パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

国会中継

2011年09月28日 18時55分55秒 | Weblog

代休の一日

整体に行って、少し運動をして

退屈しのぎにテレビをつけると目に入ったのは「国会中継」

 

普段は夜のニュースでポイントだけ報道されるが

こうして見てみると、これが日本の最高の意思決定機関かと思うと

少しどころか大変残念に思う

 

大体、会議になっていない

質問は詰問で、何らかの意見の一致点を見つけようとか

方法論の良し悪しを競う様な、

知的なスリルのある議論にはなっていない

 

それは国会議員という人々が、あまりにも人間臭い

欠点を持ちすぎているために(お金にルーズ)

相手側はその弱点をつく攻撃に出るだけに終始している

 

正直なところ、時間は政策について

しっかり話しあうことに費やして欲しいものだ

 

それにしても、政治家はお金にルーズというか

政治と金は切っても切れないというが

政治家になった時点でなんという多くの誘惑が

議員に迫ってくるのだろうと

空恐ろしくなる

 

日本はまだ他人のよい意見を認めることができにくい国なのだろうか

自分の考えが間違っていたとして

それを自分で気づいたとしても

相手の話に乗ることは恥ずかしいとか

負けたとかいう感覚なのだろうか?

 

少しばかり悔しい気持ちはわからないでもないが

しっかりした理性は

自分に執着することではないことのはず

 

と言っても、どこまでいっても感情のある人間がやっていることだから

そうは理想通りには行かないだろうが、、、

 

それにしても、国会議員の人間力、教養の不足は

議論の低さ以上に問題かもしれない

 

どの国も、政治家、政治屋さんはこんなんだろうか?

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芸は身を助ける

2011年09月23日 19時12分11秒 | Weblog

年齢を重ねると、人生ってこんなものか!

と感じることが多々ある

 

芸は身を助ける

手に職をつければ食いっぱぐれはない

と言う意味ではなく

何故か、その人が好きなものが結局

めぐり合わせも含めて彼を救う

と言うか、生活の糧となる

ということ

 

バスケットの大好きな甥っ子は

バスケット絡みの仕事についたし

古材の大好きな建築家は、その大好きな古材で

特別な位置を占めるようになっている

音楽の好きな友人は

それで生計を立てているし

自分は、、、、

正直、好きなもののお陰でしぶとく生きていけているとも思う

 

その好きなものは何か?

と言う問は置いておくとして

人は何か夢中になるもの

大好きなものが必要というか

見つけることができたら

それだけで人生の半分以上は幸せなのかもしれない

 

 

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余震 アフターショック

2011年09月21日 18時08分39秒 | 

地震の話ではない

帯のコピーには 

資本主義はもはや「富が集中する様に仕組まれたゲーム」であり

その暴走によって格差はますます拡大し続ける。

暴走の先にはどんな社会が待っているのか?

とある

 

この本は経済に関する分野の本

著者はロバート・B・ライシュ 東洋経済社

タイトルには

そして中間層がいなくなる

のサブコピーがついている

 

週刊誌の書評を読んで求めたのだが

なるほど、非常にわかりやすい

景気不景気が循環するのは、富の偏りから起きる

と述べたり、その証拠となる数字を列挙したり

市場に任せればオーケーを無条件に前提とした経済の話とは

かなり違う

 

ここ数年の富の偏在は著しい

金持ちは富はあるがお金を使わない

中間層は欲しいものはあるがお金が無い

ここの分析で話を進めていく

 

話は横道に逸れるが最初の方の章に

最近は高度は判断力・スキルを要する仕事と

労働集約的な置き換え可能な仕事に(つまり人件費を安い方に選択できる)

大別されてきているとあったが

まさしくその通り

これはコンピュータの発達・ソフトの発展で人間の熟練は必要とされなくなった

 

気になることが一つ、日本に限るかもしれないが

今ひとつ経済に活力がないのは

実はもはやモノに満たされているからではないか?

