こうという気になった

右側の本「奸婦にあらず」は完全に恋愛小説。これは男では書けないタイプの内容(と思う)
人は理屈だけで動くもんじゃない、、肉体と感情をを持つ人間として、、自分にとって今大事なのは、、、
そこで下した判断を、外側からの人がとやかく言えるのか、、、

運の悪い人、、次に関心があるのは幕末の幕臣「小栗忠順」
この人とても頭の良い人だったらしいが、、運命とは残酷のようだ
以前購入したにもかかわらず積読状態になっているのが「覚悟の人」小栗上野介忠順伝(佐藤雅美)
この本、読むのは「今でしょ」というところかな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワールドカップ開幕(録画とライブを見て)

2018年06月16日 21時26分57秒 | サッカー

スペイン対ポルトガル(3-3)
あまり好きじゃないがロナウドは凄いな
最後のあの時間に完璧なFK
特別な才能とか運命を背負った人物というのはあるものだ
彼のシュートは全然吹かさない
何故そうなっているのかを日本人は得意の真似をしなければ
スペインは勝ち点を2失なった感じだがブラジル大会ほどひどくはない感じ

フランス対オーストラリア(2-1)
もう少し一方的になると思っていたが、オーストラリアが善戦したというより
フランスに少しがっかり
止めて蹴って裏を狙って、、そのワンパターンでリズムの変化に乏しい
以前のダイレクトに繋ぎ、たくましいイメージとはだいぶ違う
これは初戦だからかそれとも今の実力派こんなものか、、
でも決めるのはポグバで、やっぱり特別な存在なのだと実感

ウルグアイ対エジプト(1-0)
スアレスの野性味たっぷりのプレーが見たかったが
乗り切れていなかった感じ
カバーニのほうが得点の匂いはしたが、二戦目以降スアレスに期待したい
エジプトのサラーは見たかったが怪我で叶わず、、、残念

イラン対モロッコ(1-0)
後半アディショナルタイムにオウンゴールでイランが勝利
アジア勢がこのところずっと負けてたので、勝ってホッとした

サッカーはこのワールドカップというジャンルでは全く闘いだな
練習期間もクラブチームと違い限られているので、闘う気持ちの強いかどうかが大きなポイント
日本人にその気持が希薄な感じがしてしまう
コロンビア戦は上手いというより戦える選手をスタメンに、、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅から感じとるもの(活かすべきものと絶望感)

2018年06月12日 08時32分09秒 | Weblog

偶然に良い言葉と出会った
「Youは何しに日本へ」という番組のなかで、出演者のアメリカ人が自分のプロフィール写真の背景に写った言葉が
ある機会で知り合った女性のプロフィール写真の背景にも全く同じ言葉が写っていたので、何かしら運命的なものを
感じたということだが、その言葉がなかなか気が利いている

それは
The world is a book, and those who do not travel, read only one page.
(世界は一冊の本だ。旅をしない人々は本を一ページしか読んでいないのと一緒だ。)
調べてみると、アウグスティヌスの有名な言葉らしい

旅をするということは、書物では感じることの出来ない匂いとか生活感とかその場所の秩序とか
人々の共通の価値観とか、、、そうしたものを一気に全体的に実感として感じることができる

自分の住んでいるところを離れて遠くに出かけると、人はその違いに驚きを覚える
物見遊山としてでかけたとしても、そしてそれが外国であった場合には特に新鮮な驚きとなる
そして知らず知らず、自分の住んでいるところとの比較を行ってしまう
それが単純に比較であるうちは良いのだが、知らず知らず「良し悪し・上下」の評価を行うまでとなる

明治から昭和にかけてヨーロッパにでかけた人たちは、先進国の文化・インフラ・生き方に大きな衝撃を受けた
そこには学ぶべきもの、直ぐに真似る価値があることが幾つも存在する、
これらに比べると我が国は、、、、と自国の遅れている部分を否応なしに自覚せざるを得なかった
(自分がまだ若い疾風怒濤の時代、そして日本が経済的に沈むゆくヨーロッパよりも優位にあった時
 後先考えずに放浪の旅へでかけたが、その時感じたのは、日本が経済的に第二の国だと言われているが
 街中に電柱は立っているは、水洗トイレはないは、バカンスの休暇をしっかり取れないは、、で
 実は全然これらの国に追いついていない、、どころか、完全に遅れているし、果たしていつか本当に追いつけるのだろうか
 との思いをもった)

