まだ余韻が残っているようなコロンビア戦
運が良かったのは早い時間に得点できたことではなくて相手に一人退場選手がでたこと
決勝点を叩き出した大迫が抜け出した時点であっさり得点をしていたら
(本当はそうあるべき)その後の展開は、攻めるコロンビア守る日本が
長い時間経過することになり、最後は疲れ切った日本が失点とダメージの残る
試合展開になったと思われる
ところが審判は即レッドカードの判断
これはみんながみんなレッドカードを出すかと言えば、審判が近くで見ていたようだが微妙なところだ
慄然と判断したように見えるが、果たして自信をもって判断したのか、、
というのは日本が失点した時のフリーキックの場面の長谷部のファウルの判定で
審判はちょいとバランスをとったのではないか、、と思われたからだ
映像を見るだけでは長谷部がファウルというより、その反対すら思えそうだが
審判の頭に浮かんだのは試合最初のレッドカードの判断
これが、やりすぎたかな、、、と瞬間に浮かんで、そのバランスを取ったと第一感で思われた
自分が審判をしていた頃、この様なことは無くもなかった
どこかでバランスを取ろうとする気持ち、、
一見偏って見えようとも冷静に審判すべきなのだが、自分の心の中のバランスも取りたい気持ちは
どうしようもないのは人間が行うことの難しさ、、
この審判の裁定は審判経験者は、なんとなく分かる、、といったところ
ところで、コロンビアの選手のハンドについて、あれが意図的かどうか議論があるが
いまでも覚えていて、時々紹介している意図的なハンドがある
一つはウルグアイのルイス・スアレスの行ったもの
南アフリカ大会の試合においてゴールライン上のあたりにいたスアレスは、明らかに入ってしまうと思われた
シュートを手でひっかき出した
当然、彼はレッドカードで退場
しかし、その時行われたPKは相手が失敗、、結果的にウルグアイは勝ちを収めることになった
このPK失敗を喜んでいたスアレスの表情が映像で大きく報じられ、スポーツマンらしくない、、ということで
かなりの出場停止の罰を受けた
彼はその次のワールドカップでも有名な噛みつき事件を起こしているが
この野性的な獰猛なところは、少し惹かれてしまう
ハンドの事件の頃からスアレスは好きな選手になったが、あの荒々しいプレースタイルでバルセロナに合うかな
と思いきや、いきなりフィット、一時期のメッシ・ネイマール・スアレスの3トップの迫力は段違いだった
スアレスのゴールはメッシのように淡々と取り続けるというより、イブラヒモビッチのように一つ一つが印象的で
凄いなーと声が漏れそうなのが多い
スアレスはサウジアラビア戦で決勝点を奪ったが、コーナーキックでぽかんと空いたようなあの場所にいること自体
特別な役割を任された人のように思えてしまう
もう一つの印象的なハンドは、だいぶ昔に行われた日本代表対イングランドの試合
たしかイングランドのウェンブリースタジアムでおこなれたものと思っているが
試合は最初、井原がCKからのボールをヘッドで得点、優勢に進めたがその後失点し、
1-1でこのまま終わるかと思われた最後のところでイングランドの選手の放ったシュートを
柱谷哲二が、スアレスと同じように手で意図的に守った
当然、彼はレッドカードで退場となったが残り時間はほとんど無く、このPKが決められて日本は負けとなった
ハンドはスポーツマンらしくない、、という
しかし、勝負に執着心をもつこういう人たちは、入ることがわかっていて自分が何もしない
ということに、耐えられるのだろうか
いや本能的にすべきことをしてしまうのではないか、、、
そしてそれは本当に悪いことか、、、
それは簡単に決められない、、と思えてしまう
(罰則は下されるが是非の評価とは少し違う)
それは選挙で選ばれた議員さんたちが判断した危うい法案を、その結果世の中がどうなるか心配した一般大衆が
これは見過ごすことできないと声を上げるのと少し似ている気がする
いけないことをしたとされるスアレスや柱谷、彼らはもしかしたら勇気をもっていたのかもしれないとも思う
(もっとも、本当のところはそんなことも考えず、つい手が出てしまったというところだろうけど)
この勇気、とか覚悟とか、踏ん切りというところが日本人が苦手とするところ
サッカーの外国人監督の日本選手に対する感想は
「日本人は言われたことはきちんと実行する、しかし、言われないことはしない(言われたことしかしない)」
この言葉はこの国の官僚さんにも当てはまる
それはシステム的にそうなっているのか、それともこの国だけの問題か、、
結局のところフロムの「自由からの逃走」という結論に繋がりそうだ
ところで、最新技術でのゴール判定やファウルの確認だが、審判の犯す間違いもサッカーの一部みたいな
感覚がある自分としてみれば、選手たちにはかわいそうかも知れないが、人任せ・運任せのほうが
深みがありそうで、面白そう
時間というか運命はいつか帳尻を合わせるようで、イングランド対ドイツのワールドカップで
イングランドの選手の放ったシュートはバーに当たってゴールライン上の微妙な位置に
この時審判はゴールの判定をし、もつれた試合はイングランドの勝利に
これが何十年後、全く同じ様に繰り返された やはりワールドカップの試合で(ドイツ大会だったかな)
イングランドの選手が放ったシュートがバーに当たってゴールライン上に、、
それが今回はノーゴールの判定 ところがテクノロジーが進んでビデオ画像では確かにゴールを割っている
本当はゴールだったのだ
しかし、そこで偉かったのはイングランドの選手 特になにか抗議するわけでもなく淡々とゲームを進めた
このイングランドの選手の態度が尊敬すべきと思ったのと同時に、サッカーの神様はいつか帳尻を合わす、、というような感覚をもった
前の微妙な判定は本当はノーゴールが正しくて次はゴールが正しいのだが、同じように審判は間違え、結果的に両国とも公平になった
この結末は、感情的に受け入れやすい
戦ってる本人たちにとっては無責任な感覚かもしれないが、人間の間違いも含めてサッカーを考える(見る)方が少しばかり面白い