そんなふうに思えてならない

 

勿論、細かいことを言えばホームレスだったり

就職できない人たちが多かったり

平均収入の半分以下の人たちもいるのは事実

 

しかし、それらを踏まえた上でも

日本は欠乏感に満ちて絶対欲しいと言う品物は

無くなってしまったのではないかと思う

 

若者は、その前の時代の人間が必死になって求めた商品は

すでに当たり前のように家に存在する

商品を手にする感激はもはや若者には

そんなに強くないのかもしれない

 

話はそれたけれど

市場に任せておけば大丈夫と呑気に構えていると

その市場を動かす輩の暗躍で

神の手による均衡にはたどり着けなくなる

 

様々な例が出てくるが、

つくづく感じるのは、人間の品格というものが

全てに換算できるお金に支配されつつあるという実感

 

資本と言うものが、そもそもそういった性質を持つものなのか

お金を一旦手にした人間は皆その手の人間性になってしまうのか?

そのことはわからない

だが、この本は昨年のベストセラー「これからの正義の話しをしよう」

と同様に多くの人の目に触れて欲しい一冊だ

 

 

 

 

 

 

 

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まだまだ外国人頼みのJリーグ

2011年09月18日 20時32分03秒 | サッカー

ガンバVSマリノス

グランパスVSアントラーズ

どちらも1-1の引き分け

 

最近は確かに以前よりは小粒だけれど

一人一人が上手くなってきている感じはする

しかし、成績上位のチームは良い外国人選手がいるところ

の感じを拭えない

 

日本に合う外国人選手

そもそもポテンシャルが全然違う選手

活躍する素地は違うけれど

結果的にはまだまだ外国人頼りの成績

 

それと気になったところが、DFからのクリアボール

このクリアとかパスがカットされて

一方的に攻められる時間が多くなる事がしばしば

どの試合にも見られるが、これがイタリア並みに

慌てずキチンとつないでいける様になれば

ワールドカップ予選も安心してみていられるレベルになると思うのだけれど

DFのパス練習なんてあまり重要視しないし

練習時間も少ないかな?

 

なでしこのDF鮫島は確か元MFだった

この辺りの選手の方がパスが正確

最近のDFは攻撃のパスができないと

守りだけではアカンはずなのだが、、、

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自己表現

2011年09月16日 07時06分16秒 | Weblog

日本人には嫌われがちな自己主張

にも通じるかもしれないかも知れないが

人にとって大事なものは、特に実生活(ビジネス)では

自己表現ではないかと、最近つくづく思う

 

経営者の多くは自己主張するタイプの人たちの集まり

それは自分を良く見せようとか、大きく見せようとかするのを

本能的にしているのかもしれない

しかし、たぶん根本は誰かに認められたいという欲望ではないのか

 

それは経営者だけでなく、実は人間みんなが持っている欲望

それを控えめにしましょうと押さえ込むより

みんながそれぞれ、うっとうしいまでの自己主張、自己表現をする

そんな世界を日本はいったんは経験しなくては

世界と戦えないというか世界標準にはならない気がするが

さて

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震災以後変わったものは?

2011年09月13日 20時39分11秒 | Weblog

大本営(国)発表は信用出来ない

テレビ・新聞も信用出来ない

と言ってネットは玉石混淆、信じられるものとは言いがたい

このことを国民全体が強く実感したこと

これが震災以後の大きな心理的な変化ではないだろうか

 

結局は自分で何が信じられるか、

その判断力を磨くしか

今を乗り切る方法はないことを学んだのではないだろうか

 

結論としてはごく当たり前のものに落ち着いたけれど

この結論が、今までの日本ではなかなか受け入れられなかった

 

面倒なことは誰か自分以外の人がやってくれる

その根本より、要は何をすればよいかだけを求める

今まではそうだった

 

しかし、どうもそれでは上手くいかないらしい

残念だけれど、面倒だけれど自分がしっかりするしかない

 

さて判断の基準となる自分をどうやって

正しい判断が出来る人物に育てるか?

 

これがなかなか難しい

そして一朝一夕には身につくものではなさそう

だが教育は、この部分をしっかりして行かないと

また同じ失敗を繰り返しそうに思えるが、、、

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ニーベルンクの指輪

2011年09月07日 21時39分15秒 | 音楽

バイロイト音楽祭、今年の話題は何だったんだろう

昔は年末にNHKFMで指輪、パルジファル、それからその年の演目から

2.3を全曲を流していたが、最近もやっているのだろうか

大掃除をしながら掛けっぱなしで聴いていたのが懐かしい

 

いやパルジファルは復活祭の時だったかもしれない、

マタイ受難曲と同様に

 

そんなことを考えていたら急に指輪をまともに

聴いてみようという気になって

レコードのカラヤンのものを引っ張り出してみた

 

レコードの音はCDよりも厚みがあって、リアリティがあっていいが

それだけでなく老眼の進んだ目には

大きな冊子の対訳がありがたい

 

まずは「ラインの黄金」から

普段はおいしいところは抜き出して聴いていたが

まだ6面のうち4面までだが

通して聴いてみると結構面白い

なるほど、いろんな演出家があれこれ変わったアイデアで

やりたがるのはわからないでもない

 

 

トールキンの指輪物語でも魔法の力を持った指輪の話が出てくるが

ヴァーグナーをイメージしたのか

それともヴァーグナー自身も既にその原型となる話はあったのか

ヨーロッパの人々には常識的な知識の範囲内なのか

 

ヴァーグナーは台本と作曲を手がけて

音楽はライトモティーフの活用で

状況の暗示、説明を効果的に行い

そこそこの人間性へのツッコミも鋭くて

4日間に渡る作品を創り上げたことに改めて驚く

 

ところで前夜となる「ラインの黄金」で

ちょっと気になるのはローゲ

主人公のヴォータンより悪賢い神さん

あれだけ賢かったら自分がヴォータンを差し置いて、、、

と考えないのは変!と思えなくもないが

そこに突っ込みは無しにして

世の中に割合いそうな感じ

 

ヴォータンもフリッカも、

男の立場女の立場で言い争うのも

何やら身につまされそう

 

演奏については、この頃のベルリン・フィルは

凄かったかもしれない

ちょっと軽い感じがしないでもないが

「ラインの黄金」は後2面

 

次は物語性に富んだヴァルキューレ

ショルティーとカルショーの有名な録音をレコードで

 

この手の作品は一生のうち聴く気になる時が

来るか来ないか!が大きな境目になるが

今この歳(59歳)で聴く気になっているのは

少しはいいことなのかな?

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チームワーク

2011年09月04日 08時15分42秒 | Weblog

昨年のワールドカップの時も

今年の女子のワールドカップでも

「チームが一丸となって戦ったのが良かった」

と、この一言が魔法の呪文のように広まり

まるで、チームが一致団結すれば全てが解決し

それに異を唱える人は肩身が狭い気がしたものだが

自分はその肩身の狭い思いをした方の一人

 

どうしてチームワーク中心の説に賛同できないか、

考えてみると、チームワークという言葉自体が、日本では

「足りないものを別の人が補う」的なニュアンスがあるからと気づいた

 

一人で守れないから、攻めることができないから

他の人が手伝う

この考え方はわからないでもないが一歩間違えると

責任回避になってしまう

 

「日本では」と限定した言葉を使ったのは

外国では「チームワーク」のにニュアンスが違うように感じられるからだ

そこでは、一人ひとりが自分の責任を徹底的に果たすのが当たり前で

あるときは他人の分野まで進出しようとする

ところが皆、俺が俺が!では収集がつかなくなって

そこで「効率的な活動のために」チームワークが必要となる

 

本当のチームワークは「足りないところを補う」のではなくて

自分の特徴、責任を効率的に発揮する

ということなのではないか

 

もっとも、職人集団は個性が強くて

一致団結しにくいからこそ

今回は全体が団結していたから良かった

というような言葉が出たのだろうけれど

 

ここまで行くとどうしても日本人論、社会の成り立ちまで

話は広がっていきそう

農耕民族だからある季節には皆で助けあって

ともに活動するのはわからないではないが

そろそろ、一人でも勝負できるようにならないとアカン!

と思うのは杞憂であればいいのだが

 

 

 

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