外国との比較が肯定的に今後自分たちのなすべき指針となればそれは問題がない
ところが、西欧の文化とかシステムに圧倒されて自国に自信を失ってしまう様な性格の人は
次はどの様な行動を取るか、、、といえば、多分無理矢理にでも自国の優れているところを探す
そしてそれを見つけて安心感に浸りたいと想うようになる
この国は歴史がある、、独自の文化がある、、家族を中心とした精神的なつながりを大事とした生き方がある
そしてはこれらは世界に誇るべきもの、、と声を大きくあげたくなる

このあたりの感覚は、実は昨年読んだ「天皇機関説事件」の中にもそれとなく触れられていたが
現代の日本の中に馬鹿にできない存在となりつつある「ネトウヨ」なる存在は、この様なメンタリティの
人々ではないのか、、、と思ってしまう

話は飛んでハンナ・アーレントの「全体主義の起源」(2)では、自国からあぶれたちょいとばかりならず者が
未開地(アフリカ)にでかけた時の反応が紹介されている
彼らは肌の色がぜんぜん違う人に直面し不安を覚える
彼らは自分たちと同じ様な考え方を持つ人なのか、果たして言葉や感情が通じるのか、、
そうすると残念なことに彼らは色の黒い人々を勝手に「遅れた人々・下等な人々」と決めつけ
自分たちは彼らをコントロール(支配)できる立場にあると考えるようになる

つまりは自分の頭で理解できないことは、無理やり現在の自分の頭で理解できる概念に当てはめようとする
そこには「彼らの中には彼らなりの秩序や理屈、文化があるかもしれない」といった考え方は全く存在しない

現在すぐに「反日」という言葉を用いて、何かと区別したがり
自国のまずいところは見ないようにして、反対にここがすごい、、と安心したがる人びと
彼らは本当に「一冊の本」を読んでいるのだろうか(世界を把握しているのだろうか)

比較した上で、どの様な地域にも独自の秩序だった生き方があり、幸福という視点からは
なんら区別できるものではない(確かに経済的な格差があり、その影響は無視できないが)ことを
受け入れるだけの余裕がないように思えて仕方ない

人には人の、その国にはその国の良さや秩序があるということ
旅を重ねると「世界はみんな同じだ、人はみんな優しくて、家族が大事で、子どもが好きで、、」
との結論を抱く人が多い
長く生きて得た結果が「自分たちは凄い!」と言うより「みんな同じだ!」と思えるほうが幸せだと思うけどな

ということで、相変わらずまとまりのないグダグダ話、、

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな場所

2018年06月11日 09時07分52秒 | 徒然なるままに

風光るとか薫風とか、、そんな言葉が使われるカラッとした空気の梅雨前の一時期が好きだ
5月は自分の生まれた月ということもあるが、何よりも瑞々しい新緑は見ているだけで
ウキウキするような気持ちになる

毎月同じ時刻、同じ場所から撮影している我が家の庭も6月はこんなに一気に
葉っぱが思いっきり背伸びしている感じ

同居人は伸び過ぎで早く剪定してほしい、、との声
でも、自分が落ち着くのは

この木々に囲まれたこの小さな道の中
強い日差しも遮る葉っぱに囲まれ、わずかに眩しい木漏れ日が見える場所
その中にいると少しだけ湿気を感じて、葉っぱに隠れている虫たちの存在すら感じる
ほんと、落ち着くんだな、、
この場所に椅子を置いてのんびりしたいような、

しかし、スッキリが好みの同居人の圧力は、、、怖い
ずっと前、その人の希望を聞いて庭師さんがあまりにも木を切りすぎてしまったことがあった
その時は相当落ち込んだ
せっかく彼ら(木々も)一生懸命成長したのに、、
取り返しつかないことをしてしまったのではないか、、と思えて

でも植物はたくましい
いつの間にか、また鬱陶しいからさっぱりしてほしい、、という声が聞こえるまでになった
確かに、程々に選定するとさっぱりした気分になるのも否定できない
だが、もう少しだけ木々に囲まれてホッとした気分を味わいたい
(木々は別の葉っぱが触れ合うといろいろ調整をすると「樹木たちの知られざる生活」には
 書いてあったが、残安なことにその内容は覚えていない、、、でもみんな頑張れ!という気分)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする